そして私は泣いた
「じゃあ、母さんパート行ってくるから昼は適当に食べなさいね」
「はーい。いってらっしゃい」
見送りながら、そういえば母さんがパートはじめたのって私が家を出た頃だなぁって思い出した。
高校生だった頃の私が行方不明の間、いつ帰ってきてもいいようにって、買い物や役場など最低限の用事以外ではほとんど外出しなかったらしい。その頃を思い出すから、一人で日中家にいることが嫌だってパートをはじめたんだと姉経由で聞いた。
今となっては外に働きに出ること自体が楽しいらしくて、昔より若々しい感じがしていたんだけど、私が再び一ヶ月弱行方不明になったことで明らかにやつれてるんだよね……。
私が帰ってきたのは、ちょうど十日前だ。ウィルとの話が終わった後、ミリィさんとお別れをして、ウィルとも神殿で身を清める前にお別れして、最後に帰還の儀で参列した人全員にお別れをして、聖石の光にふわっと包まれたと思ったと同時に帰ってきた。
帰ったら夏の嫌な湿気がこもった自分の部屋で、余韻に浸る間もなくああ夏だったとすぐさま空気を入れ替えるために窓を開けて扇風機を回したよ。
向こうのことを思い返してしんみりしている場合でもなかった。家族や職場と連絡して回らなきゃいけなくて、電話を片手に怒られて泣かれて大変だったんだから。
前回同様、どうして突然姿を消したかなんて言えるわけがない。期間が一ヶ月弱だから少しはマシな誤魔化しができただろうけど、誤魔化しには変わらないし、きっと家族はそれに気が付いている。せっかく築きなおした関係に大きな打撃を受けたことは否めない。
それでも、こうやっパートに出る母さんをのんきに見送れるから、想像よりは良好なんだろうけど。
仕事が休みだったこの週末、実家に顔を見せに来たものの家族はみんな用事があった。あらかじめ知ってたけどね。母さんは休日でもシフトによっちゃパートだし、父さんの定休日は土日じゃない。姉さんも実家近くに住んでいるけど、今日は用事があると言っていた。
そんな、日中は家族不在の週末であろうとも、二度目の行方不明から戻ってきてまだ十日しか経ってない今はそりゃあ顔を出しに来るでしょ。もともとは晩御飯を一緒に食べようっていうと話だったけど、朝から来たのは私の都合だ。
ああそうだ。ちなみに仕事はクビにならずにすんだよ。自分で驚いたさ。
帰還してまず最初に連絡を入れたのは家族だけど、続けて職場にも当然連絡した。時間外だったけど、この時間なら上司はまだいるはずって思って。そしたらとても心配された後、ものすごく怒られて、社会人としてこんな無断欠勤あり得ないと厳しく叱咤された。
翌日に改めて職場に顔を出した時も同じように怒られたけど、クビを覚悟していた私の予想に反して、始末書と半年の減給ですんで驚いたんだよね。もちろん職場の居心地は悪くなったけど、信頼回復のチャンスをもらえたことは本当にありがたくて、今まで以上に頑張ろうって誓った。
歴代の巫女が帰還後にどう過ごしたかはわからない。でも、私はとてつもなく幸運なのだということははっきりと自覚している。――自覚、しているけども。
父さんが趣味で作っているオーディオルームに入り込むと、しっかりとドアを閉める。防音室になっていているから、ここで出した音は外には漏れない。
日中は誰もいない週末の今日、晩御飯を一緒に食べようという約束のくせにどうして早くやってきた? 実家で一人になりたかったからだ。一人で、この防音ばっちりのオーディオルームに用があったからだ。
部屋の真ん中で仁王立ちになった私は、すぅっと息を吸い込んだ。
「ふざけるなぁああああ!」
ピリピリと空気が震える。それだけ全力の大声だった。溜まりに溜まった苛立ちだった。
泣いて暴れて逃げ回っていた私が、たった四年で本当に変われた? ウィルの言う通り、我慢していただけだったみたいだ。向こうにいる間は、泣くことすら帰る日が遠のく気がして怖かったけど、帰ってきたらその強迫観念めいたものがなくなって、無性に泣いたり大声を出したくなった。
でもだからって、自分の家じゃそんな大声出せない。閉め切っても声は漏れて、何事かと思われるだろうね。しかも私が一ヶ月弱失踪していたことは、なんとなく伝わっているはずだ。下手な行動は今後の自分のためにならない。
そんなわけで、実家の防音ばっちりのオーディオルームを拝借している。ここなら遠慮なく大声を出せるし、家族が出かけている今は何をしていたのと聞かれることもない。思う存分ため込んだものを外に吐き出せる。
「人の日常踏みにじんな! 自分達の事情は自分達で解決しろ! なんで私が振り回されなくちゃいけないの。周りに心配や迷惑かけなくちゃいけないの。どうして一方的に我慢しなきゃいけないのっ!」
帰ってくるまでに二年もかけてしまったことを心底悔いた。だから、今回はそうはならないようにしようとすぐに決めた。二度目だから落ち着いていた? それは否定しない。確かに余裕はあった。でも、だから?
