20.白蛇の魔法
さて、平成も中ごろに入って来ると、おうぎやの客は急激に減少を始めた。
馴染み客の高齢化が顕著になって来たのだ。
かつて、母・志乃は教師からツケを徴収するため、職員室を毎年うろついたものだと言う。
しかし今は、とりっぱぐれることすらない。
たまに客が来たと思えば、いつもの顔。
恐らく日本最古のカラオケ機で、軍歌を熱唱する爺様たち。
(なんとこのカラオケ機、半分が軍歌である)
お座敷も部屋を余らせまくり、すっかりネズミの住処になっている。
客を通す前日に、ねずみを叩き殺すところから始めねばならないという凋落ぶり。
芸妓もこの新地だけでは暮らして行くことが出来ず、コンパニオンに登録して、各地に派遣されていた。
それでも生活をするのがやっと。
そんなある日、検番から驚きの知らせが入った。
「検番を閉鎖!?」
ある夏の日、母と私は女主人銘子からそれを聞かされた。
銘子は言う。
「もう、事務員さんを雇われへんのやて。そういうわけで、鏑木新地は解散や」
「……さすがに平成では無理か、新地も」
「そうやで。そういうことやから、ま……終わりやな、ここも」
「お母ちゃん、お疲れ様でした」
「ほんまに疲れたわ。まあこれで、お絹ばーさんの遺志は果たしたわな」
「ここまでやれれば大したもんよ、お母ちゃん」
「まだ小遣いを稼ぎたい芸妓さんがおるから、名義だけは残しとくわ」
そのように、静かにその火を消して行ったおうぎや。
そしてそのともしびは、銘子の命をも──
実は、長らく難病と闘いながら置屋の女主人を務めて来た銘子。
検番の死と共に、銘子も病に打ち勝つことは出来ず、その命を全うした。
祖母の死の一報は、祖父・圭介から連絡が入った。
その声は心なしか明るかった。
「死んだ時の方が美人やから、見に来たってよ」
私達は芸者置屋の一階の仏間で、祖母の亡骸と対面した。
「あら、ほんまにきれいや……」
そう言って、私達家族はおうぎやの女主人と最後のお別れをした。
葬儀には、この地域の慣例にならい、親族だけが呼ばれたはずだった。
しかし銘子の死に機を見出した不届き者の泣き女が二名ほど祖父・圭介を狙い葬儀場に現れたため、母がすぐそばにあった清掃用の箒を振り回して、文字通り「叩き出す」という珍事件が発生した。
色々あった葬儀だったが──今思えば銘子の波乱万丈な人生を締めくくるにふさわしい葬儀だった気もする。
それから、圭介も後を追うように病気で亡くなった。
本当にあっけなく、おうぎやは空っぽになったのだ。
無論、跡を継ぐ芸妓などいない。
おうぎやは親族で話し合った結果、取り壊すこととなった。
私も解体の現場に居合わせた。
近所の人もこの古い建物に愛着があるらしく、商店街の、特にご老人方が見守りにやって来た。
親族が様々な思い出を持って見守る中、解体工事が始まった。
がらがらと音を立てておうぎやが崩れ出した、その時だった。
おうぎやから白い蛇が一匹、するすると這い出して来たのだ。
これにはそこに居合わせた全員が声を上げたが、すぐさま皆、神妙な顔つきになる。
「神さんや」
商店街の親父がぽつりと言った。
「ここに、商売の神さんがおったんやな」
全員、ゆったりと道を這う白蛇に手を合わせた。
それからじっと、商店街を神々しく走り行く白蛇の姿を見つめた。
私も手を合わせながら、祖母・銘子から聞いた言葉を思い出していた。
おうぎやの中庭。
幼い私は夏の光に焼かれ、たらいで水遊びをしている。
そこに、突如白蛇が現れた。
私は驚いて声を上げたが、それを聞きつけた祖母がこう言ったのだ。
「結子はん、その蛇を殺したらあかんよ。それはうちの守り神なんや」
白蛇はいつも、縁側の下に入り込んでしまうのだった。
「あー、びっくりした」
「その蛇な、私がここに来る前からこの家におったんよ」
「へえー」
「あんたも拝んどき。いつか助けてくれるさかい」
理屈がよく分からなかったが、私はその白蛇に手を合わせた。
白蛇よ、今までありがとう。
きっとあの蛇は、縁の下でおうぎやを支え続けたのだろう。
かくして鏑木新地は最後の置屋を失い、全ての歴史に幕を閉じたのであった。
それから数年後、不妊治療を繰り返していた私は、何の因果か、蛇年に初めての子供を出産することとなる。
あの白蛇はきっと今も、とある家の縁の下で、誰かを幸福にしているに違いない。
きっと、そうに違いないのだ──




