猫の段
「そういえば、あれからカーマイン商会には顔を出していないのかい?」
ラドリアスがギルにそう尋ねてきたのは、街を出てから2日目のことだった。
聖王都へ向かう為、ギルとロザーナはラドリアスと共に街を出た。
その際ギルはヘルマンの様子を尋ねてみた。
自分やロザーナに対して良くない感情を持っているのではないかとずっと気になっていたのだ。
しかしラドリアスの返事は「心配ない」と短いものだった。
「心配することは、何もない」
ラドリアスにそう言われ、ギルはそっと胸を撫で下ろした。
ギルの操る荷馬車に並んで、ラドリアスを乗せた馬が歩く。
道中ラドリアスとはロザーナが主に話しの相手をしており、その点ギルはとても助かっていた。
慣れない人を相手に場を繋ぐのは骨が折れる。
そんなことを言っている場合ではないと理解はしているが、ギルにとってそれをするくらいならゴブリン共の相手をしている方がずっと楽なくらいだ。
昼の間は街道を進み、夜は野宿をした。
ラドリアスの知識は豊富で、話題には事欠かない。
お陰でギルもロザーナもマシューの時のような気不味い思いをすることはなかった。
そうして進んでいく中で、不意にラドリアスから振られた話題がカーマイン商会のことであった。
「ええ、行っていません」とギルは短く答える。
その答えだけでラドリアスは察したようだが、「実にもったいないことだ」と顎を撫でた。
「ギル君がどういう生まれであろうと、それはギル君が望んでのことではない。ならばその環境を最大限に利用すればいい、と僕は思うのだが」
しかし若さとはそういうものなのかもしれないな、とラドリアスはまた、口元だけで微笑んだ。
「しかしそうなると、これから先はどうするつもりなのかな?」
ラドリアスの問いに、ギルは「聖王都で何か仕事を探します」と答えた。
こんな辺境の街や村でさえ、選びさえしなければいくらでも仕事はある。
聖王都であれば、それこそ自分とロザーナの2人が食べていくのに困らない程度の仕事は十分あるはずだ。
そう答えたギルに対してラドリアスは「その考えは正しい」と頷いてみせた。
「だがもしも仕事が見つからなかった時は一声掛けてくれ」
僕の方で都合をつけよう、とラドリアスは続ける。
「それはもちろん、ギル君がカーマイン商会の跡取りだから、という訳では無い」
君の力を見込んでのことだ、とラドリアスはギルが言われて嬉しいことを言ってくれる。
「一般的に考えても、ギル君とロザーナ君は実に優秀だ」
身に付けている物の特異性を差し引いてもギルの戦力は高く、女性であるにも関わらず素手で魔物を打ち倒せるロザーナの実力は、この大陸中を探してもそうそう見つかるものではない。
「とてもそうはみえないがね」とラドリアスはじっとロザーナを見つめたあと今度はちゃんと、顔全体で微笑んだ。
「君がアッシュと名乗り、カーマイン商会から仕事を受けながら旅を続けるのなら、僕は協力するつもりはなかった」
しかし自分の力で生きていくことを選んだからこそ力になりたい、とラドリアスは言う。
「隠し事や嘘というものは、いずれ必ず露見してしまうものだ」
それらはしない方がいい、とラドリアスは独り言のように続ける。
「僕も嘘はつかないようにしている。正確には、1つだけ嘘をついているが、それ以外は全て真実を語るようにしているよ」
人との信頼関係を作るのは難しく、壊すのは容易い。
それがラドリアスのこれまで生きてきた中で得た教訓なのだと言うのだ。
ラドリアスの言う1つだけの嘘というのが少し気にはなったが、言っている事自体は間違ってはいないと思い、ギルはラドリアスの言葉をしっかりと受け止めようと思った。
「さて」
と、ラドリアスは話を切り替えた。
「もう少し行けば村がある。今夜はきちんとした宿に泊まることにしよう」
そう言われ、ギルは反射的に財布の中のことを考えた。
所持金にはまだまだ余裕がある。
しかし2日目にして早くも宿に泊まるなどということをしてもいいのだろうか、と逡巡する。
これまで無意識だったことに対して、急に過剰とも言えるほど気になってしまう。
そんなギルの顔を見て、ラドリアスは言った。
「無理をして体を壊す方が、余計に金が掛かることになる」と。
「ラドリアスさんは本当に何でもお見通しなんですね」
そう言って照れながら頭を掻くギルを見て、ラドリアスは目を細めて笑うのだった。
「宿は確かにありますけどね、最近はあまり評判が良くないですよ」
村に着き、ラドリアスが昔泊まったことがあるという宿を探し歩いたが、どうやら記憶にあるその宿は村を過ぎてもう少し行ったところにある、街道が三叉路になっている場所のようだった。
その宿のことを訪ねた際、村人は眉をしかめてこう言った。
「何でも飼っている猫が煩くて、眠れたものではないとか」
それならこの村にある宿に泊まった方が、と言いかける村人を手で制し、ラドリアスは三叉路の宿へ向かうことを提案してきた。
「女将さんがとても朗らかな人でね、ご主人の作る魚料理も絶品だった。せっかくだから僕はそこに泊まりたい」
その提案に特に反対する理由のないギルとロザーナは、村人に会釈をして先行するラドリアスを追いかけた。
「こんな仕事をしているとね」
と、馬を進めるラドリアスが前方を見つめたまま言う。
「あったものがなくなり、なかったものがあるというのは、それはもう日常茶飯事でね」
だからこそ記憶にある良かったものは、あるうちに体験しておきたいのだ、とラドリアスは言う。
長く旅を続けているとそんなこともあるのか、とギルはラドリアスに頷いてみせた。
しばらく街道を進んだ先の三叉路に、確かに一軒の宿があった。
しかし馬は1頭も停まっておらず、宿泊客はいそうにない。
そんな寂れた宿の扉を開き、3人は中へと入っていったのだった。




