慶昭帝が話しかけてきた
慶昭帝が瞳を細めてこちらを見た――猫が日向ぼっこをしているような、気まぐれな目つきだった。口元も綺麗に弧を描いているけれど、まるで気安さを感じさせない。
「娘――『朱翠影と交わした秘密の会話を、なぜ私が知っているのか?』――そなたは疑問に思っているな」
言い当てられ、目を瞠る。
なぜ団子屋の娘に話しかけてくるんだ……石ころのように扱って、無視してくれていいのに。
しかし声をかけられたので、返事はすべきだろう。雪華は答えた。
「おっしゃるとおりでございます」
慶昭帝が天井を指差す。
「上には気をつけろ」
おっと……鼠がいたのか。
「気づきませんでした」
雪華は気配に敏感だが、天井に誰か潜り込んでいることをまるで察知できなかった。間者は情報収集をし、賊が死んだのを見届けて皇帝のそばに戻り、手早く報告をしたというわけか。相当優秀なやつだな……顔を見てみたい。
そんなことを考えていると、慶昭帝が腕組みをしたまま死体を足蹴にして転がした。
向きが変わり、賊の顔が上を向く。仰向けになったことで、腹に突き立った剣が強調され、悲惨なことになった。
斜め後ろにいる豆妹が「ひええ」と小声で呟きを漏らした。
それにしても……死体を足蹴とは、慶昭帝はなかなかにえげつないことをなさるが、本人の優美な資質のせいか、野卑な振舞いをしても下品に映らないのが不思議だった。
「……知らん顔だ」
慶昭帝が呟く。しばらく死体を眺めおろしてから、今度は朱翠影に視線を転じる。琥珀色の高貴な瞳が揺らめいて見えた。
「翠影――無様だな。野良犬なんぞに噛みつかせる機会を与えるな」
お前の実力なら、もっと危なげなく賊に対処できただろうと、しっかりしたお叱りである。これまでの話し方はのらりくらりとしていたのに、朱翠影に告げたこの言葉だけは平坦で静かだった。
「申し訳ございません」
朱翠影が目を伏せ、端正に詫びる。
しばし咎めるように弟を眺めたあとで、慶昭帝が気まぐれに口の端を上げた。少し意地の悪い顔つきだった。
「――今度襲われたら、女子供を先に斬らせろ」
「慶昭帝、それは――」
朱翠影が呆気に取られて慶昭帝を眺める。清廉な視線を向けられても、慶昭帝は恥じないし、揺るがない。
「盾代わりに他人を使え。ためらうな」
「………………」
朱翠影は黙したまま答えなかった。怜悧な彼の表情は動かない。そこには嫌悪も反発も承諾も浮かんでおらず、ただ静かな佇まいを保っていた。
一方、雪華は圧倒されていた――慶昭帝は在り方が突き抜けている。
華やかな見た目も、身のこなしの軽やかさも、すべてが偽りだ。
語った内容は確かに下劣である――しかし問題はそこじゃない。
最低なことを本心から言える人間はそこかしこにいるから、雪華だって別に驚きはしない。しかし古今東西共通するのは、そういった人間の言葉には、不思議と説得力がないものなのである。
ところがどうだ――慶昭帝ときたら。
最低なことを言っているのに、それが本心からの言葉なのか、あるいは口先だけの遊びなのか、雪華には判別がつかない。惑わされるのは、熱量がないせいかもしれなかった。
それでいて慶昭帝の言葉には、理屈ではない説得力があるのだ。
実際は「黒」だとしても、彼がひとこと「白」だと言えば、その瞬間それは「白」になる。身分が関係しているというよりも、これは彼自身の資質だろう――口から出した言葉を、皆に信じさせることができる。慶昭帝は声を荒げることもなく、屈服させ捻じ曲げ押し通す力を持っていた。
これまでに会ったことのない人種だ。何もかもが異質。
そうなると……「面白そうだからお忍びで来てみた」という、あの言葉が気になる。先ほど朱翠影から「都にいらっしゃるはずでは?」と問われた時、慶昭帝はそう答えた。「面白そう」……一体何が?
雪華が疑問に思っていると、慶昭帝が瞳を細めてこちらをじっと眺めてくる。
「なんだ、言いたいことがあるなら言え」




