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1ワン

「転生したらチワワでした」


そんな感じの異世界ファンタジーです。

よろしくお願いします。

 あったかい。


 まっくらで、やわらかくて、どくん、どくんと音がする。

 その音を聞いていると、なにも考えなくていい気がした。


 やがて、まぶしい光と、つめたい空気がやってきた。ぬるりと何かに包まれて、ざらざらしたあたたかいものが、体じゅうをなめていく。


 「生まれたわね」

 やさしい声がした。

 それが、母の声だった。


          *


 古い倉庫の隅に、藁と布切れで作られた巣があった。

 母は、茶色い毛の小さな犬だった。兄弟は俺を含めて、五匹。みんな手のひらにのるくらい小さくて、みんな同じ茶色で、みんな生きるのに必死だった。

 おなかがすくと、母の腹に鼻を押しつける。あたたかくて、あまいものが、口いっぱいに広がる。うまい、と考える前に、体が勝手に動いた。


 兄弟たちと押し合いへし合いしながら、ひたすら乳を吸う。眠くなったら、みんなで団子になって眠る。それだけの毎日だった。


 ときどき、変な夢を見た。

 白くて、なにもなくて、まぶしい場所。光の塊が何かを言っている。目が覚めた瞬間に、すべて霧のように消えてしまう。

 それが何なのか、考える頭は、まだなかった。

 目が開いたのは、生まれて十日ほどたったころだった。

 世界は、ぼんやりしていた。母の顔も、兄弟の顔も、輪郭しかわからない。それでも、かぎ慣れた匂いがそばにいるだけで、安心できた。


「いい子ね。ゆっくり大きくなりなさい」

 母は、何度もそう言った。

 ただ、ひとつだけ、おかしなことがあった。

 なぜか、俺だけ、ついていなかった。


 乳を吸う場所は、いつも兄弟にとられる。藁のとげが刺さるのは、いつも自分だけ。眠っていると、必ず誰かの尻尾が顔にのっている。

「あなたは、ちょっとだけ運が悪いのね」

 母は、笑いながら、そう言って舐めてくれた。

 それでも、幸せだった。

 母の腹に鼻を埋めて眠る夜は、世界でいちばん、あたたかかった。


          *


 生まれて二か月ほどたつと、体は、ずいぶん大きくなった。

 巣の外にも、出られるようになった。母は、毎日どこかから食べ物を運んできてくれた。パンの切れ端、干し肉のかけら、魚の骨。


「外は危ないから、遠くへ行っちゃだめよ」

 母は、そう言った。

 その日は、朝から空が暗かった。

 雲が低く垂れこめて、遠くで、ごろごろと雷の音がした。母は落ち着かない様子で、何度も巣のまわりを歩き回った。


 昼すぎに、雨が降り出した。

 最初は、ぽつぽつと。それから、ざあっと、叩きつけるように。

 古い倉庫の屋根には、穴が開いていた。そこから雨水が流れこんで、床がみるみるうちに水びたしになっていく。

「みんな、こっちへ!」

 母は、兄弟を一匹ずつ、くわえて運びはじめた。

 高い棚の上。ここなら、水は届かない。


 一匹目。二匹目。三匹目。四匹目。

 残されたのは、俺だけだった。

「すぐ戻るからね!」

 母が、こちらに走ってくる。

 その瞬間、どん、と雷が落ちた。


 倉庫全体が、揺れた。

 足元の床板が、ぱきっと外れた。


 ――あ。


 俺の体が、ぐらり、と傾いた。

「――!」

 母の叫びが、遠くなった。


 濁った水が、俺を飲み込んだ。冷たい。息ができない。流されている。壁にぶつかり、石にぶつかり、暗い側溝の中を、ひたすら転がっていく。

 最後に、こつん、と頭を打った。

 目の前が、真っ白になった。


          *


 その日も、俺は終電の一本前に乗り遅れた。


 いや、正確には、乗り遅れさせられた。定時間際に、上司が「これ、明日までね」と資料の山を置いていったからだ。片づけている間に、フロアの電気は一つ、また一つと消えていって、最後に残ったのは、俺のデスクの明かりだけだった。

 誰も、「お疲れ」とは言ってくれなかった。

 それが、俺の毎日だった。


 駅を出て、コンビニに寄る。温かい光。棚の弁当。レジのお姉さんは、目を合わせずに「温めますか」と言った。俺は「お願いします」と答えた。今日、他人と交わした会話は、それで二回目だった。


 四十二歳、独身。彼女いない歴イコール年齢。スマホの連絡先には、会社のグループと、宅配業者と、あとは実家の番号が入っている。

 人生のハイライトは、ソシャゲのイベントランキングで上位五パーセントに入ったことだ。「おめでとうございます!」という画面の文字が、俺に向けられた唯一の祝福だった。

 悲しいとは、あまり思わなかった。慣れていたからだ。


 駅の階段を上りながら、ログインボーナスを受け取った。

 画面から目を離さなかったのが、悪かったのだろう。


 足元が、ふっと消えた。


 ……もう少し、ましな最期の景色はなかったのか。


          *


 気がつくと、真っ白な空間に立っていた。


「お目覚めですか」

 

