七月の出来事・④
「女の子は着替えに時間がかかるんだから、場所取りよろしくな」
そう由美子に命令された男子三人は、やっぱり女子よりも着替えを先に終えていた。
命令通り海の家からビーチパラソルを三つ借り出して、波打ち際からそう遠くない程よい場所をキープすることにした。
砂浜にちょっと不釣り合いな色ではあるが、持ってきていた迷彩色のシートで大きめに砂浜を占領した。
正美が頑張って探したおかげであろうか、この海水浴場はあまり混んでいなかった。地元の家族連れと思われる人たちだけが主な客であるようだ。これならば、はぐれてしまうことはないであろう。広さだって迷うほどのものではなかった。逆を言うとちょっと歩くだけで砂浜は岩場になってしまい、そこには荒い波がうちつけているために、肌を露出させた普通の水着では擦り傷だらけになってしまうことが予想できた。
とりあえず確保できた砂浜の真ん中あたりで、男子三人は健康な証拠に、不純な欲望をムクムクとさせて目の前の海を向いて座っていた。
目は海を見ていたが、全神経が背後の海の家へ向いていた。
その背中のすぐ後ろにドサッと荷物が降ろされた。
「あ、きたきた」
「ふむ」
三人は夏の青空に立つ影を見上げた。光の眩しさだけでなく一様に目を細めた。
由美子が軽快な青デニム地のセパレート、恵美子が胸元にワンポイントが入った白いワンピースに椰子の木柄のパレオ、透は濃淡紺色の競泳水着と朝からずっと被っている鍔の広い白の帽子であった。
それぞれが色とりどりのパーカーを羽織って肩を夏の紫外線から守り、バスタオルを小脇に抱えてきていた。
振り返って男子三人は、空楽と弘志がトランクスタイプ、正美が食い込む学校指定の競泳パンツであった。
弘志は自分の長めにのばした髪をおおざっぱに髪ゴムで結い、長袖のパーカーで女の子たちと同じように肌を守っていたが、あとの二人は太陽が焦がすにまかせていた。
三つ借りたビーチパラソルの一つに弘志と透が座り、その横は由美子と恵美子の女同士、空楽と正美の男同士という、寂しい絵面であった。
パーカーで上半身を、バスタオルで下半身を包んでパラソルの日陰にポツリと座る。そんな透に弘志は微笑みかけた。
「飲み物でも買ってくる?」
「いえ、まだ喉は渇いていません」
ぎこちない二人の会話にイライラした様子の由美子は、荷物からなにやら取り出した。
「ほれ」
やにわに空楽に渡した。
なにかと思えばスイカ柄をしたビーチボールであった。
「はい」
そのまま正美にスルーした。
「はいって?」
「膨らませてよ。まさかアタシらにやらせる気?」
「こんなモノ、姉さんの鼻息ひとつで…」
由美子の拳が空楽の顔面を捉えた。
「トールもやる?」
顔を赤くして正美が息を吹きいれている間に由美子がきいた。
「いえ」
青い顔を無理に微笑ませて透は断った。
「あ、そう」
由美子してはあっさりと引き下がった。
「できたよ〜」
三つのパラソルの前に空楽が足で砂浜に四角を描き、コートを設定した。
「じゃあ、女と男とで飲みモンかけて一○点勝負!」
「負けるか」
さっそくビーチボールが宙に舞った。
さすがに恵美子は剣道部のエースらしく運動神経がよかった。砂にかかれたコートの大部分を守備範囲にしているほどだ。恵美子がひろったビーチボールを由美子の拳がスパイクするという役割分担まで出来ていた。
対して男子の方はというと、空楽が拾い、正美がトスを上げ、空楽がスパイクするという、二人の運動神経の差を考えた役割り分担をしていた。
どちらも運動神経抜群の方が大活躍だが、どちらかというと女子の方が優勢であった。それというのも男子の集中力を削ぐ戦術的原因がいけないのであろう。レシーブやスパイクの度に、揺れる物が揺れて気が散るばかりだ。
四人の影がシートに体育座りに座る二人の足元で踊っていた。
「郷見さんもどうぞ。荷物は私が見てますから」
眩しそうに四人を見る透が言った。
「それじゃあ池上さんがつまらないでしょ」
「そんなことはないです」
「それにオレ陽に焼けやすいし」
「私は赤くなっちゃうんですよ」
「じゃあ」
弘志は折角立てたパラソルの一つを引き抜くと、透をうながして相合い傘のように波打ち際までパラソルを差したまま移動した。
