第9話
2人は着の身着のままで馬に飛び乗るとロザーナ達が出発した方角へと駆け出した。
馬を操るヴェラの腰に手を回すと硬い感触があった。それは何かしらの武器で間違いないだろう。
ギルも斧槍だけは持ってきた。出番がないことを祈りながら。
疾駆する馬上ではとてもではないが会話などできない。馬を駆るヴェラにしがみつくだけで精一杯なギルの頭の中では、ヴェラの不吉な言葉だけが繰り返されていた。
前日の夜に出発したロザーナ達一行が荷車であることを考えると、それほど遠くまでは行っていないはずだ。
街の周辺には民家などが散らばって存在しているため、夜といえども危険なことはなかっただろう。
そして今日の昼間に少し休憩を取り、今夜はまたどこかで野宿をするはずだ。
その際の護衛として、討伐隊の面々は雇われている。
何人かは分からないが、安全が保証される程度には雇っているはずだ。
にも関わらずロザーナ達が危ない、というのがどういうことなのか。それが聞けたのはしばらく走り続けた後、遂に馬が疲れて足を止めた時だった。
「魔物に襲われているのが視えたんだよ」
それはおそらく今夜で、野営地が数匹の魔物に強襲され、皆殺しにされるのだとヴェラは続けた。
討伐隊も善戦するが相手が悪かった。魔物の中に特異個体がいたのだ。
「だからどうにか襲われるまでに辿り着きたいんだけどね」
そう言って馬に目をやるが、今しばらく休ませないことには走ってくれそうもなかった。
ギルは気持ちばかりが焦り自分だけでも走っていこうかと思った。
しかしそれは無駄なことだとすぐに思い直す。
1人ではどこに向かえばいいのか分からないし、休憩を終えた馬の足に勝てるとも思えない。
なんとか魔物の襲撃までに辿り着きたい、そんな焦る気持ちとは裏腹に呑気に水を飲む馬の姿に苛立ちを覚えるのであった。
幾度か休憩を挟みながらようやくロザーナ達一向に追いつけた時には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。
焚き火の明かりが遠くに確認できた場所で2人は馬を降りた。
そこから街道を挟んだ反対側へと移動し、静かに焚き火の場所へと近づいていった。
ロザーナ一行は街道から少し外れた場所を野営地としていた為、この場所からでもまだ少し距離がある。
しかし、それでもはっきりと分かるほどの大きな影が焚き火の明かりで浮かびあがっていた。
「間に合わなかったみたいだね」
事もなげに言ってのけるヴェラとは裏腹に、ギルはロザーナの姿を探して落ち着きがなかった。
焚き火の傍の大きな影は屈み込んで何かをしており、その奥には小さな影が2つ。
小さな影は、倒れている者が身につけている物を外そうと躍起にやっているようだった。
「いいかい?あのでかいのはあたしがやる。あんたは奥の小さいのを片付けな」
そう言いながらヴェラが腰から外したのは異形の短剣。
竜の爪で造られたという2本の短剣だった。
「でも、あの」
状況が飲み込めず、現実を認めたくない。これからやらなければならないことが非現実過ぎてどうしたらいいのかが全く分からない。
ギルは何から伝え何から始めればいいのか、考えることができないでいた。
「あんたの武器なら当たれば殺せる。難しいことは考えず思いっきり振り回せばいい」
ロザーナは、というギルの言葉にヴェラは「諦めな」と一言だけ返してきた。
嘘だ、とギルは歯噛みする。
ロザーナを助けるためにここに来たのだ。なんでも視えるヴェラが間に合わないなんてことはないのだ。
この場所からでは野営地の詳しい状況が分からない。どちらにしても、ロザーナを探すのであれば3匹の魔物は片付けなければならない。
「でかいのがあたしに気付いたら、あんたも走りな」
そう言うやいなや、ギルの返事を待たずにヴェラが飛び出した。
それはとても静かな疾走であった。
しかし、街道を横断したところで大きな影は異変に気付きのそりと立ち上がった。
ヴェラは速度を落とすことなく大きな影へと駆け寄っていく。
(もういいのか)
分からない。
(待ったほうがいいのか)
