36話
幽州に落ち着く前の李鳳は全国各地を巡り、行く先々で薬師・医師として怪我や病魔に苦しむ人々の治療を行っていた。
無論、無償の奉仕活動ではない。
慈善という意識など存在しない。強者には吹っ掛け、弱者からも搾取するという経営理念で医療活動を続けてきた。金銭での支払いを基本としていたが、中には別のモノで代替するということも少なくなかった。
その一例が、今李鳳の眼前の光景である。
――とある料理屋――
「どや? 美味いやろ?」
店内にて、出された料理を無我夢中で食べている女の子に問いかける李典。
「うん、すげーうまい! 流石は真桜姉ちゃんオススメの店だけあるな。……おい、李鳳、食わねーならソレよこせ」
そう言って李鳳の丼から叉焼を奪い取る女の子。
「あっ、私も……頂きますね」
女の子同様に李鳳の隣に座る男性からも箸がのびる。
「せやろ、ウチの行き着けやからな、ニシシシシ。陳登(ちんとう)も遠慮せんでええで」
李典にまで奪われ、李鳳の丼に残ったのは麺のみ。
どや顔の李典だが、このお店は以前李鳳に教えてもらった東通りの拉麺屋である。
女の子の名は丁奉(ていほう)、字を承淵(しょうえん)という。
短髪の黒髪でまだまだ成長期なボーイッシュな風体と言葉遣い、行動も大胆そのもので体中に出来た無数の傷跡は楽進にも匹敵する。その腕っ節も楽進には及ばないものの非常に優れており、投擲に関しては天賦の才と李鳳は評価している。
初めて会ったのは李鳳がまだ華佗の弟子として一緒に旅をしていた時だ。賊との競り合いで大怪我を負った丁奉を介護したのである。二度目は李典と共に揚州を抜けようとした際に、またまた負傷して倒れていたのをたまたま発見したのだ。無一文だった為に怪我が治ったら働いて返せ、という至極当然という李鳳の要求に当初は良い顔をしていなかったが、一晩考えた後は素直に応じたのであった。
現在は陳登の補佐兼護衛という仕事をやっている。
その陳登は字を元龍(げんりゅう)という。
暗い灰色の髪で李鳳よりは大きいが男性の中では平均からやや小柄といった身長であった。父の陳珪(ちんけい)は徐州を統治する陶謙(とうけん)に仕えており、本人も誠実で思慮深く智謀にも秀でていた。その為に、父や陶謙からは将来を大いに期待されていた。
そんな陳登には一つ持病とも呼べるものがあった。それは食べても食べても満たされることの無い食欲だ。陳登は人の数倍、数十倍の量を食べ続けていたが、その体型はむしろ細身だった。陳登は自分の食欲にかなり悩んでいた。父を見て育った陳登は、人一倍民を想う心を強く持っていた。そんな彼は飢えで苦しんでいる人々が大勢居る中で、自分だけが人並み以上に食すという行為と衝動が許せなかった。
そして、ついに自ら命を絶とうと考えたのであった。民を想う余りの自己犠牲の精神であり、そこまで追い詰められていたのである。それを救ったのが李鳳だった。李鳳の処方した薬のおかげで陳登は生まれて初めての満腹感を味わうことが出来たのだ。その喜びようは見ている周りの者が恥ずかしいくらいだった。
現在でも定期的に薬を服用しており、命を救われた礼が金銭などでは気が済まないと言い出したのが縁だった。
武に関してはあまりパっとしないが、優れた智謀や軍才はかいま見えることもあり、李鳳自身が積極的に活動は出来ないので間諜として雇っているのだ。
今はまさにその諜報活動の報告の場でもあるのだが……。
【李鳳】
正式な家臣でも無い2人を城内には入れれないので、必然的にこういった場所になったのは仕方ないとして……食ってばっかじゃん。
「真桜姉ちゃん、羊の肉もうないぞ」
「李典さん、こちらの揚げ物も最後です」
「よっしゃ、おっちゃーん。これ全部もう1皿ずつ追加や、大急ぎで頼むでぇ」
……太れ、太れ、太れ、太れ、ぶよぶよ太ってしまえ!
と、何度呪詛を唱えたことか……。成長期の糞ガキは身長に、寄生虫野郎は胃下垂も搭載しており、乳牛は結局乳に……。世の中は理不尽で成り立っているんだな。
「李鳳、何しけた面してんだ。飯が不味くなるだろ、そうでなくてもショボイ顔のくせに」
「ウシシシシ。言われとるで、伯雷」
「この顔は生まれつきだと何度か申し上げてるはずですが……。陳登、報告をお願いします」
女性陣は放置しようと決め、陳登に報告を促す李鳳。
相変わらず料理をつつく李典と丁奉。
名残惜しそうに箸を置き話し出す陳登。
「はい、もう間もなく太陽が沈むようです。次に昇らせようとする太陽を巡る対立も概ね予想通りの構図で、大将軍の何進と袁紹が蜜に接触を重ねています」
「そうですか……。思っていたよりずっと早かったですね、董卓という人物については如何でしたか?」
「辺境で羌族と戦い続けた実績は伊達ではありませんね、かなり精強な軍を有しています。更に并州の民からの評価も高く、悪政を敷いているという噂は耳にしませんでした」
この世界では恒例の、何度目になるか判らない程の想定外だな……。
「それで肝心の董卓を見ることは出来ましたか?」
「申し訳ない。強固な警戒網が敷かれている上に腕の立つ武将も在中していたので城内への侵入は避けました」
「……賢明な判断でしょう。今はまだ顔が割れるのはマズイですからね」
陳登のこういった臨機応変な行動出来る者は助かるな。……猪武者には出来ない注文だ、ククク。
「オレに任してくれれば、忍び込んでやったのによ」
羊肉をむしゃぶりながら、行儀悪く会話に割り込んできた丁奉。
「……そう言って以前見つかった事があったでしょ」
「見つかったら始末すりゃいいだけの話だろ。オレの月光なら一瞬だぜ。なんたって真桜姉さんの最高傑作だからな」
「ニシシ、照れるやんか。もっと言うてええで」
そう言いつつ円月輪を持ち上げる丁奉。
李鳳が李典に依頼したチャクラムを更に改良し、投擲と近接戦闘を可能にした力作だ。
オレの……? ふざけんな、ようやく完成したのをお前がかっぱらったんだろうが、この糞アマ!
