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第四章 一話

 朝の光がいつもより弱々しく、はっきりとしない灰色の雲が広がっていた。いつもより冷たい空気を吸い込んで目を覚ましたイーリー・シュレイガーは、プリムが来るまで片付けをしていた。

「おはよう、お兄ちゃん……」

 朝食を持ってやって来たプリムは、いつもより元気がない。イーリーはすぐに、彼女の母親の具合が悪いことを思い出した。老騎士ボルン・ディラックが薬をもらいに行くのを見送る姿が、脳裏に再現される。

(来てくれないよ……)

 診察に来てもらった方が良いのではと言ったイーリーに、プリムはそう答えたのだ。

「具合は、そんなに悪いの?」

 彼が尋ねると、プリムは小さく頷いた。

「夕べからすごく苦しそうなの。咳も止まらないし……」

 少女の不安そうな表情に、イーリーの胸は痛んだ。何かしてやれないだろうか――彼が気遣うように尋ねると、少しだけプリムは微笑んで首を振った。

「今、お爺ちゃんがお医者さんの所に行ってるの。お母さんを診てくださいって、頼みにいってくれてるんだ。だから、大丈夫」

「そっか。でも、何かあったら遠慮しないで言ってね」

「うん、ありがと」

 戻って行く後姿を見ながら、イーリーは溜息をついた。自分に出来ることなど、たかが知れている。薬の調合は可能だが、風邪や腹痛など、一般的な症状にしか対応することが出来ない。薬は、診察をして細かな症状に合わせて調合しなければ、効果的とはいえなかった。しかしイーリーに出来る診察など、素人よりはマシな簡単なものでしかない。

「お医者さんに診てもらうのが、一番なんだよな」

 そう独り言を漏らしたイーリーが食事をしようと振り返った時、壁の方を見て仁王立ちのアイソリュースがいた。

「何してるの?」

 驚いたイーリーが尋ねると、アイソリュースは険しい表情で答える。

「なんだか、危ない状態ね」

 彼女の視線を追うが、そこはただの壁で、特に変わったところはない。

「何かあるの?」

「壁の向こうに、母親が寝ているのよ」

 どうやら、魔法を使って壁の向こう側を見ているようだった。残念ながら、イーリーには出来ない。

「見る?」

 首を傾げ、アイソリュースがそう聞いた。イーリーは一瞬迷い、頷く。何かしたいという思いが、強く湧き上がっていた。

 手招きをする彼女のそばに行くと、アイソリュースはイーリーの背後に回って、肩を抱くように首に腕を回してくる。柔らかなものが触れる感触はあるが、体温は感じられない。

「壁の一点をじっと見て。意識を目に集中するの」

 耳元で囁く声が、催眠術のようにイーリーの心に浸透する。

「最も小さき探求者、物見のシャーウッドよ、我が声に応え力を貸し賜え――透視開眼(イン・カラ)

 やがて視界の光が強くなり、白くぼやけてきたかと思うとすぐに元通りになった。すると、壁が透けて、粗末なベッドに寝た女性の姿が映った。

 青白い顔は頬骨が浮かぶほどやつれ、苦しそうな咳をするたびに、胸が大きく上下する。プリムがそばで水を飲ませようとしているが、すぐに吐き出してしまっていた。

 枕元に散らばる抜けた毛髪が、痛々しい。

「病名はわからないけど、私は何度か同じような患者を見たことがあるわ。たぶん、間違いないとおもうけど、村のおばあさんがそうだった」

「……」

「あの時は医者に診て貰って、数日もしないうちに元気になったはずよ」

「……」

「こじらせなければ、大した病気じゃないと思うけど、今のままだと危険かも知れないわね」

 アイソリュースばかりが話し、イーリーは無言のままだ。おかしく思い、彼女は無反応のイーリーの顔を覗き見た。すると、目を見開き、顔面蒼白で固まっていたのだ。

「イーリー?」

「……母さんも死ぬ前、痩せ細って、ひどく咳き込んでいたんだ」

 彼の脳裏に蘇る母親の姿が、プリムの母親と重なった。それは偶然同じような症状だったのかも知れないが、イーリーにとっては人事のように思えない気分だったのである。

「何とか出来ないかな……」

「医者が来れば問題なさそうだけど、その可能性は低いと思うわ」

 楽観的に考えても、アイソリュースの言う通り可能性は低い。そのことは分かっていたが、心のどこかには希望を捨てきれない思いがあるのも事実だ。

「詠唱魔法に治癒があったと思ったけど、それじゃ無理かな?」

「怪我とかなら大丈夫だろうけど、内臓の病だと完治は無理ね。でも、症状を抑えたり、進行を止めたりは可能だと思うわ。もしかしてイーリーが?」

 振り返ったイーリーは、無言でアイソリュースを見た。

「私は無理よ。多少の魔法なら使えるけど、封印のせいで制約が多いの。治癒系は地味だけど、高位魔法だから今の私には使えないわ」

 イーリーは唇を噛み、うなだれた。しかしすぐに顔を上げ、

「誰か、魔法の使える人に頼んでみれば――」

「ダメ。ここにピーモ族がいることは極秘ってわけじゃないけど、出来れば知られたくない事なのよ。噂が広まったりしたら、どうなるか想像できるでしょ? 今は幸い、私の噂で人が寄りつかないから問題は起きてないけれど……」

「でも、ここはチャンドラー様の管理下なんでしょ? だったら……」

「代わりはいるもの。役にたたない病人は追い出されるか、始末されるだけよ。助かる見込みなんてない」

 道端で死んだ母親を、イーリーは思い出す。何も出来ない無力さに打ちのめされる中、命の火が消えるのを待つだけの時間。それは永遠のようで、一瞬のようでもある時間だった。今、プリムがあの苦しみに耐えているのだ。

「……一つだけ」

 不意に、アイソリュースが言う。

「方法が一つだけ、ある」

 彼女の瞳の中で、小さな炎が妖しく揺れた。

「書庫の一番奥の壁には魔法の仕掛けがあって、小さな部屋が隠されているの」

 イーリーの体が、緊張で強張った。これ以上聞いてはいけない、そんな胸騒ぎを覚える。

「その部屋には一本の幅広剣が突きたてられていて、封印の鍵の役目を果たしているのよ。私は触れることも、近寄ることも出来ないその剣を、もしも、折ることが出来たなら……」

「アイサさんは!」

 彼女の言葉を遮り、イーリーは慌てたように声を荒げた。しかしすぐに落ち着きを取り戻し、静かに深呼吸をする。自分でもわかるほど、鼓動が早い。

「アイサさんは、プリムのお母さんを助けた後、どうするの?」

「……」

「お城に行くつもり?」

 アイソリュースは何も答えなかったが、イーリーにはわかった。深い闇の奥で、消えることのなかった小さな炎が少しずつ勢いを増している。

「ボクには、出来ないよ」

 数瞬の間の後、アイソリュースは「冗談よ」と微笑んだ。イーリーは、笑えなかった。



 絶望するには若すぎて、少女は小さな胸を痛めていた。自分の世界は母のそばにあって、それ以外の場所など想像も出来ない。不安で、押し潰されそうだった。

 大好きなお母さん……とても、大切な人。だから、諦められなかった。

(お母さん、待ってて)

 少女は決意を胸に、雨の降る夜の闇へ足を踏み入れた。

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