信仰の段
突然の事で、ギルにもロザーナにも成す術がなかった。
大きな音を立てて倒れた宿屋の主人に慌てて妻が駆け寄ると、その勢いで机の上の頭部が転がり、妻の目の前に落ちた。
地面に落ちた息子の頭部と目があった妻は、一瞬息を呑んだ後、大きな叫び声を上げて反射的に頭部を払い除けてしまった。
直後、自分のしたことを理解した妻は二転三転と転がっていく頭部を追いかけて抱き上げると、その場で宙に視線を泳がせながら泣き叫び始めたのだった。
「この場所のことは彼から聞いていた」
ラドリアスは眼の前の風景など見えていないかのように話し始めた。
「金が必要だったから、盗みを働いたと」
これまでにも数件、同じ手口で金を盗んだことがあると、今は頭部だけになってしまった男は白状したのだそうだ。
「だが彼は最期まで、なぜ金が必要だったのか、は話さなかった」
しかしこの場所を訪れ、ラドリアスはその理由にも合点がいったのだと言う。
「君達は人神信仰者なのだろう?」
息子の頭部を抱きかかえ、泣き声を上げている女性に向かってラドリアスが問うのだが、当然答えなど返ってはこない。
「宿の壁に印が描かれていただろう?」
聞いておきながら、返事が来ないことに頓着することなくラドリアスは話を続けた。
「あの印は、ドゥムジは生まれながらにして神である、そう信仰する者たちの隠し印だ」
そう言われても、ギルもロザーナも要領を得ない。
そもそも聖王都から離れれば離れるほどドゥムジに対する信仰は薄れていく。
ギルの生まれ育った街ではドゥムジを神として強い信仰心を持つ者などほとんどおらず、ロザーナに至っては過去の記憶がない為そもそもとして何の話なのか理解ができないのだ。
「ふむ」
とラドリアスは独り言ちた。
「以前、神を信じる者たちがその主張を二分している状態である、と話したのを覚えているかな?」
ヘルマンと話をしていた時の事だ、と付け加えられたが、ギルはその時は全く余裕のない心情であった為に何を話していたのかあまり覚えていないというのが正直なところであった。
「では、改めて説明しよう」
今後も重要になることだ、とラドリアスは呆れることなく話し始めた。
そもそも、帝国を治めるに至ったドゥムジという人物は、はるか昔に黒い竜から得た力を使い王となり、永劫の時を生きている、というのが通説であった。
それはドゥムジ帝国の国旗に竜が描かれている事からも紛れもない事実であった。
その後ドゥムジが大陸を統一してからもその信仰は実物を伴うことで揺らぐことはなかった。
しかし、ドゥムジが自らを神と称し一線を退くことで、国旗に竜が描かれているにも拘らず、新たな信仰が生まれたのだという。
「ドゥムジは生まれながらにして神であった、そう主張する者たちが現れ、そしてその考えは静かに広がっていったそうだ」
話がどんどん前に向かって進んでいっている。
しかしギルの中には消化しきれない事実が1つ、ずっと塊として残っていた。
(冷静に話をした上で、頭を斬り落としたということなのか)
戦いの中で仕方なく、そうするしかなく頭部を斬り落としたものだと思っていた。
しかしラドリアスはこの青年と話をしているという。
話をした後に頭部を切り落とす必要などないのではないか。連れて戻り、一緒にこの宿に来ればよかったのではないかと思わずにはいられないのだ。
「彼を生かしたままここまで連れて来る、そうすることの利点を僕は何も思いつかないが」
黙ってしまったギルの顔を覗き込むようにして、不意にラドリアスが呟いた。
「なんの、ことですか」
多少声が上ずってしまったが、それでもまだまともに対応できたはずだとギルは自分を励ました。
「いや、そういうことでないのなら、いいんだ」
ラドリアスが口元だけ笑ってみせる。
(この人は心でも読めるのだろうか)
とギルは自分でも呆れてしまうような発想をしてしまった。
「それで、だ」
とラドリアスがそこまで話した時、倒れていた宿屋の主人がうめき声を上げながら目を覚ました。
「あなた達は、信仰者狩りですか」
自分の状態、宿の状況、妻の状況、それぞれを見渡しながら主人はゆっくりと立ち上がった。
「私達を殺したところで、何も変わることはありませんよ」
と主人は机に手をついて体を支えた。
「突然のことで混乱させてしまったが、僕達は一時期噂になっていたような者ではない」
ただの討伐隊員だ、というラドリアスの言葉を受けても、主人はまだ警戒を解いていないようであった。
「君から説明してくれるか」
というラドリアスの言葉を受け、ギルは主人に対してここに来るまでの顛末を伝えた。
「まさか息子が、そんなことを」
主人は本当に知らなかったのだろう。
妻も、同じく知らなかったはずだ。
結局のところ息子は自分だけの判断で旅行客や小規模の商人から金を盗み、それを上納金に当てていた。
そんな話を聞いたのは、宿屋の主人が立ち上がってから落ち着くまで、しばらくの時間が経ってからのことであった。