透の足を波が触った。
「きゃ、冷たい」
小さな足を引っ込めてみせた。
「後で泳いでみる?」
「私泳げないんです」
「そうだったけ」
弘志は透をうながし、パラソルを差したまま二人で波打ち際に並んで腰掛けた。
その背中にビーチボールが転がってきた。
息を切らして追ってきた由美子が拾い上げた。
「お昼にしよ」
「具の少ないラーメンに粉っぽいカレー、やっぱり具の少ない焼きそば」
更衣室を借りた海の家を覗いた空楽がボソリとつぶやいた。
「あからさまだね」
周囲でそれらを食べている他の客を見て正美が声を返した。
「定番じゃないか」
弘志は腕組みをしてメニューを見上げていた。
「どうする? ここで食べる?」
「これでこの値段は…」
由美子の質問に正美が歯切れの悪い答えを返した。
「だいじょうぶ」
弘志は悪い手つきをしてみせて自分の青いディパックの口を開いて見せた。
「真空パックだが焼き肉がある」
「俺はインスタントラーメンを持ってきた。それに肉もある」
空楽も自分の黒いディパックを覗き込んでいた。
「来る時に海水浴場の東側に木が生えていたじゃないか、あそこで焼き肉にしよう」
「そんな。火とか食器とかどうするのよ」
もっともな由美子の心配に、二人そろって悪い顔つきになって、安請け合いのように大丈夫を連発した。
「正美。さっき賭けた飲み物を買ってこい。オレたちはお店を広げてるから」
「りょーかい」
「?」
不安げな女子たちをうながすと、さっさと先に立って歩き出してしまった。一瞬だが顔を見合わせた透と恵美子が、慌てて二人の後を負った。それを当然のように見送った正美は、両腰に手を当てていた由美子に振り返った。
「藤原さんも行ってていいよ」
「悪いから荷物持つわよ」
由美子は水着がデニム地ということもあって、ちょっと露出度が高めの町を歩く服装といった感じであった。今はさらにパーカーを羽織っているからよけいだ。
対する正美は競泳パンツのまま平然と道に出た。バス停の待合室らしい木造の小屋が道路ぱたに建ててあり、そこの壁面に寄り添うように自動販売機が数台立っていた。
種類は適当に、本数は人数の倍買い求めて、正美は自分が持つ荷物の奥から引っ張り出したビニール袋に入れた。
申し合わせた場所まで来ると、弘志は見つけた小さい草地へ借りたままのパラソルを立て、その場に座ってキャンプ用のコンロを用意していた。その横で空楽が魚用の焼き網を取り出すところだった。
「用意がいいのね」
中腰になって二人の手際の良さを見おろしていた恵美子がきいた。
「当たり前じゃないか。いつ遭難してもいいように、サバイバルセットの常備は常識だぞ」
弘志はコンロにガスボンベを接続しながら言い切った。空楽もウンウンとうなずいて焼き肉の用意をしながら彼女を見上げた。
「おい、はやくしろよ」
ふと空楽の手がとまっていた。
彼からカップラーメンを受け取るつもりで手を宙に空振りさせた弘志が文句を言った。だが空楽からの返事が全くなかったので、コンロを組みたてる手を止めて顔を上げた。
「どうした?」
空楽はまるでギリシャ神話に出てくるメヂューサに見つめられた哀れな被害者のように固まっていた。
呆然と視線が固定されている。
「?」
弘志と恵美子がその視線の先を追った。
空楽の視線は屈んで谷間が強調された白い水着の胸元で固定されていた。
「おお」
「あ、えっち」
弘志が声を上げると同時に八重歯を覗かせて微笑むと、恵美子は両手を使って薄黄色したパーカーで覆ってしまった。
悩殺度一○○%だった。
「空楽。はい」
弘志はチリ紙をそっと出した。
「?」
「鼻血出てるよ」
「おっと」
うつむいて受け取ったそれで鼻の下を拭うと、鼻骨のあたりを押さえて上を向いた。
その視界に由美子が立っていた。
「うふん」
彼に見られたのを意識して、わざとらしく脇をしめて胸の谷間を強調してみせた。
「藤原さん」
空楽は冷静に言った。
「水着が皺になるよ」
彼の鼻血が酷くなったのは言うまでもなかろう。
弘志のキャンプ用コンロに火が点けられ、ケットルがその上でシュンシュン音を出し始めた。
空楽が出したカップラーメンは丁度人数分あり、割り箸まで用意されていた。
