山を走って登る俺 1
今年も猛暑で昼間となれば40℃近くまで気温が上がる。暑さには強い方だと思うが、流石に炎天下のアスファルトを走る気にはならない。まあ、大阪で初めて40℃を超えた日には記念に走ってみようとは思っているが、それは一回きりだろう。さすがに日常的には走ってられない。でも山まで来れば猛暑日でも(きっと酷暑日でも)大きな問題はない。登山口までは車で行く。登山口に車が3、4台停められるちょっとした空地があり、そこが駐車がOKなのかどうか分からないが常に何台か停車している。俺も停車する。
そこでランニング用の自作のサンダルを履き、ランニングウオッチと登山アプリをを起動させトレランをスタート。国道沿いではあるが、ここからは山の世界だ。
登山口から登山道に入る。入った瞬間からもう『山』って感じのデコボコ道で上手くは走れない。でも走れるところは出来るだけ走るようにする。でも全力では走らない。山道は(ひょっとしたら山以外でも)巡行速度で走ることが重要である。飛ばしすぎない、でも止まらない。
鳥の囀りや虫の鳴き声を聴きながら黙々と走る。ロードだと1時間走るのは心の準備が必要である。でも山だと何も要らない。いや、スマホと100mlほどの水分はポケットに入れているが、特に心の準備は要らない。『山』と言っても標高300mほどの山を二つ(記録上は三つだが、内一つはいつ登ったのか分からない)登るだけだ。割と高齢者が多い。ペアも3人以上のグループもそこそこ。若い(と言っても中年の俺よりということだが)人もぼちぼちいる。犬の散歩をしている人も。そんな感じの特に険しいとかではない、登山初心者向けの山だ。俺に冒険心はなく、基本的には体力錬成として登る、ってか走る。少し高低差があって走りやすかったらOK。特に何も考えない。何かを感じよう‥とかも考えない。心は『無』に近い。でも『心を無にしよう』とかも考えない。
たまに時計は見る。いつもより、ちょっと遅いかなぁとかは考える。でもそんなに深くは考えない。いつもの道、いつものせせらぎ、いつもの鹿おどしコトンみたいなやつ、いつものおばあさん。ん?おばあさん?
何故か、いつ走っててもすれ違うおばあさんがいる。年齢はどれくらいだろうか?パッと見た感じ90歳ぐらいには見える。低山とはいえ一応『山』だ。街中の散歩とは訳が違う。それを推定年齢90のおばあさんが毎日登るのはスゴい。
いや、そういうことじゃない。俺は走る曜日も時間もコースも一定ではない。ある程度のパターンはあるが少なくとも規則的とは言えない。たとえ規則的だったとしても毎回すれ違うのはスゴいことなのに、曜日も時間もコースも不規則な人間と毎回すれ違うなんてことはあるのだろうか?
俺にGPSでも付けているのだろうか?いや、そんなことはありえない。それか誰かを雇って俺の行動を追っているのか?そんなことをして誰が得をするのか?仮にそうだった場合、俺の行動が分かったとしておばあさんを俺の通るコースまで搬送するのか?そんなことをして誰が得‥いや、一旦『得』や『意味』を考えるのは辞めておこう。とりあえずは技術的なことを考えてみよう。
GPSは俺は手ぶらに近い状態で走っているので俺の荷物や体内に埋め込むのは難しいだろう。誰かが俺を尾行はできるとして、おばあさんを俺の進路に搬送する‥のは不可能ではないが誰が得‥は考えないんだった、困難だろう。低山とはいえ『山』だ。車で運ぶことはできない。ってことは担架で運んでいるのか?それともおばあさんは自力で歩いているのだろうか?
偶然という可能性もなくはないだろう。俺が行く時に俺が行く場所におばあさも行く。はたまた、似たおばあさんが何人か居てそれを同一人物と勘違いしている可能性。それか、おばあさんが特殊能力保持者で俺の行手に先回りしている可能性。俺が幻覚を見ている可能性。それとも何度か見ただけで実は毎回すれ違っている訳ではない可能性‥ん?この可能性が一番高いか?まあまあ、おばあさんの話は一旦、置いとこう。
一つ目の山の頂上付近、最後の登りが険しい‥ってのとは程遠いが少し急な坂があり、誰かの手によってロープが設定されている。ロープが無くても登れなくもない。でもあった方が安心だ。ここら辺はよく転んだ。自作のサンダルなんか履いてるからやろ?と言うなかれ。まあまあ、なんとか頂上に着く。
頂上は何とか八景にも選ばれている絶景スポット‥ということになっているが、そこそこ景色の良い場所ってレベルだと思う。そこにはだいたい、何人かの人が景色を見たり休んだりしている。そこで温度計を確認。今まで走った時の気温は、記憶ではでは35℃から−3℃ぐらいか。
山なので平地より少し気温が低い。−3℃がサンダルの下限界か。それ以上低くなると足の指が耐えられないかもしれない。でも手の指は10℃を切ったらキツいことを考えると足って強い。ランニングで足の指先まで使っているのも大きな理由だろう。とはいえ氷点下まで下がると結構指先が痛いが‥
一つ目の山を越えて少し降ると割と平坦で走りやすいシングルトレイルが続く。いくつかの分岐があってせせらぎの道に出る。以前は分岐で道を間違えて変な方に行ったり、元に戻ろうと道なき道を進んだり大変だったが、何十回と通った道なので流石に迷わなくなった。
トンネルを潜って『何とかセンター』に出る。そこには木造の建物があって、恐らくはたまにイベントとかもしている。俺は参加したことはないが何度かトイレを借りたことはある。付近には割と大きなベンチとテーブルがあり、だいたいは高齢者から俺の年齢ぐらいに人たちが談笑している。そこにも参加したことはない。何となく近くを通る時は山の掟としての挨拶はする。いつものおばあさんもいる。ん?
