漆
「っひゃー!風が冷てえ!」
放課後、昇降口を出ると開口一番、優一は叫んだ。
結局、あの後騒ぎ続けるこいつを見兼ねて、定春と俺は保健室へ連行した。
保健医から腹痛薬をもらって飲むと、安心したのか優一は大人しくなった。
だがそれも一瞬のことで、数秒後には痛みがなくなったと騒ぎ出したのだった。
「あいつは毒を盛られても気付かないんじゃねえか?それか、腹が痛え!くらいで済みそうだよな」
俺が関心を含んだ声で呟くと、隣を歩く定春は呆れた溜め息を吐く。
視線を、少し先を歩いている優一に向けて呟く。
「あいつが小学生の時に、クラスの男子から嫌がらせで、腐った牛乳を給食の時に入れ替えられた事があった」
「うわ、なんだよそれ」
「あいつは幼い頃から、ああだったらしい。だから自然と人が集まってくる。それをひがんでやったとの噂だ」
定春も人伝てに聞いた話みたいだな。
まあ、優一の性格を考えれば、そんな事されても気付かなそうだ。
「で、どうなったんだ?」
俺が先を促すと、定春はもう一度短い溜め息を吐いた。
だが、表情は明るい。
「腹痛で早退した次の日、元気に登校したそうだ。そしてクラスのやつ皆に挨拶して回ったそうだぞ」
「一晩で治してきたのか…。治癒能力高えなあ。嫌がらせした奴も、さぞかし驚いただろうな」
その状況を想像して笑うと、定春は口に笑みを浮かべて言った。
「優一のやつ、誰が犯人か知っていたらしい」
「え?」
つい、足を止めて横にいる定春を見つめた。
定春も一歩先で足を止めたが、視線は優一に向けたままだ。
「それでもクラスの奴全員に声をかけて、それを卒業するまで続けたそうだ。その日以来、優一に嫌がらせをする奴なんかいなくなったらしい」
「…………」
俺はこの時、優一も違う意味で大物になると確信した。
俺達が立ち止まっているせいで、当の本人は校門の外まで進んでしまったようだ。
右手を大きく振りながら、俺達を呼んでいる。
「何してんだよー!!早く来いよー!!!」
「悪い悪い!!」
俺が手を振り返していると定春がこちらを向いて、ひとこと言った。
「だから俺は、あいつのことを気に入ってる」
「おぉっ」
定春がこうもはっきり好意を主張するなんて珍しい。
俺達がつるむようになったのは、中学に入って同じクラスになってからだが、もう何十年も一緒にいるような気分だ。
……6年に対しちゃ少し大袈裟か?
「おせえよ!2人で何話してたんだよー!」
校門で合流した優一をなだめつつ、俺達は暮れ始めた西へと向かって歩き始めた。
カラスが鳴く空にうっすらと遠く、月が浮かんでいる。