後編
「ユリウス!」
この時間、ユリウスは執務室だ。
逸る気持ちを抑え、面会を申し込んだ俺は部屋に通されたとたん、机に向かって仕事をしているユリウスに駆け寄った。
「相変わらず、騒々しいな。どうした」
ユリウスが、机に座ったまま俺を見上げる。その表情はでも、どこか楽しそうに見えた。
そのことを不思議に思う暇もなく、俺はだん、とユリウスの机に両手をついて詰め寄った。
「俺をハルカの世界に連れていって!」
単刀直入に言うと、ユリウスの片眉が上がった。
それは彼が興味を示した証拠だと俺は知っていたから、更なる確信を込めてじっとユリウスの目を見つめる。
「可笑しなことを言うな?女神の力で、あちらから花育人を喚ぶことはできる。しかしお前も知ってるだろう?それは100年に一度の大祭のときだけだ」
顔の前に指を組んで、ユリウスの碧い瞳が俺を見つめ返してきた。
それはどこか俺の心意を試すようで、心の奥底まで覗き込まれるような引力を感じる。
「嘘だね」
俺はそれを逸らさず、逆にぐっと瞳に力を込めた。
呑まれてはいけない。誤魔化されてはいけない。
これはたった一つの希望なんだから。逃すわけにはいかないのだから。
頭を整理して、話し出す。
「ずっと不思議だった。女神様が花育人を呼ぶのなら、どうして一年前なんだ?花によっては一年と足らずに咲く花だってある。ハルカの花だってそうだった。」
ユリウスは黙って俺の言葉を聞いている。
その表情は感情が浮かんでなくて、ユリウスが何を考えていいるかわからなかった。
す、と碧の瞳が鋭く細められて、俺を射抜く。
俺はまっすぐ、ユリウスを見つめ返した。
口の中がひどく乾く。どうやら緊張しているらしい。
一度ちらりと唇を湿らせてから、俺はまた口を開いた。
「―――ハルカの守護人をしていたとき、俺は神殿で資料を見つけた。
・・・遥か昔、王の花嫁となった花育人の記録が、載ってあった。」
かの花育人が持ってきたのは『シオン』という花だった。
彼女は王と恋に落ち、結婚した。
ただその花育人が来た時期が。それまでと違った。
「シオンの花育人がやってきたのは、大祭の数日前だった。
彼女は無事、大祭で女神にシオンの花を奉り、そして・・・自分の国へ、還っていった。
でも―――花育人に恋焦がれた王が女神に乞い願い、聞き届けた女神が再び彼女を喚び戻し、その後王が彼女に求婚し、それが受け入れられたと―――歴史書にはあった」
そこで一度、俺はユリウスの反応を伺うために言葉を止めた。
ユリウスは薄い笑みを口元に浮かべていた。
「・・・で?
お前も王と同じ、女神に願うのか?ハルカをこちらに連れてきて欲しいと」
本意の見えない表情で、ユリウスは言った。
俺は首を振る。
「いや、俺が願うのはその力を行使することのできる王か、その連なる人、だよ。
―――つまりユリウスのことだ」
俺はじっと反応を伺うために、ユリウスの瞳を見つめた。
その片眉がまた、上がっている。
くい、と先を促すかのように形の良い顎をしゃくるので、俺はひとつ頷くと続けた。
「思ったんだ。きっとそのシオンの花育人は、本当に女神に呼ばれてこの世界にやってきたんだろう。女神は気まぐれだから、そんなことが起きたって不思議じゃないしね。
でも本当に毎回、女神が花育人を喚んだのかな?」
おそらく、最初の1,2回は女神の気まぐれで花育人は喚ばれたのだろう。
だって、記録では初めの2回までは大祭の始まる一週間前とかに突然花育人は現れたらしいから。
けど、それ以降はずっと一年前、という長いスパンへと変わった。
「恐らくそこから変わったのではないのかな?
花育人を喚ぶ存在と、意味が」
―――花育人が女神に呼ばれる前と後じゃ、決定的に違うことがある。
それは・・・ここゼリアにとっては非常に重要な、土の力だ。
植物を育てる力が、花育人が来る前と後じゃ格段に違うらしい。もちろん、いい方に、だ。
恐らく女神様の恵みの力が、増したんだと思う。
豊穣の土を恵む、花育人・・・その存在を人々が望むのは当たり前のこと、だった。
―――偶然も3度目からは必然となる。
どうやってかはわからないけど、ここからきっと花育人を喚ぶのは女神じゃなくて人の存在に変わったんじゃないかと思う。
・・・そうして、充分な準備期間を設けるために、大祭の1年前に花育人が呼ばれることに、決まったのだろう。
だとすると。花育人と繋がる道を持っているのは、女神だけじゃない。
人も、持ってることになる。
くっく、とユリウスが笑った。
楽しそうに、その碧の瞳が俺を見つめる。
「よく、気づいたな?お前にしては上出来じゃないか」
その言葉に。俺は、気づかれないように息を呑んだ。
アドレナインが一気に上がったのがわかった。喉が干上がる。
緊張のため震える拳を握りしめ、平然を装って俺は口を開いた。
「一言、余計だよ。
―――と、いうことは。認めるんだ?」
「ああ。だが、一つだけ間違ってる。
―――花育人を喚ぶ力があるのは、あくまで女神の力だけだ。俺達はあくまでそれを大祭のときまでに溜めてるに過ぎない・・・それも、女神から託された力によってな」
繋がった・・・!