そこにある大きな池を横切り、最後の山に向かう。この池を横切る時が前半で一番楽しい。昔から川を渡るのが好きだった。これは本能的な事だろうと思う。魂が水辺を欲している。
そこから一度、舗装された道路を横切りしばらく行けば二つ目の山への最後の登りがある。低山とはいえ初めて登った時は割とキツかった。慣れても少しはシンドいが黙々と登るしかない。人気の山なので階段‥までは出来ていないがそれに近いぐらい登りやすくしてくれてはいる。調子が良い時は5分ぐらいで登り切る。頂上は巨岩が鎮座している。
なんでも8千万年前の火山噴火やその後の地殻変動によって出来たそうだ。火山の噴火でこの直径15メートルほどの巨岩が飛んできたのだろうか?ちょっと想像できないが、そう書いてあるしそうなのであろう。この岩ほどではないがこの付近には大きな岩がゴロゴロしている。
巨岩の上でいつもの記念撮影をする。岩とサンダルと街並みを写したショットだ。いつも変わり映えはしないが撮ることは決めている。自然の岩なのでデコボコしていて、それに山頂で風が強いことも多いため少し怖い。後ろに誰かが居る時は、そんな訳ないと思いながらも『押されたらどうしよう』と思ってしまう。落ちたら大怪我だ。いや、大怪我で済むのか?そんな心配はするが実際は誰も押さない。少なくとも今まで押されたことはない。って当たり前か?押せば殺人未遂か殺人罪だ。写真撮影後、少し水分補給をして岩を後にする。
当たり前のことだが、降りは登りより早い。行きは40分、帰りは30分って感じか。行きと同じ道を降る。横道に外れて近くの滝を目指すときもある が今日は元の道に戻る。さっきの池、さっきの里にさっきの人達。ここにはたまにリスが居たりするのんびりしたところだ。かと思えば猪も出るしマムシも出る。怖いと言えば怖いが、まあはその時はその時だ。ウリ坊とマムシは見たことがあるが危害は加えられなかった。
スズメバチ5匹ぐらいにずっと追いかけられたこともあり、その時は少し怖かったが黙々と走り続ける他ない。停まっても離れてくれないし、退治しようとしても1匹やっつけている隙に他の蜂にさされるだろう。幼い頃は蜂に刺されたことはあるが、トレラン中に刺されたことは幸いにもない。よく、こちらが危害を加えようとしなければ刺されることはない、と言うが幼い時は何もしてないのに刺された。ただ立って親指を突き出した『GOOD』のポーズの親指の先を。何もしなくても刺される時は刺される。
池と里を抜け、最初に登った山の方へ向かう。でも山頂まで行ってしまうとかなりの高確率で滑ってコケるので別ルートを走る。迂回路は山頂を経由しないのであまり人とすれ違わない。でもここでだいたい、いつものおばあさんとすれ違う。『こんにちは』とお互いに挨拶。ん?本日4回目のばあさん。2回目と3回目は里のベンチだから良いとして1回目と4回目は山の中だ。ん?ばあさん、双子か?山登りばあさんと、里寛ぎばあさんが居るのか?
まあまあ話は戻って、幸いにトレラン中に蜂に刺されたことはなく怪我といえばたまにコケて擦りむく程度だ。割と豪快に擦りむいて1ヶ月以上傷が残ってる時のもあるけど、まあ問題ない。でも長ズボンを履くか、スパッツぐらいは履いた方がいいかもしれない。いや、履くべきだろう。
いやいや、そんなことより、ばあさんだ。ばあさんはいったい何人いるのか?どこから来てどこを歩きどこに帰っているのか?そのヒントはどこにあるのか?今までの話で伏線があったりするのだろうか?山のどこにあるのか?猪やマムシや蜂などの動物か?それとも8000万年前の火山の噴火や地殻変動が関係しているのか?動物の化身か?それとも噴火や地殻変動で発生したのか?動物の化身ならまだしも、噴火や地殻変動ってなんだ?ばあさんが火山口から飛び出してきたのか?何のために?毎日、登山してどうする?今は8000万歳か?それはいったい何なんだ?
まあまあ、それは置いておこう。最後は足場はあんまり良くないが、降りなので楽だ。登山口が近づいてくると車の音が聞こえてくる。もう山の世界は終わりだ。最後の坂を降り登山口の駐車場に着く。汗をスゴくかいてしまっているのでTシャツを着替えたいが、着替えてもすぐに汗が出るので家に帰るまで我慢する。座席のシートが臭くなるのを防ぐために背もたれにタオルを敷いて帰る。
そんな感じの行きの車25分、トレラン一時間ちょい、帰りの車25分の役2時間のコースだ。まさに2時間ちょっとの散歩道!
勤務時間が不規則な仕事をしており、朝9時から翌朝9時までが勤務時間だ。それが月に10日程度。明けの日は非番といい、仕事がない日は労休という。その労休の中で土日祝を除き、ジムに行く日も除いた月に3回ぐらいは山を走る日にしている。今日もいつもの場所に車を停めよう。でも後から停める人のことを考えない人が停車していると、停めるのが困難な時がある。今日がそれだ。歩道に停めようか?歩道もかなり広い(車が3台並列で停めれるくらい)し人通りも多くない。でも少し気が引ける。なんとか雑草を押し分けならが狭いスペースに停めることができた。そしていつも山をいつものように登っていく。いや、走って行く。いつものせせらぎ、いつもの雑木林、いつもの鉄塔‥?いつもの山を越えいつもの里を抜けて‥?そしていつもの山の頂上のいつもの岩からいつもの撮影‥?なにか足りない?
後ろから誰かが肩をトントン。振り返ると、あ〜いつものおばあさん!今日は見んかったけど、どこおったん?と思ったら体当たり!うそん!
