16 初めての友達
その三日後、リテーヌ伯母様の言っていたオーウェン家の令嬢が初めてアンテルノ家にやって来た。
グラディアというその令嬢は澄んだ青玉を思わせるような美しい瞳をしていて、僅かなそばかすが鼻の辺りに散っている。
鼻は小さめであごが細く、はきはきとした物言いをする、いかにもはしっこそうな女の子だった。
透き通ったブルーの瞳はとてもきれいだったが、それ以上にリリアセレナの目を引いたのが、光の加減で淡いピンク色に見えるグラディアの金髪だった。
何てきれいな髪なのだろうと、一目見てリリアセレナはすっかり目を奪われた。
「何とお呼びすればいいでしょう。トラモント卿夫人とお呼びしても?」
そう問われたリリアセレナは慌てて首を振った。
自分は確かにトラモント卿夫人だけれど、そんな風に呼ばれたらいかにも余所余所しい。
「わたくしの事はどうぞリリアと呼んで下さい。
お母様と名前がお揃いみたいで気に入っているのです」
「では、わたくしの事はグラディアと」
グラディアがそう答え、いたずらっぽく微笑んだ。
きっと最初から、トラモント卿夫人なんて呼ぶつもりなんてなかったのだろう。
それから二人でいろんなお喋りをした。
リリアセレナは今まで自分の事を人に馴染みにくい頑なな性格だと思っていたが、グラディアと話していて、必ずしもそうではない事に気が付いた。
かなり人見知りが強い方ではあるけれど、波長の合う人間が相手なら、割とすぐに打ち解けられるのだ。
「わたくしは貴族令嬢としては口が立ちすぎて、もう少しおっとりとした性格になるようにと言われているのよ」
何度か二人で会った後に、グラデイアはそんな風に自分の欠点をリリアセレナに告白してきた。
「女性は大人しくて、殿方の傍でふわふわ笑っているくらいがいいなんてミリィは言うのよ。
あっミリィっていうのは、わたくしの養育係の事なんだけど」
「養育係?」とリリアセレナは首を傾げた。
「えっと、それって家庭教師の事?」
「ううん。家庭教師じゃなくて世話係。どちらかと言うと侍女に近いわね。
わたくしが小さい頃から傍にいて、朝起きてから眠るまでずっと世話をしてくれているの。
わたくしの事は何でも知っていて、ちょっぴり口やかましいけど頼りになるわ。
お父様やお母様とは二日三日会わなくても平気だけれど、ミリィがいないと夜も日も明けないって感じかしら」
それを聞いて、リリアセレナはうーんと考え込んだ。
リリアセレナのお父様とお母様もお忙しいから、四六時中傍にいてリリアセレナの世話を焼いてくれているのは、ベルとアルラである。
二人とも貴族階級出身で、ベルは行儀見習いのためにアンテルノ家にやって来て、アルラは夫君と死別後に教会に身を寄せ、その後リリアセレナの世話のために呼ばれた女性だと聞いていた。
アルラは子どもの世話に慣れていて、リリアセレナがわがまま放題に振る舞っていた時も、顔色を変えて叱ってきた事は一度もない。
リリアセレナが寂しい時はふくよかな体で抱きしめてくれ、間違った事をした時は感情を交えずに理を説いてくれた。
リリアセレナはこのアルラを第二の母のように慕っていていたが、アルラがヴィヴィアお母様の代わりになれるかと聞かれたら、リリアセレナの場合、答えは否である。
「わたくしは丸一日お母様とお会いできなかったらすごく寂しいけど……」
「そうなの? でもお父様とお母様に会う時って、朝のお祈りと晩餐の席くらいよね。
後、何かご用がある時は向こうが来て下さるけれど、顔を合わせるのってそのくらいでしょ」
「そんな事ないわ。わたくしは昼餐もご一緒しているもの」
リリアセレナが当たり前のようにそう答えると、グラディアはえええっ! と仰け反るほどに驚いた。
「大人の空間と子どもの空間って全然別でしょ。
下級貴族はともかく、アンテルノ家のような旧家なら、日中は余り顔を合わせないものだけど」
「そういうもの?」
リリアセレナは首を傾げた。
離宮育ちのリリアセレナには、そもそも貴族の生活事情がよくわかっていない。
「そうよ。例えば、貴族家を訪れたお客人が下働きの使用人を目にする事はないでしょ? 子どももそれと同じよ。
わたくし達が使う階段はお父様やお母様が使う階段とは区別されているし、偶然ばったり会うという事もあり得ないの。
そもそも生活する空間が分けられているのですもの」
わたくしは同じ階段を使っているわ……とリリアセレナは心の中で呟いた。
「でも、グラディア。セクルト連邦では三つを過ぎたら親と一緒に食事をとるものだと教わったわ。
そうじゃないの?」
「だからそれは晩餐の話よ」とグラディアは落ち着いて説明した。
「日中はずっと別々に過ごして、晩餐の時だけお父様やお母様達とご一緒するの。
と言っても同席が許されるというだけで、それが月に数回という家はざらにあるわ。
うちもそうね。夜会や舞踏会が入ったら社交の方が優先されるし、わたくしが晩餐の席に呼ばれるのはせいぜい一回か二回よ。
食事を一緒に楽しむというより、マナーを確かめられている感じかしら。
