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19 リリアセレナの刺繍


 その後、落ち着かない日々を送っていたリリアセレナだが、返事は思いの外早く届いた。

 手紙は順調にガランティアに運ばれ、受け取ったユリフォスがすぐに返事を寄越してくれたらしい。


 家令のデュランから封書を渡されたリリアセレナは歓喜した。

 封筒を抱きしめてアルラと喜び合い、お父様とお母様に改めて報告に行き、そのついでに家政婦長のニアやまかないのレデス、庭師のクタンなどにも手紙を見せに行く。

 ひとしきり皆に触れ回り、それから部屋に戻ってワクワクしながら封を開けた。


『リリア。

 お手紙をありがとう。最初は本当にびっくりして、けれどそれ以上に嬉しかった。

 ガランティアでいろいろ知識を学べるのが楽しくて、ついそちらに夢中になっていた。君に手紙を出すべきだと知っていたのに、何を書いていいかわからない内に時機を逸してしまい、そうしたらいよいよ手紙が書けなくなってしまった。

 誕生日もずっと祝ってあげられなくてごめん。去年も一昨年もカード一つ送らず、本当にふがいない夫だったと反省している。

 この一月で、リリアも十になったんだね。遅くなったけれど、誕生日おめでとう。近い内にプレゼントを贈るから待っていて欲しい。

 それから浮気について触れていたけれど、誓ってそのような事はしていない。この三年間、ずっと勉学一筋だった。

 この四月からは農学を学ぶようになっていて、ここで得た知識をエトワースの領地経営に役立てていけるよう、頑張っていこうと思っている。

 寂しい思いをさせて本当に済まない。留学を終えて帰国したら、リリアの願い事は何でも聞こう。して欲しい事を考えておいてくれ。 

 ところで、手紙に書いてあったグラディアとは誰の事だろうか。随分仲良くしているようだね。

 また君の近況を教えて欲しい。君の友達、君の好きな色、興味のある事、些細な事で構わない。君の事をもっと知りたいと思っている。

 次の手紙を心待ちにしているよ。ではまた。

            ユリフォス・ジュード』


 リリアセレナは手紙を抱きしめて寝台の上を転げ回った。


 嬉しくて嬉しくて堪らない。

 夫からの手紙というものがこんなに嬉しいものだなんて思った事もなかった。


 初めて会った時は、ただ怖かった。

 嫌われまいとずっと気を張っていて、相手がどんな顔をしていたのかさえ覚えていない。

 何を話していいかわからず、気まずい間を持て余していた事だけが、鮮明に記憶に残っていた。


 自分達の関係はこれからだとリリアセレアは思った。

 まだ互いの事はよく知らないけれど、手紙を出したリリアセレナにユリフォスはすぐに返事をくれた。

 妻であるリリアセレナを蔑ろにする気はないし、大切にしたいと思ってくれている証拠だ。


 ユリフォスがリリアセレナに関心を持ってくれたように、リリアセレナもまたユリフォスについて知りたいと心からそう思った。


 会えなくても愛情はきっと育める。

 リリアセレナは確かな絆を感じながら、今度はどんな事をユリフォスへの手紙に綴ろうかとわくわくと胸を弾ませた。




 翌日にはユリフォスへの手紙をしたため、書き上げた手紙を早速、家令のデュランのところに持って行ったリリアセレナである。

 その後に向かったのは、母ヴィヴィアの所だった。


「お母様。リリアにもう一度刺繍を教えてもらえないかしら」


 お父様に馬を犬だと評されて以来、刺繍に対するやる気はすっかり削がれていたが、マティスでは女性は恋人に、妻は夫に刺繍入りのものを贈るのが一般的だ。

 だから、時々思い出したように刺繍道具を引っ張り出して手慰みに続けていたのだが、自分でも嫌になるくらい刺繍の腕は上達していなかった。


 けれど、疎遠であった夫のユリフォスとようやく文のやり取りができるようになったのだ。 

 ここは一つ、妻として頑張るべきところだろう。


「ユリフォスに送ってあげるの?」


 いたずらっぽくそう聞かれて、リリアセレナは照れくささに思わず目を逸らしてしまった。

 口元が緩みそうになるのを堪え、「妻の務めですから」とわざと気のない振りをして言ってみる。


「そうね。ユリフォスもきっと喜ぶでしょう」


 ヴィヴィアは楽しそうに笑み、

「そうね、最初はハンカチくらいがいいんじゃないかしら。

 ユリフォスの名前とお花を刺繍してみたらどう?」


