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出発当日を迎えても、マリエッタを見送りに来た使用人はたった一人だけだった。
母が生きていたころの屋敷には、その広さに見合うだけの有能な使用人がいて、いつも屋敷は、誰からも褒められるほど整理が行き届いていたのだけど……。
気が付けば、ほとんどの使用人は辞めてしまい、両親や義妹にお世辞を言うような使用人ばかりになってしまった。
そして、そんな使用人たちが屋敷でお荷物扱いされているマリエッタの見送りになんて来るはずもなく……。
結果、母の代からの古い使用人が、顔を見せに来ただけだった。
「お嬢さま……本当に申し訳ございません」
もう大ベテランになる使用人は、言葉を詰まらせながら言う。
「でも、お嬢さまの晴れ舞台を見られて、感無量ございます。もうこれで、この屋敷に思い残すことはございません」
「もう、お世辞は大丈夫よ」
マリエッタはほほ笑んだ。
暗い噂の相手に、義妹の代わりに嫁ぎに行く。
しかも、マリエッタは”姉”ではなくカサンドラ”本人”として嫁がなければならない。
――無理に決まっている。
今朝も屋敷で見かけたカサンドラは、お姫様みたいだった。
淡いピンクのドレスに美しい飾り物をつけて、きっと今日もどこかに遊びに行くのだろう。
自分がみじめになるくらいに、可愛くて。
一方、自分ときたら、義妹が持っているようなドレスもなく、持っている中で一番新しいワンピースを着ているだけ。
それも無地のワンピースだ。
いややめよう、とマリエッタは頭を振った。
義妹の立場を羨んだって仕方ない。
マリエッタが掃除をしても、いつも褒められてたのは、遊んでいたカサンドラ(?)の方だった。
でも、全然晴れ舞台には思えなかったけど、使用人の優しさを感じてありがたかった。
「いえいえ。人の噂などあてにならぬものですよ」
ああ、そうだ、とその使用人が思い出したように手を叩いた。
「そういえば、お嬢さまにこれを」
「なにこれは……」
「奥様のレシピです。ご主人はもう捨てろと仰っていましたが、どうしても捨てられず、ずっと取っておいてありました」
そう言って差し出された紙束には、母の文字。
――母の遺品は全て売られてしまったと思っていたけど、まさか残っているなんて。
マリエッタは何度もお辞儀をしつつ、ルッツ辺境伯に用意された馬車に乗り込んだ。
王都に居を構える男爵家の長女の旅立ちとしては、なんとも寂しいものだった。
王都を出発し、馬車に揺られて一週間――。
次第に建物が減り、舗装された道があぜ道に変わる。
見渡すと、木々もかなり生い茂ってきた。
――義妹を所望しているルッツ伯には、申し訳のないことをしたかも。
相手はきっと見目の良い、義妹を気に入って婚姻を申し込んできたに違いない。だけど、代わりに遣わされたのは、なんの特技もない、地味な平凡な自分。
庭仕事やジャムづくりは、他人よりできるとはいえ、父が言うように、なんもお金にもなりはしない。
辺境伯に嫌われたくないな、という一心でマリエッタは馬車の外を眺めていた。
「ここまで運んでいただき、ありがとうございました」
御者に礼を言って、馬車を降りたマリエッタが目撃したのは、まさに幽霊屋敷、とでも呼んでもいいほど、薄暗い屋敷だった。
壁には蔦や、草木が絡まって、本来壁のある部分がほとんど見えない。
「すごい……」
おもわず、蔦を触ってみた。
――そのとき、後ろから声がかけられた。
「カサンドラ様でいらっしゃいますか」
「あっ」
一瞬、反応が遅れた。
そうか、これから自分はカサンドラと名乗るんだ。
「そうです。カサンドラ・ルメールと言います。今日からルッツ辺境伯に嫁いでまいりました」
そう言ってお辞儀をする。
とはいえ、心中は複雑だった。
これから自分は、カサンドラ、と名乗ることになる。
きっと辺境伯本人に会ったらバレてしまうことだろう。
不思議な気持ちだった。
早く会ってしまいたいような。会ってバレたくないような。
「自分は執事のエリック、と申します。よろしくお願いします、カサンドラ様」
そういった執事のエリックも、不思議な人だった。
もちろん、辺境伯から屋敷を任せれているだけあって、身なりに言葉遣いもしっかりしている。
でも、顔が隠れて見えないのだ。
長い前髪で、ほとんど目元が見えない。
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
マリエッタはついつい緊張して、何度もお辞儀をした。
「カサンドラ様……その手は」
「手、ですか?」
自分の手を見る。
別に特別変わったところのない、いつも通りの自分の手だ。
「あ、いえ何でもありません。では、早々で申し訳ありませんが、屋敷のご説明を」
そそくさとエリックさんが屋敷に迎え入れてくれた。
今日中には完結します~




