金の指ぬき
どのくらい泣いていただろう……長い時間がたち、段々と落ち着いてきた。雪華は豆妹の頭を優しく撫でてから、体を離し、視線を同じ高さにするため膝を折った。
しっとりと濡れた豆妹の目は真っ赤になっていて、鼻の頭も、頬も、同じように朱が差している。きっと対面している雪華も同じ状態だろう。
「豆妹……手紙を書くよ。字の読み方は教えたでしょう? これからも勉強を続けて」
心を込めて伝えると、豆妹はしっかりと頷いてみせた。
それから豆妹は小さな手を開き、握り締めていた指輪を差し出してきた。
「これ、二姐にあげる……お守りの指ぬき」
裁縫で使う指ぬきは本来、硬い布を貫通させる際に針を後ろから押す実用的な道具だが、豆妹が渡そうとしてきたそれは細工も美しく凝っている。本来ならば平民が持てるような代物ではない。
雪華は呆気に取られたあとで、豆妹の手をそっと押し戻した。
「金製の指ぬきじゃない、高価なものだわ、いけません――これはあなたの妈妈が昔人助けをした時に、お礼でいただいた思い出の品だったはず」
豆妹の家は夫人が豪胆な人物であるため、昔からたくさんの人を助けてきたらしい。本人は見返りなど求めていないけれど、助けた人のひとりがどうしても受け取ってほしいと、この指ぬきを贈ったそうだ。そして夫人は指ぬきに興味がなかったので、娘の豆妹に譲った。
豆妹が腕に力を込めて、押し戻してきた。
「私は将来船乗りになるから、指ぬきはいらないの。私が海賊と戦っているあいだに、繕いものは旦那様にしてもらう」
その役割分担は親の教えなのか……? 少し気になったが、雪華は別の切り口で説得することにした。
「だけどこれはあなたの財産よ、使わないなら、売ればいいでしょ」
「そういう小金はいらない」
七歳の子供がきりっとした顔つきで、格好良いことを口にする。信念があるのは分かるけれど、世間知らずであるとも言えた。
こういう子の善意を大人が利用してはいけない――雪華はそう思った。
「豆妹、あのね――」
「お願い」
豆妹は真っ直ぐにこちらを見て続ける。
「これは二姐に持っていてほしい。私たちの絆になるから。あと……なんでかは自分でも分からないけど、この指ぬきは二姐が持っていたほうが良い気がする」
……豆妹は退きそうにないな……。
困り果てて額に手を当てたところで、そういえば……と大事なことを思い出した。
内輪の事情で、無関係の朱翠影を長いこと待たせてしまっている。悪いことをした。
皇族の彼からすれば「お前の姉が逃げ出し、ただでさえ迷惑をかけているのだから、もっと気を遣え。子供と抱き合ってぐずぐず泣いてるんじゃない」と物申したいところだろう。というかなぜそのような叱責が飛んでこないのか……。
視線を巡らせると、少し離れた場所で、朱翠影が瞳を細めてこちらを眺めていることに気づいた。
……なんだろう?
感情が読めない。
表情は凪いでいるといえば凪いでいる……けれど冷淡というわけでもない。親切心と、同情心が混ざり合ったような、不思議と温かみのある視線がこちらに向けられていた。
彼の誠実な佇まいを目にしたことで、雪華は慰められたような心地になった。
豆妹を置いていくつらさ、そして残される豆妹の悲しみ、そのすべてをありのまま受け入れてもらったような、そんな気がしたのだ。
ただそばにいて待ってくれている……彼の態度はとても親切だと思った。




