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――第109章・エメラルド――

軽井沢、日本――


 ハンは棺の中で静かに横たわっていた。

 そのそばでエメルはぴょんぴょん跳ね回り、ときおり人型に変わっては、ひとりでぶつぶつと不安を吐き出していた。


「お兄ちゃんが外にいる……! もし面倒なこと起こしたらどうするの? 他の連中まで連れてきたら? ミスター・オマリロに何するの? ていうか、ミスター・オマリロがお兄ちゃんに何するの?」


 そんなふうにまくしたてていると、ふいにハンの青白い指先がほんのわずかに動いた。

 エメルはぴたりと止まる。


「ハン?」


 返事はない。


「……だよね。みんな、早く戻ってこないと……。それより、あの脳筋はいつになったら私のご飯持ってくるの?」


 そのとき、階下で扉の開く音がした。

 エメルはすぐにスライム姿へ戻り、様子を見に降りていく。


 玄関にいたのはガクトだった。手には肉の入った袋を提げている。


「ほらよ、ちびスライム! 飯を持ってきたぞ!」


 エメルは一瞬で袋をひったくった。


「はあ!? 遅いんだけど! で、これ人肉じゃないでしょうね?」


「当たり前だろ! ちゃんと精肉コーナーのやつだ!」


「ふん」


 エメルは肉をひと口で呑み込んだ。

 その横でガクトはテレビの電源を入れる。つけた瞬間、一番上のチャンネルでニュース速報が流れていた。

 レポーターが中標津から生中継している。


『速報です! 情報筋によれば、ただいまこの瞬間、中標津で大規模な戦闘が発生しています! シンカイダンとそのカイダンチョウ、オマリロがムジンシャ・エリートと交戦中とのこと! さらに巨大生物が岩を投げまくっていて、しかも鳥みたいな怪物と戦っている模様です! とにかく、近隣の方は今すぐ避難してください!』


