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09:埋まらない溝

「あんたってブスでかわいそうね。いったい誰に似たのかしら」

「もぉーあんたが家から遠い学校に進学するせいで、交通費が余計にかかるんだけど!」

「…何?ママ忙しいの。…知らないわよ、勝手にしなさい」

「こんなこともわからないの!?マジで馬鹿じゃない。学費がもったいない!」

「ほんっと役に立たないわね、あんたなんか生むんじゃなかった」


声の主は目の前にいないはずなのに、ナイフのような言葉が脳内をいつまでもリフレインする。心を殺すには十分すぎる言葉。言われ慣れすぎて、アイリの心は血を流しながらも痛みを感じられなくなっていた。

こんな白昼夢を見るのは久しぶりだった。元の世界にいた頃はこれが日常茶飯事だったけど、異世界では彼女にここまでの暴言を吐く人がいなかったから。それを思うと、ここでの生活は不本意ではあるが、明白に危害を与える人がいないという意味では幸せなのかもしれない。

だから脳内で声が響いたのに気づいた彼女は「ああ私、最近いろいろあって疲れてるのかな」なんて考えていて…


「アイリ様!聞いてますか!?」

「!」


ヒステリックな男の声で、現実に戻ってきた。


「うん。…叙勲式とその後のダンスパーティーですよね」

「結構です。続けますよ」


メガネをクイクイするバジルが、手元の書類の続きを読み上げる。

今日は年に一度、王国に貢献した貴族をはじめとする国民たちに勲章を与える式典の日だ。聖女にも形式的な役目があり、その説明に彼は聖女の執務室まで来ていたのだ。


出席者、タイムテーブル、段取り、リハーサルの予定など、資料を使って事細かに説明をする。

いつもなら聖女は「はいはーい」と適当に返事をしたり、質問という名のチャチャを入れて説明を妨害してくるところだが…今日はやけに大人しい。淡々と返事をして、資料に視線を落とし、物分かりが良い反応をしている。

これは本来ならとても良いことのはずである。しかし普段と違う行動をされると調子が狂うものだ。バジルは一通り説明が終わった段階で、彼女が体調でも悪いのではないかと心配になっていた。


「お疲れですか?」

「え?」

「最近はイカサマ事件の調査でしょっちゅう歩き回っていますからね。慣れない事をして疲れが出たのでしょう。リハーサルまで時間はありますから、それまでゆっくりされてはいかがですか」

「うん…そうですね…」


やはり、元気がない。

ああ言えばこう言うあの聖女が、こうも大人しいとはどういうことだ。よりによって今日は大事な式典があるのに。

勲章を受け取る者たちやパーティーの招待客にとって、今日は聖女を自分の目で見る絶好の機会だった。みな聖女に会えるのを楽しみにしている。それなのにもし体調不良などで欠席となったら…私の管理責任が問われかねない。

ただでさえ最近は事件の捜査が進まずパッとしないのに、ここでマイナス点が増えるのは今後の評価に差し支える…

と、バジルは最悪の事態を想像して顔面を青白くしたが、


「バジルさんから見て、今の国の現状ってどう思いますか?」


唐突な聖女からの質問に、今度は「は?」と目を点にした。


「国の現状?」

「その…調査に行った先で、いろいろ見て。道端に座り込んでる家のなさそうな人とか」


聞きたいことの意味を理解して、バジルは眉をひそめ「ああ」と心底嫌そうに相槌を打った。なぜ聖女が急にそんな話をしだすのかは疑問だったが、気になるのであれば答えようと思案する。「道端に座り込んでいる者たち」を思い浮かべる彼の目には、汚いものを見たかのような不快感が浮かんでいた。


「まぁ、問題だとは思いますね」

「本当ですか」

「ええ。労働力を持て余しているということですから。活用できればもっと生産性が上がるでしょう。罰則を強化する検討が必要かもしれません」

「あ…そうじゃなくて、えっと…、あの人たちは困ってるんじゃないですか?罰則とかじゃなくて、手助けが必要なんじゃ」

「手助け?聖女様は何をおっしゃってるんですか?」


バジルは聖女の言うことが本気でわからなかった。だから「教えてあげよう」という純粋な親切心で言葉を続けた。


「民は税を納める義務があり、貴族にはそれを管理する義務がある。であれば、税を納めない民を締め上げるのは当然のことでしょう。果たすべき義務を果たしていないのですから。民は貴族の役に立ってはじめて民です」


