12才 (キース・ケイ)
二万字越えました。
一休みしながら、お読みください。
キース部分は、読まなくても問題無さそうなつまら…堅苦しい話です。
ケイ部分は日常のお話です。
・・・ *** ・・・(キース)
現在、ぼくも含めたスピネルとイナルには、苦手としている人がいる。それまでは何でもなかったが、夏の頃から苦手というか、気まずい。誰が悪いというわけでもないのだが。
その切っ掛けは、陛下たちに任された『大波』の対応策のマニュアルの草稿が漸く完成した事に端を発する。
政務に関わるようになったスピネル王太子、その補佐としてイナルとぼくの三人が、陛下方から任された仕事の一つである『大波』に関する案件。
陛下たちに幾度となくダメ出しをされて、その度に直して再提出。突き返されては内容を詰め直して、二年以上かけて出来上がった草案。もとい、ぼくらにとって新規提案や書類の確認事項箇所や不備の指摘等の練習にもなった懸案。
それを普段の執務室ではなく、何故か石の間にいた陛下や宰相たちに提出し終え、長く時間はかかったがやり遂げた、と解放感や達成感に高揚して人気のない回廊を王太子執務室に向かって歩いると。
陛下に呼び出されたらしいリフィーユ・ムーンローザ嬢に遭遇した。……だから、石の間にいたのか。ここで遇うのは陛下たちの策略か、とぼくらは複雑な気持ちになる。
灯りのある地下廊下を、珍しい薄翠の髪を高く一つに結い上げ、闇に溶け込むような黒いドレスを着込み、隙なく歩く楚楚とした少女。背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見て優雅に歩く姿は、完璧な淑女に見える。ぼくらの存在を見えてないように扱わなければ。
本来なら、王太子のスピネルや高位貴族のぼくらを無視する扱いは不敬になるが、彼女はそれに当てはまらない。そういう契約を交わしてある。だから、陛下方も躍起になってぼくらとこの少女をどうにか会わせようとしていた。
……何かの任務の報告か。供もなく一人という事は、ケイには知らせずに呼び出した?
どこをどう見ても華奢な令嬢にしか見えないが、普通の令嬢と違い、一風変わっている事をぼくらは知っていた。
互いに歩を進めるにつれて近付き、ぼくは少しだけ緊張する。それは一つ年上のスピネルとイナルも同じ様で、ムーンローザ嬢は微塵もこちらを気にしてないのに、ぼくらの意識は彼女に向いてしまう。
二人の心境は知らないが、ぼくは何も知らずに会った時のように、少し話をしてみたいし、手合わせをしてみたいし、面白そうな彼女に関わりたいと思ってしまう。親友のケイから聞いた彼女のトラウマを考えると、そんな我が儘は言えないが。症状が改善されたら、知り合ってみたい。
ぼくらの視線を感じているだろうに、彼女は絶対に視界に入れず、目も合わせない。そのまま何事もなく通り過ぎる。ぼくらはそれを横目に見た。去っていってしまう。それがどこか、もどかしい。
他人行儀にも、いない存在として扱われる事も、今までなかった。契約書を交わしてから、会話らしい会話なんて一度もした事がない。
何に対しても淡白だったぼくらの親友が、気にかける少女。同じ空間にいると独特の緊張感があるのに、滅多に会わないせいかこのまま過ぎ去るのが勿体ないと感じてしまう。
「……っ、あのっ」
今回、声をかけたのはスピネルだった。反応はなく、何も聞こえていないように離れていく後ろ姿。
「『大波』の対応策……まだ草案段階だが遂に完成したんだ。私としては、実際に体験した貴方の意見も聞いてみたいのだが…」
真っ直ぐ伸びた後ろ姿を見つめていると、振り返らないものの歩みが止まった。ぼくらはちょっと驚く。
イナルが口を開いた。
「恐らく本日、貴方が陛下たちに呼び出されたのは、その用件もあるかと推察します。勿論、ケイにも意見を聞きます。直接ぼくたちと話すのが難しいのなら、ケイを通して意見を伝えて頂いて構いません」
「長くかかって何度も作り直したが、戦闘や指揮、支援や保護等どんな些細な事でも気付く事があったら教えてくれ」
ぼくも頼み込んだ。焦って周りも自分の状態も見えなくなっていたぼくに、的確な助言をくれた事を思い出す。
ムーンローザ嬢は立ち止まったまま、反応はなかった。スピネルが言葉を重ねる。
「四年前は、ロクな対応が出来ずに申し訳なかった。だからこそ、これからのサンルテア領地を守り、男爵やケイの負担を減らす為にも、貴方の意見も聞いてみたい」
沈黙していた少女が、肩越しに振り返った。ぼくらの話を聞いてくれたと喜んだのも束の間で、ムーンローザ嬢の柔らかな金色の目は、彼女の心を表したように硬質な視線を向けてきた。思わず、息を呑む。
「……本当に理解していらっしゃるのですか?」
契約書にサインして以来、初めての彼女との会話だった。耳にすっと入る綺麗な声なのに、何の感情も含まない無機質な声音と口調。いや、少し感じられるのは押し殺した怒り。
「四年前、国がどんな判断を下したのか解っていますか?」
冷たい表情と静かな佇まいに、気圧されながらもぼくらは首肯した。
「貴族たちの意見がまとまらず、話し合いで徒に時間が過ぎて、ケイやサンルテアの兵や神殿の神官たちに任せきりで苦労させ、民には心労をかけた。そこを貴方に助けて貰った」
スピネルの言葉を、皮肉げに嗤われた。
「そうですね。それで?」
「え?」
ぼくらは彼女が何を言いたいのか解らず、戸惑った。どうしてそんなに蔑視されているのか。当惑するぼくらに、一つ大きな溜め息を吐いて、ムーンローザ嬢は能面に戻った。
無視して去られると思ったのか、イナルが言葉を紡ぐ。
「四年前はこれ迄の『大波』と規模が違い、逼迫した状況で最悪、サンルテア領に魔物が蔓延り、王都に迫っていてもおかしくない状況だったと、伺っております…」
「それなのに騎士団の派遣は領境までで、ケイが結界を強化する結界石を埋めていたから最前線で魔物に襲われ、一身に全てを受けて押さえ込んでいるにも拘らず、結界石を埋めてそのまま耐えろと命じた」