山の朝は早い。今は比較的平和だが夜は夜目がきく若者が2、3人見張りに立っている。最近は攻められることは殆どなくなったが、危険が全くない訳ではない。異変があれば鐘を鳴らし、鐘がなればほぼ全ての男子が起きて対応する決まりになっている。9歳以下の子供や歩けない老人は免除だが、歩けなくても若者は除外されない。それぞれやれることをやる。それが掟だ。
この辺りの山は南北に連なっており、そこにいくつかの集落がある。それらの集落は協力し合って生活をしている。以前からも仲間意識があり交流はあったが、最近は結束を固めるようになった。
山は豊かで猪や鹿、鳥も獲れ果物や山菜も豊かだ。農業の技術もあり、田んぼもあり、畑にタネを蒔き果物や野菜も作っていた。いくつも川が流れており魚も獲れる。薬草に詳しい人もいてケシの実も獲れるので麻酔もでき、簡単な外科手術も可能だ。
そりゃあ、猪や毒蛇にやられて死んだり怪我をしたりする人や山での様々な活動で怪我や時として命を落とすこともあるが、それは仕方がない。ある程度は気をつけるが事故はゼロにはならない。仲間が死ねば悲しいが、それはみんな受け入れている。
そんな山に略奪者が現れた。昔はたまに旅人が通る程度であり、場合によっては道を教えたり物々交換で食料と何かを交換したり、時間や怪我の程度によっては治療を施したり泊めてあげることもあったが、積極的な交流は少なく、また交流する必要性もなかった。
しかし、旅人に山の豊かさを聞いたからか、時より畑や倉庫から食料が盗まれるようになった。何度か盗まれた時、倉庫を厳重にしたり畑に見張りを立てたり、盗まれない対策をした。最初のうちはそれで取られないようになったが、武装した集団が襲ってくるようになり、食料だけでなく男は殺され、女は奪われるようになった。ショウが現れたのはそのような時だった。
山の頂には巨岩が鎮座している。山の民はそこに神が宿ると信じている。いや、太陽や木、川や空にも神が宿ると信じているが、多くの神の中で最も普遍的で『常にそこにあるもの』として崇めている。岩の上から山の全てが見渡せる。すなわち、山の何処からでも岩を見ることができるということだ。山の民達は日々、岩に祈り岩を愛し岩と共に生きている。
そんな岩の方から叫びが聞こえてきた。
『ぐあーー!』
岩の上は当たり前だが平ではなく、捕まるところもないため落ちるリスクはある。でも、みんなが承知しているのでギリギリまで行く人はいないので落ちる人はいない。でも叫び声と、その後の何かが落ちたような音から考えて誰かが落下したのかもしれない。たまたま近くに山菜を取りに来ていた山の娘のハルが声と物音を聞き、岩の頂上から下を確認した。
ん?誰かが倒れている?『おーい!大丈夫?』と呼びかける。すると人影のような物が少し動き、呻き声が聞こえる。山の斜面をを走って降りてみると男が倒れていた。見たところ擦り傷はあちこちにあるが大きな外傷はない。触ってみたとこと骨折もなさそうだ。呼吸もしている。
足場は悪いがハルも山の女なので山道を重い物を運ぶのには慣れている。仰向けの男の上に自分も仰向けに重なり片腕を肩越しに巻き込みながら横に回転する。そうすれば意識のない人間を背負うことができるのだ。集落まで運び、長老を呼びに行く。
山では年長者ほど薬草や医術に詳しい。見たても確かだ。長老の見立てでは落下した衝撃で一時的に意識を失っただけだろう。脳へのダメージは断定はできないが、深刻ではないだろう、とのこと。しばらくすれば目を覚ますだろうとの見立てのとおり、しばらくすれば目を覚ました。
『ここは何処ですか?』とハルに聞く。『ここは山さ』はハルは答える。『山?山ってどこの山?』と男は聞く。『山は山さ。名前なんてない。この辺の人は『北の山』とか『岩の山』とか言うけどねぇ』ハルは答える。『何県なんですか?』男が聞く。『何県ってなんだい?あんたはどこから来たの?』とハル。『どこって‥』と言って辺りを見渡す。木でできた山小屋が見える。山小屋なんてこんなもんかもとも思うが、今まで見たこともないような気もする。作りがしっかり‥というか美しいとさえ思える。木以外は使われていないのか?それに助けてくれた娘の格好だ。縄文時代か弥生時代のコスプレをしているのか?いや、そんなことはないか?不潔な感じはない。
そんなことを考えている時に長老が現れる。『少し休んでから帰るといい』と長老。ハルに水と食料を与えるよう言う。与えられた水を飲む。少し落ち着く。梨のような果物ももらうが何か正確なところは分からない。とても瑞々しく少し甘い。食欲が満たされて脳が動き始める。
ん?『帰る』って?何処に帰るんだっけ?俺は山を走ってなかったっけ?外を見れば大きな岩が見える。そうだ、『岩』だ!俺は『山』を走って岩を登っていたんだ。その『山』でよく会うおばあさん。そうだ、そのおばあさんに岩から落とされたんだ。何故?それは分からない。辺りを見渡す。いつもの岩はそのまんまだ。その他は違う。こんな建物はなかったし、周囲の山道や広場も全然違う気がする。いや、そんなに大きくは変わらない気もする。『山』なんてこんなもんか。
まだいろいろなことが曖昧で漠然としている。でも帰った方がいい気はする。帰る方向も分かる気がする。よし、帰ろう。ハルにお礼を言って別れる。ハルは微妙な表情で何を考えているか分からない。ん?今までに会ったことがある気もする。う〜ん、まあええか。とりあえず山を降りよう。
降りる方向はだいたい分かる気がする。人の居る山は人が移動しやすい道(もしくは『道っぽいもの』)があるのだ。たまに分岐があるが思う方向に進む。しばらく進むと比較的大きな池に出る。池の水を飲む訳でも池に入る訳でもないが、自分の本能が喜んでいるのが分かる。しばらく池に見惚れてしまう。
池をしばらく見ていると、池の水を飲んでいる男達の姿が目に入る。中年の男が1人、若い男が2人。見ていて何故かいい感じはしない。特に中年の男の表情が気に入らない。ここで殺してしまおうか?って考えがよぎり、そのことにビックリする。いやいや、表情が気に入らないだけで殺してられない。しかし、胸騒ぎが止められないので後を付けることにする。
山で尾行なんてした事がない。いや、山じゃなくても尾行なんてした事がない。適切な距離も分からない。近すぎると気づかれるし、遠すぎると見失う。相手に気づかれず、相手を見失わない絶妙な距離。しかし、難しいかと思いきやそんなに近づかなくても分岐は少なく隠れるものも多いので何とかなる。なんとなく予想していたとおり、大きな岩の方に向かって行く。ここで可能性について考える。この連中は誰でどこに向かおうと思っているのか?
