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イシュト大陸物語 ~終着の地~  作者: 明星
聖王都への旅路
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猫の段

確かにこれはすごい鳴き声だ、そう思いながらギルはそれでも眠りにつこうと目を閉じた。

しかし断続的に聞こえてくる異様な鳴き声に寝付くことができそうにない。

どうしたものかとギルが部屋を出ると、1階には明かりが灯っていた。

「ギル君も起きてきたか」

そこには皆が揃っていた。

主人はバツの悪そうな顔で頭を下げ、ラドリアスは何か飲んでいる。

ロザーナは猫のそばで様子を伺っているが、そんなロザーナのことなどお構いなしに、猫は宿屋の中をうろうろと歩き回りながら、あの叫び声のような鳴き声を上げている。

「本当に、すみませんね」

頭を下げる主人に対し、ギルは首を横に振った。

泊まると決めたのはこちらなのだ。

確かに想像以上の鳴き声ではあったが、だからといって主人を責める理由などない。

「これが、毎日ですか?」

ギルの問いに主人は困った顔で頷く。

「短い時間の時もあるんですがね、明け方までずっと鳴き続けるなんて日もありますよ」

歳老いて呆けてきてるんです、と主人はそっと猫に近づくとその背を撫でた。

「皆さん眠れないでしょう」

あちらをどうぞ、と主人が指さしたのは酒樽で、ラドリアスはどうやら既にそこから注いだ酒を飲んでいるようだ。

「今までもこんな風に起きてこられるものですから、お客様にはお酒を提供することで朝まで我慢してもらっていたんですよ」

宿泊客の中には今すぐ宿を出ると言った者もいたそうだが、さすがに真夜中に旅立つのは危険だからと引き止めてきたそうだ。

「それは懸命な判断だった」とラドリアスが酒を口に運びながら窓を見ている。

「ええ、この辺りには何もありませんからね。真っ暗な中を移動するのは止めておいたほうがいい」

と主人が言うが、しかしラドリアスは「そうではない」と言って立ち上がる。

「御主人は気づいていないようだが、これは、何かがいる」

ラドリアスは窓に近づき外を見る。

宿屋の主人は、まさかという顔をした。

「しかし馬は静かなものですよ?」

確かに外に繋いである馬の声は聞こえず、逃げようと暴れる音もしていない。

「夜行性である猫が、年老いて夜な夜な鳴き続けるということは珍しくない」

外を見たまま、ラドリアスは悠長に酒を口に運ぶ。

「だが、恐らくその猫は外にいる何かに向かって鳴いている」

そう言われ、改めて猫を見てみると、猫は壁の向こう側を気にしているように見えなくもない。

猫は時折立ち止まり、一箇所を見つめたまま鳴き続け、また歩きだしてはピタリと止まり、酷い鳴き声を上げている。

ラドリアスの言葉と猫の挙動で、宿屋の中は静まり返っていた。

だがその間も外からは何の音も聞こえない。

「外に出てみますか?」

ギルの提案に、ラドリアスは首を横に振った。

「何がいるのか分からない以上、無闇に外に出るのは止めた方がいい」

だがこのままにしてはおけない、とラドリアスは独り言ちる。

「2人さえ良ければ、明日もこの場に留まりたいのだが」

ギルもロザーナも、このような状況をそのままにして旅立ちたくはない。

2人は顔を見合わせて頷き合うと、ラドリアスの提案を受け入れる旨を伝えたのであった。


結局その日、猫は未明を過ぎる頃まで鳴き続けた。

今日はもう大丈夫でしょう、という主人の言葉通り、その後再び猫が鳴き始めることはなかった。

酒で気を紛らわしながらとはいえ、あの鳴き声を聞き続けるのはなかなかに大変であった。

初めて経験する異様な鳴き声は、ギルの心の中に表には出せない苛立ちを僅かに生んだ。

仕方のないことだと言い聞かせながら酒を飲み続け、気がつけばギルはそのままその場で眠ってしまっていた。

目が覚めて、ギルは表の井戸で水を浴びると裸のまましばらく斧槍を振り回した。

一夜明け、少し苛立っていた内心はとっくに消え去っていたが、今は無性に体を動かしたかったのだ。

「恐ろしい一撃だ」

不意に声を掛けてきたのはラドリアスだった。

「当たれば確実に殺せるような、そんな鬼気迫る一撃だな」

ラドリアスは純粋に褒めてくれているのだろう。

しかしその言葉を受けだギルの表情は曇った。

「どうした?」とラドリアス。

ギルはここ最近の戦いで攻撃が当たらないことが多いのだと呟いた。

これまでは当たれば殺せる斧槍の一撃に、自分でも自信をもっていた。

だがロザーナに出会った夜からこっち、戦う相手には悉く攻撃を躱されている。

狒々やヴェラに躱されるのは仕方がないと思う。

しかしゴブリンにまで躱され、更に反撃されているようでは自信もなくなってくるというものだ。

「ではこの棒をいつものように斬ってくれ」

ラドリアスは少しの間何かを考えていたかと思うと、足元に落ちている長い木の棒を正眼に構えた。

「昔剣術を極めることを目指していた男がいてね。彼に少しばかりの心得を教えてもらったことがある」

ラドリアスはそう言って、ギルに再度斬り掛かってくるように促した。

ギルは頷き、いつものように斧槍を振るう。

ただ真っ直ぐに。

避ける暇を与えず、一撃で相手を葬ることを意識した、高速の一撃を。

斧槍は僅かな音のみでラドリアスの持つ木の棒の先端を切り落とした。

「ではもう一度。次はそうだな、ここがゴブリンの首だと思って来てくれ」

ギルは頷き、ラドリアスが指し示した場所目掛けて再度斧槍を薙ぎ払う。

速く。鋭く。

だがしかし、その一撃はラドリアスが僅かに木の棒を動かすことで空振りに終わってしまった。

「なるほど、実に分かりやすい」

どういうことですか、と言うギルに対してラドリアスは何かを言いかけて止めた。

そして「おや、ロザーナ君も参加するのか?」と言ってギルの後ろに視線を送った。

ギルはその視線につられ後ろを振り向いたが、そこにロザーナはいなかった。

「ラドリアスさん?」

そう言ってギルが振り返った時、ギルの喉元には木の棒の先端がめり込んでいた。

「君の一撃が避けられる原因は、どこを狙っているのかが分かりやすいことだ」

だからこんな風に、とラドリアスは続ける。

「一撃を当てようとするのではなく、一撃を当てる為にどうすればいいのかを考えるべきだ」

とラドリアスは言った。

「真っ直ぐな戦い方は嫌いではないが、それだけではこの先苦労することになるだろう」

そう言ってラドリアスは木の棒を投げ捨てると宿屋の中へと戻っていった。

ギルは考える。ラドリアスの言葉の意味を。

同じことを言っているのではないかとも思ったが、そうではないはずだ。

自分の戦い方に何が足りないのか。

ギルは一振り一振りに集中しながらまた斧槍を振り始めたのだった。

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