イナルが唇を噛んで俯きがちに放った言葉を、補足した。ぼくも悔しくて、腹が立つ。あの保身ばかりに走る議会の連中は、ケイを見殺しにしようとした。ぼくらの大事な親友を、サンルテアの領民を簡単に殺しかけた。それを陛下や父たちも御せず承認し、ケイも受け入れた。それを知った時の衝撃は今も忘れられない。――ああ、彼女が不甲斐ない王侯貴族を怒って恨むのも、関わりたくない思うのも当然だ…。
スピネルが顔を歪めて、拳を握った。どんな謗りも受けようとするように。
「…だが、サンルテアがこれ迄どうにかしてくれていたから今回もどうにかなる、と甘えた認識を変えられた。本当なら黒の森に関する件は全て、国が一丸となって対処すべき問題なのに。ゴルド国はその様に対処しているというのに、私たちは最大の守り手であるサンルテアの後継者を危うく失う所だった。その真実を知ってから、貴方には感謝している。ケイを、友人を失わずに済んだ。ムーンローザ嬢、ありがとう」
スピネルらしい、優しい言葉だと思った。イナルとぼくも彼女に感謝した。ムーンローザ嬢は眉を顰め、それから何かを判別するように、じっとぼくらを見てきた。
「……本当に、陛下方が御せなかったと思いますか?」
言われた言葉の意味が解らなかった。
「四年前の『大波』後は、私も重症を負ってケイの事やその他の事に気をとられ、考え付くのが遅れましたが、恐らく無理をすれば貴方たちの親やジル叔父様、祖父のドラヴェイ伯爵やウェンド侯爵、ダスティ侯爵が上手く誘導すれば、サンルテア領地を見放し、ケイを見殺しにするという下策も防げたとは思いませんか?」
「「「……」」」
「あの時は大半の魔物を殲滅し、人民も全て保護していましたので、サンルテア領地は田畑や家畜に少しの魔物被害は出ても、あそこで叔父や精鋭騎士を派遣して下されば、直ぐに片がついた筈です。若しくは当事者の領地だからと、会議の席から叔父だけでも先行させていれば、結果は違っていました」
指摘されて、ゾワッとした。自分の中で何か得体の知れないものが蟠りになった気分だ。この少女は一体、何を言っているのか。理解するのを拒絶したい。
イナルが呆然とムーンローザ嬢を見つめた。
「まさか…そんな……確かにサンルテアの土地は肥沃で、魔物が強力でも齎される物は有益で、貿易も盛んで、ゴルド国との国境で……けれど、代々サンルテア領地は不可侵で、王家でもなかなか手が出せなかった…」
「精霊魔法に関する事では王家が至高、でしたか」
それは知っていたが、ケイだってぼくらの近しい立場で親友で……当時は王子の側近になる事を拒んでいたな…。ぼくらよりも上級精霊たちと仲が良くて……スピネルや陛下よりも好かれている…。
「あくまで想像力豊かな私の推測です。あの時ケイが亡くなれば、流石に派兵を反対した貴族たちは黙り、サンルテアや王家に後ろめたさを持ち、黒の森について静観姿勢から改革が可能となり、特殊なサンルテアの土地の保護を名目に、王家や他家が関わる事も出来ました。それに下級貴族の分家なのに、王族よりも大きな力を持った当時一番の魔力持ちの存在を排除出来てサンルテアの力を削げます。安定した国政が続く今、彼の力がなくても問題はなかったですし、当主の叔父も若く健在。国がケイの存在を憂い、サンルテアの力が強大になる事を危惧していたら…。そんな裏の思惑を読み取りつつも、王家至上主義の祖父、その教育を受けて恩ある祖父に逆らえない叔父。仕える貴族として、王の望むままに国に殉じようとしても何ら不思議はありません。ケイも物心ついた時から国の為に生き、サンルテアの役目を果たしなさいと毎日のように、亡き叔母に言われて育てられたそうですから」
人形のような無表情から一転、ムーンローザ嬢は笑わない目で冷たく微笑んで、毒のような真実かもしれない言葉を教えてくれた。
「……ケイも知っていた可能性があると?」
イナルの表情が強張った。ぼくとスピネルも似たり寄ったりだろう。いつものイナルなら鼻で嗤って、憶測で王家を貶める発言は無礼だと言って無視しそうだが、口を引き結んで何も言わなかった。それは暗に、父たちが画策した可能性を捨てきれないと認めているも同然だ。
「私が申し上げた事は真実かもしれませんが、違うかもしれません。これから貴方たちが陛下方と同じ立場に立たれた時、どのように考えるのかも解りません」
「私たちはそんな事はっ」
「勘違いしないで頂きたいのですが、国の在り方や、王家の特別性を主張して維持する上では、間違っていない判断だと思います。国の忠臣である祖父や叔父、ケイの判断も理解は出来ます」
スピネルの言葉を遮って、ムーンローザ嬢は淡々と告げた。
「ただ私が気に食わないだけです。女なら城で囲もうと色々な策を講じ、ケイが私に対して有効と知れば利用してくる姿勢も腹立たしい。なので、感謝は不要です。私がケイを助けたのは、彼がいなくなるのが嫌だったからです。陛下たちも今は手出ししづらいでしょう。彼がいなくなれば、この国に私を繋ぎ止める楔が無くなるのですから。それにその場合は――」
断言された言葉が衝撃過ぎて、ぼくらは空耳かと思った。それは掛け値なしの彼女の本音。本気の脅迫。
スピネルが「ケイは大切な信頼できる友人だ。彼を排除するのは父たちでも赦さない」と、返答した。
どちらも目を逸らさず、ムーンローザ嬢が嘆息した。
「全く、ケイならその辺の令嬢よりも天使な極上の美少女になって、引く手数多でも不思議ではないというのに。嫁に欲しいと言うならまだしも、排除しようとするなんて」
今度は幻聴が聞こえた。
つい先程まで真剣な話をしていたのに、真面目な顔をして彼女は何を言っているのか。理解出来ない。
ムーンローザ嬢が、値踏みするようにぼくらを睥睨した。独り言のように呟く。
「暢気にまだ改稿し続けている『大波』の草案で意見を聞かせて欲しいと言ってきたのはムカつくけど、ケイが大切で王様たちからも守るので欲しいと言うのなら……悔しいけど、相手として認めなくもなくもない…」
……それって結局、ウチの子はやらんって言っているように聞こえる。というか、謎の方向に話が飛んだ気がする。確かに父たちが手を出すのは赦さないと言ったが、認めるってナニを!?