バジルはこの国の実務を担う官僚である。国を適切に運営し、繁栄させる義務がある。もちろん政治の大部分は議員たちの仕事であり、自分はその歯車に過ぎない。それでも彼は彼なりに、この国のことを考えていた。正しく国を動かすための動力となる。縁の下の力持ちになる。それが議員の次男として生まれた自分の役割だと信じなくてはいけなかったのだ。


しかし。

バジルの「民は貴族の役に立ってはじめて民」という熱弁を聞いて、アイリの頭にはまた言葉の刃がリフレインした。

「ほんっと役に立たないわね、あんたなんか生むんじゃなかった」という母の言葉。さっきまで痛みなんて感じなかったのに、今度は胸の痛みをはっきり自覚する。バジルが聖女のことを悪く言っているわけではないのはわかっているのに、アイリはまるで自分が「民以下の役立たず」と言われているかのような錯覚を起こした。


「それでも、民だって幸せになる権利はあるんじゃないですか。勉強して、自分の納得いく仕事をして、気の合う友人と語り合って楽しく暮らしてもいいんじゃないですか」

「民が知恵をつけても、なにも良いことはありません。税をごまかすし、徒党を組んで反乱起こすし、面倒ごとばかり増え」

「同じ人間なのに、他人に生き方を勝手に決めつけられていいはずないですッ!」


アイリは大声で反論してから、自分が大声を出していたことに自分で驚いた。バジルも目を見張るようにして彼女を見ている。聖女が怒鳴るなんて、初めてのことだった。

すぐさま彼女は「ごめんなさい」と小さく声に出す。動揺して、目が泳いで相手の顔を見ることができない。


「…少し、休んでください。夕刻に迎えをよこします」


怪訝な顔をして、バジルは部屋を出た。担当官として最優先すべきは、彼女を休ませて少しでも安定した状態で式典に出席させることである。彼女が何を気にしているのかはまったく理解できなかったが、不安定な状態になっていることはよくわかった。これ以上話をしても、余計に不安定な状態にさせてしまうだろう。であれば、この場は辞して休ませるのがこの場の最適解と判断したのだ。我ながら冷静な判断だったと、彼は自分の行動を振り返る。

だが、


(生き方を勝手に決めつけられていいはずない、か…)


何故か彼女の言葉は、彼の心にも棘を残した。


「バジル」


そこへ廊下を歩く彼を呼び止める男性の声があった。

足音は二人分。音のする方を見ると、恰幅の良い初老の男性とスラッとした背の高い男性がバジルに向かって歩いてくる。二人とも、ひと目見ただけで高級品であることが分かるスーツを身につけている。


「ッ…父様、兄さん」

「その後どうだ、事件の捜査は」

「まだ…何も」

「ハンッ、どうせお前のことだ。ゴマすりにかまけてろくに捜査してないんだろう」


聞こえよがしに、兄が弟を非難する。バジルは言い返したかったが、イカサマ事件に進捗がないのは本当だったので、言い返す言葉を持っていなかった。


「そう言ってやるなアルフレッド。要人と交流を深めるのも官僚にとっては立派な仕事のひとつだ。…とはいえ、なあ。こうも進展がないのでは、私も馴染みの貴族や商人たちにどんな顔をして会えばよいのだろうか?」


父は表面的にこそ仲裁しているように見えるが、結局は兄と同じで圧をかけている。バジルにはこれが怖かった。いつ首を切られるかわからない恐怖が、常に付きまとっている。対応を少しでも間違えれば、自分に未来はない。父がこうやって一見優しそうなことをいう時は、腹の底で怒りの炎が燃えている時だということを、バジルはよく知っていた。

きっぱり文句を言う兄の方が、わかりやすくてまだ扱いやすかった。


「…捜査を急がせます」

「期待しておるぞ、バジル」


遠ざかっていく野太い笑い声と二人分の足音を、頭を下げ床を見ながら聞いている。バジルの右手はこぶしを作り、握りしめた手がギリギリと震えていた。


一方そのころ。

聖女の執務室では、アイリがモヤモヤしていた。バジルとの会話が、あまりに後味の悪いものになってしまったからだ。


「…はぁー、なんか調子悪いなぁ…」


ぼやきながら椅子に大きく寄りかかり、行儀悪くずるずると腰の位置を前にずらす。肩と腰と足がなだらかなカーブになった。確実に腰に負担がかかる姿勢だ。手に持っていた資料は、テーブルに乱雑に放り投げた。


