七月の出来事・⑤
「まだ時間あるんじゃない?」
お昼を食べてちょっと泳いだだけで片付け始めた男子どもに、由美子は非難するような声を上げた。
「はやく撤収したほうが電車が混まなくていいんだ」
「そうか?」
「そう。ここからバスで駅に戻りE電に乗って、乗り換えて…」
ながながと説明を始めた正美をほっておいて、そうと決まれば由美子も荷物をまとめ始めた。
どんな時も身軽さが信条の空楽が一番最初に片づけ終わり、ふらっと岩場の端へ歩いていった。
昼を過ぎて少し風が強くなってきたようだ。いまもその風で大きくなった波が、空楽の足下にうちよせて大きな飛沫をあげた。
空楽はそこで腕組みをすると飛沫をあびながら高笑いをあげた。
「海よ! 私は何者の挑戦でも受けよう!」
直後、その後頭部にラグビーボールのような物が命中してぶっ倒れることになった。
「馬鹿やってないで、オマエも他の人の片づけを手伝いなさい」
足下に転がっていた石(岩?)を右手一本で投げつけた態勢のまま由美子は牙を剥いて声をあげた。
気のせいか向こうで倒れている空楽のあたりに血だまりが広がっていくような…。
「あ、女の子は着替えに時間かかるんでしょ。また先に更衣室借りてきなよ、後はやっておくから。そのかわりパラソルを返してきてね」
弘志は使ったキャンプ用具の分解まで手を出そうとした由美子に言った。
「それもそうね。コジロー、トール。着替えちゃおうか」
三人は自分の荷物を持って海の家へ歩き出した。パラソルは三本とも畳んで恵美子が担ぎ上げていた。さすが剣道で鍛えているだけのことはある。これが透のような普通の娘だったら一本持てるかどうかだ。
片付けるため正美は自分がつくった流木の焚き火へ、ビニール袋で汲んできた海水をかけて消火した。
海水の塩分と、急速に冷やされたことにより流木の一部が爆ぜた。
「わちちち」
見事にその一部が倒れていた空楽の背中に命中した。
立ち上がりキッと振り返った。
「ご、ごめん」
まさかこんなことになるとは想像していなく、ビックリした顔の正美がすぐに謝った。もちろん狙って出来ることではないので、純粋な事故である。それに恐縮したようすですぐ謝ったことからも、被害者も強気にでるのはためらわれた。
空楽はビシッと悪い手つきを焚き火の残骸に向けると宣言した。
「引き分けということにしといてやる!」
「でも、やっぱりお前の負けじゃないか?」
キャンプ用コンロのガスボンベをディパックへ押し込むように片付けていた弘志が冷静に言った。
「なにをいう。ひきわけだ」
そのまま悪い手つきを弘志に向けた。弘志はキャンプ用コンロを片付けるために手元を見たまま、自分の横を指差した。
「?」
煙が上がっていた。
岩に三人のタオルをかけて干してあった場所だ。右から弘志、空楽、正美の順であった。
よりによって真ん中の空楽のタオルにさっきの爆ぜた欠片が命中して、燃え上がっていた。
「ああ、おれの寅さんの手ぬぐいが」
あわてて空楽は自分のタオルを取り上げ、燻っているそれを波打ち際まで持って走り、波飛沫をかけて消火を試みた。
見事に車寅次郎の顔が焼けこげて、ところによっては穴が開いてしまっていた。
「日頃の行いだな」
二人して腕組みをするとウンウンとうなずいてしまった。
「まったく。タオルが焼失するとは油断であった」
ぶつぶつと海の家の更衣室でまだ空楽は言っていた。まだ諦めることができないのか、穴の開いたタオルを残念そうに握りしめていた。だが消火のためにグッショリと濡らしてしまったので、この海の家で代わりのタオルを購入する羽目になった。
「シャワー先に使うぞ」
残念そうに広げて見せる空楽を、なんとか慰めようとしている正美。その二人を放っておいて、弘志が先に隣へと続く木戸に手をかけた。
二人分のシャワーブースしかここの海の家は設けていなかった。
「?」
水栓を捻ろうとして固まった弘志のようすに他の二人が気がついた。
「どうした」
「シッ」
少々ヌルッとした壁に耳をすます。他の二人も何事だろうと従った。
薄いベニヤ板越しに声が聞こえてきた。
「あ、王子ったらそんなショーツはいて来たんだ。大胆」
「だいたんって、ただのスポーツタイプだよ」
「佐々木さんのほうが大胆じゃないですか」
「そうかな? ブラと揃えるとこんなのしかないのよね」
「輸入品ですか?」
「ううん。私にぴったりのってあんまりないからオーダー。池上さんのころは私もそういうの着けてたわよ」
「あ、あんまり見ないでください」
「いまのうちだけだって。そのうち出るところはちゃんと出るようになるわよ」
「コジローはそんなにWコールのAAがうらやましいのか」
「あら。私は王子一筋なのよん」
「せ、せまってくるなぁ」
メキメキ! バキッ!
…。
男子更衣室と女子更衣室とはもちろん仕切りが作られていた。だがもともと地元の家族連れ程度しか集まらない客層のため、そんなに頑丈に作られていなかったようだ。運営資金を節約する意味もあって、それは薄いベニヤ板一枚だったのだ。そこへ三人も男子が寄りかかれば結果は火を見るより明らかだった。
「きゃー」
「ひっ」
「オマエら! なにしてやがる!」
手近の服やタオルで前を隠した二人とちがって、活動的な下着姿のまま由美子の拳が振り上げつつ前に出た。
壁であったベニヤ板の残骸と一緒に女子更衣室の床から彼女を見上げる三人。
「事故だ」
「これには国家的陰謀が」
「や、池上さん久しぶり」
三人は同時に別々の誤魔化し方をしようとした。
もちろん無理だった。