三分待つ間に正美が歯磨き粉のチューブみたいな入れ物から、粘土のようなファイヤースターターを流木に捻り出し、マッチで火を点けた。
手近に転がっていた石でつくった竈に空楽の焼き網がセットされた。
「ラーメンで足りなかった分、焼き肉食べてね」
弘志が肉の入った真空パックを、正美から借りた万能ナイフのハサミで開けながら言った。
質よりも値段といった感じの肉が、空楽の焼き網の上に並べられた。
「俺のほうも試してくれ」
両方の鼻の穴にチリ紙でつくったコヨリを突っ込んでいる空楽が、お手製らしいビニールパックの口を開いて正体不明の挽肉のような物を焼き網に移した。
「これ、なによ」
由美子はそれを見おろした。豚肉のようでもあり合い挽き肉のようでもあり、これも空楽お手製らしいタレがビンからハケで表面に塗りつけられていき、あたりにいい臭いが漂い始めた。
由美子の質問に、弘志と空楽が顔を見合わせてニィと笑いあった。
「地元のモノだよ。採れたてだから新鮮だよ」
なんだろうと女子三人はまじまじとそのモノを見おろすばかりだ。
「いつ買い出しなんか行ったのよ」
「行ってないよ」
空楽の即答にさらに不安げな顔になった。
「騙されたと思って食べてみなよ」
女子三人はお互いの顔を見合わせて譲りあっていたが、由美子が意を決して割り箸を握った。
「あら。けっこうおいしいじゃないの」
「ホント?」
必要以上にニコニコして男子どもが聞き返した。
「うん、おいし。で、これなに?」
「ヒラクチ」
弘志はわざとそう誤魔化そうとした。
由美子は咥え箸でニッコリ笑うと、開いた右の拳を握り、ポキポキと一本ずつ指を鳴らし始めた。
「これなに?」
そのまま優しい声で訊かれた。あからさまに怒られるより迫力があった。
「ヒラクチゆーたらマムシのことにきまっているやないか」
やけっぱちで怪しげな方言風の答えが弘志から返ってきた。
「さっき県道から外れてそこまで歩いてきたときに見つけてね、これ幸いと…」
得意げに説明しだした空楽の顔に拳がめり込んだ。
「なにするんだ」
「それはこっちのセリフよぉ」
悲鳴のように声を荒げて由美子は再度空楽をド突いた。
「肉も足りなさそうだったし、丁度よいかと」
「よくもなんともない!」
怒りで唾を飛ばしながら由美子は怒鳴り散らした。長めの髪が夜叉のように逆立っていた。
そんな由美子のようすに平然としたままの弘志は、自分の分の肉のあたりを扇ぐような仕草をしてみせた。
「きたないなぁ、ツバとんだよ。あ、そうか。これ食べると涎が出るって言うもんな」
「オマエも同罪じゃ」
由美子は弘志も張り倒した。
「まったく。二人とも反省しなさい」
他人事のように正美が言った。
「オマエも正体知ってたんだろ」
由美子は正美にも詰め寄った。
「え? なんのこと?」
口調があからさまに怪しかった。
「池上さん。大丈夫?」
恵美子はいつもの様子の四人を眺めていて、もともと白さを通り越していた顔色を、さらに青くしていた透に気がついた。
気のせいかよろよろと体が揺れているような気もした。
「ほら、池上さんが気持ち悪くなっちゃでしょ」
恵美子まで怒って透の体を支えられるよう手をのばした。
由美子は心配そうに振り返り、しゅんと黙った三人組は彼女の顔を心配そうに見た。
両側から支えられるようにして、透はその場にしゃがみこんだ。
「大丈夫です。薬…」
細い腕が自分の荷物に向けられた。由美子はあわててそれに駆け寄ると、バッグのチャックをもどかしそうに開けた。手を差し込んで中から薬の入ったビニール袋を取り出した。
だが少々慌てすぎたようだ。傾けてしまった拍子に中身を草地にばらまくことになってしまった。
袋自体は、ロゴさえ入っていなかったが、よくコンビニなどで少額の買い物などしたときに店員さんが入れてくれる普通のビニール製であった。そこからザラザラと数えるのが面倒になるほどのたくさんの量と種類の薬が流れ出た。
「あーあー」
慌ててみんなで拾い集めた。
「ふむ。MSコンチンにアタラックス、ペンタジンか」
包装されたままのタブレットの数々を見て弘志が眉を動かした。
「第三段階か…」
由美子はあわてて薬を掌に包んで隠し、心配そうに弘志と透を見比べた。
「わかるの?」
「なにが?」