①連中は山の住人で山に帰ろうとしている。
②山の住人ではないが山に用事がある。
③山の住人ではなく山に用事もない。ただ通過するだけ。
この選択肢で①と③の場合は特に問題はない。②の選択肢を細分化して考えてみよう。
⑴山の誰かに何かを届ける、もしくは会いに行く等の用事がある。
⑵商売で山に何かを売りに行く、もしくは買いに行く。
⑶山の何かを奪いに行く、もしくは誰かを襲いに行く。
ざっとこれくらいの選択肢か。こんな風に列挙するまでもなく心が⑶を強く支持している。やつらの目的は人かモノか?やはりさっき殺しておくべきだったか。しかし、やつら武器を持った3人だ。確実に勝ためには少なくとも不意打ちで1人は倒しておきたい。2人なら自信がある。もっと確実な方法は山の民と協力することだ。
大きな岩に近づいてきた。岩に近い倉庫を覗き込んでいる。さすがにそれだけでこちらから攻撃する訳にはいかない。でも何をしているか聞くと1対3での戦いを余儀なくされるかもしれない。山の民を呼ぼうか?そう考えた時、こちらに向かって歩いてくるハルが見える。『マズい、来るんじゃない』と思うが声に出す訳にはいかない。何かを投げて気づかせようかと思ったが、連中にも気づかれるかもしれない。
ここでも何をするのがベストか可能性を考える。
①まず最も盗まれる可能性が低い方法は、大声を出してハルに仲間を呼んで来てもらうという選択肢だろう。この場合、必然的に1対3の戦いになる。場合によってはハルにも危害が及ぶかもしれない。
②もしくは奴等に不意打ちを喰らわす方法。上手く行けば不意打ちで1人か2人を倒せるかもしれない。騒ぎに気づいたハルは逃げて仲間を呼んで来てくれるかもしれない。これはこれで①の場合もだが、ハルが加勢に来る可能性はあるだろうか?その可能性があるなら、奴等がハルを認識する前に少なくとも2人は倒しておかなければならない。2人が残っていた場合、1人と対峙しながらもう1人がハルを襲った場合に守ることが困難だ。
③奴等に気づかれずにハルに危険を知らせる方法はどうだ。それが出来ればハルにとって1番安全だ。しかし、奴等の近くを通って行かなければならない。失敗すれば自分もハルも大きな危険に晒される。
④奴等をこちらを追わせる。何かを投げつけるか、大声を出すかしてこちらに気づかせる。成功すればハルは無事に逃げられる。そのまま逃げても良いし、何処かで待ち伏せして一人一人倒しても良い。
結論から言えば②を選んだ。ハルへの危険が一番少ない気がしたからだ。山中で拾った棒を握りしめ、草木に隠れながらそーっと近づく。近づいている最中に気づかれたら④に作戦変更することも考えなければならない。ハルが気づかれるようなことがあれば作戦①に変更だ。
そんなことを考えながらも慎重に、しかし出来るだけ素早く接近する。倉庫まで10mぐらいまで接近した時、1人が倉庫の裏側に回っているのを確認する。まずその1人を倒すか、他の2人のうちの1人を倒しあわよくばもう1人も倒しに行くのか?少し迷ったが近い2人の方に近づく。
よし!2人まで3mに近づく。もう隠れるものはないから静かに、だけど一気に距離を詰める。2人のうち1人の後頭部に棒をフルスイング。手応えもバッチリ。鈍い音とうめき声でもう1人がこちらを振り返る。そいつの横っ面も棒で殴るがさっき程の会心の一撃ではなかった。顔をしかめながらも武器を持って構える。どうやら中年の男のようだ。最初に倒した奴へのトドメも兼ねて顔面を踏みつけながら中年の男に近づく。中年の男が俺の頭を目掛けて棒を振り下ろす。しかし、間合いも遠く動きも遅い。裏に回っていた1人も騒ぎに気づいたようで、こちらに回って来るが来た時には中年の男も倒していた。
仲間が2人とも倒れていることに気づき、踵を返して逃げ出す男。それを追いかけるが、なかなか足が速い。こちらもトレイルランナーだが倒した2人も死んではいないので動き出してハルを襲わないか心配だ‥諦めて引き返そうかと考えた時に相手が派手に転倒する。かなりダメージがあるのか立ち上がることができない。とりあえずそいつを丈夫そうな枝で後ろ手に縛り、小屋まで引きずっていく。引きずっていく最中に、ふと我に返る‥
これは一体、なんなんや?そしてここは何処なんや?
