56 悪妻は退場しましたので
「お待たせしました、唐揚げ定食でーす!」
「うおっ、旨そう~!」
「ロジーちゃん、こっちにライスのおかわり頼むわ!」
「はーい、ただいま!」
「俺はカラアゲ追加ね!」
「まいどありがとうございまーす!」
今日もお昼時のリコリス亭は多くのお客さんで賑わい、私はエプロンの裾をひらめかせ、トレイを手に大忙しで動き回っている。
『核』を討伐し、アドルファスが王都に戻ってから早くも一月が経った。
この間、私は以前と変わらずリコリス亭に住み、昼間はロウェルを預けて食堂と聖女の仕事をハシゴし、夜はロウェルとダンさん、ハンナさん夫婦と過ごしている。
いや、以前とは変わったこともいくつかある。
ダンさん達にお願いして、食堂の仕事は一日置きにしてもらった。
食堂の仕事がない日は、朝から聖女の仕事に専念する。聖女に専念する日はディウドの街に残った討伐隊と一緒に『魔の森』に行き、魔獣の卵を浄化して回った。これでしばらくは魔獣の数が減るだろう。
私が食堂で働く日を減らした分、リコリス亭では新しい店員を雇い入れた。
デイジーという名の明るくて素直な女の子だ。今は私が休む日のホールのみをお願いしているが、ゆくゆくは出勤日を増やし、調理補助も覚えてもらう予定だ。物覚えが良くて意欲的な子なので、すぐに仕事を覚えてくれるだろう。
それから、変わったことがもう一つ。
「ロジー、ラーメン一丁あがったよ! カウンター五番さんに運んどくれ」
「了解でーす」
そう、念願のラーメンが完成したのである!
ダンさんがあれこれ試行錯誤を繰り返し、スパゲティを茹でる時に重曹を加えると中華麺っぽい食感になることを発見したのだ。
スープは黄金色に輝く鶏ガラスープ、トッピングは自家製の鶏チャーシューと煮卵、それから色鮮やかなネギ。完成した時は大興奮だった。
幸いなことに、ラーメンはリコリス亭の常連さん達に受け入れられ、早くも人気メニューの一つになりつつある。
「ジェイクさん、お待たせしました~! ラーメンです!」
「おっ、待ってたぜ! この味、癖になるんだよなぁ」
「ふふーん。そうでしょう、そうでしょう」
ジェイクさんはさっそく箸を手にラーメンを食べ始める。ラーメンをメニューに加えたのを機に、箸も導入してみたのだ。今はまだフォーク派の人が多いけれど、ジェイクさんのように箸に挑戦する人もちらほら出てきたところだ。
一段落して厨房に戻ると、申し訳なさそうな顔のハンナさんに声をかけられた。
「ロジー、つい申し出に甘えて手伝ってもらっちまってるけど、本当に良かったのかい? 明日はもう出発だってのに」
「大丈夫です、荷造りは済ませてあるので! それに、今日が最後だからこそ、いつも通りに過ごしたいんです」
明日、約一ヵ月の遠征を終えて、魔獣討伐隊が王都に戻る。それに同行して、私とロウェルも王都に向かう予定になっているのだ。
一ヵ月前の祝勝会の夜、私はアドルファスにお願いをした。
もう少しだけディウドの街に残り、皆に恩返しがしたいと。
『核』を倒したことで魔獣の大量発生は収束に向かうと見られているが、まだまだたくさんの魔獣がいる。森の中で見た大量の卵も気になっていた。私の浄化魔法で駆除できるなら、少しでも駆除しておきたい。
それにリコリス亭だって、私が急に抜けては困ってしまうだろう。
(ううん、違う。私が離れがたかったんだ……)
リコリス亭やこの街とお別れするための、心の準備期間がほしかった。
言葉にはしなかったけれど、きっとアドルファスはわかってくれていたと思う。
昼過ぎまでリコリス亭で働き、その後は守備隊の救護室へ。
救護室の皆さんをはじめ、顔見知りになった守備隊の人達に最後の挨拶をして回った。
ちなみに、私の本当の素性は伏せられたままで、魔獣討伐隊にスカウトされて王都で聖女をやることになった……ということになっている。
若様だけは、私が元王女でアドルファスの妻であることを知っている。薄々そうではないかと疑っていたところ、アドルファスが森の洞窟で私を「ロザリンド」と呼んだという報告を受けて、確信したらしい。
だけど若様は、それを他の人には秘密にしてくれて、私に対しても以前と同じように接してくれた。それが私には本当にありがたかった。
若様は最後まで若様で、髪をファッサァ…とかき上げ、「デュアー将軍に嫌気がさしたらいつでも僕のところにおいでよ」と気障にウィンクした。
目の奥がちょっぴり寂しそうに見えて、私も少し泣きそうになったけれど、若様が笑顔だったので私も笑顔でお別れした。
守備隊での最後の勤務を終えたら、教会にロウェルをお迎えに。
シスターにこれまでのお礼を伝え、ロウェルと手を繋いでリコリス亭への帰り道を歩いた。
リコリス亭に戻ると、ダンさんとハンナさんが晩ご飯を準備して待っていてくれた。
