二つ名の段
すぐに動くことはできなかった。
自分を呼ぶからといって魔物についていくなど、正気の沙汰ではない。
この場に残されたゴブリンは大きさが気に入らないからか兜を弄くり回しており、ギルとロザーナ、2人のことをまるで気にしていない。
2人は顔を見合わせてどうするべきかと首を捻った。
「今のうちにゴブリンだけでも倒せないかな」
とギルが言う。
「でも、ほら、あれ」
とロザーナが視線を送る先ではリザードマンがこちらを見つめて真っ直ぐに立っていた。
早く来い、とでも言うかのように静かに、ただ真っ直ぐに立つその姿はまるで人間のような輪郭なのだが、しかし長い舌が苛立たしそうに揺れているのを見るとそれが魔物で間違いないことを再認識させられた。
「悪い冗談みたいだ」
ギルは意識することなく苦笑していた。
人間が散歩をするかのように現れて、話があるかのように自分を呼ぶ。
そんな魔物に出会ってしまっているこの現状が、どうにも趣味の悪い冗談のように思えるのだ。
「あいつは、任せるよ」
ギルの言葉にロザーナは頷いた。
まだ魔物達の真意は分からない。何がしたいのか、何をしに来たのかが分からない。
だがロザーナには、今は流れに任せたほうがいいような気がした。
今2人でゴブリンに戦いを挑み、リザードマンが参戦し、この場で乱戦が始まるのが一番収集がつかなくなるような気がする。
まだ事態が動き出していない今、無闇に拳を振るうべきでは無い、とロザーナは思い至った。
「気を付けて、ね」
ロザーナはどうにか笑顔を作ってギルを送り出したのだった。
「それで、何か話でもあるのか」
そんなはずがないことは分かっている。
この上手く飲み込めない状況に対しての、ギルの精一杯の皮肉だった。
「人を待たせてる。要件があるなら手短に頼みたい」
ロザーナとはずいぶん離れてしまった。ロザーナのいる場所から何も音は聞こえない。あちらもまだ、何も起きてはいないはずだ。
「お前達が街を出たいのなら、好きにすればいい。どうしてもここでお前達を殺す、なんてそんなつもりはない」
元々は空き巣から財を守るために任された仕事だ。
特異個体と1対1で戦うことなど想定していない。
このまま消えてくれるのであれば願ったり叶ったりだ。
だが、リザードマンはギルの言葉に対して何も答えはしない。
(まぁ、それはそうか)
あの夜、あの村でゴブリンは人間の言葉を発した。
だがあれらは全て人間の言葉を模倣したものでしかなかった。
しかし、ここまで人間然としている魔物であれば多少なりとも理解してくれているのではないかと、ほんの僅かにだが、ギルは期待したのだ。
「お前達魔物というのは、本当に、一体何の為に存在しているのか分からないな」
ギルが話している間も、リザードマンはただただまっすぐ立ったまま、ギルを凝視している。
時折、ギルの言葉に反応したかのように舌を出して動かしているのだが、どうしてもそれが苛立っているように見えてしかたなかった。
「結局のところ、俺達はこれでしか話が出来ないということだろ」
そう言ってギルは武器を構える。
それを見たリザードマンは、見間違いだろうか、まるで試合前の剣士がそうするかのようにほんの少しだけ頭を下げて、剣を持ち上げた。
「本当に、勘弁してくれよ」
もう迷わない。
相手がどう行動したところで、魔物であることに変わりはない。
その所作に躊躇いはしてきたが、ここにきて相手も構えたのであればもう迷うことはない。
ギルはこれまでもそうしてきたように、思い切り地面を蹴って距離を詰め、リザードマンに向かって斧槍を振り下ろしたのであった。
ロザーナは困ったような顔をして、口元だけでゴブリンに向かって微笑んでみせた。
ゴブリンは兜の被り心地が気に入らないようで、先程からずっと叩き、捻りながら兜の形を整えている。
いや、整えている、と言っていいものなのだろうか。
それもロザーナを混乱させている要因だった。
元々器用ではないであろうゴブリンが兜に手を加えるたびに歪み、凹み、潰れていく。
やりたいことは分かるのだがそれでいいのかと、見ている方がハラハラしてしまう状況なのだ。
「あのね、もうあんまり動かさないほうがいいと思うの」
わざわざ拾ってきたのであれば気に入っている物のはずだ。
だが何度も何度も手を加えるせいで、いつ割れてもおかしくないような状態になってきている。
「私もね、よくは分からないんだけど、金属ってね、そうやって何回も曲げてると急にパキッて」
そんなロザーナの言葉と同時に、ゴブリンの触っていた兜は真っ二つに割けてしまった。
「あ、だから、ほら」
それまで嬉々として兜を触るゴブリンだったが、兜が割けてしまった瞬間動きが止まった。
そんなゴブリンを見て、なぜかロザーナは申し訳ないような気持ちになってしまった。
「あの、ごめんね?もっとちゃんと止めてたらよかった、のかな?」
ゴブリンは端から見ても分かるほど落ち込んでいる。
両の手に持った割けた兜を見下ろしながら、その目からは涙が溢れてしまいそうだ。
「でもほら、また別のを探せばいいんじゃないかな?」
見たところ何の変哲もない金属の兜だ。代わりを見つけるのは容易いはずだ。
「ギルにお願いすればね、あ、ギルっていうのはさっきまでここにいた人のことなんだけど、ギルはそういうのに詳しいからきっと新しいのを見つけてくれるよ」
そう言ってギルの歩いていった方を見た直後、暗闇の先から金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
(あれ?戦いになってるの?)
結局?とロザーナは首を捻った。
(あれ?ということは)
とゴブリンに視線を移した直後、それまで動きの止まっていたゴブリンが曇り夜空に向かって咆哮を上げた。
「ええ!?」
どうして、と思わずにはいられなかった。
ついさっきまで機嫌よく兜を弄っていて、壊れて、でもそれはゴブリン自身のせいで。
「もう!意味が分かんないんだけど!」
突然怒りを露わにしたゴブリンに向かって構えを取りながら、ロザーナはこれまでそうしてきたように意識を集中することにしたのであった。




