40, 11才 ②
本日は2話投稿してます。
・・・***・・・ (ケイ)
すっかり夕暮れが早まり、秋の夜長という時間が始まった頃。
煩い第二王子ブレイブをあしらいながら、情報局の仕事をこなし、一度屋敷に戻って着替えてから、僕はカマルナ子爵家の夜会に参加していた。
四人で久々にお茶をしてから、この一週間は忙しかった。
お茶会の後、王様たちに会う時間を作るようにお願いしてとリフィに笑顔で頼まれた。珍しく怒っていたのが意外だったけれど、アランの件を聞いて考え過ぎだとは言えなかった。
リフィを縛る鎖は多い方がいいから、恐らくアランは保険だろう。国の為なら陛下たちは何でもする。四年前、僕が死んでもいいと計算した時のように。
その日の内に連絡を取った三日後、リフィだけ呼ばれた。僕も同席したかったが、見計らったように急ぎの任務が入った。南にある魔物に襲われたカニャック都市の調査。アランの研修先と知っていて、杜撰な仕事は出来ない。リフィにも、呉々も宜しくと頼まれた。
間違いなく陛下たちの企み。陛下たち対リフィの図式を作ったのだろう。リフィの監視を任されたのは僕だけ。代理で父を同席させたかったけれど、却下された。強くリフィを警戒しているようだ。……今まで両手で数える程しか、僕も同席してしか会ってない筈なのに。そんなに身構えるなんて、何かあったのかな。
一人で会うしかないと告げた時のリフィ表情は、今思い出しても背筋が震える。
そうきたか、と口端をゆっくり上げ、目は全く笑っていない所か、獲物を見つけたように鋭く光り、失礼ながら、アホだな陛下と胸中で合掌した。
「約束を破るなんて最低。滅べばいいのに」
落とされた感情のない囁き。冷たい手で心臓を撫でられたように錯覚した。いつも感情豊かな従兄弟が表情を消すと、それだけで恐ろしかった。
契約書にも周りに手を出さないと項目があったけど、サンルテア関係と同様に、国としてアランの能力を認めて就職先を斡旋したのなら、違反にはならない。そこにリフィへの打算があったとしても。
当日は予定より早くカニャックへと出発して調査を開始し、素早く終わらせて城に移動魔法で帰った。城が崩壊してない事を祈りながら。
出発前リフィに、王族殺しは駄目だよと言ったものの、心配だった。
城に戻ると、話し合いは終わったらしく、リフィは「大丈夫」と満面の笑顔で答えた。契約内容の一部を書き換えて、国の政策以外で、リフィの平民関係者には手を出さないよう取り決めたらしい。
今回は偶然にもカルドから話を聞いて知ったが、それがなければアランを城か公爵や侯爵家の癒し手として雇い、後になってから「アランを魔物との激戦地最前線に医療者として派遣されたくなければ、言う事をきけ」と脅されていたかもしれない。簡単に承諾せず、リフィが荒れそうだけど。
「いくら為政者として当然の判断とはいえ、ムカつく。平気で嘘をついて画策するなんて、本当に油断も隙もない。商人は信用が大事なのに、あのタヌキオヤジ共」
陛下たちは商人じゃないけどね。
僕としては以前うっかり口にした『約束を破った事』が気になっていたけれど、後で問い詰めればいいかな。
契約ではなく約束と言ったからには、契約書とは別に僕に内緒で会って話した事がある、なんて考えが思い浮かぶ。
その日、ムーンローザ家に戻って安心して寛いでいるリフィに、然り気無く世間話を交えながら『約束』について訊いた。契約書があっても保険をかけてくる事は予想していたのに、どうしてそこまで怒っているのか、と。まるで契約書とは別に個人的に『約束』でもしたみたいだと。
ソファーでお気に入りのケーキを食べ、契約の更新も順調に終わって気が緩み、上機嫌だったリフィは「それは」と言った所で、急に口を閉ざして紅茶を飲んだ。微笑みながら「幼気で純情な七歳の少女を騙して酷いから!」と自信満々に、ツッコミ所満載の回答をしたけど、スルーした。
何かを誤魔化したようだったから、僕は隣でケーキを食すリフィからフォークを奪って、微笑んだ。呆けるリフィを膝の上に乗せ、奪ったフォークでケーキを食べさせてあげようとしたら、逃走を図った。
勿論、腰に回していた左腕でがっちり抑え込んだ。笑顔を浮かべて「あーん」と、生クリームたっぷりのケーキの欠片を口元に寄せる。頬を引き攣らせて冷や汗を流し、顔色を赤くしたり青くしたり眼球を動かしたりと忙しいリフィ。
頑なに口を割ろうとせず、口元のケーキから顔を背けたせいで、リフィの頬に生クリームがついてしまった。両手が塞がっていたので、ぺろりとそれを嘗めたら「ふぎゃっ」と奇声を発して、目を見開いたまま僕を見て固まる。面白い表情をもう少し見ていたいけど、口を割らせるなら今だ。
混乱して余裕を無くし、羞恥に顔を両手で覆うリフィに尋問して、陛下たちとの約束やら諸々を吐かせたけれど。……本当に次から次へとよく内緒で動いてくれるよね!