 声のほうを見ると、光の塊が浮いていた。

「あの、ここは」

「あなたの世界でいうところの、死後の世界ですね。私は……まあ、神様です」

 軽い。自己紹介が軽い。

「はあ……俺、死んだんですか」

「はい。階段で足を滑らせて、頭を打って。ほぼ即死でした。痛みはなかったはずです」

「そうですか」

「あ、意外と落ち着いていますね」

「まあ、はい」


 失うものが、あまりなかったからだ。

 部屋の冷蔵庫には、賞味期限の切れかけた納豆が三つ。俺がいなくなって、会社は一日か二日は騒ぐかもしれない。それだけだった。それだけしか、なかった。


 神様は、しばらく黙っていた。それから、光がふっとしぼんだ。

「……見ていました、ずっと」

「え?」

「あなたの人生です。誰にも褒められないのに、毎日遅くまで働いて、文句ひとつ言わずに。正直、見ていて胸が痛かったんです」

 神様が、ずず、と鼻をすすった。光が鼻をすすった。

「だから、次の人生では幸せになってほしい。何か、希望はありますか? なんでも聞きますよ」

「希望、ですか」


 少し考えた。強くなりたい、金持ちになりたい、有名になりたい。どれも、ピンとこなかった。

 結局、口から出たのは、情けないくらい小さな願いだった。

「……女の子に、いえ、誰かに普通に話しかけられる人生が、いいです」

「はい?」

「別に、モテたいとかじゃないんです。ただ、こう、普通に、会話ができるというか。相手が嫌な顔をしないというか……そのくらいで」

 

 神様は、また鼻をすすった。

「わかりました。任せなさい」

「え?」

「あなたが行く世界は、剣と魔法の世界です。強さが、そのまま生きやすさになる。なら、最初から一番強くしておけば、もう誰にも踏みつけられないし、人にも遠慮されないでしょう?」

「いや、ちょっと、話が飛んで……」

「特別に、ステータスを全部MAXにして差し上げます!」

 いや、飛びすぎだろう。

 

 でも、神様の光は、あまりにも真剣だった。

「……神様。ありがとうございます」

 本気で言った。声が少し震えた。

「いえいえ。では、いってらっしゃい。あ、種族の欄は……」

 神様が手を動かした、その瞬間。

「へっくし」

 神様が、くしゃみをした。


 光が大きく揺れて、空中の何かが、ぴっ、と弾かれた。

「あ」

「……あ?」

「…………」

「神様、今『あ』って言いましたよね」

「気のせいです。いってらっしゃい!」

「種族って言いかけましたよね!?」

「大丈夫、ステータスは全部MAXにしましたから! ステータスは!」

「そこだけ強調するの、やめてもらえます!?」


 足元の白が、ぱかっと開いた。


 落ちる。落ちる。

「神様ァァァーーーッ!?」


          *


 目を開けた。

 最初に感じたのは、匂いだった。

 濡れた石の匂い。腐った葉の匂い。遠くで焼かれているパンの匂い。……すごい。情報量がすごい。

 雨は、もう止んでいた。

 

 俺は、路地裏の石畳の上に、転がっていた。全身がずぶ濡れで、体が小刻みに震えている。

 空は、やたらと高かった。雨上がりの雲が切れて、抜けるように青い空が見えた。会社の窓から見ていた空とは、比べものにならないほど広い。

 ゆっくり、体を起こした。

 手を見た。

 手じゃなかった。

 小さくて、丸くて、ぷにぷにした、肉球だった。


「……」


 声を出そうとした。

「きゃん」

「…………」

 近くの水たまりに、そいつは映っていた。目が大きくて、耳がでかくて、頭がやたら丸い、茶色い生き物。

 ——チワワだ。

 どこからどう見ても、チワワだった。


 神様ァ!!

 叫んだつもりが「きゃんっ!」だった。しかも、尻尾が勝手にぶんぶん揺れている。

 やめろ。悲しんでいるときに振るな。

 その瞬間、視界の端に、半透明の板がふわりと浮かんだ。


【ステータス】

 体力 MAX

 筋力 MAX

 敏捷 MAX

 魔力 MAX

 知力 MAX

 運  MAX ※方向は保証しません

 種族 チワワ


「保証しろよそこは!」

 やはり「きゃんっ!」だった。

 ……ああ、そうか。運が悪かったんだ。兄弟の中で、俺だけが。


 ステータスMAXがどの程度なのか試しに、目の前の石畳を前足でぽん、と叩いてみた。

 ばきっ。

 石畳が、蜘蛛の巣みたいに割れた。

「…………」

 もう一度、恐る恐る、ぽん。

 ばきばきばき。


 なるほど。最強だ。間違いなく、最強の身体を手に入れている。

 ただし、手のひらサイズの、生後二か月の子犬の。


 思い出した。

 あたたかい、乳の味。母の声。兄弟たちの体温。

 あれは、全部、俺の記憶だ。前世じゃなくて、今世の。

「母さん」

 声に出したつもりが、「きゃん」だった。

 立ち上がって、走った。母の匂いを探した。倉庫の方角へ、路地を抜け、坂を上がり、水たまりを飛び越えて。


 でも、雨が、すべてを洗い流していた。

 母の匂いも、兄弟の匂いも、どこにもなかった。

 どこまで走っても、どこまで嗅いでも、見つからない。

 俺は、道端で立ち止まって、鼻を鳴らした。


 四十二歳の中身のまま、母親を呼んでいる自分が、少しだけ情けなかった。

 ふと、神様との会話を思い出した。


 ――女の子に、誰かに普通に話しかけられる人生が、いいです。

 ――特別に、ステータスを全部MAXにして差し上げます!

 ……普通に話しかけられる、って、言ったよな。

 俺は、犬になった。

 人間の言葉を、喋れない。

 

 水たまりの中のチワワが、どんよりと、こちらを見返していた。

 ぐう、と腹が鳴った。

 ……そういえば、今日はまだ、何も食べていない。


 世界最高峰の力を持つチワワの、第二の人生は、こうして始まった。

 

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