秘密の段
鍛冶屋は宿からそう遠くはない。
ゆっくり歩いても行っても、出発までに朝ご飯を食べる余裕は十分にあるはずだ。
いい街だった、と男は朝の冷たい空気を思い切り吸い込んだ。
二日酔いの朝はいつもこうしている。
こうして朝の空気を体にいっぱい取り入れれば二日酔いも多少は楽になり、昨夜飲みすぎた後悔もあっけなく消え去っていくのだ。
「出来上がってるかい?」
鍛冶屋の扉を開けると、扉に取り付けられた小さな鐘が来客を店の奥へ伝えた。
早朝だというのに既に鍛冶屋の炉には火が入っているようで、店の奥からは作業の音が賑やかに聞こえてくる。
「おはようございます」
そう言って奥から出てきたのは少年だった。
まだ見習いなのだろうが、少年の顔は立派に職人の顔をしているように見えた。
男は商人の名を伝え、剣を受け取りに来た旨を伝えた。
「かしこまりました。少々、お待ち下さい」
鍛冶屋の少年はやけに丁寧にそう言うと、また店の奥へと消えていったのだった。
(関心するね)
と男は頬が緩む。
自分があの年の頃はいったい何をしていただろうか。
思い出せない。
いや、覚えていられるようなことが何もなかったのだ。
ただ毎日を生きていた。なんの目標もなく。
あの少年はこの店の子供なのだろうか。それともただの弟子なのだろうか。
どちらにしても、あの若さでしっかりと働いている。
(俺ももし…)
そう思いかけ、男は自分自身に呆れてしまった。
あの頃に戻れるならと考えるなど、自分も老いた証拠だと笑うしかなかった。
少年が戻ってくるまで、男は店の中を見て回ることにした。
武器や防具というのは、いい。
見ているだけで心が躍ってくる。
そろそろ新しい武具が欲しいと思ってはいるのだが、新調するような金はない。
(いや、酒を我慢すれば)
と思いはしたが、一瞬でその思いは捨てた。
それができれば苦労はしない。
店に飾られている新品の剣や短剣はとても綺麗で、薄暗い店の中でも輝いているように見えた。
「おはようございます」
ふと、店の入口から鐘の音とともに声が聞こえた。
男が振り返ると、そこには宿で出会ったあの2人組みが立っていた。
向こうも男のことを覚えていたのだろう。
赤い髪をした青年は早速警戒したような顔をしている。
ほんの一瞬だけ、何か言ってやろうかと男は思った。
だが、今日にもこの町から出ていくのだ。
(今更どう思われようが関係ない、か)
と、男は思い直して再度飾られている商品を眺めだした。
「大変お待たせいたしました」
そう言って戻ってきた少年は、店の中の違和感に気づいたのだろうか、一瞬不思議そうな顔で男と青年を見たがすぐに商売用の笑顔を作ってみせた。
「お代は先に頂いてますので」
そんな説明を聞いている男の後ろで、緊張が解かれた2人がようやく商品を見始めた気配がした。
「やっぱり、ロザーナも短剣くらいは持っておいた方がいいよ」
それは武器としてじゃなくても、と言う赤い髪の青年の言葉を背中で聞きながら、男は渡された剣の束を肩に担いだ。
「でも、私刃物はほとんど触ったことないし」
と女の方は刃物を持つことに乗り気ではなさそうだ。
直後、「あっ!」と女の声が店内に響いた。
剣を担いだ男は2人組の横を通り過ぎながら、何気なくそっちを見た。
どうやら女が店の短剣で指を切ったらしい。
(ずぶの素人か?)
立派な格好をしているのにな、と男はそのまま店を出ようとして、足を止めた。
(おかしかねぇか?)
一瞬見た景色に僅かな違和感を覚えた男はゆっくりと振り返った。
(やっぱり、そうだ。なんだあの色は)
思いの外深く切ってしまっているらしく、女が押さえている指からは血が溢れている。
その流れ落ちている血の色が、黒いのだ。
男が赤い髪の青年へと目をやると、はっきりと、目が合った。
青年は焦った表情をしている。見られてはいけないものを見られてしまった、そんな顔をしている。
「すまねぇ、また後から来るわ」
男はその場に剣の束を下ろして店を出ると、通りをしばらく走ってから振り返った。
すると、ちょうど赤い髪の青年だけが店から出てきたところだった。
男は全力で走って逃げた。
あれはなんだ
血が、黒い
人間じゃあない
魔女と同じ色の髪を持つ青年
黒い血を流す女
もしかして、魔女の仲間なのではないか
だとしたらあれほど警戒してきたことにも納得がいく
そんなことを考えながら、男はがむしゃらに走った。
どこに向かって、などという余裕はない。
怖くて振り返れないが、もしかしたら今もあの赤い髪の青年が追いかけてきているかもしれないのだ。
いまはただ、人通りの少ない街の中をただただ全力で駆けていく。
「随分と慌てて、こんな朝早くからどうされました?」
と、不意に声を掛けられた。
今の状況に似つかわしくない、のんびりとした口調だった。
「あれ?覚えていませんか?ほら、昨日酒場で」
掛けられた声を無視しようと思っていた矢先、再度掛けられた声で男は足を止めた。
「あ、あんたは」
肩で息をしながら、それでも男はようやく生きた心地がした。
「何かあったのなら、力になりますよ?」
そこに立っていたのは昨夜酒場で出会った、討伐隊員であった。