「うわぁ、おいもしゃんのごはんだ~!」
甘芋の炊き込みご飯を前に、ロウェルが目をキラキラさせる。
他にもテーブルの上には、ダンさんの得意料理から和食メニューまで、私とロウェルの好物が所狭しと並んでいる。
美味しそうな料理を前に目がキラキラするのは私も同じだ。ロウェルの食いしん坊は間違いなくママ譲りに違いない。
「すごーい! こんなにたくさん! どれも大好き! おいしそ~! ダンさんありがとうございます!」
「おぅ、たらふく食え」
ダンさんが照れたように言う。その隣でハンナさんが楽しそうに笑った。
「この人、最後の夕食に何を作るか迷いに迷ってさ、結局アンタ達の好物全部作ることにしたんだよ。そんなに食べきれないよって言ったんだけどねぇ」
「仕方ないだろ。食わせてやりたかったんだから」
ダンさんはますます照れた顔でそっぽを向いてしまう。ぶっきらぼうな物言いの中にある優しさに、じーんと胸が熱くなった。
「嬉しいです……! もし残っちゃったら、明日お弁当にして持って行ってもいいですか? だって、全部食べたいんだもん!」
「……おぅ、好きにしたらいい」
相変わらずそっぽを向いたままのダンさんの口元が、嬉しそうにニヤリと緩んだ。
四人での最後の夕食は本当に和やかで楽しくて、お腹いっぱいで苦しくなるまで食べた。
ロウェルを寝かしつけてから、ダンさんとハンナさんと一緒に後片付けをする。ハンナさんが洗ったお皿をせっせと拭きながら、私は無言だった。
何か言葉を発すれば、一緒に涙が溢れ出てしまいそうで。
「それにしてもロジーがお姫様だったとはねぇ、あたしゃいまだに信じられないよ」
しんみりした空気を振り払うように、ハンナさんが明るい声で言う。
「隠しきれない気品が……ないか。ないですね!」
あはは、と私も笑って見せる。
「最初から育ちの良さは感じていたよ。だから、ちょっといいとこのお嬢さんなんだろうとは思っていたんだ。だけどまさかお姫様だとは思わないじゃないか」
祝勝会の夜、ダンさんとハンナさんには私の本当の素性を打ち明けた。二人は信じられないといった様子でぽかーんとしていたが、同席したアドルファスが間違いないと断言したので認めざるをえなかったようだ。
受け入れた後は、『これからいったいどう接すれば……』と困惑し始めたので、これまで通りに接してほしいとお願いした。ハンナさん達に「ロザリンド様」なんて呼ばれたら、悲しくて泣いてしまうと思う。
「実は私も、お姫様時代のことは忘れかけてるんですよね。……ここでの暮らしが幸せすぎて」
私はお皿を拭く手を止めて、ダンさんとハンナさんに向き直った。二人もまた、作業の手を止めて私に目を向ける。
「三年間、本当にお世話になりました。ダンさんとハンナさんに出会えなかったら私……」
何も持たず、勢いだけでこの街に来た私に、住む場所と仕事を与えてくれたのはこの二人だった。
もし二人が手を差しのべてくれなかったら、私は騙されて売り飛ばされ、今頃は夢も希望もない生活を送っていたことだろう。ロウェルを無事に産み育てることも、アドルファスと再会することもできなかったに違いない。
「わ、私……二人のこと、お、お父さんとお母さんみたいに思ってて……!」
堪えていた涙がついに溢れ出す。
私とロウェルに居場所をくれた。見守ってくれて、甘やかしてくれた。実の親よりもよっぽど愛情深く。
ハンナさんがそっと私を抱きしめた。
「……ありがとうね、ロジー。アタシ達もね、アンタを娘のように、ローちゃんを孫のように思ってるよ。幸せをもらってたのはアタシ達の方さ」
ハンナさんの声はわずかに湿り気を帯びて震えている。ダンさんが無言で頷く。
そんな二人に、さらに涙が溢れ出す。
「寂しいけど、親なら娘の旅立ちを祝わなきゃね。幸せになるんだよ、ロジー。まぁ、あの御方が旦那さんなんだから、心配はしていないけどね」
祝勝会の後、アドルファスは私をリコリス亭まで送り届け、ダンさんとハンナさんにきちんと挨拶をしてくれた。
そして、「彼女とロウェルのことは俺が必ず幸せにします。だからどうか、二人を連れて行くことをお許しください」とダンさんとハンナさんに頭まで下げてくれたのだ。英雄と名高い黒狼将軍に「娘さんを僕にください」ムーブをされたダンさんとハンナさんが恐縮して固まったのは言うまでもない。
アドルファスは王都に帰ってから、三日と空けずに手紙を送ってくれる。
あまり手紙を書き慣れてはいないのだろう。「元気に過ごしているか?」で始まり、「あなたとロウェルに再会できる日を心待ちにしている」で終わる手紙はいつも短いけれど、「タウンハウスの庭の木に白い花が咲いた。あなたとロウェルにも見せたい」とか、「さっき、雲がカラアゲの形をしていた。あなたとロウェルは今日何を食べたのだろうか?」とか、不器用ながら一生懸命書いてくれたことが伝わってきて、いつも私の心を和ませてくれた。