聞きたいような聞きたくないような…。話に踏み込むのを躊躇っている内に、ムーンローザ嬢はぼくらの存在を忘れたように、踵を返して歩き始めた。
何だか中途半端に終わった気がしていると、不意に彼女が振り返った。いつも通りの無表情で言われる。
「陛下方の思惑は知りませんし、何が真実でも構いませんが、先程の宣言に嘘はありません。陛下たちにも既に伝えてあります。――ケイを絶対に殺さないように守ってくれるなら、少しなら鎖に繋がれて飼われても構わないと」
絶対に無理だろうな。ケイの関わる任務が任務だ。それに、絶対なんて確約するのは難しい。彼を守るのに、本人よりも強い人なんてそう思い当たらない。
ぼくらは答えられず、提案した彼女もそれを理解しているのか、悪どい笑みを浮かべて用はないとばかりに背を向けた。
――初めて長く話してくれた会話が、コレだった。
大分おかしな部分や、不遜な態度と内容がある。解った事と言えば、ケイが大事で、父たちが為政者として非情な決断をしたかもしれない事、サンルテアの忠臣ぶりや自分たちの考えの至らなさ。独創性に富んだ彼女の推測と思考だろう。
それ以来、ムーンローザ嬢に遭遇すると、苦手意識が働いた。スピネルとイナルと同様で、避けるというか据わりが悪い。ビクついて退いてしまう事が多々あった。彼女はぼくらを脅した事も忘れたのか、気にしてないようで通常通り無視。
ケイには話していない。何となく言えなかった。
それからは三人で、どう対応するのが良かったのかと話し合う時がある。『大波』の件も含めて執務を、父たちが納得する課題の答えを探すのではなく、自分たちが責任を持つ仕事と認識し、場合によっては多くの人生と命を左右するという重圧が芽生えた。
今も彼女と会うと気まずくて、父たちにもケイにも真実の話を聞けないまま数ヶ月が過ぎたが。
*・*・*・
秋も深まった頃、議会の承認を得た『大波』の対応策について話し合う為に、ケイがスピネルの執務室にやって来た。何だかんだと、週に一度はぼくらで喚び出している。今日も父たちと話した後に来てくれたが、珍しく機嫌が悪かった。
理由は『白い悪魔』にムーンローザ嬢が拐われそうになったから。ついでにここ数ヶ月、変な監視や手練れを雇った誘拐があった事も聞かされた。
……本当に、色んな所から狙われているというか。いつも周りが騒がしいな…。
『白い悪魔』を雇ってまで狙った伯爵子息の理由には、引いた。そういう妙なのにばかり付きまとわれているのか…。
スピネルとイナルも何とも言えない顔で、嘆息していた。
「相変わらずと言うか…毎回思うけど、強烈だな…」
「本人もすっかり馴れて…。明らかにぼくたちよりも対応力が高いですね…」
ケイが深く頷く。
「何しろ、四年経っても一途に思う、執念深い王子殿下もいるからね…」
驚くぼくらに、ケイは四年前に関わったゴルド国の王族姉弟の話をした。女王になる予定のキャンディ・キャロル・ゴルド王女は、側近と共に城に戻って公務をこなしているが、ムーンローザ嬢に会えなくて非常に悔しがっていたそうだ。
ハインツ・ハイド・ゴルド王子に至っては、今も変わらず気にかけていて、先月ケイが領地で会った時もムーンローザ嬢に会いたいと煩かったらしい。昨年から、写真を見せろや記憶玉で映像をとったものはないのかと騒がしく、ケイはないと突っぱねたようだ。
そこで、ギルドの一員として鍛えられた彼は素晴らしい行動力を発揮して、領民に人気の『サンルテアの宝』について話を聞きまくり、好きなものを誉められて上機嫌になった民衆が、得意気に或いは自慢するように、領内での様々な話を聞かせて写真や記憶玉の映像を見せたらしい。幾つかを高値で買い取り、益々ムーンローザ嬢をゴルド国に遊びに連れてこいと、姉共々しつこくなったそうだ。
話を聞いたスピネルとイナルの顔が引き攣った。ぼくも、ゴルド国が彼女を取っていく可能性に、危機感を覚えた。
何でも冒険者を辞める際に、キャンディ王女から冗談混じりに王子妃にしないかと聞かれて断り、ケイ自身も婿にならないかと打診を受けて断ったそうだ。初めて知る話にぼくらは驚かされた。
今は王女の側近だったロンドが、王婿候補として王女を支え、二人で執務をこなしている事は知っていたが、そんな事があったとは。寝耳に水だった。
それどころか、王女はリフィを余計に欲しがっていると、ケイが疲れたように言った。今まで以上にゴルド国の王家の動きに注意を払おうと考えていそうだ。
「ぼくはムーンローザ嬢にあまり興味はありませんが、その力が他国に奪われるくらいなら、以前、陛下方が仰っていたようにケイの婚約者でも何でも、国に縛りつけたいと思っています」
イナルの意見を、ぼくとスピネルは少し意外に思ったが、自分たちの考えはまだ何とも言えなかった。
ケイと一番付き合いの長いイナルが、親友を見て柔らかな微笑を浮かべた。
「ケイ、貴方はムーンローザ嬢をどう思っているのですか?」
「取り敢えず、何処かに渡すつもりはないよ。今の所は外堀を埋めてリフィを貰う予定。選ぶのはリフィだけれど、追い詰める気はなくて、何より本人に心から選んで欲しいと言うか、選ばれたいから、他に目が行かないよう悪足掻きはしても無理強いはしない」
「「え?」」
ぼくとスピネルが異口同音に戸惑った声を発し、イナルは予想していたように、嬉しそうに笑みを深くした。
「だから、君たちがリフィに好意を持って欲しいと思って動くなら、それはそれで構わない。奪うつもりなら誰であっても邪魔をするし、もし彼女に何かしたら…相手をどうするか僕も予測不能かな」
少し危うい発言をしたケイ。こんな彼は初めて見た。惑乱して反応を返せずにいたら、楽し気にイナルが苦笑した。
「言ったでしょう。ぼくは祝福しますよ。彼女がこの国に残ってくれるのであれば、相手が誰でも。可能性が高いのはケイだと思っていますが。意外だったのは貴方ですよ、ケイ。何にも…自分の命すら執着がなかったのに…。…どうしてそう思うに至ったか聞いても?」
ぼくとスピネルも興味を引かれて、ケイを見た。いつもの微笑と違い、柔らかく笑うケイに目を奪われる。
「リフィは変わらなかったから。僕の手が汚くても、自分の命が危なくても、初めて会った時に宣言した通り、本気で何があっても味方でいて守ろうとしてくれたから。何度だって魔物から庇って、僕や両親の事を思って、国に喧嘩を売る事すら厭わないと言ってくれた。…僕すら諦めた命を救おうとして、陛下たち相手でも一歩も退かずに、彼女らしく何とかしちゃって面白いんだ。……こんなにも僕の感情を引き出すのは、リフィ以外いないからね」
思い出したのは、数ヶ月前にした少女との会話だった。
『ケイがいなくなったその場合は――私が魔力を暴走させて、彼を奪ったもの全て――陛下方や国すら恨んで復讐すると思います』
あまりの暴言で、傍若無人だった。世間一般の国民には無関係だろうに。
『理不尽だと思いますか? 解っていますよ。言われても、それがどうしたって、私は聞く耳を持ちそうにありませんけど。嫌なら、サンルテア夫妻やケイを殺さない努力をするよう、陛下たちには奏上してあります。全うでない裏の任務や国の為に利用するのも、それで多少怪我をする事も、不本意ながら見逃します。――けれど、存在を排除するなら私は敵対する事も辞しません』