俺は嬉しさのあまり、叫びだしそうになってしまった。
心臓の音が煩い。
落ち着こうと、きつく握り締めていた手のひらを緩め、大きく息をついた時だった。
「―――で?」
タイミングを見計らったかのように、ユリウスが言った。
「・・・え?」
「それでお前は、どうするんだ?」
人の悪い笑みを浮かべたユリウスの眉はまだ上がたままだ。
「まさかそう単純に女神の力をお前に貸してもらえるとは思ってないな?
―――事は、国レベルの頼みごとだぞ、色恋沙汰ごときで女神の力をそう簡単に渡せるものか」
「―――」
俺はまた、ごくりと唾を飲み込んだ。そうだ、まだ終わってない。
ユリウスはそんなに甘くない。この人はこれでも、この国の第二王子、国の中枢に係わる人。
―――俺に何が出来る?
問いかけた時、浮かんだ答えはひとつだった。
「教えてくれ、ユリウス。どうすればいい?俺は、どうすればハルカの所へ行く力を貸して貰うことができる?」
もう一度まっすぐ、俺はユリウスの瞳を見つめた。
不思議と穏やかな気分で、大きく目を見開くユリウスに対峙する。
「俺はどうしてもハルカに逢いたい。その為には、女神の力が必要なんだ。
お願いだ、ユリウス、俺に・・・」
言いかけて、俺は言葉を止めた。
居住まいを正し、声を張るためお腹に力を込める。
「僕に、知恵を貸してください。お願いします」
そう言うと、驚いた顔をしているユリウスに向かって大きく頭を下げた。
俺が自分で持っているもの。
そんなもの、情けないけどまだほんの少ししかない。
悔しいけど、ユリウスやハルカの言うとおり俺はまだまだガキだから。
でも、ガキにはガキのやり方がある。
それにおまけに、俺には最大の切り札がある。
この国の大公の息子、という肩書きが。つまりは、第二王子の従兄弟、という肩書き。
使えるものは使ってやる。
だって俺は知ってるんだ。
仕事に関しては私情をほとんど挟まないユリウスだけれども、プライベートでは実はすごく面倒見が良くて優しいってこと。ユリウスは甘くないけど、決して見放したりはしないんだ。
だからこれは、俺から従兄弟への、お願いだった。
「・・・そう来るとは思わなかったな」
呆れた声が頭上から聞こえて、ちらりと盗み見ると、苦りきった表情を浮かべたユリウスがいた。
「お前それは少しずるいのではないか?」
ユリウスの眉が不機嫌さを表すように最大限に寄っている。
俺は勢い良く頭を上げて、にかっと笑った。
「そう?でもなんてったって俺、まだガキだから。」
なりふりなんて構ってられない。だって、たどり着く道がそこにあるんだから。
開き直りともとれる俺の言葉に、ふうう、とユリウスが大きなため息をついた。
そして、組んだ指を解き、今度は腕を組んで俺を見上げる。
「―――いいだろう。
だが、その前にひとつ聞きたいことがある。お前は、ハルカに逢いに行ってどうするつもりなんだ?
お前がハルカのところに行って、あいつを連れ帰って来れるとは俺は思えない。
わかっているか?あいつは自分の意思で還って行ったんだぞ」
碧の瞳が眇められて、厳しい顔つきになる。ユリウスの綺麗な顔がそんな表情を浮かべると、結構な迫力がある。
「そんなの決まってるだろ?」
俺はにやりと笑う。いつもユリウスがよくやる人の悪い笑みを真似て見せて。
「ハルカをもう一度口説きにいくんだよ、ユリウス」
「―――」
ユリウスが絶句した。
俺はその滅多に見れない、大きく目を見開いて驚くユリウスの様子に胸がすっとする。
気分が良くなって、続けた。
「『怖い』なんて言ってられないくらい俺の気持ちを伝えて、今度こそ信じて貰いに行くんだ。それで、俺のこと好きで堪らないくらいハルカをめろめろにして還ってくる!」
「・・・・・・・・」
ユリウスが呻る様に額を抑えた。
呆れられたか?
