第1話 出会い
「ジーク、君はもう、僕と一緒にいるしかないんだよ」
力なくへたりこむ女に、男は恍惚とした笑みで抱き締めた。線の細い、力などまるでない男に抱きしめられているのに、抵抗することができない。女は頭の中で何度も疑問符を浮かべる。何故、どうしてこうなってしまったのか。彼女は己の行動に後悔するも既に遅かった。
「愛してるよ、ジーク。ずっと、ずっと一緒にいようね」
マクファーレン公爵家の三男フォルビア・マクファーレン十歳はその日、衝撃が走った。今日は『婚約者』との顔合わせらしい。剣を持てば重さにふらつき、魔法を練れば霧のように霧散する。そんな彼に用意された『婚約者』という役割に、二人の兄は容赦のない言葉を浴びせた。
「お前のような『無能』に宛がわれる女が不憫でならないな」
「顔を合わせた瞬間に愛想を尽かされ、逃げ出されるのがオチだ」
顔合わせの直前に投げつけられたその言葉は、幼いフォルビアの心を容易くへし折った。耐えきれず、彼は逃げるように自室を飛び出した。辿り着いたのは、手入れの行き届いた庭園の片隅。茂みの中で蹲り、自分の無力さを呪って涙を流していた。
「――いつまでそうしているおつもり?」
不意に頭上から降ってきたのは、冷ややかで、けれどどこか涼やかな鈴を思わせる声だった。びくりと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げる。そこに立っていたのは、一人の少女だった。燃えるような橙色の長い髪に、意志の強さを感じさせる切れ長な金色の瞳。歳は自分と変わらないはずなのに、その立ち姿は酷く大人びて、気高かった。
彼女は泣きじゃくるフォルビアを一瞥すると、迷いのない足取りで近づき、その前に凛と立ち塞がった。
「貴方」
射抜くような金色の瞳。冷徹なまでの光を宿したその視線に、フォルビアは息を呑んだ。
「泣くよりも無駄なことはないわ。自分にできることから始めるの。前を向いて」
彼女は、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるフォルビアを見下ろし、厳しく言い放った。慰めの言葉など一つもない。ただ事実だけを突きつける冷徹な言葉。幼い少女が口にするにはあまりに厳しく、けれど圧倒的な説得力を持つ言葉だった。フォルビアの紫色の瞳は、逆光を背に受けて立つ彼女の凛とした姿に釘付けになっていた。その瞬間、フォルビアの胸を貫いたのは、恐怖ではなく、痺れるような憧憬だった。
彼女こそが、自分の婚約者――ジークリット・プラタナスだった。
「貴方、口はないの? 返事は?」
「は、はひ……!」
「ハッキリ返事なさい!」
「は、はいっ!」
彼女は満足げに微笑むと、まるで拾った子犬を愛でるように、フォルビアの頭を無造作に撫でた。その手の温もりに、彼は生まれて初めて『居場所』を見つけたような心地がした。
その後、屋敷の応接室へと引きずり出されたフォルビアは、父から彼女の輝かしい過去を聞かされた。五歳で魔法を習得し、十歳で剣術を極めつつあるという、自分とは対極の存在。
フォルビアと同様遅刻したジークリットは、父親であるプラタナス公爵に頭を押さえつけられて謝罪を促されても、ジークリットは澄ました顔で、一ミリの罪悪感も抱いていなかった。ジークリットは改めて自己紹介を促され、優雅なカーテシーを披露する。
「プラタナス伯爵家が娘、ジークリットですわ」
「ジークリット。息子のフォルビアをよろしく頼む」
「かしこまりましたわ、マクファーレン公爵閣下」
彼女はにこやかに答えた。
僕はその光景を目にしながら、頬をつねってみた。頬はジンジンと痛かった。
美しい彼女が僕の婚約者になる。これは、マクファーレン公爵家とプラタナス伯爵家との政略結婚だろう。でなければ、僕と婚約する理由が見つからなかった。
彼女を逃したくない。彼女と添い遂げたい。そのために僕は、どうすれば……。
この時、歪な恋の芽が、泥の中に根を張った瞬間だった。
つづく