ちょっと冷静に考えてみよう。俺に引きずられているコイツは何者なんや?さっきの2人も誰やねん?誰かも知らない男たちを俺は躊躇なく殴りつけ、そして踏みつけた。感覚的に死にはしてないとは思うが、死んでいてもおかしくないとも思う。でもそれは最善の方法だったと思っている。いやいや、そうじゃない。もっと本質的なところだ。
まず、ここは何処なのだ?俺は山を走っていた。そうだ、いつもの山を走っていたのだ。そしていつもの岩に登った。そしてばあさんだ‥
っと考えていたところでハルが現れる。長老や何人かの男たちもいる。そのうちの1人の爬虫類のような男が『とんでもないことをしてくれたな』と言い俺を睨んできた。長老は不表情で『ちょっと小屋まで来てくれ』と言った。小屋近づくと、さっき倒した2人の男は生きているようで治療を施され横になっていた。
『こいつは山の民じゃない。そう説明して平地の奴らに突き出しましょう』爬虫類顔の男がいう。『俺たちは助けただけだと』しかし、他の男が『平地の奴等のと今の関係をいつまで続けるんじゃ?』と言う。こっちはゴリラのようなガッチリとした男だ。『でも平地の奴等は人数も多いし、武器も持っている。それにこっちが攻撃しない限り危害を加えてこない。そりゃあ、少し悔しい気持ちもあるが仕方ないだろう』と爬虫類。
『今以上のことを要求してきたらどうする?平地の奴らに完全に支配され奴隷にされても抵抗しないんか?』とゴリラ。『奴らもそこまではしないだろう。下手に抵抗したら、それこそ皆殺しか奴隷にされてしまう』
そんな議論が延々と続く。そんな時に今まで黙っていた長老が口を開く。『今までワシらは平地の民との争いを避けてきた。下手に争って怪我をしたり命を落としたりするのがイヤじゃった。しかし、それは正しいことじゃろうか?我らが獲った食糧を黙って持っていくのをいつまで見逃す?そりゃあ、仲間が傷つき、時として命を落とすのはイヤじゃ。でも最近の奴らは度が過ぎておる、そろそろ対等の関係を築けんもんじゃろか?どうじゃ、若い人』といきなり話を振られてびっくりする。
(俺が知る訳ないやろう)と思いながらも『もし俺が謝りに行く必要があるのなら行きます』と答えた。『いや、それでは良くて振り出しじゃ。さらにいろいろ求めて来るじゃろう』と長老。『それならば‥』と再び俺が口を開く。
『最後に捕まえた男に伝言させましょう。なんなら俺も行ってもいいです』(何を言ってるんや、俺は‥)無意識で言ってしまった。自分が2人居るみたいな気分になる。
『いんや』と長老は話だす。『オメエは行かなくてええ』みんなが長老を見つめる。
『平地の人間と争う気はねぇ。だが、勝手に山の物を持って帰るのは認めん。山の物が欲しいんなら、それに見合う物との提供してもらう』
『でも長老‥』と不安そうな顔をする爬虫類。『山の各集落の長を集めてくれ。話し合いは3日後の夕刻とする。時間はないが急いでもらう。これからの山の行方を左右する大事な話だ』
『話がある。アンタはちょっと来てくれ』と長老に呼ばれ、別室に連れて行かれる。
『何故か初対面の気がせんな』一瞬、長老が微笑むが真顔に戻して『アンタはどう思う?』と聞かれる。(どう思うと聞かれてもなぁ‥)と思いながらも『対等な関係を築くという長老の意見に賛成です』(どの立ち位置で言ってんや?)『今までのように一方的な提供ではなく、対等な関係を築くためには相手に対抗できる武力が必要だと思います』
『うむ』長老が頷く。『してその方法は?』
『まず平地の人数を教えてください。それと山の民の数も』
『どこまでを平地の人数に入れるかによるが、こちらに来る集落の人数は多くて500人ぐらい。その集落と交流のある集落は恐らく五つほどあって、200人から800人ぐらいか。それも全て集めると3000人近くにはなるかもしれん』
『こちらの人数は?』『大きな集落で200人、だいたいは50人ぐらいの集落が点在している。全部で500人はいないじゃろう』
『その中で若くて体力のある者、狩の得意な者はどれくらい居ますか?』と聞けば
『山の男はは怪我人、病人以外は狩りができる。』
その夜、木の実や山菜、何かの肉の料理をご馳走してもらい長老の家で眠る時、さすがに今の状況を冷静に考えた。なんとなく状況を深く考えず受け入れてきた‥というか受け入れざるを得なかったが、とてつもない状況である。俺は山を走っていた。山までは車で移動してきた。時代は令和だ。でもここはなんだ?そういえば、山を走ってていつも会うばあさんに押されたんだ。ほんで今の状況はなんだ?これもいろんな可能性を検討してみよう。
①落とされたショックで気絶して夢を見ている。
②落とされたダメージで死んでしまい、ここは死後の世界だ。
③もともとこの世界の住人で何かの衝撃で記憶がバグってしまっている。
④落とされた衝撃か何か理由は分からないが異世界に飛んでしまった。
まずは①の可能性だが夢にしては長すぎるし、いろんな感覚が鮮明すぎる。②については概念的すぎて考えるのが困難なので一旦置いとこう。③については令和の記憶が鮮明に蘇っってきた俺には俄かに信じがたい。
ということで可能性が高いのは④に思える。理由とか方法は分からないが今の状況から想像するに異世界に飛んできたと思うのが一番しっくりくる。『異世界』というよりタイムスリップしてきた感じだ。