 映像には、オマリロたちとエメラルドの激突、そして別の場所で激しくぶつかり合うベヒモスとジズの姿が映っていた。

 エメルは思わず口を押さえる。


「やだ……やだやだ! 本当に始まってる!」


 彼女はソファから飛び降り、ガクトを指差した。


「あなた! 今すぐ私をお兄ちゃんのところに連れてって!」


「本気か、ちび?」

 ガクトは顔をしかめる。

「お前の兄貴、マジで洒落にならねえぞ。しかも地の獣までついてるんだ。怪我じゃ済まねえかもしれねえ」


「いいから! 今すぐ!」


 画面の向こうでは、なおも激戦が続いている。

 その間も二階の棺の中では、ハンが静かに眠り続けていた。


中標津、日本――


 ザリアは、オマリロとエメラルドが真正面から殴り合い、斬り合い、互いの一撃をぶつけ合う様子を見つめていた。

 エメラルドはオマリロの斬撃を身を屈めてかわすと、腕を籠手のように変形させ、そのまま拳を叩き込む。

 オマリロはそれを受け止めた。


「今だ! ジュゲン闘士――旋界槍!」


 ザリアが槍を投げる。

 それは地面をボウリング球のように高速回転しながら転がり、一直線にエメラルドへ向かった。


 だがエメラルドはオマリロから離れ、飛んできた槍を片手で受け止めると、そのまま握り潰した。


「度胸はあるな、娘」


 ザリアが踏み込もうとした、その瞬間。

 エメラルドはすでに彼女の背後にいた。


「うまそうだ」


 腹を打ち抜こうと拳を振るう。

 しかしレイが間に割って入る。


「ザリア、こっち!」

 彼女は月光を放ち、エメラルドの動きを乱した。

「私も手伝う!」


 レイは自分とザリアを包むようにシールドを展開し、そのままエメラルドの頭上に月牙を二つ生み出す。

 一瞬の隙を突き、その片腕を斬り落とした。


「その力……」

 エメラルドは目を細める。

「妙だな」


 斬り落とされた腕はすぐに再生した。

 そして彼はたった一撃でレイのシールドを砕き、二人を吹き飛ばす。


 そこへソウシンが駆け込んできて、二人を受け止めた。


「二人とも、大丈夫!?」


 ザリアは頷く。


「助かった、ソウシン。こういうときだけはハンがいてほしかったわ。あの根暗なら、こういう相手への対処法とか持ってそうなのに!」


 ノノカとリカも追いつく。


「なら、自分たちで見つけるしかないでしょ」

 ノノカが言い放つ。

「マスターに近づけさせるな」


 オマリロの体はまたしても再生を始め、そのぶんさらに老いが進んでいく。身長さえわずかに縮んで見えた。

 エメラルドは彼を見て、露骨に顔をしかめる。


「ひでえ有様だな。お前、本当にダンジョン破壊者か?」


 老人は腕を鳴らした。


「スライムは口が過ぎる。去れ。さもなくば刃は容赦しない」


 エメラルドは構えを取る。


「今のは喧嘩を売ったってことだぞ、老いぼれ。なら、証明してみろ」


 彼の腕が巨大な拳へ伸び、地面を叩きつける。

 オマリロは転移でかわすが、切り裂いたその拳の後ろから、別の腕が飛んできて彼を打ち飛ばした。

 さらに腕がいくつも生え、連続で襲いかかる。

 オマリロは片手だけでそれらを受け止めた。


「で、何か案ある?」

 ノノカが問う。

「相当ヤバいよ、あれ」


「強く殴る」

 ザリアが即答する。


「速く、ってのはどう?」

 ソウシンが提案する。


「だめだめ!」

 リカが首を振る。

「強すぎるよ! 一発でも食らったら終わり! ほら、シジル作るから。まだ何個かいける」


 彼女は両手を合わせる。


〈シジル生成:サイフォン〉


 できあがったシジルをザリアへ渡した。


「はい」


「助かる」


「レイ、あいつに近づける?」

 ノノカが問う。

「私がバフかける。そのあと、あんたとザリアで叩く」


 レイは再びシールドを張った。


「任せて! みんな、私の後ろに!」


 子供たちはレイのシールドに守られながら前進する。

 その間もエメラルドはオマリロとの攻防に集中していた。

 オマリロの刃が肩へ食い込んでも、エメラルドは気にも留めない。


 十分に近づいたところで、ザリアはソウシンへ小声で話しかけた。


「ねえ、ソウシン。ちょっと一発、後押ししてくれる?」


「もちろんだよ、ザリア姉!」


 ザリアは槍を構える。

 ソウシンがその背中へ手を当てる。

 オマリロの矢がエメラルドへ降り注いでいた。


