替玉のブルーワーク
姉が失踪してから、一週間が経った。
既に泉火の帰還を諦めた俺は、アトリエはそのままに、描き上げられていた絵画を売りに出すべく手続きを行っていた。アトリエは状態を保存しておけば、記念館などにして稼ぎ口にもなる。
つくづく金の亡者だなと、俺は我ながら呆れたものだ。
「とぅーるるるっとーるーるー…………」
頭によぎった古い歌を口ずさみながら、オークションの出品用紙にペンを走らせる。書くことは大したことではない。出品者と製作者。振り込み口座と、俺が後付けで考えたタイトルだけ。絵画自体も未だ俺の手元にあり、写真添付もしない。飽憑終酔の作品というだけしか、事前情報は載せない。
大した理由じゃない。ブランド価値をつけるためだ。
未だ慣れない大陸公用語に難儀しながら書き進めていると、来客を告げるベルが鳴らされた。
「はいはい、どちら様で?」
言いながら扉を開けると、そこには予想外の人物がいた。
背の高い、背広姿の男性。
「反町先生!」
官公庁長官、反町隆三がそこにいた。
場所を移し、官公庁舎から十五キロ程離れたところにある、反町隆三の別邸。
「紅茶で構いませんか?」
「はい。大丈夫です」
秘書らしき女性に会釈して、木製の高そうな椅子に座る。正面に座る男性は、未だ口を開く様子が無い。
「………………」
「………………」
「どうぞ」
沈黙の後、秘書がそう言ってカップを置いた。コトリと二つ、音がした。
「では私はこれで」
とうとう秘書が立ち去るまで、一言も喋らなかった。
「で、今日はどのようなご用件で?」
このままでは何も話さずに終わるのではと思い、堪らず口を開いた。
男性ーーー反町氏は端的に答えた。
「君の姉のことだ」
まぁ、訊いといてなんだが、それしか無いわな。
「見つかったんですか?」
幾通りかの答えを予想しながら問う。
「いや。死体さえ見つかっていない」
行方不明なのは変わらず、か。
「じゃあ特使の件はどうなるんで?」
俺はあえて特使という言葉を使って訊ねた。外交上の問題に発展するとも限らない件なのだ。今は泉火が作業中だと言って引き延ばしているが、もう先方は我慢の限界にあるらしい。進捗状況をせっつくように訊ねられているとのこと。
「このままだと、破綻するだろうな」
「そうですね」
俺は他人事のように呟いた。俺は泉火の血縁者ではあるが、飽憑終酔の弟ではないのだから。
「戦争がーーーいや、侵略が起きるかもしれない」
「それは大変そうですね」
死にたくはないので、何処か辺境の地にでも引っ越すかな。
「そこで君に、頼みたいことがある」
「はい」
泉火の捜索に加われとかだろうか。いや、そんな無駄なことするまい。では何だ?正直俺に頼むことなんて、今更無い筈なのだが……。
「君に飽憑終酔として、セヴェガに行ってもらえないだろうか」
「……………………。は?」
予想の別次元。そう形容してもいい程に突拍子も無い言葉が、俺の鼓膜を揺らした。
「ちょっと待って下さい。えぇーっと、つまり?俺を替え玉に据えると?」
「端的に言えば、そういうことだな」
自分が無理なことを言っている自覚があるのか、その表情には後ろめたさが窺えた。
「おいおい……」
冗談を言っている顔ではなかった。下手に真剣な顔をされるよりも、本気度が窺えてしまう。
「この交易国家には戦争をするような軍事力は無い。あくまで世界各国から承認された独立行政特区なのだ。大国であるセヴェガに楯突けば、それこそこの国そのものを消し去られる」
そう。この国はどうしようもなく他国に依存している。そのため治安維持以上の自衛力所持を許されず、人材や技術の提供も拒むことが出来ない。反町氏も苦渋の末の決断だったのだろう。冗談じゃない。
「お断りです」
「ーーーっ!」
俺はその場で立ち上がると、反町隆三を傲岸に見下ろした。
「俺は母親さえも売った男だ。この国がどうなろうが知ったことではない。戦争だろうが革命だろうが勝手にしてくれ」
俺はそのまま踵を返すと、部屋を出るべくノブを回した。
回した。
回し……たっ。
………………………………。
「え、開かない……」
渾身の力を込めてノブを回してもビクともしない。仕掛け扉かと押しても引いても体当たりしても全然開いてくれる気配がない。
「………………おい」
「すまん」
反町氏はそう言い、静かに立ち上がった。近付いてくる。
俺は動けなかった。妙に身体が怠い。まるで鉛を血管に流し込まれたように重く鈍い。
足がふらつく。
顔面が地面に向かって落ちていくところを、硬い胸板に受け止められた。
「薬、かよ……」
声を出すことさえ億劫だ。もう意識を保っているのも限界。
「すまん……」
掠れ消えゆく意識の中で、反町隆三の謝罪の声だけが鮮明に響いた。
***
目が覚めたのは、全身を揺する振動の中だった。
「んぁ……」
頭が鈍い。まるで埃が溜まった掃除機のように回転が悪い。
ここは何処だ……?
自分の部屋で無いことは、尻から伝わる振動で明らかだった。何かに乗っている。エンジン音は聞こえない。これはーーー馬車か。
瞼を持ち上げ、車内を眺める。凭れかかっていた窓枠からは月明かりが漏れ、どうやら今が夜で、ここがアヴァロンではないことが察せられた。
馬車はアヴァロンでは使われない。車道が完備され、乗用車の普及率も八割を超えるアヴァロンにおいて、馬車なんてものは過去の遺物に過ぎないからだ。
だが国土の広い諸外国においては、未だ馬車が現役の交通機関だ。車道整備が追いつかず、所得格差の大きい軍事国家は特に普及率も低い。
それに一番の決め手が、俺が眠らされた直前の記憶だった。
「反町……」
「ん、起きたか」
俺は隣に座る背広姿の男を、胡乱な目付きで見上げた。
「素直に言うこと聞かないと、薬で黙らせるのか。最低だな」
俺は言いながら、自分の身体を見下ろした。
紺を基調にした牡丹柄の和服。
視界の隅では、綺麗に梳かれた黒い髪が艶やかに照明を照り返している。
鏡を見てはないが、きっと化粧も施されているだろう。
「似合ってるぞ」
「皮肉か?」
自分の艶姿を眺めている俺をどう思ったのか、そんなことを言ってきやがった。
「俺を替え玉に据えるって計画、誰が考えたんだ?」
俺と泉火は双子ってわけじゃない。歳は一つ違いで、学年も一つ違う。あと二週間早ければ年子だったらしいが。
そんな俺たちが、瓜二つと言っていいレベルで似ていることを知っているのは、今は亡き両親と泉火だけの筈だ。髪型と服装、それと雰囲気が違うので、不思議と似てるとは言われたことがなかった。
「私が君たちの家に行った一週間前に、遣いの者が来ただろう。彼だよ」
「………………」
髪を解いたのを見られていたのを思い出す。くっそ失敗だったか……。
「私も最初は耳を疑ったよ。だが国家の窮状とあっては、試せることは試したい。だから君に、こうして着飾ってもらったんだ」
試した結果、こうしてセヴェガの土地を踏んでいると。
「よかったな。目論見通りで」
「あぁ。本当に助かった」
皮肉のつもりで言ったのにしみじみと返されては、もう何も言えない。
「はぁ……。勝手にしろ」
俺は抵抗を諦め、今までと同様、生きるための手段を考え始めた。
不定期兼気まぐれ更新。ご容赦。