和気あいあいと食卓を囲む家もあると聞いた事はあるけれど、一般的に高位貴族になればなるほど、親子仲はどうしても希薄になっていくわ」
「そうなんだ……」
「アンテルノ家も厳しかったとリテーヌ伯母様からは聞いているのだけど……」
不思議そうに首を捻ったグラディアは、
「あー……、そう言えば、リリアセレナは子どもの括りには入らないのかも。
一応肩書はトラモント卿夫人ですものね。
成人した嫡男の奥方だから、昼餐を一緒に取られているのかもしれないわ」
「ふうん」
グラディアの言葉に、リリアセレナは生返事をした。
その辺の事情はリリアセレナにはよくわからない。
でも今更、昼餐を一人で取るようにと言われたら寂しいので、お父様やお母様の前ではこの事を黙っていようと心に決めた。
「さっきグラディアはお父様やお母様と二日三日顔を合わせなくて平気って言っていたけど、本当に寂しくないの?」
そう尋ねると、「だって貴族ってそういうものだし」とグラディアは困ったように言った。
「わたくしは年の離れた女の子だから領地に出される事はなかったけれど、大兄様や小兄様は幼少を領地で過ごしているわ。
多分、四、五年は向こうで暮らしていたんじゃないかしら」
「本人だけ? お父様やお母様と別れて一人で行くの?」
「そうよ」
グラディアは何でもない事のように頷いた。
「だって、領地に馴染んでおく事は必要だもの。
大兄様はいずれ家名を継いで領地を治める訳だし、小兄様は大兄様に何かあった時のために、やっぱり領地について知っておかないといけないしね。
貴族の令息は大体そうなんじゃないかしら。
確かに家族とは離れ離れになっちゃうけど、養育係はついてきてくれるし、緊張感あふれる晩餐にも出なくていいし、田舎でのんびり過ごせて結構楽しかったって言っていたわ」
「ええと、お兄様達は時々、お父様やお母様に会いに公都に帰って来ていたの?」
「近かったらそういう事もできたでしょうけど、うちの場合は無理ね。
遠いから領地に行きっぱなしよ」
「遠いってどのくらい?」
「片道半月はかかるんじゃないかしら」とグラディアはあごに手を当てた。
「領地に行くって結構大変なのよ。
護衛や使用人を連れての大移動だし、旅の荷物も多いから馬車一台では済まないと聞いているわ。
旅中の食事の問題もあるし、宿泊をお願いする教会への寄進も必要でしょ。
替え馬の手配だって必要になるし、すごい出費みたいよ」
目から鱗である。
自分の知らない世界はかようにいっぱいあるのだと、今更ながらに思い知るリリアセレナだった。
「グラディアは本当にしっかりしているのね。いろんな事を知っているし、尊敬しちゃう」
こうしてグラディアとの交流を深める内、リリアセレナは様々な貴族事情にも精通していった。
オーウェン家はさほど家格が高い家ではないが、グラディアは旧家の当主を伯父に持っているため、様々な宮廷事情にも通じている。
グラディアと親しくしていたリリアセレナは、乾いた砂地に水が染み込んでいくように様々な知識をグラディアから吸収していく事になり、それはこの後のリリアセレナの性格形成に大きな影響を与える事になった。
どちらかというと内向的でうじうじと悩みがちだったリリアセレナは、好奇心旺盛なグラディアと知り合う事で徐々に前向きな性格となり、人見知りな部分を残しながらも明るくはきはきとした性格へと変わっていったのだ。
やがて二人は自他ともに認める親友となり、一年近くが過ぎた頃、リリアセレナは初めて自分が実母から虐待を受けて育っていた事実をグラディアに打ち明けた。
幼いリリアセレナに唯一愛情を注いでくれたのは平民のネリーだけで、そのネリーとも四つの誕生日を迎える前に引き離されている。
惨めで辛い過去であったため恥ずかしくて誰にも言えなかったのだが、グラディアになら明かしていいと思ったのだ。
黙って耳を傾けていたグラディアは、ややあって静かに口を開いた。
「アンシェーゼのお母様の事は、もうどうでもいいんでしょ?」
リリアセレナは「うん」と頷いた。
「こうやって思い出すとまだ辛いけど、夢で魘される事はもうなくなったわ」
「ねえ、リリア。きっと、傷だと思うから余計に大きく思えてしまうのよ。
もう二度と会う事がない人なんだし、さっさと忘れちゃえばいいわ」
「そうなのかな」
「ええ。今のリリアにはアンテルノ卿ご夫妻がいらっしゃるし、そもそも貴族家の親子関係なんて元々希薄なものよ。
うちなんかもその典型だし」
「グラディアのお兄様達は小さい頃は領地住まいで、十二歳からは騎士学校の宿舎に入られたのよね」
「ええ。それに十二前後で家を離れるのは令息に限った事ではないわ。
私は結婚までは家で過ごすようになるけれど、家によっては違うもの。行儀見習いと一種の箔付のために、侍女として高位貴族に仕えるというのはよくある話だし」
そう言われて、リリアセレナは自分付きの侍女をしているベルの事を思い出した。
リリアセレナが嫁いできた当時、ベルはまだ十四だったけれど、すでに侍女見習いから侍女に昇格していた。
という事は、ベルはもしかしたら十二歳前後で家を出されていたのかもしれない。