アッシュを撒いて報告会に参加とか――やっぱりあの時は城にいたのか。僕たちを陛下方から守ろうとして勝手に取引とか――これじゃリフィに内緒で取引して城に関わらせないようにした意味がない。陛下たちと火花を散らして睨み合ったとか――もうリフィを縛って家に閉じ込めた方がいい気がするよ!
「……あのケイさん、おろして下さい…」
顔を覆う両手を少しずらして、赤い顔で見てくる姿は強烈に破壊力があった。こういうのを見ると、『影』たちが言う容姿の端麗さを実感する。
僕がにこっと微笑むと、リフィの目から生気がなくなった。「ゴメンナサイ、反省シテマス」とお座なりに言ってきたので、僕は無言で親鳥が雛に餌を与えるように、開いた口にケーキを食べさせた。
強引に食べさせた一口目に驚き、二口目は少し恥ずかしがり、三口目と回を重ねると、ぱくぱくと慣れたように、生気がない表情のまま大人しく餌付けされた。ここ数年で慣れてきたから、もうこの反省方法は効き目がないようだ。別の方法を考えないと懲りずに突っ走ってまた何かやらかしそう。
観察していると、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と自分に言い聞かせるように呟いていた。……まだ効果はあるらしい。
ケーキを食べ終わると、拷問から解放されたかのように、死滅した表情が復活した。失礼だ。
暫くその状態のまま、獣型のアッシュが部屋に来て「ナニしてんだ、お前ら」と呆れた声をかけるまで、他に隠し事がないか問い詰めた。最後に「もう陛下たちと勝手に取引しません」と復唱させて、膝から下ろした。
僕たちの為に動いてくれたのは解るし嬉しいけれど、何かを背負わせたい訳じゃない。どうにか大人しくしてくれな――無理か。
「そろそろ夕食の時間だ。今日は勝利祝いにステーキ♪」と厨房に笑顔で駆けていくリフィを見て、僕は吐息した。
母から依頼があったとはいえ、領地の邸の使用人たちへ僕に逆らわないよう言い聞かせたり、僕たちの為に全精霊王と契約したり、庇って死にかけたり、神殿と取引したり、陛下方と取引したり。………はぁ。
アッシュが労うように僕を見て、ポンと足で膝を叩いた。取り敢えず、もう一回後で復唱させよう。情報共有の為に、僕はアッシュに先程までの事を話した。
その翌日、溜め息を吐いて頭を悩ませる陛下たちが目撃された。事情を知っているので放置していたら呼び出されて、リフィと話し合いたいから城に連れて来いと言われた。
笑顔でお断りした。リフィは会いたくないだろうし、任務を口実にして遠ざけられた事に苛立っていたから。
一体リフィはどんな脅しをしたのか。その後も不安そうな宰相や騎士団長にまで呼び出されて、仲介を頼まれた。ダスティ侯爵やウェンド侯爵からもリフィの様子を聞かれて、鬱陶しかった。
ほとぼりが冷めるまでは何を言っても無駄ですよ、と冷然とあしらったけれど。間違っても、美味しそうにステーキを食べて、デザートをお代わりしてすっかり忘れてそうですとは言わなかった。
会場で見かけた知り合いに挨拶を済ませ、令嬢方の話に少し付き合い、ダンスをやんわり断って、人心地ついた僕は壁際で炭酸水を飲みながら、昨日までの出来事を思い返してそっと息を吐いた。
会場に視線を向けると、集団の中でも大きな一団が目についた。その中心には金髪の少年。この宴の主催者のカマルナ子爵子息エミルだ。
彼には会場に着いてすぐ挨拶に向かった。会話しながらも令嬢に囲まれている金髪の少年を、ついまじまじと見てしまったのは仕方ないだろう。何しろリフィが興味を持っているかもしれない人物だ。
何だか釈然とせず、話したくなくて、引き留めようとする取り巻きの令嬢たちや子息たちをかわして、早々に立ち去ったけれど。