その肩が、しばらくすると震えだした。俯いた表情は見えないけど、くっくっく、という抑えた笑い声が聞こえた。
「ユリウス?」
名前を呼ぶと、ユリウスが堪えきれないように顔を上げて笑いだした。
「・・・っ、お前、やっぱり馬鹿だな」
笑いすぎて目に涙を溜めてユリウスが言う。
俺は肩をすくめて苦笑する。
「―――でもまあ、俺はそんな馬鹿は嫌いではない」
ひとしきり笑った後で、ユリウスは俺をみてにやりと笑った。本家本元のそれは俺とは比べ物にならないくらい様になってる。
「それではお前に一つ課題だ、レオン」
そう言うと、ユリウスは椅子から立ち上がって机を回り、俺の前に立った。
背の高いユリウスは俺を見下ろし、俺に問いかけた。
「お前は言ったな?ハルカが好きだ、それはずっと変わらない―――と。」
それはあの女神の丘での出来事だ。俺はこくり、と頷いた。
それを見守った後で、ユリウスはまた口を開いた。
形のいい眉を片方、上げたまま。
「ではまずは、それを証明してもらおう」
※ ※ ※
心地よい風が吹き抜けていく。
花かんざしの花が咲く女神の花畑にまた、俺は立っていた。
『まずは功績をあげろ、レオン』
―――と、ユリウスは言った。
楽しげな色をその瞳に浮かべて。
『功績?』
『そうだ。何か国にとって益になることをやり遂げて、国王から褒美を貰うんだ。
そのときに、お前の願いを言えばいい』
『・・・ってそんな、簡単に』
俺は思い切り顔を顰めた。
功績って、褒美って、そんなのどうやって貰えるっていうんだ。
情けない顔をした俺に、ユリウスはふっと笑った。
『レオン、お前の特技はなんだ?ハルカがここに居てる間、お前の役割は何だった』
『―――』
俺は目を見開いた。
俺は、ハルカの守護人だった。その為に必要だったもの。
『・・・って、まさか。レオン、俺に剣技大会に出ろって言ってる・・・?!』
青ざめて俺はユリウスを見上げた。碧の瞳は悪戯っぽい光を宿してる。
この国では4年ごとに、腕に覚えのある騎士達を集めて剣の大会が開かれる。そして、ユリウスが言ったように、優勝者には国王から褒美が与えられる。それだけ、由緒正しい大会だった。
ちなみに一番近く行われたのは半年前くらいだったんだけど、俺はそこそこいい所までは行ったものの優勝には遠く及ばす負けてしまった。というか強豪ぞろいなんだ。隊長とかもでてるんだ。
まだまだ騎士としてもぺーぺーな俺が勝てるわけないだろう・・・?!
完全に面白がってるユリウスはにやりとまた唇を吊り上げて、頭上から俺を見下ろした。
皮肉げな眼差しが俺を射抜く。
『証明できるか、レオン。』
その挑発するような笑みに、俺の闘争心の導火線にちり、と火が灯った気がした。
そうか。ユリウスは試しているんだ。
4年もの間、俺がハルカのことを好きでいられるか。そして、その為に俺がどれだけのことを出来る覚悟があるか。
くっそう、やっぱりユリウスは甘くない・・・!
俺はぎゅっと目を瞑った。一度、愛しい人の笑顔を脳裏に思い浮かべる。
はにかむ笑顔、黒曜石の瞳。
俺は覚悟を決めた。ぱっちりと目を開いて、返事を待つユリウスを見上げた。
『してみせる。そのかわり、きっちり協力してもらうからな!』
『いいだろう。腕のいい教師をつけてやる。だが、嫌になったらすぐ辞めればいいからな』
『辞めない!』
叫ぶ俺に、くっく、とユリウスは肩を揺らした。そして、ぽん、と俺の頭に乗せられるユリウスの手のひら。
『では、ひとまず4年間、結果が出るようにがんばるんだな』
ユリウスの眼差しが優しく細められるのを見て、俺は怒鳴ろうとした言葉をひとまず飲み込んでしまった。
うう、だからこういう所ずりぃんだよ、ユリウス!
『当たり前だ!』
照れ隠しに怒鳴ると、ユリウスはまたいつもの人の悪い笑みを口元に浮かべたのだった。
それから俺はユリウスの所を退出し、そのまままた女神の丘へとやってきていた。
無性に、花かんざしの花畑を見たかったから。
ハルカがこの世界にいない今、ここだけが彼女との接点であるように思えるから。
―――陽が落ちてきて、花かんざしの花びらがオレンジ色に染め上がる。
俺はその綺麗な風景を、花畑の真ん中で見下ろしていた。
そういえば前に、ハルカが言っていた。
ハルカの世界には、花言葉があるのだと。
花に想いをたくして、伝える文化があるのだと。
俺はそれが、とても綺麗な文化だと思った。
思い出して、俺はくすりと微笑んだ。
そういえばあの時、ハルカは花かんざしの花言葉を知らなかったんだ。
恥ずかしそうに肩をすくめる彼女の姿が脳裏に蘇り、せつなさに胸が詰まりそうになったけれど俺はぐっと堪えた。
ハルカ。俺は4年後、ハルカに訊きにいくよ。花かんざしの花言葉の意味を。
だから、その時までにちゃんと調べておいてくれな?
心のなかでそう、彼女に囁いて。
俺は新たな決意とともに、女神の丘を後にした―――
やっとこ終わりました・・・
乙女レオンくん編終わりです。
活動報告にも書いたのですが、このお話はひとまずここでお終いです。
なんだかたくさんの方に読んでもらったみたいで、嬉しいです。
書くたびに自分の下手さ加減にへこんでいく感じなので、なんていうか目を通してもらえるだけで感謝の嵐でした。
どうもありがとうございました!