29 夫が店にやって来た!
翌日、まっとうに千客万来なリコリス亭で、私は朝から忙しく動き回っていた。
おかげで余計なことを考えずにいられたのだけど、ランチタイムのピークを越えると少し余裕が出てきて、出窓の花瓶に活けた薔薇の花が視界に入ってきたりする。そうなると、どうしても昨日のプロポーズのことを思い出してしまうわけで。いつもの軽い調子ではなく、真剣だった若様の顔を。
(私も真剣にお返事しなきゃだよね……)
昨日、若様からプロポーズされた時、私はその場で断ろうとした。アドルファスと離縁できていないことが分かった以上、若様のプロポーズを受けるなんて絶対にできないからだ。この国は一夫一妻制で、重婚は認められていないのだ。ちなみに国王である父には妻が複数いるが、正式な妃は王妃様だけで、他はみんな愛妾という立場だったりする。
――だけど、隠し事だらけの中で、何をどう説明すればいいのだろう。
若様は、私が元王女ロザリンドだとは知らないのだ。重婚を理由に断ることはできない。
(あ……でも、アドルファスとはもうすぐ離縁するんだった……)
もし離縁して独身に戻れば、若様と結婚することも可能になる。さすがに正体を偽ったまま結婚なんてできないから、本当の出自を打ち明け、それを若様が受け入れてくれたら、だけど。
愛人じゃなくて正妻に、そしてロウェルを養子に。
若様は、ちょっと気障だけどいい人だ。ロウェルも最近は少し若様に慣れてきた気がする。
私にとってもロウェルにとっても、きっと若様以上に条件の良い人はいないだろうと思う。
(思うんだけどな……)
こっそりと、小さくため息をつく。
どうしてだろう、若様の隣で生活している自分がうまく想像できないのだ。その理由を考えようとすると、途端に気持ちが重たくなって――。
その時カランカランとカウベルの音が鳴り、私は反射的に笑顔を作ってドアを振り返った。
「いらっしゃいま、せ……ぇぇぇっ⁉」
店に入ってきた二人組を目にした私は、ギョッと固まった。
黒髪に青い瞳の背の高い美丈夫と、銀の長髪に胡散臭い笑顔の眼鏡。
「な、ななな、なん……」
目を見開いて口をパクパクさせる私。間抜け面を晒している自覚はあるけど、取り繕う余裕はない。
(なんでアドルファスがリコリス亭にー⁉)
彼には極力関わるまいと昨日決めたばかりなのに!
偶然、ではないと思う。
守備隊の詰所とリコリス亭は歩ける程度の距離ではあるものの、たまたま目に入ってふらりと入るほど近いわけではないのだ。
私がここで働いていると知った上で、あえてやって来たに違いない。アドルファス達の前でリコリス亭の名を出した覚えはないけれど、私がここで働いていることを知る守備隊員は多い。ちょっと調べればすぐに分かる。
案の定、アドルファスは私に目を留めるなり、真っ直ぐにこちらに向かってきた。心拍数が急上昇する。
「ロザ……ロジー、あなたに聞きたいことがある。少し時間をもらえないだろうか」
手をのばせば届くほど近い距離で、アドルファスが私を見下ろす。
ちなみに、今日のアドルファスはいかにも貴族! 騎士! みたいな恰好ではなく、ちょっと裕福な庶民が着るような服をまとっているのだが、隠しきれないキラキラオーラが溢れ出ている。
眩しさによろめきかけたがかろうじて耐え、接客スマイルを貼り付けた。
「申し訳ないのですが、お客様。ご覧の通り私は今仕事中でして。そしてここは食堂です。お食事でないならお帰りいただきたいのですが」
突き放した対応は本意ではないのだけど、そうでもしないと「お忍びスタイル(あまり忍べていないけど)も素敵ですねー!」と取り乱しそうになるのだから仕方ない。
それに、アドルファスの聞きたいことというのが何かは分からないが、きっとプライベートな内容だろう。昨日の会話の流れからすると、離縁のことかもしれない。そんな話を営業中のリコリス亭でするのはさすがに避けたい。
ピークを越えたとはいえ店内にはまだまだたくさんのお客さんがいて、キラキライケメンオーラを振り撒くアドルファス達は、さっきから店内中の注目を集めまくっているのだ。