暴走した私を実力行使でどうにか出来るのはケイくらいなので、その時は無茶苦茶でも何でも、陛下たちが甚大な被害を被る事になるのでしょう。――他人事と言わんばかりに身勝手な脅しをしてきた。その後は、ヨメとか天使な美少女とか謎の単語を呟いて、去って行った。
ぼくらに話をしたのは、牽制する為だろう。将来、ぼくらが政務を担ったとして、苦渋の決断だったとしても、ケイを失う真似をするな、と。まるで子供の癇癪のような発言だ。
王族の命を脅かし、国より個を取る事を平然と告げ、幼子のように国よりも自分の感情を優先させると断言した。
危険人物、反逆罪、逆賊として牢に入れられてもおかしくないが、実行可能な実力者がいない。それが全部解っていての言葉。
去る少女の後ろ姿を呆然と見送りながら、もうお前ら付き合えばいいのに、とスピネルが嘆息したとかしなかったとか。
ぼくはソファーに座って優雅にお茶を飲む親友を見て、唖然とするスピネルと安堵したように笑うイナルを見て、頬を緩ませながらお茶を飲んだ。
・・・ *** ・・・(ケイ)
城からムーンローザの館に戻ると、午後の穏やかな日差しを遮る木陰で、ワイン色のドレスを着たリフィが眠っていた。その側でアッシュも丸まっているけれど、僕に気づいて顔を上げたから、リフィの護衛をしてくれていたのだと思う。
近寄ると、アッシュが前足でそっとリフィの体を揺すった。
「ケイが帰って来たぞ。そろそろ起きろ、リフィ。秋でも暖かいとはいえ風邪を引く」
アッシュが声をかけるが、目が覚める気配はない。自分の家だからか、無防備なリフィは安心しきった顔ですやすやと心地良さそうに寝ている。
閉じられた陰影を落とす長い睫毛、神秘的な瞳は今は閉ざされていた。白い肌にまろく淡く色づいた頬、鼻筋の通った鼻梁、桜色の艶やかな唇。時折風に揺れる、光に透ける薄翠の髪。天使か女神かと見紛うばかりに造形が整い、どこから見ても誰もが見惚れてしまう美しい少女。
「……………大人しくして口を開かなければ、完璧なのに…」
思わず零れたアッシュの呟きに、僕は微苦笑した。アッシュを挟んで、リフィと反対側の芝生の上に腰を下ろす。
「起こすのは可哀想だから、もう少し寝かせてあげよう」
「………おまえは甘い」
アッシュはそう言ったけど、僕が風魔法で温かい空気を自分たちの周りに漂わせると、次代の土の精霊王が結界を張ってくれた。
「アッシュだって充分甘いよ」と言えば、息を吐き、口を噤んで丸まった。
「にしても、よく寝るな。こいつは今朝だって起きるのに時間がかかっていたぞ」
呆れるアッシュに、苦笑した。
確かに朝も、寝ていたリフィを起こすのにアッシュが苦労していた。起きてくるまで二階が騒がしかったと思い出していると、アッシュが不満も露に朝の出来事を語ってくれた。
アッシュが起きろと急かし、ベッドで横になって半分以上夢現で寝ているリフィが「まだ眠い……」と呟いたそうだ。
「寝ているのに眠いって…!?」
「あと、ご、じかん……」
「なげーよ!」
それからアッシュが何とか毛布や掛布団を引き剥がして、コロコロ転がしてベッドからリフィが勝手に落ちて、漸く起きたらしい。ぽけーっとしながらも起きた第一声は、「お肉…」だそうだ。
思い出したアッシュの緑の目が、不機嫌に細められた。
話を聞いた僕は笑ってしまった。リフィを起こさないよう声を抑えて、肩を震わせる。
不意に、腕時計が震えた。通信機で父からの連絡を受ける。ある任務の報告書類が欲しいと言われたので、僕はアッシュにこの場を任せて、館の部屋に向かった。
報告書を父に届けるよう、執事に扮した『影』に頼み、僕が庭に戻るとアッシュが困り顔で途方に暮れていた。
近寄ると、リフィが魘されている。アッシュの狼狽えている姿を、不謹慎にも少し可愛いと思ってしまった。
う~ん、う~んと悲しげな顔で魘されるリフィ。僕は悪戯心を起こして、人差し指で柔らかな頬をつつく。すると。
眦に微かに光る涙が浮かぶ。僕とアッシュが焦っていたら。
「……ぅ、それ、私のおやつ……アッシュが食べたぁ~……」
「「…………」」
僕とアッシュは無言で互いの顔を見合わせた。アッシュの目が据わっている。
「……よし、このネボスケ娘を噛んで起こそう」
「待って、アッシュ」
「ぁぁ、ぜんぶ……全部なくなって……しくしく」
全てのおやつを奪われたらしく、より一層悲しげな顔になる……。
「誰が食うかぁっ!」
アッシュが吠えた。
「お、おやつ泥棒…」
「こいつは夢でも失礼な奴だなっ!」
怒っても微妙に小声で抗議するアッシュ。ところがリフィは、これ迄の悲しげな表情を一転させて、口元を弛めた。
「うふふふふ。いいよ、チョコとグラウン。一緒に寝よう。もふもふ~……ふふふ、もふもふの布団~…」
夢の内容が変わったらしく、リフィが枕代わりの自分の腕に頬擦りした。お座りしたアッシュが半目で、幸せそうなリフィを見下ろした。
「…………ケイ、噛んでもいいか。噛めばきっと現実に戻って来るだろ」
そうだね、物理的な力で一発だと思うよ。僕が笑いを堪えていると、アッシュに睨まれた。
「平和な夢のようだから、そっとしておいてあげよう」
鼻を鳴らしたアッシュが丸まり、本でも読もうと僕がベルトポーチから文庫本を取り出そうとしたら、急にリフィが苦しみ出した。
「……うぅっ…、くぅっ」
手を握りしめて小刻み震えるリフィに、僕もアッシュも様子を伺う。
「…まさか、ゲーム最後のラスボスが…闇落ちした、私の邪心が生み出した邪神とは……」
「は?」
「ん?」
謎の単語に、僕とアッシュは首を捻る。けれど、リフィは眉間に皺を寄せて眉尻を下げ、苦しげに呻いていた。
「嗚呼、強い…。騎士団も魔物も殲滅とか……くぅっ、さすがは…私の邪心…!」
「ぅわー…ぜんぶ、木っ端…微塵…。手に、おえな…」
「強さがパネェ…さいきょーすぎる…世界マジ終わるわ…」
「ビーム、かっこいぃ…」
苦しげなリフィが、夢で邪神(邪心)と戦っているところを実況中継してくれた(?)。
「いやいやいや、待って。怖いから。普通に、恐いから。というか、殲滅って…木っ端微塵ってナニが!?」
「……あー…、コイツの煩悩強そうだよな―…」
「納得しないでよ、アッシュ」
「このアホが欲望に負けて、世界を終わらせても不思議じゃねー」
僕とアッシュが、よく解らないまま寝言に突っ込んでいると。突如、強く拳を作っていたリフィの手が、弛緩した。
「くっ…、私の邪心がこんなに強いなんて……。ま、負けた…」
「負けちゃダメでしょう、そこは!?」
「流石、私の邪心……」
「感心するのそこ!?」
「ご飯ともふもふ…」
「本当、ナニに負けたのっ!?」
僕は突っ込み疲れて風魔法を解除した。結界を解いたアッシュは悟りを開いたような静謐さを纏って、反応すまい、と無に徹していた。尻尾が微かに揺れていたけど。
リフィは健やかな寝息をたてて、寝ている。
……どうして普通に穏やかな午後の一時を過ごせないんだろう…。
寝言を無視すれば良かったんだろうけど、横で聞いてて気になる実況だったから…。……本当に寝てるの、コレ?