タイムスリップとして、いつの時代なんだろう?この辺しか見てないが建物と服装から想像するに縄文時代‥いや弥生時代ぐらいか?見た感じ建築はしっかりしてるし、服もちゃんと着ている(布っぽい)さっきの料理も農作物みたいな感じなモノもあった。土器みたいな器具や金属製のような道具もあった。でもここは山だ。江戸時代ぐらいでも山奥はこんな感じなのかもしれない。いや、中世に入ってからなら山とはいえ政権の統治が及んでいるはずだ。あからさまな略奪は訴えることも出来るだろう。
ということで暫定的ではあるがタイムスリップで古代、イメージとしては弥生時代ぐらいの争いが始まった平地の民が平和に暮らしている山を侵略してきた、と、考えておこう。一旦はそういうことにしてとりあえず、今宵はもう寝よう。
3日後、山の集落の長達が集まった。最も高い山で最も人も多い集落の長、イクマ。大きな池を管理し、豊な農産物の収穫がある集落の長のムロ。山系の中央部に位置する集落のボウジ。険しい地域だが鉱産資源が採れるという集落の長、リュウ。リュウの集落で採れた鉱産物を加工する仕事を担ってる集落のハタ。この5人と長老、長老の補佐として爬虫類のようなキマとゴリラのナカジ、それと俺の9人が話し合いに参加した。
『急に招集をかけてすまなかった。じゃが時は一刻を争う。旅の人が平地のもんを倒した。これをワシらとは関係ないこととして知らんふりをするか、ワシらも次から物を取りに来たら戦うかじゃ』最初に長老が口を開く。
『俺は前から平地のヤツらが気に食わんかった。あんなヤツらは蹴散らしてしまえばいい』血気盛んな、ボウジが言った。
『でもヤツらは我らの何倍もおるぞ。しかも、山の入り口は一つじゃない。どうやって守んじゃ』爬虫類のキマが言う。
『ここはワシらの山じゃ。地形も熟知してるし、体力もワシらの方がある』ゴリラのナカジが言う。
『さっきも言ったが相手はこっちの何倍もいるんぞ。しかも、いつどの入り口から攻めるのも相手次第じゃ。こっちの少ない人数でどうやって守んじゃ』と再びキマ。
『どこから来るか分からんと言っても、ワシの集落か、ここぐらいしかないじゃろ』とイクマが言う。
『それでも2カ所じゃ。5倍の相手が2カ所のどっちから攻めるか分からんかったら、下手すりゃ10倍を相手にせにゃならん。いくら地の利があっても10倍では勝てはせん』と再びキマが言う。
『いや、相手が勝てない人数だったら集落ごと逃げたらいい。』と今まで黙っていたハタが言う。
『そんなことしてその集落はどうする?』と長老も疑問を口にする。
『ヤツらの狙いは食料か鉄だ。それが少ない集落はまず素通りするだろう』とハタ。
『余分な食料はリュウと俺の集落に集めよう。そこなら山の何処からでもそれほど遠くない。入り口の集落で対応できない人数の時は、そこを素通りさせてリュウの集落か俺の集落、もしくはボウジの集落で討ち取ろう』とハタが言った。
『まあ、まだ攻めてくると決まった訳ではない。我々の方針としては、もう平地のヤツらの好きなようにはさせない。こちらからは攻撃しないが、攻めてきたら戦う。それには皆の結束が必要じゃ』と長老。
『俺は決められたら従う』今まで黙っていたムロが言った。
『しかし‥』とキマが意見を言いかけたが、
『もうええ。もう決まった。今からの反論は認めん』長老がキッパリ言った。
『よし、今の意見を平地のヤツらに伝えさせよう』言いながらナカジが外へ出た。
『俺のせいですみません』長老に謝る。
『もうええ。今まで曖昧にしてきて結論から逃げてきたんじゃ』と長老。
『実は最近、平地のヤツらから自分達の支配下に入れ、という打診はあったんじゃ。みんなに言っても反対されるじゃろうが、無碍に断っても攻撃されるかもしれん。じゃから、少しくらいなら分けてもいいと言っていたんじゃ』
『そんな時代なんですね』と俺は言う。
『ん?時代?』きょとんとする長老。
『恐らく平地のヤツらは今の集落以上のまとまった集団を作ろうとしています。これから続く戦いによって、その集団が大きくなるでしょう。この山もその波には飲まられてしまう時が来るでしょう』俺は歴史の常を語る。『でも今はその時じゃないかもしれない』
『その辺の可能性を一度、平地に行って探ってきます。何時代かも知りたいし』
『おぬし、何を言っておるんじゃ』と少し困惑している。『でもおぬし一人では危ない‥』と長老。『平地のことを分っとらんじゃろ』
『俺は山のことも分ってません。話せば長くなりますが、俺は今の時代の人間じゃないんです。恐らく遠い未来から時を越えてやって来て‥』どう言ったら良いのか分からない。
『とにかく、いろいろ見ておきたいんです』
確かに危険はあるだろう。でも平地の町?村?を見て時代を探っておきたい。この時代がいつの時代なのか。俺にできることがあるのか、ないのか。
『リュウと一緒に行くとええ。リュウは町のことをよく知っとる』
一度は断ったが、考えてみれば(考えてみなくても?)一人は不安だったので、リュウに案内してもらうことになった。
5時間ほど歩いてに夕方に平地の村に着いた。それは『町』っていう感じではなく『村』という言葉がピッタリだ。ほったて小屋みたいなのもあるが、多くはしっかりとした木造建築だ。
『知り合いがやっている宿がある。今日はそこに泊まろう。近くに飯が食えるところもある』
リュウが案内してくれた宿は木造の大きな建物だった。『今日はこれを持って来た』山から持ってきた道具のようなものを渡す。『いつもありがとうございます』と小柄なおやじが答える。
『町の様子はどうだい?』とリュウが聞く。やっぱり『町』なのか‥
『山に行ったヤツらの帰りが遅いことは少し話題になってました』
『あと‥』少し考えてから、『町同士の勢力争いも少しずつ活発になってきてます』