「懐かしいしもう嫌いってわけじゃなくても、日常壊されるのは嫌に決まってんじゃん! あんた達の日常は壊されないし、聖石の力も戻って良いとこ取り! 関係ない私を勝手に巻き込んで一方的に泥かぶせるな!」
ウィルミリィさんとまた会えたから、今回の召喚は許す? そんなわけない。召喚なんてされたくなかった。
「クビにはならなかったことはよかったけど、一ヶ月弱も無断欠勤する奴っていう認識はずっとついて回るの! 職場の人とぎくしゃくしちゃうの! 居心地のいい職場だったから余計に腹が立つ! 今年は主任試験も受けれたはずなのに、全部パーじゃん!」
私なりに、この仕事にプライド持って真面目に働いていた。なのにこんな形で信頼を失うなんてやるせない。
「家族とは想像よりかうまくいってるっていっても、割り切られただけだよ!」
泣いてくれた、怒ってくれた、でもそこには諦めがあった。二度目の私に、ああもう何を言っても無駄なんだとでもいうかのような膜があった。被害妄想? そうかもしれない。だけど、遠く感じたのは確かだ。関係を修復するためには、これまでとまた違ったアプローチが必要なんだろう。
「帰ってきたら失踪扱いで家族や警察が部屋や携帯確認してたし、行きたかったライブは終わっててチケット無駄にしちゃったし! 夏だし、暑いし、湿気すごいし、空気悪いしっ!」
後半は別に召喚とは関係ないけど、帰還して最初に思ったことは暑いってのは本当だ。向こうは極端な暑さや寒さなんてなかったし、来てた服は薄手とはいえ長袖だったからそりゃあ暑いでしょ。
ちなみに、ミリィさんが選んでくれたワンピースだからちゃんと洗濯してしまっている。最初に着ていたキャミソールとスカート以外は何も持ち帰っていない私にとって、向こうのものはワンピースだけだ。ああ、キャミソールとスカートで帰ればよかったな。だって……、
「なんで未練なんか感じなくちゃいけないのっ!」
叫びながら、涙があふれていることに気が付いた。
力が抜けて、その場に崩れ落ちる。馬鹿みたいに流れる涙を拭いたくても腕が上がらない。座り込んで、俯いて、嗤った。
未練ってなんだ。帰ってきたのに。帰りたかったのに。召喚なんてされたくなかったのに。こっちの世界のほうが大事なのに。それなのに、未練?
