表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/52

27 帰国を前に


 ヴィヴィアとの初めてのお泊りは大層楽しく、リリアセレナは早速その事をユリフォスへの手紙に書き綴った。

 ユリフォスは義母が小旅行できるほど元気になった事を心から喜んでくれ、自分の近況についても色々と教えてくれた。


 修学院を退学したアルルノルド殿下は王族としての公務に専念するようになっていたが、今でも時間を見つけては特室寮を訪れているらしい。

 ふた月後には婚約も調ととのい、友人であるユリフォスは内々のお披露目会に招かれる事となった。


 お相手はタルス国の第二王女殿下で、年はアルルノルドの五つ下になる。

 そのお披露目会にはガランティアとタルス両国の王族や重鎮が顔を並べ、ユリフォスはそれらの方々に親しく声を掛けていただく機会を得た。

 そしてこの出来事をきっかけに、ユリフォスはガランティアにおける社交の場をいよいよ広げていく事になる。



 そんな中、アンテルノ家でもある小さな変化が起きようとしていた。

 ユリフォスの妻としてアンテルノ家で暮らしていたリリアセレナに、初潮が訪れたのだ。


 ペチコートについた赤い染みに、最初に気付いたのは侍女のアルラだった。

 この事はすぐにヴィヴィアに報告され、駆け付けたヴィヴィアにリリアセレナはきつく抱きしめられた。


「リリア、おめでとう。貴女もついに大人の仲間入りね」


 リリアセレナはまだ戸惑いの方が強かったけれど、一面、何か一つ大きな事を成し遂げたような不思議な高揚感を覚えた。


「お腹が何だかしくしくします」

 そう言ったリリアセレナのおでこに、ヴィヴィアは優しい口づけを落とした。


「これから月のものが来る度にお腹が痛むかもしれないわ。でも体が大人になった証拠だから、何も心配はしないで」


 その晩は、たくさんのご馳走がアンテルノ家の食卓に並ぶ事になった。

 何も知らされてなかったらしいロベルトが「今日は何かあったのか?」と不思議そうに尋ねたのに対し、傍に控えていた家令のデュランが何事かを耳打ちした。

 ロベルトは軽く瞠目した後、「そうか」と口元を綻ばせた。


 父に知られた事が気恥ずかしく、リリアセレナは思わず視線を伏せてしまったが、血を繋ぐ事を一義とする貴族家にとって、リリアセレナの成人はこれ以上ない慶事である。


「リリア、おめでとう」

 しっかりとした口調でロベルトが言葉を掛けてきて、リリアセレナはその瞬間、何だか泣き出したくなった。



 その晩リリアセレナは、自室でぼんやりと思い事に浸っていた。

 もうすぐユリフォスと会う事ができる。

 その事が何だか夢のようで、未だに現実味が沸かなかった。


 政略によって決められた婚姻ではあるけれど、遠い異国の地に暮らす夫と文を交わし合う事で、リリアセレナは幼い恋心を大切にはぐくんできた。

 今度会う時は、年端のいかない子どもではなく、一人の女性としてユリフォスの目に映りたいとリリアセレナは切実にそう願った。


 本当はもう、顔も覚えていない。

 あの当時は優しい言葉を掛けられても畏縮するばかりで、頭を撫でようと伸ばされた手にもあからさまに怯えてしまった。

 見栄えだってひどいものだった。

 故国では食事をよく抜かれていたから、体はがりがりに痩せていて、髪も今よりパサついていた。


 もう一度出会いをやり直す事ができたらいいのに……とリリアセレナは小さく溜め息をつく。


 今ならばきっと、あの頃よりはましになっている筈だ。

 体つきもふっくらして(決してデブではない)、お父様やお母様もリリアが可愛いと折に触れて褒めてくれる。

 親の欲目が入っているのは確かだが、それほど悪くはない筈だ。


 ドレッサーの引き出しから手鏡を取り出したリリアセレナは、顔の角度を変えながらじっくりと鏡を覗き込んだ。


 どちらかというと、リリアセレナの鼻は控えめだ。

 そこがかわいいとお母様は言って下さるけれど、リリアセレナ的にはもう少し縦に伸びて欲しいと思わぬでもない。

 身長もまだまだ低いけれど、今がちょうど伸び盛りだからこちらの方は何とかなる筈だ。


 ユリフォスは来年の三月に帰国する。

 ユリフォスの隣に並んだ時に見劣りがしないよう、できるだけ大人っぽいデザインのドレスを作ってもらおうと、手鏡の中の自分を見つめながらリリアセレナは考えた。




「春ではなく、もう少し早く帰ってくるようになるのではないかな」

 そんな言葉をリリアセレナに告げてきたのはロベルトだった。


 今、リリアセレナ達は、海風の吹くエトワースに来ていた。

 本格的な冬が来る前にもう一度この地を訪れたいと、ヴィヴィアが強く望んだからだ。


 季節は十月になっていて、吹き渡る風がちょうど肌に心地よい。空を見上げると渡り鳥が飛んでいて、季節の移ろいを感じさせた。


 三人はデーラ城の東棟にあるバルコニーから海を見ているところで、ヴィヴィアは少し厚めの外套を肩から羽織っていた。

 まだ気温も温かく、このくらいの風ならば大丈夫だとヴィヴィアがいくら言っても、心配性のロベルトが許さなかったのだ。


「もう少し早くってどのくらいですか?」

 首を傾げたリリアセレナに、

「おそらく一月中にはマティスに帰ってくるようになると思う」


「えっと、学位の顕彰は三月ですよね」


「その前にガルダール賞の発表がある」と、ロベルトは小さく笑った。


「受賞できるのは学部で十人いるかいないかだと聞いているし、ユリフォスは基礎課程を終了後に農学を学んでいるから、かなりブランクがある。

