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イシュト大陸物語 ~終着の地~  作者: 明星
聖王都への旅路
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猫の段

「いらっしゃいませ」

そう言って3人を出迎えた宿屋の主人は若干戸惑いの表情を浮かべていた。

「3人だが、部屋は空いているか」

そう聞くラドリアスの言葉に、宿屋の主人は「部屋は空いてますが」と口籠る。

「猫のことなら、先程来る途中の村で聞きました」

ギルはそう言いながら宿屋の中を見渡すと、窓際に寝転ぶ1匹のキジトラ模様の猫を見つけた。

他にはいなさそうなところを見ると、あの猫が噂の猫なのだろう。

毛並みは荒れており、四肢は細い。

随分な年寄猫なのだと一目で分かる。

ギルが宿屋の主人に視線を戻すと「そうでしたか」と少しの安堵を浮かべている。

恐らく客を断ることにも、客に断られることにも疲れているのだろう。

「ではなぜ」と言う宿屋の主人に対し、ラドリアスは「猫の鳴き声程度は気にならない」と伝えた。

「それは有り難いお言葉ですが、あのこの鳴き声はそれはもう酷くて酷くて」

せっかく来ていただいたのだからお茶でもどうぞ、と勧められ、3人は椅子に腰掛けた。

「ところでご主人、女将さんは出掛けているのかな」

台所でお茶の用意をしている主人は、ラドリアスの問いかけにピクリと肩を震わせると「以前にもうちにお泊まりに?」と問うてきた。

ラドリアスが声に出して頷き返すと「そうでしたか」と呟き、主人は意気消沈した様子で「女房は先日死にました」と続けたのだった。


あれは、まだ毎日暑さが続くある日の夕方のことだったそうだ。

「もう少しばかり行ったところにね、大きな川が流れてるんですよ」

この宿ではその川で穫れる大きな魚を目玉料理として提供していたのだと言う。

「以前いただいたことがあるが、確かにあれは絶品だった」

ラドリアスの言葉に主人は「ありがとうございます」と微笑むと薄くなった頭頂部を撫でた。

「その魚を捕るための罠をね、毎日女房が確認しに行ってたんですが、ある日そのまま帰って来なくなりましてね」

付近を探したが姿はなく、近くの村人に聞いても見かけていないと言う。

それから何日かして、宿を訪れた旅人が川の下流で岸に人が引っ掛かっているのを見たと言う。

主人は慌てて宿を出ると、川沿いを全力で走った。

そうして旅人の言う通り、その緩やかな流れの川の下流で、妻が岸に引っ掛かっているのを見つけたらしい。

多少腐敗が進んでいたが、目立った外傷がない為、恐らく足を滑らせて川に落ちたのだろうと主人は結論付けた。

「それからですね、チィのやつが毎日、夜中から明け方までずっと鳴き続けるようになったのは」

あれは女房が拾ってきた猫だから、と主人は目を細めてチィと呼ばれた猫を見ている。

「人も猫も、歳を取ると駄目ですな」

主人は悲しそうな目で言う。

「そんなわけでね、まぁ私はずっと一緒に過ごしてきた猫だから気になりゃしませんが、お客さん達はどなたも我慢できないってことで大層お怒りになられましてね」

あっという間に客足が遠退いてしまったのだそうだ。

「この機会にね、もう宿も閉めてしまおうかと思っているくらいですよ」

自虐的に笑う主人はどうやら遠回しに宿泊を断っているようにも見える。

妻を失った悲しみと、これまでも何度も繰り返した客とのやり取りに疲れ果ててしまっているのだろう。

しかし、ラドリアスはそんな主人の態度を他所に、平然と部屋を借りると申し出た。

「いや、私は有り難いんですがね、ほんとに酷い鳴き声で」

寝れたものではないですよ、と手を顔の前で大きく振り、「夕食も干物くらいしか出せませんし」と続けた。

「ここのところ急に大きな魚が捕れなくなりましてね、以前干しておいたものくらいしか、今はご用意できませんよ」

だがラドリアスは「構わない」とだけ言う。

主人が何を言おうが、ラドリアスはもうすでに泊まることを決めてしまっているようだ。

ギルはロザーナを見たが、ロザーナは口角を上げるだけで特に反対している様子はない。

ギル自身、ここからまた村まで戻るのも面倒であるし、ちゃんとした寝床で寝られるのであれば猫の声などどうでもよかった。

「…かしこまりました」

ついに主人は観念し、パンッと手を打ち鳴らすと「ようこそ、藤猫亭へ」と3人を歓迎したのであった。


その夜出された料理はラドリアスが絶品と言うように、確かに中々の味だった。

「すみませんね、生の魚だともっと上手く作れるんですが」

そんな主人の言葉を聞いているのか聞いていないのか、ラドリアスは静かに料理を口に運び、その味を噛み締めているように見える。

「ラドリアスさんが以前泊まった時も、猫はいたんですか?」

ロザーナが猫を見ながら口いっぱいに魚を頬張っている。

その猫もロザーナを見ているため、ロザーナは猫と見つめ合ったままラドリアスに問い掛けることになってしまった。

「いや、いなかった」

ラドリアスは短く答えるとまた、静かに口に料理を運ぶ。

「だからですかね」

主人が頭頂部を撫でながら「泊まっていただいた方はほとんど覚えているつもりなんですがね」

ラドリアスのことはどうしても思い出せなかったらしい。

「宿屋の主人としては失格です。申し訳ない」

そう言って頭を下げるが、ラドリアスに別段気にしている様子はない。

「僕が泊まった時は藤猫亭という名前ではなかった」

ラドリアスの言葉に、主人は「そうでしょうそうでしょう」と笑う。

「この名前はね、女房がチィを拾ってきた時に変えた名前でしてね」

そういえば、と主人はバタバタと走り出して何やら引き戸の中を漁り始めた。

「昔の台帳がここにありますのでね、もしかしたらラドリアスさんのお名前があるかもしれない」

自分のことだというのにラドリアスはそれまでと同じ調子で食事をしている。

ギルとロザーナも食事を続け、皿も空になってきた頃に主人は「んー、ありませんな」と戻ってきた。

「昔はラドリアスと名乗っていませんでしたので、だからでしょう」

美味しかったです、とそれだけ言うとラドリアスは自分の部屋へと階段を上がっていった。

あるものはあるうちに、そう言っていたラドリアスだ。

きっと干物を使った魚料理であっても、この宿の料理を味わえたことに満足したのだろう。

「何やら不思議な方ですな」

主人の言葉にギルは同意し、その後2人もそれぞれ自分の部屋へと戻っていったのだった。


それからしばらくして、外がすっかり夜の暗闇に包まれた頃。

突然階下から異様な鳴き声が響いてきた。

それは猫の「鳴き声」と呼べるようなものではなく、「叫び声」と呼んだほうが正しいような、そんな凄まじい声だった。

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