帰れと言われたのが想定外だったのか、アドルファスは目を見開いて固まっている。
そこに、アドルファスの背後から、ひょっこりとナサニエルが顔をのぞかせた。
「もちろん食事も頂きますよ。ね? アドルファス」
ナサニエルはいつもの穏やかな(見ようによっては胡散臭い)笑顔で、ポンとアドルファスの肩を叩く。この二人、部下であると同時に幼馴染でもあるはずだけど、仕事を離れたところではけっこう気安いやり取りを交わしているようだ。
ナサニエルに話を振られ、ようやくアドルファスは我に返ったようだった。
「……あ、ああ。食べる」
「まぁ、そういうことでしたら……」
壁際のテーブルにアドルファス達を案内し、よいしょ、とメニューの書かれた黒板をテーブルの上に立て掛けた。
「こちらが今日のメニューです。分からないことがあったら聞いてください」
黒板を一通り眺めた二人は、揃って首を傾げた。
「……カラアゲ……? ショーガヤキ……?」
「聞いたことのない料理が多いですねぇ」
「このリコリス亭のオリジナル料理なんです。一応、私が発案者というか、提案者というか……」
「あなたが、オリジナルでメニューを……?」
アドルファスが怪訝な顔をする。まぁ無理もない。
「もちろん定番のメニューもありますよ」
「……いや、せっかくならオリジナル料理を頂こう。あなたのおすすめを教えてくれないか?」
貴族だし、得体の知れない料理は敬遠されるかと思っていたので、そう言われてわずかに気持ちが弾んだ。
「そうですねぇ、どれもおすすめですけど……」
そういえば、アドルファスは何が好きなんだろう?
一応、妻……というのは本当に形だけなのでアテにならないにしても、前世から彼を推しているというのに、食べ物の好き嫌いすら知らないのだということに気づく。
「えっと……何か苦手な物はありますか?」
「いや、何でも美味しく頂く」
「そうなんですね」
好き嫌いがないのは私と……そしてロウェルとも一緒なんだなぁと、ちょっぴり嬉しくなる。
「だったら、唐揚げ定食はいかがですか? 鶏肉を揚げたお料理なんですけど」
唐揚げはこの世界でも万人受けする味のようで、リコリス亭でも不動の一番人気だ。
それに、唐揚げは私がリコリス亭に来て初めて作った和食メニュー。せっかくアドルファスに食べて貰うならこれがいい。
「ではそれを頂こう」
「かしこまりました!」
笑顔で応えると、アドルファスは一瞬、虚を衝かれたような表情になり、それから眩しいものを見るような目で私の顔を見上げた。
「な、何か……?」
「……いや。あなたは本当に食堂で働いているんだな、と」
「そうですよ」
今の今まで半信半疑だったらしい。ご納得いただけたようで何よりです。
ナサニエルは他のお客さんが食べているカレーが気になったらしく、カレーを注文した。
二人分の注文を伝えにキッチンに行くと、心配顔のハンナさんが近寄ってきて声を潜めた。
「ロジー、あの黒髪のお客さん、もしかしてローちゃんの……」
ダンさんも、フライパンを揺すりながら気遣うような視線を寄越してきた。
二人は一目見ただけで彼がロウェルの父親だと気づいたらしい。無理もない。ロウェルはそのくらい、アドルファスに似ているのだ。
私が頷くとハンナさんは小さく息をのみ、ますます心配そうに眉をひそめた。
「大丈夫なのかい? なんなら、この後の接客はアタシが……」
「心配かけてごめんなさい。でも大丈夫です」
こちらもひそひそ声で答え、私はハンナさんとダンさんに笑って見せる。
「……ただ、あの二人が食事を終えたら、少しだけ抜けてもいいですか? 話をつけてきますので」
「そりゃ構わないけど……」
「ありがとうございます。夜、ロウェルを寝かしつけてから、ちゃんと報告しますね」
もう一度にこりと笑って見せたところでお客さんから追加注文の声がかかり、私はホールに戻った。
まもなく、ダンさんが調理し、ハンナさんが綺麗に盛りつけた唐揚げ定食のトレイを手に、私はアドルファスの元へ向かった。