天使のように眠るリフィを観察してみる。……やっぱり、寝ている。やや肌寒い風が吹いて、リフィの髪が顔を隠した。それを避けてやりながら、起こそうと体を揺すった。
「リフィ、そろそろ起きて。寝るなら室内にしよう」
「…ぅ、う…ん…、まだ眠ぃ……あと、五日、間……」
「長すぎだから! 五日間って冬眠でもする気!?」
強めにガクガク揺さぶって声をかけても、「ふゅぅ」と謎の声を発して、目が開かない。
このまま館内に運ぼうと決めて、体を抱き上げようとしたら。
「ぎゃあぁぁあっ!」
「ぎょぇぇええ!?」
「おわっ、何だコレっ」
穏やかな午後をぶち壊す悲鳴と絶叫が、閑静な敷地内に響いた。――何かもう…疲れた…。今度は何だろ…。
力が抜けて項垂れそうになる僕とは対照的に、星色の目がパチッと開かれ、リフィが素早く起き上がった。
「侵入者だっ」
呟いたリフィが、声の方――館の敷地を囲むように造られたサンルテアの訓練場――館裏の小高い丘の方に向かって、走って行く。僕とアッシュも後を追った。
「……ん? 侵入者って悲鳴をあげるもの…?」
楽しげに笑って走るリフィに違和感を覚えた。
辿り着いた館の裏では、巨大な植物二体がくねくね動きながら、三人の少年を捕獲していた。
一見、魔物かと見間違えそうな三メートル近くある植物。まず目につくのは、直径二メートルはある球体に花弁を持った頭部。目や鼻らしきものはなく、人ひとりなら簡単に丸呑み出来そうな大きな口が印象的で、開閉する度にギザギザの鋭い歯がシャキン、ジャキン、と刃の如く音を立てた。製作者のリフィが言うには、本気で頑張れば鋼鉄すら噛み砕くらしい。因みに魔法はゴクンと飲み込むそうだ。
太い主茎の胴体部分に腕のような鋭利な枝葉があり、切れ味は抜群。更に蔓が必要に応じて出し入れ可能で、頭部の花弁が桃色の植物が、少年三人の腕や足や胴体を蔓を巻き付けて捕獲し、鼠色の花弁を持つ植物が蔓を鞭のようにして、空気を打つ音を響かせていた。
十本くらいの根が脚部のようで、器用に動かしながらリフィの元へ駆けてくる。アッシュが遠くを見つめる目をして、意識をどこかに旅立たせていた。
一方で、僕は捕獲されている『影』見習いの少年三人に呆れた視線を向けた。
「……何をしている?」
リフィを睨み付けていた三人の少年が、僕に気づいて顔面を蒼くした。
ムーンローザの館の警護目的で父が作った訓練場と施設。但し、館の敷地内に足を踏み入れていいのは正規の『影』だけで、見習いは侵入不可だった。その規定を破っている三人。
確か訓練でリフィを舐めてかかってボロ負けして、その後も何かと気に入らないと反発し、「オレらが勝ったら訓練や任務に参加するの辞めろ」と喧嘩を売っては返り討ちに合っている三人組だ。
南東地方にあった三十軒程の小さな村の出身だが、故郷は魔物に襲われて彼ら以外は全滅。国の依頼で討伐に向かった時に、保護した。
始めは口も利けない程に憔悴していたが、自ら『影』に入れて欲しいと言ってきた。助けてくれた『影』に恩を感じ、強くなりたい、魔物に復讐したいと思ったそうだ。断って別の道を薦めたけどしつこくて、試しに見習いとして加入させて二年近く、訓練に耐えている。
王都寄りのサンルテア領内の村出身で、魔物から命を救われた恩と憧れから『影』に入ったセスとマシューが、何かと気にかけていた。
セスとマシューの村も、魔物に襲われた過去があるからね。畑や数軒の家が破壊されたものの村人は無事だから、同じとは言えなくても、似た境遇に感じるものがあったのかもしれない…。
僕は嘆息した。
「リフィ、この侵入はいつから?」
「…ぇ」
この館を守るように訓練場が囲っているとはいえ、勝手に抜け出せないよう結界が二重にあり、見習いは正規の門からしか出られない筈だ。それが森の中にある訓練施設から最短で敷地内に来ている。手馴れすぎていた。
「えーと」
「正直に言わないと、お母様に協力してお茶会か夜会に君を連れていくようにするよ」
「効果抜群の脅しだっ!」
「うん、知ってる」
「確信犯!?」
「いいから、答えて」
僕の本気度を感じ取ったのか、目を泳がせながら「三ヶ月前から、月に一、二度…」と答えが返る。
月に一、二度ね。見習いは一所に留まらせないよう、訓練場を転々とさせて色々な状況でしごいているから、この訓練場に来るのと同じ周期だ。
気づかない監督官の『影』と僕も間抜けだけれど、言わなかったリフィにも腹が立つ。「侵入者だっ」って、明らかにこの三人が来たって解っていたよね。苛立ちを逃がそうと、僕は深く大きく息を吐いた。この三人には規定を破った罰を与えるとして…。
気になっていた件に口出す事にした。
「所で、前に緑以外そんな色の動く植物はいなかったよね? 二年前にもう作りませんって宣言していたと思うけど、何で増えているの?」
「……」
「……」
「……あ、ご紹介が遅れました。新規加入した動く植物の桃ちゃんと鈍色ちゃんです」
「いや、そうじゃなくて。真面目な顔で何を――…いや、そういう事なのか…?」
何だか頭が痛くて、よく解らなくなってきた…。というか、名前が色をそのままって…。いや、初めに作った動く植物も、そのまま緑ちゃん呼びだった。
アッシュの意識は現実逃避したままで、まだ戻っていなかった。気持ちは解る。
自然と重い吐息が零れた。
九歳の頃も、ラカン長老やソール先生の所にまだ行けなくて、お淑やかにしていたストレスか反動か。館内で作った薬や健康茶が訓練場まで届く異臭騒ぎを起こしたり、花壇や家庭菜園の世話をやり始めて、何故か動く植物が出来ちゃって、それと追いかけっこをしたり。