ああもうホント嫌。腹が立つ。自分のことが憎らしくって仕方がない。何考えてんだ、ばかじゃないの。未練なんて感じる必要がない。あそこは私の世界じゃない。確かにウィルやミリィさんのことは大切だけど、恋しがりたくはない。幸せにしてるかなって、懐かしく思うだけでいたい。
第一、私は今回二人とちゃんと向き合おうとはしなかった。一日でも早く帰りたかったから、泣いたり怒ったりしろっていうウィルがくれた最後の機会も拒絶した。また会えて一緒に過ごせることはうれしかったけど、前みたいに感情を爆発させたりして自分の弱さを見せることなんてしなかった。
二度も失踪した私に諦めを抱いた家族との距離が嫌だと思っているくせに、私はずっとウィルやミリィさんにそんな風に接していたんじゃないかな。昔みたいに、ちゃんと感情を見せることなく距離を置き続けていた。それに二人は気づいていたんだろうし、ウィルが最後に泣くなり怒るなりしろと言葉にまでしてくれたのに、私は距離を置いたままだった。
だってどうしろって言うの。どうせ私は帰る。一日でも早く帰りたかった。少しでも日常を壊されずにすむように。だから、昔みたいに感情のままに泣くなんて、できなかった。
それに、最近はもう家族の前でも泣いたり怒ったりして思いっきり感情を爆発させることなんか――。
唐突に気が付いた
私は四年前から、家族の前で泣いたり怒ったりしていない。
今だって私は一人だ。実家に帰ってきて泣いてるのも、ただ防音された場所を探しただけ。昔も今も、帰ってきた時に家族は泣いて怒ってくれたけど、私はただごめんなさいと言って誤魔化すだけだった。感情をぶつけてくれる家族に対しても、私は受け止めるだけで正面から感情を返したりしなかった。
癇癪おこした私を正面から受け止めて、ちゃんと感情を返してくれるウィルだから安心していたんじゃないの? 信用していたんじゃないの? 今回ウィルと正面から向き合わなかったから距離が生まれていたけど、それだけじゃない。私は四年前から、家族と向き合わずにいたんだ。
家を出て、物理的に距離を置いて、新しく関係を築きなおした。でも、向き合う方法はあったんじゃないのかな。召喚のことは言えなくても、ちゃんと正面からぶつかる方法はあったんじゃないのかな。
「……ばかみたい」
思わずこぼれた。だってそうでしょ、向こうでは早く帰りたいと誰とも向き合わずにただがんばって、こっちでは日常に戻ろうと家族とも向き合わずに一人でこうやって怒鳴って泣いている。
家族が諦めたから前より距離が生まれたんじゃなくて、私が一層頑なになったから距離が生まれたのかな。誰からも距離を置いて感情を押し込めたのは、私なのかな。ばかみたい。ホントに、ばかみたい。
止まらない涙に、顔を伏せた。
「花佳!」
「!?」
突然呼びかけに驚いて体を起こす。一瞬自分がどこにいるか把握できなかったけど、父さんの心配そうな顔が飛び込んできて事態を把握した。
あのまま泣き疲れて、眠っていたらしい。
「……おかえりなさい」
とりあえずそう言えば、父さんも「ただいま」と返してから「いったいどうしたんだ?」と聞いてきた。まぁ、帰宅してオーディオルームに入ったら、娘が明らかに泣いた顔で転がってたら驚くよね。
「寝てたみたい」
「それは見ればわかる。泣いていたのか?」
「……」
どう答えよう。泣いて叫ぶ場を求めてこの部屋に閉じこもり、泣き疲れてそのまま寝ちゃったとか言いにくい。
「ちょっと変なゆ、」
誤魔化しかけて、途中で口を閉ざす。眠っちゃう前まで、家族と向き合ってなかったことを反省していたんじゃなかったっけ。なのにまた逃げて距離を置くの? 確かに詳しいことは言えないけど、もう少し他の言い方があるんじゃないかな。
悩む私を、父さんは黙って待っている。――ああ、待ってくれているのか。
そういえば、行方不明から戻ってきた後、今までどうしていたのかってどう誤魔化そうか迷っている時だって、父さんはとりあえず私が何か言うまで待っていてくれたな。思いっきり誤魔化していることがわかる言い訳をしたら、ものすごく怒ってたけど。
「いろいろ思い返したら、むかついたから怒鳴ってストレス発散して、反省したりして泣いて、気が付いたら寝てた」
とりあえず詳細は除いたけど大筋は本当のことを言ってみた。そしたら父さんは、眉をひそめて難しい顔をする。
「一人でか?」
「うん」
むかついたり泣いたりした理由じゃなくて、そっちに関心が向くの?
