天上天下唯我独尊
慶昭帝は宦官の首を掴んで引きずるようにしながら歩き始めた。
そして戸口で振り返って朱翠影に告げる。
「私は外の行列を率いて戻る。行きはお忍びだったが、ここで姿を見られてしまったので、帰りはそういうわけにもいかんしな。お前は雪華とふたりで戻れ」
「慶昭帝――帰路は私がおそばで護衛したほうがよろしいかと」
お忍びだった往路よりも、目立つ帰路のほうが御身危険では? と朱翠影は皇帝の身を案じている。
慶昭帝はそれを軽くあしらった。
「余無が付いて来ている。問題ない」
余無という名前を聞き、朱翠影がほっと肩の力を抜いた。
朱翠影が退くのだから、余無とやらはよほどの手練れなのだな……雪華は瞳を細めた。それはまあそうか……屋敷の天井裏に潜んで諜報活動をしていたのに、雪華に一切気取らせなかったのだから。
「ふたりとも仲良くしてくれていいが、あまり遅れるなよ」
奇妙な忠告をしてから、慶昭帝は明るい戸外に足を踏み出した。
そして店先で待機していた者に、
「中に賊の死体が転がっているから、運び出せ。あとで余無に身元を調べさせる。それから翠影の剣はどこだ?」
団子屋に入る前、雪華の求めに応えて朱翠影は剣を外して宦官に預けた。けれどそれを預かったはずの宦官は今、自前の短剣しか持っていないので、無責任にも朱翠影の剣は外の部下に押しつけたわけだ。
それにしても皇帝……のらりくらりとしているけど、わりと細かいことによく気づくのね……雪華は改めて驚きを覚えた。
地頭が良いというのもあるだろうけれど、何よりも無駄が嫌いな人なのかも。
一度に最短で済ませるために、なんでも先回りして考える癖がついている。だからこんなふうに細部にまで目が届くのだ。
意外と……この兄弟は、兄の慶昭帝が『秀才肌』で、弟の朱翠影が『天才肌』なのかしら……?
一見、逆のように感じるけれど、なんとなく……。
――朱翠影がすっと足を踏み出した。
自身の剣の話が出たので、受け取るためだろう。
彼のすらりとした隙のない後ろ姿を眺め、雪華はぞくりと鳥肌が立った。
今さらであるが……彼が賊に襲われた際、雪華と豆妹をかばおうとしたあの行動は、常識外れだと思ったからだ。
彼は確かに、実直で親切で正しい――……だけどそれだけではないとしたら?
あの追い詰められた場面で、もしかすると朱翠影は『自分が死ぬはずがない』ことを本能的に悟っていたのかも。妄信ではなく事実として、彼にだけ見えている世界があるのだとしたら……だから躊躇いなく敵から視線を外せた。
少し前から天井裏に間者が潜んでいて、おそらくそれが慶昭帝の配下であり味方であることを、朱翠影は察知していたのでは? どうしてもの状況になったら天井裏にいる誰かが助けに入ると分かっていたから、朱翠影は保身に使うべき労力をすべて他人のために使った。
とはいえ平民を護るために咄嗟に行動できるのは彼が優しいからだろうし、地に足のついた実直さと、理屈を突き抜けた存在の強さ――その両方を彼は持ち合わせていることになる。
そういえば昔、姐姐がこんなことを言っていた――。
「世の中には化けものみたいなやつがいる。天上天下唯我独尊を体現するような人物だ。本人がそう考えているわけではなく、周りのすべてが、水、空気さえもが、その者を生かすために理をねじ曲げて下につく。そいつはどんな顔をしていると思う? 意外とね――ぱっと見は端正で、折り目正しく見えるはずだよ」