『腕っぷしの強さで物事を決めようとする者、理を説いて仲間を増やそうとする者』と言ってから一呼吸おいて
『モノで人を操ろうとする者もいます、もちろん』
協力した方が良いのか、それとも屈服させて従わせた方が良いのか。
富の総量が同じであれば、独占した方が得られるモノが多い。しかし、戦うと負けることもある。負けた場合は失うばかりだ。仮に勝ったとしても戦いのコストはかかってしまう。それに、いつ自分以外の誰かに攻められて富を失うかも分からない。
それでは協力した方が良いのか。戦いよりもリスクは少ないように思える。でも分け合うので独占に比べて得られるモノは必然的に少なくなる。しかし、場合によっては協力で富の総量を増やせないだろうか?ただ、協力した場合でも誰かの裏切りで富を失う、場合によっては命も失うリスクはある。これは恐らくいつの時代も同じことだが‥
そんなことを考えていると宿屋のおやじが
『今日は川の町のヒラクが来るそうですよ』と言った、
『ヒラクとは?』と聞くと
『平地の南の端に大きな川が流れている。そこの町が一番大きく人も多い。そこの長の息子がヒラクだ。恐らく平地で一番強く、人望も厚い』とリュウが答える。
『今はヒラクの親父をを中心にまとまろうとする者。そうなってしまうと、自由が効かなくなるので抵抗する者。ざっと半々という感じです』と宿のおやじ。
『今は平地の人間同士の争いを避けて山の富に意識を向けています』
そういうこともあるのか、と少し納得する。そう考えると山の富を得られなくなると暴力に訴えてくるか。それとも平地の人間同士で争うことになるのか。
『ヒラクが来ているなら話してみるか。おやじ、悪いがいつもの店で会えるよう段取りしてくれ』
その店は町のはずれにあった。小じんまりした建物から肉を焼く匂いが漂っている。肉の他に山菜等を煮た鍋もあるようだ。中は筵が敷いてあるだけの席が15程ある。何人か客は居たがヒラクはまだ来ていないようだった。
個室の別室に案内される。
『ここで待っていよう』リュウが言う。鍋が用意される。これは何の匂いだ?寄せ鍋のような匂いの気もするがよく分からない。でも食欲をそそる匂いだ。それとは別に焼いた肉や魚、穀物や山菜、それに酒も出される。酒はこれまた表現が難しい。何かを発酵させた匂いがする。とても美味いと感じる。リュウは上客のようで店のサービスが良い。
しばらく飲食していると、背の高い精悍な男が現れた。
『お待たせしました』とその男が言う。どうやらヒラクのようだ。ニコニコしていて天真爛漫そうな顔をしている。
『どうだ、最近は?』リュウが尋ねる。
『相変わらず元気にしてますよ』大きな声で答える。『おっ、美味そうな肉!』と一際嬉しそうに話す。
『この店は山で採れた猪や鹿、山菜や農産物も出てくる』とリュウ。『美味えだろ』
『リュウ殿からは食物だけでなく、銅や鉄もいただいている。これで農業や工事も効率的にできるようになりました』
『ただ‥』
少し考えるように一拍おいて
『収穫が多いところと少ないところに差ができるようになって、水の取り合いや鉄の取り合いで揉め事が多くなってきました』
『そうなってくると、鉄を農具や工具だけでなく、武器を作ろうという話にもなってきています』とヒラクの顔が少し暗くなる。
『う〜ん‥』とリュウの顔が歪む。『山に攻められないようにするために、少し分け与えてやっていたのが、逆効果になっていたか‥』
つづけて『こないだは山のモノを盗もうとしたヤツがいて、コイツがやっつけてしまったよ。今まで少しぐらいなら良いかと黙認していたんだが‥まあ、死んではおらん。許せ』
『いや、程度の悪いヤツらが調子に乗ってやったんでしょう。町の多くは自分たちが豊かになることしか考えていません。いつか皆んなが理由をつけて山のものを全て奪おうとするかもしれません』
『山の恵みを定期的に届けよう。鉄にしても何にしても山の者に任せてた方が上手く取れよう。自分たちでは上手く取れんのに山を滅ぼしたって得なことはなかろうに』
『その話は伝えておきます。ひょっとしたら、その話でまとまるかもしれない。でもさっきも言ったように、みんな自分たちが豊になることしか考えていません。強い者、賢い者が富を得る。そういう社会になってきました。だから‥』ヒラクの横顔が寂しそうだ‥
『だから、山の物を全部奪おうとするかもしれません。誰かの贅沢のためだけではありません。そうしないと飢える人がいるんです』
『誰かを飢えさせないために、誰かを殺して奪うのか?』
『確かにそれは正論です。でも鹿を食べる狼を責められないでしょう。生きるために殺すんです』悲しいことだがそれが道理だ。
『確かに‥』リュウも悲しそうな顔をしている。
『確かに、自分がもしくは家族が生きるためには仕方がないこともあるかもしれん。でも命以外の取り引きで済むものならすませたい』
『とにかく、できることなら俺も山を攻めたくない。取り引きで済ませられるならそれがいい。ギリギリまでみんなを説得してみます。でも‥説得できず、戦うことになったら‥』大きく息を吐き、心を決める顔をして
『その時は俺も陣頭に立って戦います』
『それは承知している。でもできるだけ交渉してくれ。もし交渉が不調に終わったら‥』リュウの表情に緊張が走る。
『鹿もただでは食べられん。お主らが鹿だと思っているものが本当は虎かもしれん。それだけは承知しておけ』リュウの目が光ったような気がした・
『お互い生きていく上で、時には争いも仕方のないこと。ならば男同士、魂が揺さぶられる戦いがしたい』ヒラクの目も光っていた。
