第一話 転職
紅茶をこぼしたメイドは、うろたえた。
「も、申し訳ありません、エマ様! エマ様のドレスに紅茶をこぼしてしまうなんて! 今すぐに拭きますので、どうかお許しを!」
でも私はドレスのポケットからハンカチを取り出して、ドレスにこぼれた紅茶を拭きながらメイドに告げた。
「あ、いいの、いいの。紅茶は私が拭くから。それよりもあなたは、紅茶をカップに注ぎなおして」
「は、はい! すみません!」
そしてメイドは私のカップと、白いテーブルを挟んで座っているカイト第一王子のカップに紅茶を注いだ。メイドは今度は紅茶を、こぼさなかった。それで一安心したメイドは、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、エマ様! カイト第一王子を初めて間近で見て、緊張してしまって……」
なるほど、そうだったのか。なので私は、メイドをフォローした。
「気にしないでね、失敗は誰にでもあるから。でも次からは、気を付けてね」
「はい! これから気を付けます!」
そしてメイドは再び深く頭を下げ、この客室から出て行った。それを見送った私は、カイト様に紅茶を勧めた。
「さあ、カイト様。冷めないうちに、紅茶をいただきましょう」
でもイケメンのカイト様は紅茶を飲まずに、私の右手を握った。そして、告げた。
「ああ、エマさん。あなたは、確かに美しい。でもミスをしたメイドにまで気を使う、心配りが素晴らしい。あなたは外見だけでなく、心も美しい。だから私はあなたと、婚約したのです……」
そしてカイト様は、私の右手の甲に優しくキスをした。なので私は、舞い上がった。ああ。どうやらここはゲームの中の世界みたいだけど、現実よりも素晴らしい。できれば、ずっとここにいたい。でも四時間前の私は、すぐにでもこのゲームの世界から現実世界に戻りたかった。私はふと、その時のことを思い出した。
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「ああ、すみません課長! この書類の間違いは今日中に直します!」と私は、叫んでいた。でも次の瞬間、ここは会社ではないことに気づいた。ここは、ベットの上だということに気づいたからだ。
はあ、最悪。夢にまで、仕事が出てくるなんて……。でも、そうも言ってられない。ベットには、柔らかな朝日が差し込んでいる。もう、朝だ。起きなくては。起きて会社に、行かなくては。って、あれ? 今日って、何曜日だっけ? 今、何時かしら? えーと、スマホ、スマホ……。って、あれ? スマホが無い。いつも枕元に、置いてあるのに。
そうしてスマホを探している私は、ある違和感に気づいた。あれ、ここ私の部屋じゃない。よく見ると、ベットも布団も違う。あれ、昨日は誰か友だちの部屋に泊まったんだっけ? と考えたが、そんな記憶はない。昨日もいつも通りにマンションの自分の部屋に帰ってきて、寝室の自分のベットに寝たはずだ。それなのに、どうして?……。
取りあえず私は、ベットから降りた。すると左に、縦長の鏡があることに気づいた。あれ、私の寝室にはこんな鏡なんてないはずなのに……。と疑問い思いながらも私は、鏡を覗き込んだ。そして、驚いた。なぜなら鏡には私ではない、別人が映っていたからだ!
目は丸い印象で、パッチリとしている。そして金色の髪が、背中まで伸びていた。私は思わず、鏡を鷲づかみにした。だ、誰?! この人は一体、誰?! 私、丸山あさ美は、こんな顔はしていない。確かに目は丸い印象だが、こんなにパッチリとはしていない。そして黒髪で、肩までの長さのはずなのに……。
そして着ている服も、パジャマではない。手触りが良い、シルクの寝間着のようだ。こ、これって一体?……。そうして私は混乱していたが、あることに気づいた。鏡に映っている顔を、どこかで見たことがあると。うーん、どこだっけなあ……。そして私は、思い出した。ああ! この顔はエマ・メナツだ! 私がハマっている乙女ゲーム、『誰でもプリンセス』の悪役令嬢のエマだ!
乙女ゲーム、『誰でもプリンセス』。それはスマホでプレイする、ゲームだ。プレイヤーはまず貴族の令嬢、友好国の王女、敵対国の王女、お城のメイドなどからなりたいキャラを選ぶ。そしてカヒリ国の第一王子である、カイトと婚約するのが目的だ。
ゲームはカイトと悪役令嬢のエマの、婚約披露パーティーの前日から始まる。そこからプレイヤーは選んだキャラでカイトと話などをして、親しくなる。そして婚約披露パーティーでカイトの婚約者にふさわしいのは、悪役令嬢のエマではなく自分だとアピールする。そしてカイトが納得すれば、カイトはエマとの婚約を破棄してプレイヤーのキャラと婚約するというゲームだ。
それに気づいた私は、絶望した。私は丸山あさ美、三一歳の社畜OLだ。ただのOLではない。社畜OLだ! なぜなら私が働いている会社は中堅のお菓子メーカーで、ブラックだからだ。このご時世でもサービス残業は当たり前、もちろん給料も安い。
私は食べると幸せを感じるチョコレートのお菓子が大好きで、それを作りたいと思って入社した。でも私が配属されたのは、経理課だった。なのでずっと課の異動届を出しているが、経理課のままだ。なのでいつかチョコレートのお菓子を作れる会社に転職しようと思っていたが、それはずるずると先延ばしになっていた。
だああああ! それなのに乙女ゲームの悪役令嬢に転職しちゃった! 私はこのゲームの世界に入ることになった、きっかけを思い出した。それは、昨日の夜のことだった。