もとの明るい顔で弘志は由美子に訊いた。透は恵美子から渡されたミネラルウォーターでその数々の錠剤を飲み始めた。
「大丈夫? 池上さん」
「は、はい」
「気分良くなった?」
恵美子の問いかけに「なるわけねーじゃん」とかなんとか弘志は口の中でつぶやいていた。
六人は岩場によりかかったり、手頃な大きさの石に座ったりして、なんとなく無言のままそそくさと食事をすませた。
微妙に気まずいような気配が流れていると、由美子が荷物をそこに置いて立ち上がり、海風にパーカーを脱ぎ捨てた。
「おりゃー」
黄色い声を上げて由美子は、真後ろになる海へ突撃して行った。途中、シャチの形をした浮き袋を抱えた小学生ぐらいの女の子が、呆れた顔で道を譲っていたりした。
「おお」
男たちから感嘆の声が上がった。
「やはり藤原さんは勇ましいな」
「私も泳ごっと」
恵美子も羽織っていたパーカーを捨てるように脱ぐと、彼女を追って砂浜へ走っていってしまった。
「ああ、七五のDが走っていってしまう」
「DじゃないだろCぐらいじゃないか?」
「それはともかく、空楽」
「なんだ」
「荷物たのんだ」
「うむ」
弘志は空楽に荷物をまかせると透の手を取った。
「いこう」
「でも、わたし」
不安そうに弘志の顔を見上げる透。彼女に彼は微笑み返した。
「ここまで来て漬かりもしなかったら、せっかくの海がもったいないよ」
あせらさないように「ね」とばかりに笑顔を強調して見せた。
視線を草地や砂浜にやっていた透は怖々弘志に視線を戻した。
「じゃあ、せっかくだから」
「そうこなくちゃね」
パーカーは脱いだが、あいかわらず大きい白の帽子を被ったままの透の手を引き、こちらはパーカーを着たままの弘志は再び波打ち際に寄った。
体を硬くする透の肩を抱くようにどんどん進んで、彼女の胸のあたりの深さまで一気に進んだ。
夏の紫外線に痛めつけられていた肌に、程よい温度の海水がまとわりついた。
「きもちいー」
「でしょ」
感激の声をあげ、今日一番の笑顔を見せる透に、弘志は笑顔で振り返った。
「泳いでみる?」
あわてて透は首を横に振った。
「だいじょうぶ。手を握っててあげるよ」
しかし彼女は首を横に振るばかりだった。
「オマエ、トールを虐めてるんじゃないだろな」
「失礼な」
飛沫ばっかりあげるヘタなバタ足で近づいて来た由美子を振り返った。
「気持ちいいよね、池上さん」
「はい」
消え入りそうな声で透が同意した。弘志の腕に保護されているように見える透へ、矢継ぎ早に由美子が訊いた。
「浮き袋かなんかも用意したほうがよかった?」
「いえ…」
「海の家で売ってるけど、どうする?」
「ほんとに…」
「キュウリにハチミツでメロン味になるってホント?」
「はぁ…」
「どう見ても姐さんの方がいじめてるよ」
しつこい由美子に弘志は眉をひそめた。
「せっかく二人だけを楽しんでたのにねぇ」
「そ、そんな…」
弘志の言葉に赤面した透は水面下に体を隠すようにしゃがんでしまった。慌てて由美子が水圧に逆らいながら駆け寄ってきた。
「気分悪くなったの? だいじょうぶ?」
「いえ…」
「邪魔者には行ってもらいたいんだよね」
「ふん。わるかったな」
弘志の言い分を聞いて由美子はその場で胸を張った。
「どうせ邪魔者ですよ」
そのままクルリと背中を見せると、肩をいからせて歩いて行ってしまった。
「郷見さんて、もうちょっと違う人かと思っていました」
由美子が充分離れたのを見て、透は消え入りそうな声を出した。
「あら、幻滅した?」
びっくりして首を傾げる弘志に黙って頭を横に振った。
「もっと原付とか乗り回してタバコとか吸っているとか、なんというか不良な人かと」
弘志を怒らせてしまったのではないかと、彼女の声が尻つぼみになった。
「原チャね。馬力のない内燃機関に乗ってもあんまり面白くないし、タバコは体に悪いしね。もしかしてこんなんじゃダメだった?」
透は再び水面で帽子を被ったままの頭を横に振った。
「私、空気の悪いの苦手なんです。よかった、郷見さんがこうで」
(ま、原チャじゃなくて中型車転がすし、タバコよりヤバいアレとかコレとか扱ってるけどね)
透の消えそうな笑顔を覗き込みながら弘志は彼女の想像よりももっと危険なことを考えていたのだった。




