第1話
狒々を討伐した後、ギル達は数日間村に滞在することにした。
すぐに村を出発しなかったのにはいくつかの理由があった。
魔物と違って普通の生き物である狒々の死体は溶けることなくその場に残る。
あれだけ大きな死体をそのままにしておくことはできない為、ギルはあの夜山に入った者達に再度声を掛け、死体を埋めに行くことにしたのだ。
放っておけば山に生きる動物達が処理をしてくれるかもしれない。
だがもしも、想像したくはないことだが、もしも狒々が他にもいた場合、あの死体を見つけた後の怒りの矛先がこの村の住人へと向かう可能性が高い。
そんな万が一を想像してしまうほど、山は広く、深いのだ。
人が立ち入ることのできる場所の更に奥がどんな世界になっているのか、想像することすら難しい。
そんなことを考えながら死んだ狒々の元へと戻ったギルだったが、そこでは興味深い1つの発見があった。
明るいところで間近に見る狒々の体には大小の古傷が数多く見受けられたのだ。
それは特に体の背面に多く見られた。
傷のあった場所はきれいに治ってはいるのだが、禿げたように毛がない。そんな箇所がそこここに見受けられる。
(恐らく、だが)
とギルは想像する。
なぜ人間よりも強大な体躯と膂力を持つ狒々があれほどまでに警戒心が強かったのか。
なぜ頑なに村の中まで入ってこようとせず、日常的に人間を襲うようなことをしなかったのか。
それはもしかしたら、狒々がここまで大きくなる前に、幾度となく人間によって追い立てられた経験があったからなのかもしれない。
逃げる狒々を追い掛け、後ろから石を投げ、矢を放つ人間達。
そんな過去から狒々は、とうに恐れるに足らなくなった人間達を相手に、必要以上に警戒していたのかもしれなかった。
一方、村に残り旅立ちの準備をするロザーナはマシューの家に何か使えるものがないかと物色していた。
街まではまた数日かけて移動しなければならないのだが、狒々の件でイアンからもらった毛布は使い物にならなくなってしまった。
それにマシューを連れて行くことを考えると今よりも多くの食料が必要になるだろう。
更に、自分が原因とはいえ、マシューは怪我をしている。道中傷が悪化しないように消毒できるものも用意しなければならなかった。
大人しく自室の椅子に座るマシューはそのままに、ロザーナは慌ただしく家の中を走り回っていた。
そうして家の中から寝具と消毒の為の酒、そして保存の効く食料等を見つけて荷台に載せているうちに、ロザーナはどうにも不可解な気持ちになっていった。
ロザーナには物の値段というのがいまいち分からない。
あの夜目覚めてから、買い物というものをしたことがない。
買い物をする時も、宿に泊まる時も、いつもギルが話をしていたからだ。
だからどういったものにどれだけの金が掛かるのか、それがロザーナにはよく分からないのだ。
だがそんなロザーナからしても、この家にあるものはどうにも分不相応なものに感じられて仕方なかった。
使われている寝具は宿屋を経営しているイアンからもらったものよりも上等な気がするし、必需品ではないはずの酒はかなりの本数がある。
乾燥肉などもただ干しただけのものではなく、きちんと味付けされている保存食なのだ。
ギルが山から戻ってきた際にそれとなく話をしてみると、荷台に載せた品々を見てギルはマシューの元へと向かっていった。
「マシューさん。この家にあるものはどうやって手に入れたのですか?」
不貞腐れたような態度のマシューは「どうやってとは?」と吐き捨てる。
「狒々討伐の依頼金を用意することもままならない中で、あれ程の物をどうやって買ったのですか?」
ギルの問いに、マシューは答えない。
だがギルにはおおよその見当がついていた。
「皆で集めた依頼金を使って、ではないですか?」
やはりマシューは答えない。顔を背けたまま、固く口を閉じている。
しかしギルからすればこの沈黙は、肯定であった。
ギルも日頃からカーマイン商会の仕事を受けているから分かる。
今荷台に載せられている品々、それはこんな片田舎の村長の立場ではそうそう手に入れられるものではない。
にも関わらずマシューの手元にこれだけの商品があるのは、恐らくマシューが村の金庫番を担っていたからのはずだ。
バリー達が狒々に差し出す女性を探すために村を留守にしている間、マシューは村を訪れた行商人と商談をして物を金に変える役目を担っていたのだろう。
だからこそマシューはその金をある程度自由にできた。
その結果があの荷台の物資なのでは、とギルは半ば確信を持っている。
マシューはことあるごとに「村の為に」と言っていた。だがそんなのは体のいい言い訳に過ぎない。
マシューは他の村から攫ってきた、全く関係のない女性を狒々に差し出すことにより、安全と共に私欲に溺れていっていたのだろう。
最低だな、と呟くギルの言葉に、マシューは苛立たしげに口を開く。
「旨味がなければこんな村に行商人が寄り付くものか。俺は村の為にあえて、こうして取引をすることで現金を手に入れていたのだ」
ギルは大きく息を吐きだし部屋を出た。
うんざりした気分だった。これ以上話をしていると声を荒らげてしまいそうだった。
一旦家から出てロザーナの元に向かうと、前もって呼んでいたフランクが来ていた。
フランクにはこれまでの事情を全て伝え、マシューが村を留守にする間のことを託した。
村の現状をフランクから聞く限り、マシューが気にしていたような村を離れる者は今のところはいないらしい。
自由にできる金があることで、きっとマシューの感覚はズレてしまっていたのだろう。
そんな金も無ければ生きていく術も持ち合わせていない村人達は、何かあったとしてもこの村で生きていくことが一番楽な生き方なのだ。
そんな村人たちのことをもっと理解できていれば、きっと他に取れる方法があったに違いないのに、と思うギルであった。




