地に伏せていた龍を叩き起こした
絵に描いたような独裁者に見えて、意外と周囲の空気を読むのね……雪華はこの状況を面倒に感じた。
そしてやはり促されたのだから、従ったほうがいいだろう。
雪華は顔をしかめたくなるのをこらえて静かに返した。
「慶昭帝は先ほど『面白そうだからお忍びで来てみた』とおっしゃいました」
「ああ、それが?」
「具体的に何が『面白そう』だと思ったのでしょうか」
団子屋の店内に死体が転がっている現状を総括して、弟に「今度襲われたら、女子供を先に斬らせろ」と言うような人が、どんなことを『面白そう』だと考えるのか、純粋に興味がある。
尋ねられ、慶昭帝が華やかに笑んだ。あまりに晴れやかな表情なので、逆に怒っているのではないかと雪華は疑った……慶昭帝はおそらく顔と心が一致しない人だ。
「あの韋節度使が特別に囲い込んでいた、西部辺境の烏解だぞ――そりゃあ私も実際に見てみたいさ」
「さようでございますか」
……でもそれだけ?
疑問に思う雪華を見遣り、慶昭帝が片眉を上げる。
「それともうひとつ――前皇帝がべったり頼り切っていた道士がいてな? 胡散臭い爺なんだが、そいつが以前予言したのさ――今日ここへ来れば『救国の巫女』に会えると」
なんだそいつは……雪華は思わず半目になった。
慶昭帝の口調からは、その道士を快く思っていないことが読み取れる。「前皇帝がべったり頼り切っていた」と言うのだから、国政で重要な判断を下す際に、その道士の言いなりになっていたということだろうか。
父君が亡くなった際に、慶昭帝がその胡散臭い道士の首を斬ってしまわなかったのが不思議だ。この御方はすべきことを躊躇いなくやりそうに見えるが……?
そんなことを考えていると、慶昭帝がおそろしいことを口にした。
「予言が具体的なので、やつの実力を確認するのにちょうどいいと思ってな――私自ら烏解まで来てやったのさ。嘘だったら首を刎ねてやろうと楽しみにしていたんだが、残念なことに、そいつは三日前に老衰で死んだ」
危ないところだったわね、道士……雪華は遠い目になる。
最期が『老衰』と『斬首』では大違いだ。本人の痛みがどうこうよりも、残された家族にとって、家人が罪人になるかどうかは死活問題である。
「それでだ」慶昭帝がにっこり笑う。「予言は本物だったな」
……ん?
おそるおそる見上げると、琥珀色の瞳がこちらを射抜くように見据えている。口元は笑んでいるのに目は笑っていない。
雪華はぞっとした。これ以上は聞きたくないと思った。
けれど慶昭帝は話す――彼には話したい時に話したいことを好きなだけ話す権利があるからだ。
「娘――そなたには都に来てもらう」
「……はい?」
「会えて嬉しいぞ、『救国の巫女』よ」
違う、やめて。私は出家していないし、神通力もない。修行さえしたことない。その道に進む予定もない。
「慶昭帝、わたくしはそもそも巫女ではありません」
「しかしそなたは不思議な鋏を使って、私の弟である朱翠影の命を救った。『救国の巫女』ではないと言うなら、何者なのだ?」
「団子屋の娘です」
「それならなんの矛盾もない――そなたは『団子屋の娘』で『救国の巫女』だ」
違う……断じて違う。口調を荒げて否定すればその行為自体が不敬とみなされるから、そうもできないが。
慶昭帝には考えを正していただく必要がある。
あくまでもたおやかに申し上げないと……。
「百歩譲って、わたくしが『救国の巫女』だとしましても」
雪華は根性で口角を引き上げた。もしかすると顔が少し引きつっているかもしれないが、そこはご容赦いただこう。
「聡明な慶昭帝が治めるこの国が、万が一にも傾くことなどありえません。ですから巫女ごときが救う必要はないと思われます」
これを聞き、慶昭帝が鼻で笑う。
「私が聡明だと申すなら、大事に大事を重ねるはずだと予想できるよな? そなたが何かの役に立つなら、連れて行く。そなたは出自が異民族ゆえ妃にはしないが、失踪した向燕珠のぶんまで私に尽くせ、いいな」
きっぱりと告げられ、雪華は思わず目を閉じた。
ある意味、寛大な処置なのだろう。「失踪した向燕珠のぶんまで私に尽くせ」とわざわざ口にしたのだから、雪華が都に行って役に立てば、それで後宮入りを嫌がって逃げた姐姐の罪は帳消しにしてくれるということかもしれない。
以降、姐姐はお尋ね者として朝廷から追われずに済む――ならば身内の義務として求められたことをやるしかなかった。
ようやく腹を括って目を開けると、慶昭帝がからかうようにこちらを眺めていることに気づいた。
……なんですか、その獲物をいたぶる虎のような目つき……。
ふ、と彼の薄い唇に笑みが浮かび、今度は朱翠影へと視線を移す。
「翠影――お前が雪華の本気を引き出した。おそらくお前は、地に伏せていた龍を叩き起こしたぞ。ゆえにお前は雪華の面倒を見る義務がある」