僕はエミルから視線を外して嘆息した。おかしいな。料理を食べていないのに胸焼けがする。
挨拶を後回しにしていたリフィやサリー、カルドたちを探そうとしたら、丁度三人がやって来た。自然と笑みが浮かぶ。
澄まし顔で型通りの挨拶を交わした。いつもならそこで別れるけれど、堅苦しい席でもないので、そのまま四人で会話を楽しむ。
サリーは淡い桃色のオフショルダードレス。上はすっきりしたデザインで、右上から左腰まで斜めに花のコサージュが彩っている。コサージュの花には真珠が付いており、きらびやかだ。スカートはレースとフリルがふんだんに交互に使われてボリュームたっぷりに膨らみ、デイドレスと違って露出も多いがとても似合っていた。
ドレスを目立たせるためか、薄化粧で、片側に髪をまとめているだけで、髪飾りや耳飾り、首飾りは小振りの真珠の物を身に付けていた。
カルドは臙脂色の燕尾服。いつも跳ね放題の赤髪を綺麗に撫で付けて額を出している。そのせいか、大人びて見えて、体格もいいので服を着こなしていた。窮屈そうだが、ちらほら令嬢たちが視線を向けており、「ギャップがありますわ」と少し離れた所で噂されていた。
リフィは、薄青色のビスチェドレスだった。サリーと同じくオフショルダーで、華奢な体格に合ったシンプルな物。胸元には銀糸で刺繍が施されており、シルクの生地と相まって、シャンデリアの光を受けて煌めいていた。
薄化粧を施し、薄翠の髪を結い上げて項を見せ、真珠とレースの髪飾りを付けている。耳飾りも一連の首飾りもサリーとお揃いなのか小振りの真珠。それがよく似合っていた。
全体的にさっぱりと綺麗にまとまっているが、その為に本人の容姿が際立つ。殆どの令嬢たちが目立つ色や気合いの入ったドレスなので、リフィは目をひいた。――流石サリー。見事に誰もが理想とするお嬢様を作り上げたね。
ただ残念なのが、片手にしっかり皿を持ち、もきゅもきゅと微かに口を動かす令嬢。
一曲踊れば会場中の視線を集めそうなのに、人気のない、料理が置いてあるテーブル近くの壁際で、僕やカルドを盾にして隠れ、全料理制覇を目論んでいた。
一口ずつでも全部食べたいって…。何しに来たの、リフィ…。
サリーは「ケイがいるなら大丈夫よね、少し離れるわ」と告げて離脱し、精力的に社交に勤しんでいる。カルドも疲れながらも両親に呼ばれて、顔繋ぎに向かった。
他に目もくれず、料理を取り分けてぱくぱくと隣で食べるリフィを見て、僕は零れそうになる溜め息を飲み込んだ。
「リフィはサリーたちみたいに挨拶回りしないの?」
「うん、大体済ませたから」
「……君は何を目的に参加したの?」
「珍しくて豪華なご飯」
「迷いなく言い切らないで」
そこは別の理由をあげて欲しかった。
曇りなき眼で、堂々と宣言されても反応に困るよ。
「後は次の公演の宣伝の為だよ。このドレスも劇に出てくる妖精姫が着る服のデザインと似せて作られているから」
「それなら、そのドレスで踊って目立たなくちゃ宣伝にならないんじゃない?」
「大丈夫。ここに来てから、サリーと知り合いに挨拶をして回った時に、ドレスを褒められたついでに公演の宣伝をして、チケットの予約を貰ったから」
「……」
「いやもうサリー様々。このドレスで参加して大正解。後は勝手に令嬢たちが、あちこちで話のネタに宣伝してくれているよ」
小さな一口デザートを食べ始めて、上機嫌のリフィ。
サリーもリフィを広告塔にして、色や刺繍や型を変えてシルクドレスの注文を貰ってたって……君たちは本当に、仕事でこのパーティーに参加したんだね。商魂逞し過ぎるよ…。
サイドテーブルに使用済みの皿とカトラリーを置いて、リフィは満足したらしい。「よし帰ろう」って、早くない!? まだ来て一時間しか経ってないよね? 料理を食べていただけだよね!?