二年前、任務からここに戻る度に何かしら騒動があった。あぁ、今もか。
件の植物は、どこからか調達してきた種を、リフィが花壇の隅に植えたのが切っ掛けだった。
当時、芽を出して茎と枝葉を伸ばし、蕾をつけた見た目は、ただの植物にしか見えなかったから。
まさか実験と称して、魔力を含めた水をかけ、魔力を込めたオリジナルの肥料をやり、時にちょこっと無属性魔法を使って品種改良を試みて育てていたとは思わなかった。
その甲斐あってか、立派にどこにもいない魔物でもない、変種の動く植物が誕生した。
リフィがいつも通り水やりをしていたある日、葉や蕾が動いた? と思った時には徐々に巨大化し、動いていたらしい。唖然として如雨露を片手に見上げれば、うねうね動いていた全身緑の植物がリフィに襲いかかっていたというか、育ての親に抱きついていた。
そこから、混乱しつつも逃げ出したリフィと緑の植物の追いかけっこが始まった。騒がしい気配に外に出れば、その時執事をしていた『影』が植物の魔物に襲われているリフィを発見し、増援を要請して攻撃を仕掛けるも、何故かリフィに妨害されて事情を聞き、手出し出来ずに逃げ回るという謎の状況になってしまった、と。
そこに任務から戻った僕とアッシュは、増援に来た『影』やリフィと植物が敷地内を走っている所に遭遇して、ついに疲れで幻覚が見えるようになったと呆然としたら、何人か蔓に手足を取られ始め、傷つけずに無力化してと頼まれ、風で宙に浮かして絡めとった。蔓を伸ばそうにも、渦巻く風の檻に阻まれて身動きがとれないそれは、大人しくなった。
その後は改めて事情を聞いて、頭痛がした。本当にナニをやっているの!?
燃やして証拠隠滅しようとした僕を止めたのは、意外にもアッシュだった。精霊でも魔物でもない何か。けれど、地の精霊が育むべき植物の一つ(多分)だから、と。
無属性魔法でそうなったのなら、同じ魔法でどうにか出来ないかと提案したら、成程と納得したリフィが何故か館から大きなハサミを持ってきた。
「暴れたら切り刻む。さっき再生してたから、少しぐらい切ったり燃やしたりしても問題ないよね?」と、笑顔のリフィ。育ての親に迷惑をかけたと落ち込んでいたのか元気がなかった植物が、小刻みに震えた。
そのまま植物は、リフィに薬やお茶作りをしているサンルームに連れていかれ、気づけば体を全長十五センチ程の大きさにして、元気に動いていた。そのままサンルームで助手として使う事にしたらしい。
リフィが大好きでよく腕に蔓を絡ませたり、サンルームにいる間はピタリと寄り添ったり、たまに敷地内を散歩したり、サンルームの植物の世話をしてくれたり、侵入者を撃退したり、重宝しているそうだ。
見つかったら大変なので、サンルームから出ないのは賛成だった。リフィには数時間に渡ってお説教したけど。その時にもう妙な実験をして作りません、ご免なさいと言っていたのに。
「……何でこんな事に?」
「お金貰って、たまに気が向いたらウェンド侯爵のお仕事を手伝っていたでしょう? そこで土の精霊魔法で植物を育てて、自然にじゃなくて、人工的に一年で何度でも収穫できるような土壌と種や苗の研究や、今よりも何倍も実をつける植物や効能倍加の研究とかをしていて」
「うっかり緑の事を話してしまった?」
「ううん、何か勝手に黄色ちゃんが誕生してた」
「――はっ? え?」
「誓って私はナニもしてません。無実です」
「何もしてないのに、この珍妙な植物は誕生しません」
「ぐぅっ!」
緑の時だって、ラフレシアみたいな巨大な口だけの頭を持つキャラがいたと、ぼんやり考えながら魔力を込めて水やりしていたら、動いていたって言っていたよね?
リフィがそっと目を逸らした。
「………研究が失敗続きだから、ちょっとだけ、試しに私が土の精霊魔法か無属性魔法で、新しく作るような感覚でこの植物の成長を促進させてみてくれませんかって、ウェンド侯爵に頼まれて……うちの緑ちゃんと似ているなぁ、花弁が黄色でも可愛いかもって思いながら魔法を使ったら……」
「黄色が誕生していた、と」
頷きつつ顔を背けるリフィ。
盛大な溜め息がして横を見ると、腹這いに伏せたアッシュが両前足で目を覆っていた。気持ちはよく解る。取り敢えず、意識が戻ってくれて良かった。
見習い三人は隠しナイフで蔓を切ろうともがいていたけれど、避けられたり、切ってもすぐに別の蔓が伸びてくるのでキリがない。植物二体にナイフを持った手も拘束されて、蔓で反撃されていた。
「黄色ちゃんを目撃したのは、研究所に泊まり込んでいたウェンド侯爵だけです。一瞬、口封じかなと思ったら、『誰にも言いません。契約書を交わしましょう』と言われたので、話せず、もし話したら心臓麻痺が起こる強い口止めの契約をしました。代わりに黄色ちゃんをあげました。私が魔法を使うまでは所長のウェンド侯爵が育てていたせいか、すぐに懐いたので。所長の胸ポケットか所長室でバレずに大人しく生活しています。因みに黄色ちゃんは込めた魔力が少ないせいか、全長五センチくらいで動けるだけです。巨大化や攻撃力もなく、所長の言う事をよくきくそうです」
報告するように流暢に語ったリフィ。目線は思いっきり逸らしていたけれど。
そうだね、動く植物の噂は城でも街でも聞いた事がないから、これの存在を知っているのは君に関わる人だけだね…。
「それで、何でこの桃色のヤツと鈍色のヤツが、出てくるんだよ!?」
唸るように言ったアッシュが、前足を少し頭部にずらして目を見せた。リフィが可愛いと頬を染めている。……この子は本当に…。