 数術一筋で学を極めていた者に到底太刀打ちできないだろう」


「そう言えば、昨年カルロ・エクゼス様も受賞を逃し、一月末に帰国されていましたわね」

 ヴィヴィアがそう言い、そう言えばそうだったわとリリアセレナは思い出した。


 修学院は元々優秀な人材が集まる上、その中で厳しい進級基準を乗り越えた者だけが基礎課程を修了して、ガルダール賞に挑戦する事ができる。

 基礎課程の修了証書は修学院退学者にとっては大いに誇れる事で、退学したカルロ・エクゼスもまた、晴れやかな顔で帰国していた。


 もしユリフォスがガルダール賞を受賞できなくても恥じる事はなく、何より六年間に渡る留学生活によってユリフォスは多くの人脈を繋いでいた。

 今後ユリフォスがマティスの貴族社会を生き抜いていくのに、これ以上ない箔となるだろう。


「そう言えば今頃ユリフォス様は、アルルノルド殿下の結婚披露宴に出席しておられるのでしょうか」


 五月に婚約したアルルノルドは、五か月の婚約期間を経て、この十月に結婚の運びとなった。

 その披露宴には、ガランティア国内だけでなく、他国の王族や重鎮らが大勢参加している筈だ。


「そうね。そう言えば、ちょうど今日が結婚式典の日だわ。

 マティス公国からは、レリアス卿夫妻が御出席なさっているのではなかったかしら」


 ヴィヴィアがそう答え、レリアス卿って誰だったかしらとリリアセレナは記憶を探った。


「レリアス卿って確か、大公殿下の末の妹君のご夫君でいらっしゃいますよね。

 公子様方ではなくて、何故レリアス卿ご夫妻の出席となったのですか?」


「レリアス卿は若い頃、様々な国に遊学されていて、ガランティアの国王陛下とも面識があるの。

 だから、祝意を表すのに適任だと思われたようね」


「とはいえ、レリアス卿がガランティアを訪れるのは三十年ぶりだ。かなり勝手も違うだろう。

 ご夫妻がガランティアで不自由な思いをされないよう、十分気を配るようにユリフォスには伝えておいた」


 ロベルトの言葉にリリアセレナは真面目くさった顔で大きく頷く。

「責任重大ですね」


 ロベルトはちょっと笑い、優しくリリアセレナの頭を撫でてくれた。

「あの子ならば心配ない。過不足なく務めを果たしてくれるだろう」



 その後三人は誰ともなしに口を噤み、潮が満ち引きする壮大な干潟をじっと眺めた。


 ユリフォスが帰って来てひと段落着いたら、いよいよ干拓工事に着手していく事になる。

 工事は大掛かりなもので、いざ始動すれば様々な困難が待ち受けているだろう。

 それでもやり始める限りは、もう後戻りはできない。未来だけを信じ、事業を進めていくだけだ。


 いつの日かこの不毛の地を多くの緑で溢れさせる。

 木立に止まる小鳥はのどかに囀り、領民は明るい陽の下で収穫を喜び合う。


 そんな未来を着実に作っていかなければならなかった。


「今のこの景色を目に焼き付けておきましょうね」


 諸々の思いを呑み込んで、ヴィヴィアが静かに言葉を落とす。

 リリアセレナはヴィヴィアを見上げ、大きく頷いた。


「お父様、お母様。わたくしはこのエトワースの土地が大好きです」


 アンテルノ家の先祖が代々慈しんできたこの領地は今、大きな転換点を迎えようとしている。

 ロベルトの代で干拓を実現させ、その息子であるユリフォスがこの地を更に豊かなものとしていく。

 風にそよぐ緑の大地を眺めるユリフォスの傍らには、妻であるリリアセレナが寄り添う事になるだろう。




 その二か月後、ガルダール賞を取れなかったとユリフォスから便りが着て、リリアセレナの周辺は俄然忙しくなった。

 ユリフォスの旅の手配や帰国後の祝賀の準備に入ったためだ。


 リリアセレナは、ユリフォスに向けて送る最後の恋文を綴った。


『ようやくこの日が来るのですね。もうすぐユリフォス様が帰って来られると思うと、リリアはもう嬉しくて嬉しくて堪りません。その日が待ち遠しくて、暦に印をつけて指折り数えてその日を待っています。


 別れ別れの間、ユリフォス様からいただいた手紙は、リリアの大切な宝物です。帰って来られたら、もうこんな風に文のやり取りをする事がないと思うと、ちょっぴり寂しいくらい。


 でも、別れ別れはもう嫌です。リリアはずっとユリフォス様のお傍にいたいです。

 帰ってこられたら、今度は二人でたくさんの思い出を作っていきたいと思っています。


 お父様とお母様も、ユリフォス様が帰られるのをとても楽しみにしておられ、毎日三人でユリフォス様の事ばかり話しています。


 お父様とお母様の大事な息子であり、アンテルノ家の次期当主であり、そしてリリアの大切な旦那様でもあるユリフォス様。


 かけがえのない貴方の帰りを皆が首を長くして待っております。

     愛を込めて。

        妻のリリアより』

 

この作品をお読み下さり、ありがとうございました。活動報告への返信や感想、誤字報告など下さった方に、この場を借りてお礼申し上げます。誤字報告、本当にお世話をお掛けしました。何回も確認したつもりでしたが、人名を間違えていたり、文字が抜け落ちていたりして、あまりの多さに思わず頭を抱えました。

リリアセレナ視点の物語はこれでおしまいとなります。リリアセレナとユリフォスが再会した後のお話が読みたいと言って下さった方がおられましたので、ちょっとしたこぼれ話を明日投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