「いくよ、ザリア姉!」


 ザリアは低く身を落とす。


「いいよ。やって!」


「ジュゲン操運者――伝送・第二ギア!」


 瞬間、ザリアの身体が弾丸のように撃ち出された。

 その一撃はエメラルドの胸を貫き、彼の動きを止める。


「うちのマスターから離れろ、この化け物!」


 エメラルドの首が百八十度ねじれて後ろを向き、ザリアは反射的に槍から手を離した。

 エメラルドはさらに背丈を伸ばし、腕を広げる。


「本当に鬱陶しい娘だな」


 オマリロが黄金の鞭でエメラルドを拘束する。

 だがエメラルドは身体をスライム状にして、そのままするりと抜け出した。


「おい!」

 彼はベヒモスへ声を飛ばす。

「老いぼれはそっちで足止めしてろ! こっちは学生どもを消す!」


 地の獣と空の獣は農場の上を転がるように激突し、その余波だけで大地が揺れる。

 オマリロがエメラルドのもとへ向かおうとした瞬間、巨大な山が地中からせり上がり、彼を閉じ込めた。


「マスター!」

 ザリアが叫ぶ。


 エメラルドは胸から槍を引き抜いた。


「喧嘩がしたいんだろ? ならしてみろ」


 ザリアはエメラルドの顔面へ蹴りを叩き込み、その頭部を吹き飛ばした。

 だが頭はすぐ再生する。

 次の瞬間、彼女の手の中のシジルが砕かれた。


〈シジル発動〉


 エメラルドはザリアの腹へ三連撃を叩き込む。

 だがそのダメージはそのまま彼自身へ反射し、彼の身体を爆散させた。

 それでも、飛び散った粘液はすぐまた一つへ戻り、彼は何事もなかったかのように再生する。


「くそ……」

 ザリアは歯を食いしばる。

「チャージ切れか。何かしなきゃ……何でもいい! あれだけ鍛えたのに、何も届かないなんて!」


 ソウシンが彼女を抱えて後退させる。

 レイは両手から月光を放った。

 だがエメラルドは平然としている。


 ノノカの身体が黄色く輝き始めた。


「みんな、ちょっと耐えて!」

 彼女が叫ぶ。

「ジュゲン操運者――呪いのスキル強化!」


〈全パーティメンバーに200%バフ〉


「援護して!」

 ザリアが叫ぶ。

「私が行く!」


 ソウシンはレイのシールドに速度をかけた。

 シールドは子供たちごとビーチボールのように跳ね回り、エメラルドの周囲をぐるぐると回る。

 彼が混乱した、その一瞬。

 ザリアはそこから飛び出し、空中で身体をひねる。


「天開蹴り!」


 回転蹴りがエメラルドの身体を真っ二つに裂いた。

 その直後、シールドが彼の周囲を激しく駆け巡り、粘液を四散させる。


「そのまま!」

 ノノカが叫ぶ。

「再生させるな!」


 しかし、飛び散った粘液の一部が巨大な掌となってシールドを吹き飛ばした。

 残りの粘液も集まり、エメラルドは再び人型へ戻る。


 その姿はすでにザリアの目の前にあった。


「ねえ、ほんと」

 ザリアが睨む。

「あんた何なの?」


「ムジンシャ・エリートの一体だ」

 エメラルドが名乗る。

「お前たちが生涯で対峙する中でも、最上位のダンジョン存在だ。そんな小手先でどうにかできると思うな。命乞いでもしてみるか?」


「するかよ!」


 ザリアは横蹴りを放つ。

 だがエメラルドはその脚を掴み、そのまま彼女を地面へ叩きつけた。


「哀れだな。うち最大の敵のもとで何か月も鍛えられて、この程度か? あの男を買いかぶりすぎたかもしれん」


「黙れ……!」


 ザリアは残った力を振り絞って槍を形成し、エメラルドの頭へ全力で突き刺す。

 その瞬間、空気がわずかに重くなるほどの闇の波が生まれた。


 エメラルドはそれを何でもないように引き抜く。


「最後の悪あがきか。気概は認める。だが愚かだ」


 軽い裏拳ひとつで、ザリアはトラクターへ叩きつけられ、そのまま意識を失った。

 エメラルドはぐったりした彼女の身体を持ち上げる。


「せめてもの慈悲だ。楽に終わらせてやる」


 その腕を振り下ろそうとした瞬間――時間が止まったように静まり返った。

 赤みを帯びた影が彼の前へ現れる。

 双眸だけが、真紅に燃えていた。


「だめだ。そいつは殺すな」


 エメラルドが動きを止める。


「ん? 何だと? だが、こいつは――」


 赤い目が炎を吹き上げる。


「聞こえなかったのか。娘は生かせ」


 その影は闇へ溶けるように消えた。

 残されたのはエメラルドとザリアだけだった。

 エメラルドは彼女を持ち上げたまま低く唸る。