僕の不穏な気配を察知したのか、リフィが表情を改めた。
「ウェンド侯爵にこの植物の研究をしたいと頼まれて、試しに作ってみたのが桃ちゃんと鈍色ちゃん。記念すべき一号の緑ちゃんは巨大化と筋肉化が主な攻撃力で、蔓は縛るくらいで咬合力は普通だから、蔓の威力と、骨や鋼鉄とかもバリバリ噛み砕けるように咬合力を上げて、葉の刃も付け足してみました!」
話している間に調子がのってきたのか、リフィは胸を張ってドヤ顔になった。
僕たちが暢気に話している間も、捕獲された三人は蔓に縛られた状態で宙をブンブン上下左右に振られたり、歯形がつく位の威力で噛まれている。唾液なのか上半身や髪の毛がベタベタに濡れているけどスルーした。
「………どうしてお前はそこで、攻撃力増加を選ぶんだよ…」
アッシュが盛大に嘆息した。リフィが首を傾げながら「防御面も鋼鉄化とかさせようか迷ったんだけど、魔法の火球とかもゴックンと飲み込んじゃえばいいかなって」と、解ってなさそうにズレた答えを返した。
「何故そこで植物らしく、瑞々しさや柔らかさを強調するとか、花の香りにするとか、巨大な口や牙を無くして円らな目をつけるとか、うねうねクネクネ動くんじゃなくて陽気に愛らしく揺れて歌う感じにするとかっ、女受けよく改造できる所が沢山あっただろ!?」
悲痛な訴えに、言いたかった事に気づいたリフィが、気まずそうに目線を下に向けた。
「巨大化はまだしも、何だよ筋肉化って! どうして噛み砕く力を増強してんだよ!?」
「……つ、強い方がかっこいいかなって…」
「――この脳筋」
アッシュの一言に、リフィが衝撃を受けて打ちひしがれた。少しは僕たちやサリー、『影』の残念がる気持ちを解ってくれたかな…。
取り敢えず、今の状態なら何でも正直に答えてくれそうだから、話を聞いておこう。
『影』見習い三人が、リフィを気に食わないと、困らせるか泣かせてやろうと館の敷地に侵入して来たのを、遊び感覚でリフィが返り討ちにし始めたのが三ヶ月前。
そして、桃と鈍色が屋敷の花壇の隅っこで生活を始めたのが二ヶ月前からで、普段は普通の花として花壇に、侵入者を発見した時は捕まえて好きにしてよし! と、言ってあったらしい。
「僕やアッシュ、サリーたちや週替わりで執事をしに来る『影』たちや郵便屋とかをどうやって襲わせないようにしたの?」
「昼間に正面玄関から入った人たちは襲わないように言ったの。後は写真や映像を見せて、この人たちは襲っちゃダメって教えた。見習いはまだ教えてないというか、最近は胆試しというか力試しで、侵入してくるのが多いよ」
「…………つまり、言い付けを守らずに、僕のいない時を狙って、この館に忍び込もうとしていた、と?」
――へぇ。そんな事を…。
十一歳のリフィと、十一、十二、十三歳の赤、青、黄色の髪の見習い少年三人を見上げた。溜め息が零れる。
平民で同じ年頃の強くて綺麗な子に憧れる気持ちも、素直になれない気持ちも何となく解るけど…。
「い、一種の実力試しだと思うよ。強くなったと思うからこそ成果を上げたくて、自分の成長を直接見て実感したいんじゃない?」
「てめぇ、このアホ女っ」
「ナニ若にチクってんだよ、陰険ブス!」
「お前なんか若に相応しくねー。大人しく女らしくひっそり生活してろ」
「何だとぅ! 人が折角、庇ってやっているのに、今日まで黙っていた恩を仇で返すとはっ!」
「そっか、庇っていたんだ。随分と仲が良くなったようだね?」
笑顔で事実確認をしただけなのに、場が静まり返った。「オレは何も見聞きしてねぇ」と、アッシュが耳をペタンと下げて、前足で両目を覆った。
不意に、カシャッと音がした。ポラロイドカメラを構えるリフィが現像された写真を見て、満足げに頷く。
「リフィ?」
「お前、この状況でよく空気を無視して、写真なんて…」
呆れを通り越して、アッシュが感心した。本当に相変わらず意味不明な行動をしてくるね…。何だか、毒気が抜かれた。
「お母様にアルバム作りたいから写真を集めてって頼まれていたのと、ケイはいい子けれど昔よりも表情を見せてくれなくて、継母だから何か遠慮しているのかしらって心配していたから。怒った顔を見せてあげようと思って」
「うん、理由はわかったけれど何で今?」
「シャッターチャンスだったのと空気を変えたくて?」
「……解ったよ。お母様には何か我が儘を言ってみる」
「そういう事を考えて、スマートに対処しようとしちゃうのが駄目だって言っているの」
姉のように、ダメ出しされた。リフィくらいだよ、僕にダメ出しするのって。自然と口元に笑みが浮かんだ。
「心配しないで。丁度とても欲しいものが見つかったんだ。それをおねだりしてみるよ」
リフィを見て微笑めば、意外な言葉を聞いたように目を瞬かせた。それならいっか、と暢気に笑う従兄弟。アッシュが吐息した。
「でもそれとこれとは、別だよね。僕は今、君にお説教したい気分なんだけど?」
「それは是非とも無しの方向で!」
「遠慮しなくていいんだよ?」
「全くシテマセン」
引き攣った笑顔でリフィが一歩、下がった。
「だってほら、私は無事だよ。桃ちゃんと鈍色ちゃんはこうして侵入者を捕まえてくれて、蔓で鞭のように叩いて吊るして食べようとしてくれるんだよ。そのお蔭で鞭捌きと噛みつき度が抜群に上がったから」
「いや、そこは上げちゃダメだよね!?」
「大丈夫、何度も色んな襲撃者を撃退しているから、人体への力加減はお手の物。今もお遊びモードでちゃんと手加減…」
シュッ ビシィバシン!!