目的は達成して料理も食べ終わったから…って、本当にそれだけの為に参加したんだ! お願いだからその姿で「あー、一仕事終わった~」って腰と肩に手を当てて首を鳴らさないで。任務後のラッセルたち『影』と姿が重なるから。アッシュがいたら間違いなく「オッサンか」と突っ込んでいたと思う。
「ケイこそ挨拶は済んだの? 誰かをダンスに誘わなくて大丈夫?」
同じ場所に留まるのも徐々に人目を集めてきたので、二人で反対の窓側の壁に移動した。リフィが問いかけながら、チラリと視線を寄越す数組の令嬢たちを目で示した。にまにまと楽しげな表情に少し苛立つ。
僕は微笑んで「大丈夫だよ」と返した。君こそあちこちから寄せられている視線に気づいているのかな。僕が離れたら、群がってくるのは目に見えているのに。
僕が視線で示唆すると、「サリーか別の所に混ざるから大丈夫」と何でもなさそうに返した。出会いを求めるでも練習でもなく、あくまで仕事での参加らしい。
注目されるのが鬱陶しくて、僕はリフィをテラスに誘った。会場の熱気から解放されて、我知らず吐息した。リフィも深呼吸して、誰もおらず会場から見えない事を確認して、ぐっと伸びをした。
「はぁ、息が詰まるかと思った」
「その割にはよく食べていたよね。気に入った料理はあった?」
「ローストビーフのソースが美味しかった」
「え、ソース?」
「お肉の焼き加減というか柔らかさは、サンルテアで食べた方が好き。その時のあっさりしたソースもいいけど、こってり濃厚ソースも美味しかった…って、何で笑うの!」
「何でもないよ」と返しながら、僕は会場に目を向けた。知り合いの令息たちが、誰かを探すように辺りを見渡して別の方へと歩いていく。
何も見えない真っ暗な庭では、月と星しか見るものがなく、庭に背を向けたリフィの目も会場に戻った。談笑するサリーを見て、四苦八苦してぎこちなく笑うカルドの様子を見て、微笑む。それから、知り合いの令嬢たちに目が向けられていった。
その様子を観察しながら、時折、リフィの瞳があるグループに向けられているのを知っていた。先程も食事をしながら、何度かエミル・カマルナ子爵子息を見ていた。時には小さく口元を綻ばせながら。
サリーの言葉が甦る。
『エミル様には興味があるのではないかと思うのよ』
『挨拶をした後にリフィが、エミル様を気にして見ている事がよくあるのよね』
壁際での食事中に、それとなくエミルについてリフィを狙った誘拐犯の首謀者の可能性があるから気にして、今日は囮として参加したのか訊けば、きょとんとした顔を返された。あれは忘れていた、そんな事は思っていなかったという顔だった。
厳重に守られた敷地内に堂々と入れる折角の機会だったので、この夜会を利用して、付き添いの従者や御者として連れてきた『影』に子爵邸を調べさせている。
子爵とは別に、もう一人の容疑者のサルバドーロ伯爵家の息子もこの夜会に参加しているから少し注意してと言えば、「わかった」と頷かれた。多分、その後の料理とデザートで、話は上書きされていると思う。伯爵子息の顔と名前を覚えているかも不安だ。
僕はリフィを観察した。
エミルを囲む他の令嬢たちと同じように、この夜会でリフィがじっと彼を見ているから気づいていた。興味があるものに引かれたら、なかなか他を見ない事は長い付き合いで知っている。けれどその事に胸が痛むのは、初めてだった。
だからつい、こちらに目を向けてほしくて。これ迄気にしていない振りをして掛けなかった言葉を紡いでいた。
「そんなに彼が気になる?」
リフィが目を瞬かせて、漸く僕を見た。星色の目に映る不安げな自分に、苦い笑みが浮かぶ。
リフィが「興味深いよね」と楽しそうに笑い、焦燥か怒りなのか不満なのか解らない苦い感情が沸き上がる。
「珍しいよね、あのキノコ頭!! 私は初めて見たよ、いかにもお坊ちゃんみたいなマッシュルームカット? あれでいいのかなって常々思っていたの」
「気にして見てたの、そこ!?」
「え、他にどこか見る所ある?」
リフィがきょとんと首を傾げて、エミルを観察する。
「いや、ほら、令嬢たちに囲まれるくらい人気で、格好よくて、その」
予想外の答えに、僕の方が動揺して返答に困った。僕の言葉を考えて、リフィが口を開く。
「うちの天使の方が美形だし、他の攻略対象者の方がカッコいいし経済力も権力もあるし、エミル様は奇抜というかヘンテコな…いや、人の好みはそれぞれだけど、あの微妙に似合っていない髪型が残念だと思う」
リフィに残念て言われるなんて……!!