度重なる遠征で開発が大幅に遅れ、待ちに待った“俺の”チャクラム・改を……お前だって猪予備軍なんだぞ。もっと自重して大人しく陳登の指示に従ってろよ。どれだけ俺が楽しみにしてたと思ってたんだ、お前と被るからもう一組作ってくれとも言い辛いし……最悪だよ。前みたいに石コロ投げとけよ。
マンセーもマンセーだ。あっさり丁奉に譲渡しやがって……開発費出したの誰だと思ってんだ? しかも、いつの間に真名預けてんだよ。
「まぁまぁ、済んだ事ですし……。私からもよく言っておきますので」
頼むぞ、もはや味方はお前だけだよ。同性同士協力して頑張って行こうじゃないか。働き次第では腹の中の寄生虫を殺す薬を開発しないでもないよ。今の薬じゃグッドスリープ、ぐっすり寝てるだけだからな……保険は必要だもんね。
最年長――と言っても二十歳そこそこだが、大人の陳登が場を取り成すことで落ち着きを取り戻す李鳳。
「……話を戻しますが、董卓の容姿は確認出来なかったということですね?」
「はい。城下町の民ですら城主を見たという話は聞きませんでしたので、性別すら不明です。……もう少し深く潜りましょうか?」
「……いえ、それは不要です。今後は袁紹の動きを探って下さい」
クックック、正体不明の董卓……実に面白いじゃないか。霊帝が崩御すれば時代のうねりは一気に加速するはずだ……、袁紹さえ押さえておけばいい。鍵は袁紹だ。
「袁紹だけでええのん? 袁家には袁術っちゅうんもおるやんか、前に旅しとった時も袁術の領地はササッと抜けてもうたけど……何ぞあるんか?」
食事を終え、黙って聞いていた李典がふと思ったことを口にした。
「なんだ、お前袁家が怖いのか? 華佗様の弟子なのに情けない奴だな」
黙れ、小娘。袁術の客将にはエスパーがいるんだよ。近づいたり、探ったりしてたら即バレて拉致られるだろ。あれは絶対に妖術の類いだな、読心術だけならいいが……他にどんな恐ろしい術があるか分かったもんじゃない。
「まぁ、袁家が脅威というのは否定しませんよ。あの潤沢な資金と軍事力は侮れませんからね……」
「……意外やな、ウチは伯雷を怖い者知らずや思てたけどなぁ」
「私も李鳳さんは大胆不敵な変わった御人だとばかり……」
「そうか? 大した奴じゃねーだろ。まっ、師の華佗様は最高の男だけどな」
なんとでも言うがいい。どうせ孫策は毒矢で死ぬ運命だ、呉にチョッカイ出すのはピンクが死んでからにしよう。
やっぱりファンタジーワールドだけあって、史実とは大きく異なる流れだな。今後の予測も難しいだろうな……。霊帝の崩御が先か、“あの人”の命が尽きるのが先か……。クックック、できればもう少し生きててもらわないと困るけどな。
でも、俺はやっぱり軍師には向いてないな……。
最悪のケースも想定して色々と準備しなきゃいけないのに、……孫策関連は全部思考の彼方にポイしてるからな。ファンタジーワールドなんだから、死なない可能性もあるわけだし……。
……死ぬはずの人が死なずに、まだ死なないはずの人が早死にする…………それは面白そうだ。クフフフフフ、なんて魅力的なんだ。
「アカン、また悪い虫が騒いどる顔しとるで」
「はぁ、なんと言うか……大変なんですね」
「キモいだけだろ」
何度でも言おう、なんとでも言え。
そして、陳登。悪い虫が居るのはお前の腹だ。
華佗バカはもう喋るな!
クックック、もうすぐだ。もうすぐそこまで来てるんだ。
母さん、最高のショーがもう間もなく開幕しますよ。大いに笑って下さいね。
「はな、先に帰るで。ご馳走さん」
「ご馳走様でした。任務に戻りますね」
「おい、次も肉食わせろよ。あと華佗様から連絡あったら即知らせろよ、黙ってたらブッコロす」
……キジ、イヌ、サルの餌付けに成功した桃太郎のような心境ですねぇ。個人的には鬼のお供が欲しかったですが、クヒヒヒヒ。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
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