「妙なやつだ。……いい。今日は運がよかったな」


 そこへリカが彼の背中へ飛びつく。


「親友を放しなさい!」


 エメラルドは空中でリカを掴み、そのまま地面へ叩きつけた。

 続けてソウシンが現れ、彼の膝へ何度も拳を打ち込む。

 だがエメラルドは蹴り一発でソウシンを吹き飛ばした。


 ノノカとレイも挟み撃ちを試みる。

 しかしエメラルドは両腕を伸ばして二人を同時に絡め取り、そのまま頭同士をぶつけさせて放り捨てた。


 倒れた子供たちを見下ろし、エメラルドは低く呟く。


「もしかすると、あの老いぼれもそこまで愚かではないのかもな……」


 その頃――


 オマリロは山を斬り裂いて脱出し、エメラルドのもとへ向かおうとしていた。

 だがベヒモスが突進し、その巨脚で踏み潰しにかかる。


「オマリロォ!」


「獣か」


 オマリロはベヒモスの牙を掴み、そのまま巨体ごと空中へ放り投げた。

 そこへジズが飛びかかり、ベヒモスを地面へ叩きつける。


「落ち着け、ベヒモス!」

 ジズが怒鳴る。

「長い付き合いのある相手であろう!? 友ですらあったではないか!」


 ベヒモスは地中から石柱を噴き上がらせ、ジズへ撃ち込む。

 ジズは雷でそれらをすべて砕いた。


「友などいない!」

 ベヒモスが吠える。

「いるのは味方か敵か、それだけだ!」


 オマリロはジズの背へ転移した。

 ジズはベヒモスの突進をかわすべく上空へ舞い上がる。


 ベヒモスは咆哮し、その音でジズの動きを乱した。

 空の獣は徐々に高度を落とし始める。

 そこへベヒモスが下から突っ込み、胸部へ体当たりを叩き込む。

 ジズとオマリロはそのまま雲の中へ弾き飛ばされた。


「よし」

 ジズがうなった。

「今のは越えてはならぬ一線だ!」


 空から極太の雷が落ち、ベヒモスを石へ変える。

 だが数秒後、その石は砕け散り、また巨獣の姿へ戻った。


「地面がある限り、我は止まらぬ」

 オマリロが言う。

「地上では獣を止められない」


 ベヒモスは脚を踏み鳴らし、巨大な山を隆起させてジズへぶつける。

 ジズは竜巻でその山を持ち上げ、脇へ投げ捨てた。


 今度はジズが急降下し、爪でベヒモスを掴み上げる。

 ベヒモスは頭を突き出してジズの胸を打ち、その隙に拘束を脱した。


 さらに肩を震わせ、地面を削るようにして体を巨大な岩塊へ変え、そのまま空の獣へ体当たりを叩き込む。

 ジズは雷の盾を張り、それを押し返した。


 オマリロはその隙に時計の拘束へ封じ込めようとした。

 だがベヒモスは山の壁を築き、自身を遮る。


 上空からジズが状況を見下ろす。


「以前にも増して荒れておるな」

 彼は言う。

「怒りだけで動いている」


「獣は従わせる」

 オマリロは剣を向けた。

「これ以上の暴走は許さない」


 ベヒモスもまた二体を睨み返す。

 先に動くのはどちらか――そう張り詰めた空気が満ちる。


 そのとき。


 ザバァッ――!


 大波が陸地を呑み込み、ベヒモスの巨体を持ち上げた。

 地の獣の下半身は氷で包まれ、その動きが封じられる。


「失礼いたします、マスター」

 どこか優雅な声が響いた。

「遅すぎる到着ではなかったことを祈ります」


「おお」

 ジズが目を細める。

「その声は……」


 レヴィアタンの巨体が水面から現れ、ベヒモスの周囲をゆっくりと回る。

 ベヒモスの目に怒気が宿る。


「お前か」


「ごきげんよう、同胞」

 レヴィアタンは穏やかに言った。

「そろそろ頭を冷やすべきではなくて?」


 ベヒモスは咆哮し、氷を砕き割る。

 巨大な岩盤を足場にして立ち上がった。


 レヴィアタンはジズの隣へ寄り、彼はその背からオマリロを降ろした。


「ジズ」

 レヴィアタンが声をかける。

「まさか鈍ってはいませんよね?」


 ジズは翼を大きく広げ、不快そうに鼻を鳴らす。


「そのようなことを疑うか」


「少し思っただけです」


 オマリロは剣をベヒモスへ向けた。

 ベヒモスの身体はさらに巨大化し、岩で覆われていく。


「獣は代償を払う時だ」

 オマリロが告げる。

「今こそ償え」


 ベヒモスはその三者を見渡し、低く鼻を鳴らした。


「来い、老いぼれ。来てみろ」


――

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