僕は衝撃を受けた。
「あの、リフィ。君が彼をよく見ていたのって」
「斬新な髪型が面白くて。周りの令嬢たちも友達も、誰も何も言わないのかな、あの髪型について。本人たちが納得しているならいいのかなと流しているけど」
「じゃあ、サリーが思い出し笑いしたって言っていたのは」
「そんな話をしたの? 確かその時の昼食がキノコのパスタで、あの髪型に感動というか衝撃を受けた頃だったから、人を笑っちゃいけないけどつい」
「それなら、彼を特別好きな訳じゃない?」
「うん」
即答された事に、ほっと息を吐いた。同時に、そわそわと落ち着かず、妙に苛立ち、意味もなく落ち込んだり苦しかったりしたこの一週間の自分の不安や心配や苦悩を思い出して、何だか情けなくなった…。それで僕は、恋心というものを漸く自覚した。
「え、どうしたのケイさん? 何で急に、ヤッチマッタ的にしゃがみこんで踞ったの?」
頭上からリフィの戸惑った声が聞こえてきた。
悪いけど、今は顔を上げられない。絶対赤面してる。今までで一番、顔から火が出そうという経験を味わっていた。――ああ、本当に…意外だ…。誰かのせいで、僕自身にこんなにも感情があったと思い知らされて、振り回されるなんて!
「え、何で今度はこの世の終わりみたいな絶望的な溜め息を出すの? 待って、魂を飛ばそうとしないで。戻ってきて!?」
心配するリフィの声。
ここ数年で薄々自覚はしていても、すんなりと認められなかった思い。認めたら多分、手放せなくなるから。
だから、これは違う、まだ違う、恋愛じゃなくて家族愛と、心が答えを考えようとする度に抑え込んで、なるべく考えないように誤魔化した。
執着、なのかもしれない。
面白いと興味を持ったのがきっかけで、気づけば何かと気にして長く一緒にいた。側に居たいと望み、離れて見守るのがもどかしくて、近くにいけない事が歯痒くて。執着でも、誰にも渡したくないと強く思う。無意識に、自分を頼らせようと、囲い込みたいと動く程に。
自嘲すると、歪な感情に相応しい歪んだ笑みが浮かぶ。自己嫌悪に苛まれていると、そっと背中を撫でられた。僅かに顔を上げると、隣にしゃがみこんだリフィが、気遣う視線を向けて優しく背をさすってくれた。
「気分悪いの? 吐きそうなら全部出しちゃうといいよ。大丈夫、ゲロっても私が何とかす……って、物凄く冷たい視線!?」
何か色々台無しだ…。
本当にイヤという程、シリアスもムードもぶち壊すし、あちこちから大きな溜め息を貰ってばかりの残念な子だって知っている。
もしかしたらイナルやスピネルが「正気か!?」と、「狂ったか!?」と、心配しそうだけど。僕も想い人と認めたくなくて、無意識に自覚するのを躊躇っていたのかもしれないけど。
――僕が好きなんだから仕方ない。
誰に何を言われても、リフィがいいのだから。どんなに妙な事を企んで、変な事をやらかして、面倒事があっても、腹立たしく思っても、離れようとは思わないし、誰かが奪っていくのも、どこか遠くに行かれるのも我慢ならないから。
我ながら厄介だ…。
僕の背をさする不安げなリフィを一瞥する。ちょっとだけ彼女に同情した。
「何でもないよ、大丈夫」
膝を払って立ち上がり、胸元を見ないようにしてリフィの手を引いた。馴れない高いヒールでよろける体を支えた。華奢でも成長した柔らかな体。身長も既に百六十を越えていた。
エミルを何とも思っていないと知った安堵から、腕に力を込めたら「ケイ?」と不思議そうな声がした。
