テーマ解説
ストーリーについては、大体こんな感じですかね。
そんな話ですが、作品テーマは大まかに分けて2つありました。
1つは、アーリアデットの能力に付随する彼女の性格。これは一度『活動報告』でも触れていましたが。
アーリアデットは『世界の全てを見る』と言われていながら、その実、彼女のいる世界は屋敷一つという、まるで箱庭の世界なんです。
箱庭を作り、眺める側の人間でありながら、立っているのは箱庭の中というか。矛盾ですね。
「アーリアは知識だけは人並み以上だけど、人並み以上にあらゆる体験をやってこなかった。全てがこの森の中で完結してるんだ。外の世界は憧れの場所だけど、憧れで終わってしまっているから、なかなか今以上を求めようとしない」「――――それほどまでに、あの子の世界は小さい」と、作中でもハルピオスが言うように。
アーリアデットは多くの物を見て知っているけど、でもそれは体験したわけではなく、実際に触れた事もない、一面だけのものであって。
外の世界に憧れる一方で、そこから出る事を恐れている。人との繋がりの少なさ、極端なまでの体験不足が、彼女を引き籠り体質にしているわけです。
これは現代社会にも通じるかなと、自分では思っています。
インターネットの発達が、まさにそれですね。アーリアデットの場合は“鏡”ですが。
百聞は一見に如かず――聞きかじっただけで知った気になるのと、体験して自分の身を持って得た知識とでは比べものにならない。
五感から受ける情報量は思っている以上に多いし、それがエピソード、つまり思い出と結びつけば、より強固な記憶として残る。
例えとしては悪いけど、『ドリアンは臭い』と文字情報だけ知っているのと、実際に嗅いで「うわ!」となったのでは、後者の方が当然インパクトがあるし、どのような臭いで、どのぐらいの距離から臭って来た等、人から聞いてもピンと来ない事が体験では感じる事が出来る。
これは嗅覚のパターンですが、視覚の情報は勿論、他にもトゲトゲを触ってみたり、食べてみて味わってみたり、大体が複合されるわけですがね。
この『体験して自分の身を持って得た知識』というのは、単純な情報としての知識だけでなく、人の心や人間関係にも言える事で。
自分がどうすれば、相手がどういう反応をするか。喜怒哀楽という言葉だけでは足りないぐらい、人の感情というのは本当に細かく、人によって様々ですからね。
そういうものも、自分達で体験して、自然と学んでいった事なんですよね。
褒められたり、喧嘩したり、謝ったり、笑い合ったり、泣き合ったり。
心が傷つくのも、傷つけるのも、どちらも大事なんですよね。
心の痛みを知っているから、相手に優しく出来る。傷つけてしまった失敗から、次はそうならないように出来る。何でも糧に出来る。
だから『知る』だけでなく、知った事を『活用』するのが大事だという事。勿論、『してはいけない事』は『しない』のも大事。
役に立つとか立たないでなく、それがまた次の物事への想像力へと繋がるという事。
想像力を養うというのは、思考の選択肢を増やすという事。
それを駆使して、人間は迷いもがきながらも、前や上を向いて生きていく。生きていこうとする。
物語としてはここで終わっていますが、アーリアデットには、そういう体験をこれからどんどんしていって欲しいですね。
長くなってしまいましたが、テーマのもう1つ。
他人の存在の大きさ、大事さです。
アーリアデットやイミルについてもそうですが、自分としては特にそれを実感しているのは、ヘクトだと思っています。
ヘクトは人間の姿になれた事で、今まで出来なかった事が出来ると喜びます。
実際出来る事が増えたわけですが、その全能感にも似た感覚は錯覚なんですよね。
カエルだった頃に感じた自分の無力さが、ヘクトの中には残っていたからこそ、その反動で錯覚も大きい。
だが現実は、自分の力ではアーリアデットを守れなかった――その事で、自責の念に駆られます。
どんな強い者でも(この場合は、カエルから見た人間という種族でも)、一人では出来ない事もある、という事。
一人で生きてきたヘクトだからこそ、他人と協力するという発想も無かったわけですが、仲間が出来た今は、その力も頼れば良かったんですけどね。
そして、守りたい者が出来た事による思いの強さは、これも一人では得られなかったものですね。
誰かがいて初めて、自分の真価も発揮出来る。そういう意味でも、他人の存在は不可欠だと思います。
何やら上手く説明出来ませんでしたが、雰囲気だけでも感じて頂ければ、それで良いかと思います。
あくまで、自分が書く時の指針として決めたテーマというだけであって、読んだ方の感じた物それぞれが正解ですので。