「あの人と一緒に、今度こそ私、幸せになります」
二度と足を踏み入れることはないと思っていた王都。あまりいい思い出はないし、私をよく思っていない人もたくさんいる。
そこに戻ることに不安がないと言ったら嘘になるけれど、アドルファスがいてくれるならきっと大丈夫だと信じている。
だけど、それでも――。
「それでも、二人と離れるの、寂しいよぉ……」
えぐえぐと嗚咽を漏らす私の背中を、ハンナさんが優しくさすってくれる。まるで子どもをあやすみたいに。
「ここを実家だと思って、帰りたくなったらいつでも帰っておいで。待ってるからさ……」
「うん……うん……!」
ハンナさんの胸を涙でびしょびしょに濡らしながら、私は何度も頷く。私が泣き止むまでずっと、ハンナさんは背中を撫で続けてくれたのだった。
◇
翌朝、臨時休業の札を下げたリコリス亭で、私はお迎えが来るのを待っていた。王都に帰還する討伐隊員が、私とロウェルを迎えに来てくれることになっているのだ。
荷造りはすっかり整っている。三年前にこの街に来たときは、旅行鞄一つに納まるほどしかなかった私の荷物は、旅行鞄三つ分くらいに増えた。
アドルファスからは「必要な物は全て揃えるので身一つで来てくれて構わない」と言われているが、思い入れのある物だけに厳選してもこれだけの荷物になってしまった。
ロウェルも、小さなリュックにお気に入りの玩具を入れて背負い、準備万端だ。
「王都まで気をつけて。元気に過ごすんだよ」
「はい、ハンナさんとダンさんもお元気で。……行ってきます」
二人とハグを交わす。昨日散々泣いたおかげで、今日は笑顔でお別れできそうだ。
「ろーちゃもぎゅーするー!」
「そうだね、ローちゃん、抱っこさせておくれ」
ロウェルはハンナさんとダンさんに順々に抱っこしてもらってニコニコだ。
初めて「パパのお家にお引越しするよ」という話をした時、ロウェルは、ダンさんとハンナさんも一緒に行くものと信じていた。二人は行かないのだと説明すると、「いっちょじゃなきゃいやー!」と大泣きしてしまった。
また会いに来れるからね、絶対に来ようねと何度も言って、ようやく納得してくれた。今ではパパと一緒に暮らせるのを純粋に楽しみにしている様子だ。
もちろん私も楽しみだ。
ディウドから王都まで、馬車で五日かけて行く予定になっている。幼いロウェルもいるので、ゆったりした日程を組んでもらったのだ。
たったの五日。だけどその五日がもどかしい。
(早く会いたいな……)
その時、リコリス亭の扉がノックされた。
「あっ、お迎えが来たみたいです」
扉を開けた私は、そこにいるはずのない人の姿を認めて、その場に立ち尽くした。
「どうして……」
目の前に、王都にいるはずのアドルファスが立っていた。
何度瞬きしても消えない。頬をつねるとちゃんと痛い。どうやら夢でも幻でもないらしい。
「待ちきれなくて迎えに来てしまった」
照れくさそうに笑うアドルファス。その背後には、「どうしても行くと言って聞かないので死ぬ気で予定を調整しました……」と、ナサニエルがげっそりした顔で付き従っている。
驚きすぎて反応の薄い私に、アドルファスの表情がわずかに曇った。
「もしかして迷惑――」
最後まで言わせず、私はアドルファスの胸に飛び込んだ。
「嬉しい! アドルファス、会いたかった!」
ほとんどタックルのような勢いで抱きついた私を、アドルファスは難なく受け止めてくれる。
「ロザリンド、俺も会いたかった……」
ぎゅうっと抱きしめられ、こめかみに口付けを落とされる。
「あっ、ぱぱだ! ろーちゃもー!」
「ロウェル!」
ロウェルがとてとてとアドルファスに駆け寄った。アドルファスが笑顔でロウェルを抱き上げ、高い高いをする。ロウェルはきゃっきゃと大はしゃぎだ。
(幸せだな……)
アドルファスがいて、私がいて、その真ん中にロウェルがいる。これからは、この光景が日常になるのだ。それは悪妻ロザリンドに転生した私にとって奇跡のようなことだった。
「ロザリンド」
片手でロウェルを抱き上げたアドルファスが、もう片方の手で私の肩を抱き寄せる。
「すいぶんと遠回りをしてしまったが、これからは三人で幸せになろう。ずっと、俺のそばにいてほしい。いてくれるか……?」
「もちろん!」
背伸びをして、アドルファスの頬にチュッとキスをする。
不意打ちを食らって目を丸くするアドルファスに、私は満面の笑みで宣言した。
「だって、悪妻は退場しましたので!」
〈了〉
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