もしエミルにリフィが好意を寄せていたらと思うと、ゾッとする。何たってシェルシーお母様の娘だ。気づいた時には婚約した後で、解消するのが厄介だから事後承諾する他なかった、なんて笑えない冗談が本気で起こりそう。
「ケイ、体調悪いなら休憩室に行く?」
「……」
「……ケイさん。無言で幼子のように撫でるのやめい」
「ごめん、つい」
「くそぅ。ケイまで『影』みたいに子供扱いするなんて! こうなったら魔性の美少女(笑)の本領を発揮して、取り巻き沢山作ってきてやる!」
「うん、ごめん。変なボタンを押したのは解ったから、自分で魔性の美少女とか宣言するのは止めよう。普通なら可哀想な子になるけど、君の場合は変態を寄せ付けて、取り巻きを作ったら身動き取れなくなって、やっぱり無理! って自分で逃げ出すでしょう」
リフィがちょっと黙考した。遠くを見る焦点になって、顔色が青くなっていく。どうやら理解してくれたようだ。
「わたしもケイみたいにコロコロ掌の上で転がしたい」
「誤解を招く恐ろしい発言は止めよう!」
「師匠に」
「なるわけないよね。何で承諾すると思ったのかなっ」
「ひだだだっ! 淑女の頬を引っ張るなんて酷い!」
「僕にそんな事をさせる君が酷い」
これまでよりほんの少しだけ近い距離。それで顔を付き合わせているのに、お互いに睨み合って全く色気が皆無。同時に笑いが込み上げてきて、二人で笑い合った。
これなら、大丈夫かな。
僕は面白い珍獣だから欲しい訳でも、自由に飛び回る羽を毟って閉じ込めたい訳でもない。結局、好き勝手遊んで飛び回って何かあっても、戻ってきて一緒に居て欲しいと思うくらいだ。
ふと、会場を見やれば、挨拶をしなくちゃいけない知り合いを見つけた。スピネルの側近候補の一人である伯爵子息だ。
僕が隣を見ると、視線に気付いていたリフィが「行ってきていいよ」と微笑む。
「少しだけ離れるけど、すぐに戻るから」
「気にしないで。その辺の女子グループに適当にまざってチケット売り込んでおくから」
「………うん、程々にね。帰りは一緒に帰ろう」
「私は嬉しいけど、いいの?」
「何で遠慮するの。君と僕が親戚だって知られても別に問題ないよ。寧ろ、君も何かあった時はサンルテアを盾に使うように」
「……」
「リフィ。君がシェルシーお母様の娘であり、父の娘である事に変わりはないんだよ」
「……解りましたわ、オニイサマ。って、言うのも何か妙な感じ」
「僕もそう呼ばれるのは変な感じだよ。精霊避けの石のお陰でこの辺には精霊がいないから気を付ける事。すぐ戻るけど、何かあったとして」
「間違っても自分で戦闘しません、物を壊しません。大声で叫んで助けを求めます」
リフィが宣誓するように小さく片手を挙げた。僕は頷いて会場へと戻った。挨拶に向かう際、然り気無くサリーやカルドの近くを通ると、目が合った。
微かに驚かれたけど、僕が先程まで隠れていたテラスを見ると、二人は了承したように一度瞬いた。
僕は話しかけようとする令嬢たちを避けながら、笑顔を張り付けて、知り合いの輪に加わった。
・・・***・・・ (リフィ)
挨拶に赴くケイの背を見送って、私はもう一度大きく体を伸ばした。夜風にふわりと裾が揺れる。……折角着飾ったのに、あまり見て貰えなかったというか、慣れているようにスルーされたなぁ。
ちょっと溜め息が零れた。
チケット売れたのは嬉しいけれど、肩は凝るし面倒臭い。だらけたいのに、そう出来ないのも辛い。
ケイの背と彼に話し掛けようと頑張る令嬢たちを見て、ふっと息を吐く。