「アイリ様、バジル殿の言うように少し休まれては」

「うーん、そうですね…ところで」


珍しくイーヴが進言する。彼は先日の帰り道での会話以降、時々こうやって思ったことを口にしてくれる。少しずつではあったが、大きな進歩だった。

そしてイーヴの忠告はもっともである。もっともなのだが…実はアイリには、さっきから気になっていることがあった。


「イーヴさんは何やってるんですか?」


姿勢を直して、思い切って聞いてみた。イーヴの方を改めて見ると、彼は壁を背に逆立ちをし、その状態で腕立て伏せをしている。先ほどの打ち合わせの最中、彼はずっとこの行動を繰り返していたのだ。

バジルが若干ピリついていたのは、これが目に入っていたせいもあっただろう。


「見ての通り、鍛錬です」

「執務室で?」

「はい」

「…もしかして、廊下で待機してた時もしてました?」

「?、はい。持ち場を離れるわけにはいかなかったので」


以前まで、イーヴは基本的に執務室に入らずに廊下で待機していた。彼は従者といっても仕事内容はほとんど護衛だったので、特に部屋に入る必要がなかったからだ。だがゴンティエでの襲撃以来、警戒レベルを引き上げる必要があると考えたアイリはイーヴを室内に置くことに決めた。


なので今までこんな場違いな行動をしていた事を、アイリはいま知った。ここしばらくは外での事件調査(今となっては調査のフリ)が多かったので、室内でのイーヴの様子を見たのは今日が初めてだったのだ。

アイリはバジルとの会話中に、何度も注意しようかと考えたが…それは考えただけで、結局しなかった。彼の行動にはちょっと呆れたけれど、イーヴはただ真面目に仕事に励んでいるだけだ。それはこれまでの付き合いでわかる。だから「まぁやりたいことを溜め込んで我慢されるよりはいいか」と彼女は苦笑いし、許容することにした。…多分、バジルは怒ってると思うけど。


イーヴは逆立ちをやめて、軽やかに床に足をつけて立った。視線を左右に揺らし、室内に二人だけしかいないことを確認してから、アイリの方を振り返る。


「…あいつのことですか?」


何を悩んでいるのか、という意味だ。イーヴにまで心配をかけさせてしまっていることに、アイリは申し訳なさを感じた。


白昼夢を再び見るようになったのは、明らかにユリウスとの会話がきっかけだろう。国の現実を聞かされて、今まで見えていなかったものが見えて、無力だったころの昔の自分まで思い出してしまったのだ。

過去とは完全に決別していたはずなのに、情けないな…と思う。

…いや、考えるべきは後悔じゃないな。今はイーヴさんを安心させることと、それと…

思考を整理してから、彼女はぽつり、と話し出す。


「うん…ユリウスさんというか、持ち掛けられた話の方をね。どう返事するべきなんだろうって」

「また接触があるでしょうから、もう一度話をしてもよろしいのではないでしょうか。すぐに返事をしなくてはいけないこともないでしょう」

「次はいつごろ来るんですかね…」

「今日ですね」

「えっ、今日!?なんで?」

「…ここに名前が」

「あ…」


イーヴがテーブルに置かれた出席者一覧の書類を指した。そこには「ユリウス・フリードリヒ・エーリク・ヴェルナー」の文字。

先ほどバジルが読み上げた中に入っていたのだろう。しかしアイリは全く覚えていなかった。

アイリは普段、いくらふざけた態度を取っていても、話はしっかり聞いているつもりだった。なのでこれには自分で相当なショックを受けた。


白昼夢を見たり。

意図せず怒鳴ってしまったり。

そして極めつけに話を全く聞けていなかったり。

彼女は自分が思ったより本調子でないことに気づかざるを得なかった。


イーヴが心配した表情で彼女を見ている。アイリはため息をつきながら、もう一度だらしなく椅子に座り、天を仰いだ。

Q:要人と交流を深めるのは官僚より議員の仕事では?

A:この国の政治は現状腐ってるので、官僚も議員も「いかに自分たちの都合よくコトを運べるか」しか考えていません。何でもありです。


お読みいただきありがとうございます!

次回は2/2更新予定です。ブクマしてお待ちいただけたら嬉しいです◎

今後ともよろしくお願いいたします!

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