 こうして久しぶりに真剣に刺繍と向き合う事になったリリアセレナだが、気合いだけで腕が上達するという事は勿論なかった。

 花びら一枚を仕上げるのに一刻以上かかり、時間をかけた割に目は不揃いで、ラインもぼやけている。


 もう何度投げ出そうと思ったかわからないが、そうこうするうちに、ユリフォスから手紙とネックレスが届いた。

 近い内に誕生日プレゼントを贈るという約束を守ってくれたらしい。


「うわあ!」

 箱を開けたリリアセレナは歓喜の声を上げた。


 中に入っていたのは、美しくラウンドカットされた碧玉エメラルドのネックレスで、台座とチェーンを繋ぐ部分はハート形になっている。

 宝玉はやや小ぶりだが、清らかで清楚な美しさを放ち、ハート形の留め具が可愛らしいアクセントになっていた。


「リリアセレナの瞳の色を選んだのね」

 ヴィヴィアが満足そうに目を細め、リリアセレナは嬉しそうにネックレスを手に取った。


「お母様、つけてもらえませんか?」


 ネックレスをつけてもらったリリアセレナは、小走りで姿見の前に向かう。

 ロベルトとヴィヴィアがリリアセレナの後ろに立ち、楽しそうに目を見交わした。


「良く似合うわ」とヴィヴィアが言い、「なかなかいい趣味をしている」とロベルトも満足そうだ。


「さすが貴方の息子ですわ」とヴィヴィアが微笑んで、何だか甘い空気を醸し出し始めたのはどうなんだろうと思わぬでもなかったが、この夫婦はこれが基本形態である。

 ユリフォスが帰国をしたら、自分も思いっきりラブラブしようと心に誓ったリリアセレナだった。


 それから三日でリリアセレナは刺繍を完成させた。

 花は何だかいびつだし、名前は辛うじて読めるといった完成度ではあったが、この一枚のハンカチを仕上げるためにリリアセレナは十一回、指を針で刺した。

 まさに、血と汗と努力の結晶である。


 が、ユリフォスに送る前に親友のグラディアに披露してみたところ、いつもは饒舌な友人がその時ばかりは見事に絶句した。

 そして溜め息混じりに呟いた言葉が、「リリアって、割と何でも上手にこなすのに、刺繍の腕だけは壊滅的だったのね」だ。


 リリアセレナはがっくりと項垂れた。


「これでも一生懸命やったんだけど……。

 大体、恋人や夫に刺繍入りの品物を贈るなんて風習を一体誰が決めたのかしらね。

 本当に傍迷惑な習わしだと思うわ」


「わたくしも刺繍は余り得意じゃないから同意見よ。

 でも、リリアの作品を見て何だか自信がついちゃった」


 グラディアの言葉に、リリアセレナは恨めしそうに親友を見た。


「人の作品を見て自信をつけないでよ」

 

 そうして小さく呟く。


「やっぱりこれを送るのは止めようかな。

 こんな下手な刺繍を送られても、きっと嬉しくないわよね」


 しょんぼりとハンカチを握りしめたリリアセレナを見て、グラディアは小さく笑った。


「送って差し上げなさい。リリアセレナが手ずから刺繍をしたっていうのが大事なのよ。

 ユリフォス様の手紙を見せていただいたけれど、とても誠実そうな方だったじゃない。

 幼い妻が一生懸命刺繍してくれたっていうだけで、きっと感動して下さるわ」



 グラディアの言葉に励まされ、リリアセレナは手紙と一緒にこのハンカチを送ってみた。

 刺繍の出来にがっかりされたとしても、まさかこれで離縁される事はないだろう。

 政略結婚というものはそれほど軽いものではない。


 それに今回は、取り敢えず気持ちだけを受け取ってもらえればいいのだ。

 これが同世代の男の子なら馬鹿にしてきそうだが、ユリフォスは大人である。

 出来栄え云々(うんぬん)よりも苦労の跡を重視してくれる可能性も無きにしもあらずだ。


 そんな風に自分を慰めていたリリアセレナだが、結果から言えばユリフォスはものすごく喜んでくれた。

 嬉しさの余り、隣室の友人に見せて自慢しまくったと返事が来て、あれを見せたの? と、リリアセレナは別の意味で冷や汗をかいた。


 隣室の友人というのは、おそらくガランティアの第三王子のアルルノルド殿下の事であろう。

 よりによってガランティアの王族にあの下手くそな刺繍が暴露されたと思うと何とも物悲しい気分になるが、これがリリアセレナの実力であるのだから仕方がない。

 それよりももう少し自分磨きを頑張ろうと前向きに考える事にした。


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