「一人で泣くくらいなら、理由は黙ったまま家族でも友達でも誰でもいいから、誰かのところで泣きなさい」
「え?」
「昔も今も理由は言いたくないんだろう? 下手な言い訳して誤魔化すことは腹が立つが、嘘の理由を言ってもいいから誰かの前で泣いておけ」
父さんは何を言っているんだろう。嘘の理由でもいいからとりあえず誰かの前で泣いとけってことだよね? でも、本当に嘘ばっかりだし「どうしたの?」とか聞かれたら困るから、人前で泣きたくないんだけど。いや、確かにさっき家族の前でも泣かずに自分から距離置いてたことを反省してたけど、嘘の理由をゴリ押ししたまま泣きつくのはちょっと。
「どんな適当な嘘でもいいから、何か言って今から泣いてみろ」
ぽかんとしてたら、誰かの前で泣けから、今から泣けって変わったし。父さんの目は真面目だ。どういう展開だ。
「今はそういう気分じゃ……、あれ?」
言いかけたところで、目からボロッと涙が出てきて驚いた。
「え、なんで?」
どんどん涙がこぼれてくる。散々泣いて寝落ちしたくせにまだ出てくるのか。というかどうして泣いているんだろう。よくわからないけど止まらない。というか、家族の前でもウィル達の前でもずっと泣かなかったくせに、なんでこんなあっさり泣いちゃってるんだ。
混乱してたら、頭に手を乗せられ撫でられる。いやいや、そんな子どもをあやすようにしなくてもいいよ。ってか、ますます涙出てきてるんだけどホントどうしたんだ私の涙腺。
涙を止めたくて顔を覆って俯いたけど、頭に乗った手の温かさがより一層感じて止まる気配は全くなかった。もういい。勝手に止まるまで泣いてやる。
開き直って、すぐそばにいる父さんに寄りかかり、額をぐりぐり押し付ける。こんな甘えたスキンシップを父さんに仕掛けるのは、小学生の時以来だ。……ウィルには、あの二年の間にこうやって泣かしてもらったことはたくさんあるけど。
ああ、そうだよね。今回はウィルと手以外は触れあわなかったけど、前の時はべったりくっついて泣いたり怒ったりしてたな。こうやって温もりに安心して、思う存分泣いていたな。
早く帰りたくて、泣くのを怖がって。もう二度と会えなくなるくせに、安心できるはずの温もりを遠ざけた。ウィルは最後に言葉にしてくれたのに、それでも遠ざけた。
どうして帰る直前ですらウィルを遠ざけたんだろう。あの時なら、泣いたって怒ったって、もう帰りが遅くなることはなかった。そもそも、帰る直前だった。だから、泣いたってよかったんだ。最後の最後に、ウィルの前で素直になってもよかったんだ。
でも、帰りが遅くなること以外にも怖いことがあった自覚はある。
ウィルの前で泣いたら、そばにいたいって、帰りたくないって、思っちゃうんじゃないかって怖かった。揺らいだところで帰る選択を覆すことなんてなかったけど、揺らぐこと自体が怖かった。揺らいて感じる痛みが嫌だった。
私はウィルみたいに、未来なんてない想いを言葉にできやしない。大切だという想いに、名前を付けることすら拒絶した。――拒絶していること自体が、恋なんだと認めているも同然のくせに。
もう遅い。もう遠い。もう届かない。もう会えない。認めないまま距離を置いてお別れをしたことで、きっと私達の心は四年前より離れている。
だからこそ、ウィルは自分の世界で幸せになれって言ってくれたんだろう。
「……もうちょっと泣いてていい?」
「泣いとけ」
ウィルを失っても、父さんが、家族がこうやってそばにいる。泣ける場所はちゃんとある。そう、実感した。
家族の温もりを感じながら、胸の奥にあった想いも涙と一緒に流して、私はウィルとじゃなくこの世界で幸せになるからと、今度こそ本当のサヨナラをした。