『まあまあ、まずは町の人間を全力で説得してみます。ひょっとしたら、条件次第で話はまとまるかもしれません』
『その条件は農具や工具等の鉄の提供、山の恵みを一定数を届ける。それが山が飲むことができる最大限の条件だ』
『山を支配し、鉄を独占し、山の民を奴隷のように扱うという条件は飲めん』
話はそれで終わり、ヒラクも食事のお礼を言い帰って行った。
俺とリュウが店に残された形だ。
『戦うとなった場合、ヒラクがいることはやっかいではないのか?』俺が質問すると
『確かに、ヒラクは町一の武人だ。敵にヤツがいるかいないかで、戦力が大きく違ってくるだろう』
『ならば殺さなくていいのか?』
『ヤツを簡単に殺すことはできん。俺とお前の2人がかりでもな。それにヤツを殺せば交渉の余地がなくなる。それに‥』リュウの表情が変化した。
『男として本当の男と戦ってみたい気持ちもある。男同士の命をかけた魂の戦いをな』そう言う横顔が少し微笑んだように見えた。
次の日に山に戻った。長老に町での話を伝えた。長老は『そうか』と苦い顔をしたが予想どおりだったようだ。
『町の人間が攻めてくるかどうか分からんが、攻めてきた時の防御が必要だ。すぐに攻めてくるとすれば、池を通って岩に至るルートじゃろう。町の連中もすぐに多くを集めることはできんじゃろう。10人か多くて20人くらいか?それくらいなら岩周辺の人間で対処できる。その守りの他に今後、何百人単位で攻めてきた時の守りも考えにゃならん。そのためには山の全ての集落の協力が必要だ。集落の規模に応じて5人から10人のイキのいい若者を出すようみんなに頼もう』そういって、さっそく伝令を手配した。
『この間の3人は帰した。そろそろ町に着く頃じゃろう。町のヤツらは、まずはどのような手を打ってくるか。町には何人かワシらの仲間もいる。そこからの情報も入ってくるじゃろし、物見も増やして警戒もしよう。そしてすぐに動ける場所に最低5人は配置しておこう。地の利もあるし、とりあえずはそれで十分じゃろ』
一方その頃、町では‥
『話が違うではないか』と大きな声が響く。
声の主は眉間に傷がある大男だ。
『山のモノは好きに持って行って良いはずではないのか?』と再び大男。
『ヤツらの言い分は、少しくらいなら分けてやっても良い』とのことです。
『痛い目に会わんかったら分からんらしいな』
大男だけが話をしている状況だったが、町の長が口を開く。
『山のことはお前が一番分かっているんじゃないか』息子のヒラクに語りかける。
『山には豊富な資源や食料がありますが、力づくで奪うのは反対です』とヒラクが答える。。
『まず、山の人間は町のモノを奪っていない、というのが一つ』
『山の人間は我らより数は少ないが山で戦うとなると、地形が彼らの味方になるし、鉄もあるので武器も向こうが上でしょう。それに、彼らは体力もあり山を守ろうという強い意志があります』
『交渉をして山の恵みを分けてもらうという、今の状態が最も良いかと』
『分けてもらう量やこちらのモノとの交換に交渉の余地はあるかと思います』
『そんなまどろっこしいこと言ってる場合か!』と大男。
『山を支配下に入れたら町の人間が飢えることもなくなるし、鉄が手に入ったら戦も強くなる。農具や工具も作れる。交易にも使える。良いことばかりではないか』
『我らに取っては良いことばかりでも‥』
『と言っても勝てばという話だが』とヒラク。
『山を滅ぼすのか?』とヒラクが聞けば、
『滅ぼす訳じゃない。こちらの支配下に入り、一定のモノを献上すればいい』と大男。
『それならば、交渉したら良いではないか?』と再びヒラク。
『それなら今と同じだ。僅かな量で誤魔化されるだけだ。町と同じように半分を献上する。それが掟だ』
『支配下に入って山になんの得がある?町の人間は道路や治水、利水、安全面でも得るものがある。山にとっては何もないではないか』とヒラク。
『山に誰かが攻めて来たら守ってやるじゃないか』
『我ら以外に誰が攻めるんじゃ』
両者の話は平行線を辿る。まあまあ、大概の議論は平行線を辿るもんだが‥
『まあまあ、山だけではなく他の町や集落の人間にも言い分はあろう。その言い分にも一理はある。しかし、皆の言い分をひとつひとつ聞き入れていたら広い土地を統治することはできん。そうなるといつまでも争いは終わらん。我らの目的はこの国を統一して争いをなくすこと。そのために少しの争いは仕方あるまい』
町の長が淡々と語った。争いをなくすための争い。ヒラクには自分本位の屁理屈のようにも聞こえるが、筋は通っている気もする。水の取り合い一つにしてもお互いが譲らなければ争う他ない。しかし、両者を統括する上位の存在があれば、双方ともその意見に従うだろう。そうなれば確かに争いは減るかもしれない。山の人間からすれば自分たちで得たモノの半分を徴収され、その代わりに得るモノが争いの仲裁では納得できるものではないだろうが‥
しかし、自分の考えがどうあれ、異なる見解がある場合は上位者に従う他ない。それに従えない場合は何らかの手段で自分が長になるか、町から出る他ないだろう。今はそうしようとは思わない。故に山と戦うしかないだろう。
そう考えた時、山の人間に対する申し訳ない気持ちと同時に、少し心に昂るものを感じた。不謹慎であるとは思うが、強い者と戦うことに興奮しているのか。山のヤツらは強いだろう。それに山はヤツらの庭だ。地の利もヤツらにある。鉄もあるし、武器も強いだろう。人数はこちらの方が多いが簡単には勝てないだろう。
生きている‥魂が震える日々が始まろうとしている。