分からない。
どうするのが正解なのか分からない。
(馬鹿みたいだ)
旅に出るのだと、カティナを探すのだと、そんなふうに息巻いていた自分が馬鹿みたいだと思った。
どこかでロザーナと再開して一緒に旅をする、そんなことを考えていた自分が馬鹿みたいだと思った。
何かと戦うということは、死ぬかもしれないし殺さないといけないかもしれない。そんなことにも気付かず、夢ばかりを見ていた自分が馬鹿みたいだと思った。
(足がっ)
震えている。走り出そうにも足に力が入らない。走り出したらすぐに転んでしまいそうだ。
そんなふうに考えていた時間はほんの一瞬のはずだった。一瞬のはずだったのだが、その間に既にヴェラは大きな影と対峙していた。
行かなければならない、走り出さなければならない。
ギルは自らを鼓舞するために大声を出した。
言葉に意味などなかった。頭が真っ白になるほど声を上げ、がむしゃらに斧槍を振り回し、その勢いのままどうにか飛び出すことができた。
いつまでも辿り着けないような気持ちになるほど遠くに感じた。走っても走っても小さな影に辿り着けないような気がした。
ヴェラと戦っている大きな影の横を通り過ぎ、1匹目の小さな影へと躍りかかる。
何も考えず、ただその者を殺すためだけに武器を振るった。
鬼気迫る勢いのギルに意表を突かれた小さな影は為すすべもなく切り裂かれた。
そのまま走り続け、2匹目へと向かう。
多少の時間が抵抗する余裕を与えたようだが、そんなことは関係なかった。
同じように2匹目に向かって斧槍を振り下ろす。
慌てて受け止めようとした小剣を押し退け、斧槍は肩口からまっすぐ下へと体を切り裂いた。
ギルはここで呼吸を忘れていたことに気付き、大きく息を吐いた。
吐いて、吸って、また吐いた。
改めて小さな影の正体を見ると、それは犬のような顔をした魔物、コボルトだった。
そして辺りを見渡す。
さきほど殺したコボルトの他に倒れている人間達。
武装した者が4人。武装していない男性が1人、女性が1人。そしてすでに黒い液体となっているシミが3つ。
討伐隊の者達もコボルトに後れを取ることはなかったのであろう。何匹かのコボルトは迎撃した。
しかし共に現れたもう一つの大きな影には太刀打ちできなかったようだ。
ロザーナの姿はない、と少し安心しながらギルは戦っているヴェラへと目をやった。
ヴェラの相手はヴェラよりもずっと大きかった。
コボルトのように獣のような顔をしているが、もっと凶悪である。
腕も足も、丸太のように太く、動きは風のように速かった。
とはいえヴェラが負けるはずはない、とふと大きな影が屈んでいた焚き火へと目をやった。
そこには人が1人倒れていた。腹が喰い破られ、全身が真っ赤に染まっている。人形のように無表情で、開いた目は夜空を見上げていた。
一瞬それが誰か分からなかった。
誰だか分かったのは、その手首にある腕輪を見つけたからだ。
細い金属の腕輪。所々に埋まっている石は血に濡れて今はもう輝いていない。
「あっ…あ…」
嗚咽が漏れる。
つい昨日まで笑っていた、泣いていた、怒っていた。そんな感情豊かだった少女が今は静かに横たわっている。
罵声を浴びせた。
これまで言ったことのないような言葉を叫びながらギルはヴェラと戦う大きな影へと駆け出した。
その気配を感じ、体中に傷を負った大きな影はギルに向かって咆哮を上げた。
「やるなら中途半端なことはするんじゃないよ!」
ヴェラの声が随分と遠くに聞こえた気がした。
眼の前の景色は、まるで夢の中のように現実感がなかった。
既に両手を潰された獣がギルに向かって牙をむく。
噛みつき、噛み砕こうとギルの頭めがけて口を開く。
ギルは瞬時にそれを避けると、体勢を低くしながら獣の懐へと潜り込んだ。
獣に負けるとも劣らない声を上げ、ギルは斧槍を思い切り夜空に向かって振り上げた。
その一撃は多少の抵抗感だけを残し、あっさりと獣を両断するに至った。
言葉を発することのできなくなった獣の胴体が、地面へズルリと落ちた。
しかしギルの慟哭はいつまでもいつまでも、なりやまないのであった。