「ごふぁっ」
「ぐふぅっ」
「ふぁげっ」
「……癒しの光…(ぽそっ)。――ちゃんと手加減してあるから」
「今、回復魔法をかけたよね」
「危なくなったら、ちゃんと治療もするから大丈夫」
「それは大丈夫とは言わないんだよ、リフィ…」
うあー、うごー、と、見習いたちの情けない悲鳴が木霊する。
磔にされたり、片足一本でぶら下がった状態で、撓る鞭の往復ビンタを受けた少年たちが、顔を赤く腫れさせながら、失神した。
リフィが癒しの光魔法を使うけれど完全には治さず、「桃ちゃん、鈍色ちゃん、裏の森に捨ててきて」と言うと、施設のある森へと二体の植物が歩いていく。
二体を見送っていたリフィが真面目な顔で振り返って、僕を見た。
「あまり、怒らないであげてね。復讐したくて、でもその相手はもういなくて、やり場のない怒りと哀しみがどうしようもなくて、気に入らない私に向いているだけだから」
「……それは、規則を破ってもいい理由にはならないよ。任務もまだ参加させられない。冷静に冷徹になれず感情で先走れば、周りに迷惑がかかって他の誰かが死ぬかもしれないから」
「解っているよ」と、リフィが苦笑した。
「私もいつもなら構わずに放置するけど…、あの三人には私にとってのカルドやサリー、ケイたちみたいな幼馴染みがいたんだって。皆で隠れていたけど、二人は近くの集落に助けを求める為に出ていって、もう一人は静かになった村の様子を見に行って魔物のせいで亡くなったらしいよ。それをずっと後悔してるみたい。だから私が嫌いなんだよ。大人しくしていればいいのに、出しゃばって……死んだら、ケイが自分たちみたいな気持ちを味わう事になるから」
「え…」
「喧嘩を吹っ掛けてくるのも、『オレらが勝ったら任務につかず、訓練に参加して怪我しないように大人しくしていろ』だし。いやぁ、愛されてますなぁボス」
「……それで君は?」
「そんな弱い奴らに大事な天使を任せられるわけないから、私が現役で頑張るしかない。私を退かせたかったら、絶対にケイと自分を守れるくらい強くなれって、叩きのめした」
「よく彼らの気持ちが解ったね。リフィなら相手にせず無視しそうなのに」
「うん。本当はいちいち突っかかってきて面倒で腹が立つから、恥ずかしいネタの弱味でも握って関わってこないようにさせようと叩きのめした時に闇魔法で記憶を見て知っただけ」
「今までのいい話感が全部台無しになったな」
「アッシュ、うるさい」
桃と鈍色が森から出て来て、一目散にリフィの側に駆け寄ってきた。言われた通りに出来たから誉めてと少し体長を低くして、リフィに花弁を差し出す。一体ずつ両手で撫でられて、気持ち良さそうに葉を揺らしていた。
僕とアッシュは無言で遠い目になる。
撫でられて満足したのか、桃と鈍色が徐々に小さくなって自ら、よっこいしょという感じに花壇の隅に戻った。シュールな光景だよね…。
疲れた僕たちに気づかず、リフィが無邪気に笑う。
「そろそろ家に戻ろうか。この前、街でカボチャを貰ったから、ルミィとプリンと蒸しパンにしてみたの。家でおやつにして温まろ~」
上機嫌で玄関に向かう従兄弟に、僕は微苦笑した。本当に相変わらず、リフィは自覚がない。
緑や黄色の件も、桃と鈍色の事も、誰かに知られれば、間違いなく世界を震撼させるニュースになる事に。
あの植物たちは人の代わりに戦う道具にもなるから、戦争国や争いを望む者にとっては是非とも欲しいだろう。何より植物に命を吹き込んだ事に、誰もが度肝を抜かれる。
リフィという特異な存在だからか、未だによく知られていない無属性魔法だから可能だったのかは解らない。けれど、この国やゴルド国やブロン国が、詳しく知りたい、植物以外にも可能か研究したいと考え、或いは宗教国家トレアで認定する聖女のように、神聖な力だと崇め奉られる可能性もある。
――どこにも渡すつもりはないけど。
まずはウェンド侯爵に会って、改めて口止めしよう。自ら命を懸けて契約を申し出たくらいだから、充分に事の重大さや危険性を理解していると思う。流石、この国で魔法研究における第一人者。場合によってはこちら側に引き込めないかな…。
それから精霊たちにも口止めしないと。既にリフィが緑の時のように頼んでいるだろうけど、僕からも言っておこう。
陛下たちや精霊が見える誰かに、一欠片の情報でも聞かれるのは困る。精霊王を通じて命令して貰って、ウィンには風を操って噂がないか定期的に探って貰おうか。
後はお父様…いや、身内で誰も逆らえなくて王家に囚われていないお母様にだけ話しておこう。リフィの事なら母は何においても優先するだろうから。と、一先ず考察を終了した。
普段なら面倒事だと思うのに、リフィが関わるとそこにわくわくとした楽しみが加わるから、不思議だ。彼女には毎回、驚かされるよね。
隣を歩いていたアッシュが前を向いたまま、「精霊王たちにはオレが言っておくから、ケイはウィンと人間の方を頼む」と言われた。共犯者の申し出に、小さく笑みが零れた。
「ありがとう、アッシュ」
「いや、あれが暢気すぎるだけだ。かと言って、深刻になって落ち込まれるのも腹が立つから、能天気なままでいい」
ふと、何かを思い出したようにリフィが「そう言えば」と、振り返った。
「ウェンド侯爵に黄色ちゃんを渡した時、魔法使いとして称号を冠するなら『精霊姫』ですかね、って言われたよ。お姫様みたいに我が儘放題で人も精霊たちも手を焼いて、人の王すら傅かせる様が正しくって嫌味を言われた」
「嫌味と言うより、感心したからじゃない。それでリフィはなんて答えたの?」
「国の魔法使いになる気はありませんが、くれるなら固くて美味しくなさそうな称号よりも食べ物がいいです。若しくは現金、って」
「俗物かっ。夢も希望もねーな」
凛々しい表情で答えたリフィに、アッシュが呆れた。
「夢はあるよ。取り敢えず、美味しくて体にいい健康茶を商品化する事でしょ。売り出して儲ける事でしょ」
「まだ諦めてないのか、あの毒茶を売る事を」
「毒茶!? え、普通の健康茶…」
「あれは人の飲むものじゃねー」
「そこまで言う!? チョコとグラウンは応援してくれて、薬草集めや木の実集めや、毒草集めや草花集めに協力して、いつも色々と摘んで来てくれるのに!」
「待て、毒草集めってナンだ!? オレ様の弟妹にナニを手伝わせてんだよ!?」
「薬とお茶の材料集めだよ~。因みに今この館にある材料の半分は二人が持ってきてくれました」
「通りで…出掛けてもいないのに、採取先でも余計なものを採らないよう見張って処分しといたのに減らねーと思っていたら……あいつらが元凶かよ…」
チョコとグラウンが調達していると知ってショックを受けたアッシュが、「……ちょっと異界に行ってくる」と呻くように言って移動魔法を発動した。コレはお説教かな。
リフィが「行ってらっしゃい。二人がくれた種は桃ちゃんと鈍色ちゃんに元気に成長したって宜しく伝えてね」と暢気に手を振って見送った。アッシュが驚いた顔をして消える。
カボチャのお菓子を楽しみに、リフィが笑顔で玄関扉に手をかけた。聞き捨てならない事を聞いた僕は、その肩をポンと叩く。
「その話、詳しく聞かせてくれる、リフィ?」
「……ぇ?」
僕は笑っている筈なのに、振り向いたリフィから血の気が引いた。扉の取手にすがるように「…おやつ」と呟いたのを無視して、取手から引き剥がす。僕もお説教する必要があるみたいだ。
僕はリフィを担いで、館内に足を踏み入れた。
お疲れ様でした。
キース部分は十一歳編①にあった、スピネルたちがリフィにビクッとして避けるようになった理由です。
ケイ部分は九歳編①で、さらっと流した動く植物のお話です。
因みにリフィの夢部分は勝手に彼女がラストっぽいと思って見ている妄想の夢です。実際とは異なります…その筈です。
次は本編、十二歳編の予定です。m(__)m