賑やかで華やかで、優雅で楽しげで素敵な会場。けれども、お茶会の方がまだマシ。昼間の内に、お嬢様たち相手に劇のあらすじを語って聞かせて、毎度あり~と売り捌いた方が疲れなかった気がする。
夜は自宅で気兼ねなく、のんびりゆったりする方がいいなぁ。夜会だと生気吸われそう。サリーが知ったら、乙女講座特別編が開催されそうだから言わないけど。
会場に背を向け、明るい夜空を見上げていたら。
「素敵な夜ですね」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、光溢れる会場から、一人の少年がテラスに足を踏み入れていた。
にこりと人好きする笑みを浮かべた、素朴な顔立ちで茶髪の少年。貴族かな。少し歳上に見えた。取り敢えず「ご機嫌よう」と返して目礼し、会場に戻ろうとすると。
「まさか本当にテラスにいるとは」
「え?」
「ご挨拶が遅れました。初めまして。サルバドーロ伯爵子息のロドルと申します」
挨拶されたからにはと私も返して、はてと首を傾げた。どこかで会ったかな。初めましてと言われたものの、見掛けた事があるような…。
ロドルが柔らかく笑った。
「実は面と向かって正式にご挨拶をしたのは今回が初めてですが、何度か同じパーティーでお見掛けしているのですよ。軽く友人同士を通して挨拶を交わした事はあるのですが、あなたは用事があってすぐにその場を離れられたので。一度、お話してみたいと思っていたのです」
「それは光栄ですわ」
微笑み返しながらも、今すぐ逃げたい。一人にならないよう言われたばかりなのに。近頃、頓に過保護な従兄弟と『影』が後で煩そう。
幸いにして、後、二、三歩で会場に入れる。
「喉が乾いたので丁度、会場に戻ろうとしておりましたの。宜しければ、中でお話致しませんか?」
「喜んで」
穏やかに返されて、ホッとした。ちょっと警戒した私がバカみたい。自意識過剰だったね、恥ずっ。
「その前に、少し宜しいですか? 実は今度の公演のチケットを予約したくて、お声を掛けさせて頂いたんです。贈りたい方がいるので、内密にお願いしたいのですが」
成る程。意中の相手をお誘いしようとしてるのかな。それなら、勘違いのお詫びも兼ねて特等席を用意しよう。是非とも楽しんで欲しいな~。
観劇する様子を妄想して、つい顔がにやけてしまう。
「ご安心下さい。守秘義務は守りますので。チケットの枚数は二枚で宜しいですか? ご希望の日等がございましたら――」
チケットが欲しい。そう言われて油断した。
降って湧いたように背後をとった気配に、反射的に攻撃を仕掛けようとするも、ドレスの裾とヒールでいつもより動きが遅い。
その数秒が勝敗を決めた。
振り返り様に、顔に向かってくる拳は受け止めても、腹部の拳は捌けなかった。
くっそ、容赦なく女の子の顔面狙うとか、絶対最低な鬼畜ヤローだ!
呻いてその場に膝をつき、前のめりに倒れる所を伸びてきた腕に支えられ、口元をハンカチで押さえられた。嗅ぎ慣れた薬の匂いに息を止め、咄嗟に暴れる振りをして、華奢な作りの首飾りを指と爪で引っ掻けた。
プツンと細工してあった糸が切れて、真珠が辺りに散らばる。あぁ、勿体ない! 必ず後で賠償請求する!
だらりと垂らした手やドレスの膝の上、近くの床等に転がった真珠を、さっと手の内に握り込む。
私を支える腕の主を見上げると、長い白い髪が目に入った。ちょっと驚きつつ、そのまま睨み付けてやる。相手が軽く瞠目した。うぅ、目がチカチカ…殴られたお腹が痛い…。思わず小さな舌打ちが漏れて、私はそのまま意識を失った。
お疲れ様でした。
後、2話くらいで11才編を終わらせたいと思います。




