9 幻日
勇斗が飛んだ。
客の財布から現金を抜こうとして、その客にかなりひどい暴行を受けたらしい。客から金品を盗むだけでも店はクビなのだが、怪我を負っているとなると城戸も不安にならざるを得ない。
「勇斗、どこに住んでるか知らないか?」
「知らないすね。カズさん、気にしたってどうにもならないすよ」
時生が言って、渋い顔で首を振ってみせた。
「それにあいつ、トバシのバイトもやってたから」
トバシは身分証明書を持てない人間が違法な手段でスマホを手に入れる方法だ。ハルも身分証などないのだから、勇斗か、そういった誰かに頼んで違法にスマホを手に入れたのだろう。
「もう、勇斗には関わんないほうがいいすよ。ヤバいことには関わんないほうがいいです。どうせ、向こうだってもう忘れてるんだし」
時生が夕食のハンバーガーの包装を開けて、齧りつく。
「どうせ、誰も他人のことなんか気にしちゃいませんて」
冷たいようだが、時生の考え方は間違ってはいない。店は友達をつくる場所ではないのだ。表面上、うまく付き合っていればそれでいい。場合によっては上客の奪い合いになることさえあるのだ。
開店早々のワゴン車の中は城戸と時生だけだ。
今日は玲央の出勤は10時からで、シフトに入っているもうひとりのキャストは無断欠勤だ。勇斗の代わりに新しく入った男の子は明日からの出勤だった。
「そういうものか」
「そういうもんすね」
ハンバーガーを頬張った時生が答える。
たしかに、新人の歓迎会があるわけでも、辞めていく者の送別会があるわけでもない。
みな、どこかから現れては、ふっと消えていく。それが日常だった。
先日、時生が出勤していない日に新人キャストのリキトが来た。
可愛らしい顔立ちだったが、ひとりしか客がつかず、玲央に客がついているあいだ、ずっとスマホでゲームしながらワゴン車で待機していて、その日きりで店に来なくなった。
そうしたキャストも少なくなかった。城戸も店を辞めていったキャストのことはいちいち覚えていられないほどだ。
城戸が店のドライバーになって半年、以前から働いているのは時生と玲央だけで、ほかの新人は早い者でリキトのように一日で、数年働いていたという勇斗でさえ突然、挨拶もなく店を辞めていった。
普通の感覚からすれば、こういう商売を長く続けるほうがどうかしているのだが。
時生も就職が決まれば辞めると前々から言っている。
「金銭感覚がおかしくなるんですよ」
時生が洩らしたことがあった。
週5のフルタイムで働いても手取り20万そこそこの新入社員の給料を考えると、土日の夜だけ働いても正社員の月給を超えるのだから、と。だからといって、いつまでも続けられる商売でもなかった。
就活を終えれば、時生も店を辞め、客からも忘れられていくのだろう。また、時生も店のことや同僚のキャストのことは辞めたとたん記憶から消し去ることだろう。けして楽しい過去ではないのだ。
キャストは次々にあらわれては消えていく、幻のように。
ハルもそうして消えていったひとりだったのだ。
もうハルのことを覚えているのは時生と玲央くらいのものだが、それにしても、ハルの恋人だったドライバー、城戸がいるから思い出されるだけで、城戸がいなかったなら、とっくに忘れられていたはずだ。
ハルがこの店で働いていたことが、城戸はいまだにしっくりこない。
城戸が知っているハルとは別の顔をしたハルがもうひとりいるかのようだった。
それでも、ふとした瞬間に、ハルがワゴン車に乗り込んでくるような気がしていた。
「あれ? カズさん?」
思い浮かべようとしても、ハルの表情は靄がかかったように翳って見えなかった。
――ハル。
おまえはここで生きていたのか。
後部座席の時生は客がつくまで仮眠をとっていた。
城戸のワゴン車は職安通りを走っている。
冬めいてきた夜はすでに暗く、きらびやかなネオンが人を誘っていた。
クルマは青年たちを乗せて新宿の街を走り続ける。
夜が明けるまで――。
終




