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清隆学園の夏休み  作者: 池田 和美
14/15

幕間・⑥

 清隆学園高等部は、大きく分けて四つの建物で構成されていた。まず東側に南北方向に長いA棟。これは一階建てで教職員が主に使用する部屋が集められていた。

 これに直角に交差するように建てられた三階建てがB棟である。ここには三学年各クラスの教室が設けられており、生徒たちが学園生活を主に送る場所となっていた。

 C棟は、B棟と校庭を挟んで建てられた二階建てで、主に化学実験などを実際に行う各教科の特別教室が集められていた。

 そして最後のD棟はA棟と向かい合わせ、B棟とC棟と直角で繋がる四角形最後の辺として、二階建てに建てられた。ここには生徒会に関する部屋や、学食などが集められていた。

 他にC棟一階から北へ延びる渡り廊下を介して体育館や講堂、そして格技棟などが並び、駐車場からさらに北上すれば男女それぞれの学生寮まで用意されていた。

 渡り廊下はさらに延び、最終的には隣接する中等部の校舎に、ぐるっと遠回りして辿り着くこととなる。

 そんな中の抜けた四角形をした高等部のB棟三階、一年生のクラスが集められた階で、社会科の小池敬子こいけけいこ先生は難しい顔をしていた。

 ここ一年三組は彼女が担任をしているクラスである。

 教壇に立ったまま彼女がこんな顔をしているには理由があった。

 クラスの進路希望調査票の集まりが悪いのだ。

 進学校である清隆学園高等部では、一年生から二年生に進級する段階で、それぞれ文系クラス、理数系クラス、特進クラスと三種類に分けられる。もちろん自分が成りたい職業に適したコースを選択することが望まれる。特進クラスとは東大や京大など、上から数えた方が早い大学への進学を狙うクラスであり、文系や理数系はそれよりも下のいわゆる普通の大学を狙うクラスである。

 その人生の分岐点とも言える進路希望は、二学期が始まったばかりのこの段階からアンケートを採り始め、教職員や保護者と生徒自身が相談を重ねることで、実際の進路を決めることとなっていた。

 小池先生は小柄な体を一杯使って溜息をついた。

 他のクラスでは希望に添った進路が取れるように、担任と生徒の面談が始まっているというのに、このクラスではまだだ。手元に集まった進路希望調査票はクラスの半分ほどでしかない。

 特にクラスを六つに分けた内の五班の集まりは最悪である。一通も彼女の処に届いていなかった。

(やはり新任だから生徒たちに舐められているのだろうか)

 その日の終業学活も終わり、教壇で提出を待っていたが、これではダメだ。自分から能動的に動かねばなるまい。

 顔を上げると、ちょうど教室前方の出入口から五班班長の権藤正美ごんどうまさよしが出ていこうとするところだった。

「権藤くん!」

 タタタッと駆け寄って呼び止める小池先生。

「はい」

 と応えて振り返ったのは、短く刈った髪に銀縁眼鏡をかけた真面目そうな生徒である。実際、彼の成績は見上げた物であり、さらに美術部に所属していて部活動も熱心に行っている模範的な生徒だった。ただいつも一緒にいる二人の友人があまりよろしくない素行なので、最近教職員の間でも心配する声が上がっていた。

「権藤くんは五班の班長さんでしょ。進路希望調査票は集めたの?」

「あー、えーっと」

 だいぶ歯切れの悪い答えが返ってきた。

「集めてないの?」

 少々詰問するような口調になってしまった。

「いえ、集めましたよ。ええ」

 どこかに視線を泳がせる正美。

「じゃあ提出して下さい」

「…。はい」

 正美は観念したように、肩にかけた自分のバッグから紙ばさみを取りだし、そこから六人分の進路希望調査票を取りだした。

「なによ、全員分あるじゃない」

 正美が班長をする五班の構成員は彼を含めて全部で六人である。内訳は男子が三人で、女子が三人の計六人という構成のはずだ。

 進路希望調査票には将来成りたい希望の職種を書く欄があり、その下に「ならば自分はどういったことをしなければならないか」という欄が大きく設けてあった。

 例えば希望職種が「パイロット」ならば、下には「英語力をつけるために英文科のある○×大学へ進学したいと思います」などと書くことになる。

 小池先生は五班各員の進路希望調査票に目を通して顔が引きつった。

 一枚目、平井優花ひらいゆうか。希望職種「とくになし」自分は「とくになし」をします。

 二枚目、不破空楽ふわうつら。希望職種「とくになし」自分は「とくになし」をします。

 三枚目、庄司美咲しょうじみさき。希望職種「とくになし」自分は「とくになし」をします。

 四枚目、月村七海つきむらななみ。希望職種「とくになし」自分は「とくになし」をします。

 五枚目、郷見弘志さとみひろし。希望職種「とくになし」自分は「とくになし」をします。

 六枚目、権藤正美。希望職種「公務員」自分は「文系大学へ進学し、在学中にボランティアで実績を積みます。その後は地方公務員試験を突破して、地域に根ざした社会福祉サービスを充実させて行きたいと思います。収入が安定した頃に、ご縁があれば同じ年頃の女性と結婚し、子供を得たいと思います。子供は一男一女が理想です。そのころには公務員という安定職もあり、銀行の住宅融資を利用することができるでしょう。僕ならば郊外に三LDK以上の間取りと駐車場を持ち、庭に白いブランコがある家を望みますが、間取りなどは家族と相談が必要かもしれません。二人の子供を育て上げ、定年退職後はそれまでの蓄えや退職金でFXを利用して年金の足りない部分を補い、孫の顔を見るまでは死ぬつもりはありません。在職中の昇進具合によっては市議会選挙に出馬を依頼されるかもしれませんが、きっとその時の僕は政界進出は遠慮させていただくことでしょう」をします。

「なんじゃこら!」

 まるでゴジラのような怪気炎がほとばしった。

「いや、だから提出しなかった…、いえできなかったんですよ」

 銀縁眼鏡の向こうから済まなそうに正美は言った。

「みんな揃って『とくになし』は無いだろうって。だから書き直させようとしていたんですが…」

「いや、権藤くんの妙に緻密な人生設計もおかしいから」

 小池先生に言われて正美はパチクリと大きく瞬きをした。

「しかも守りに入っていて、ちっとも面白くないし」

「あ、先生にまで同じ事言われた」

 正美は口を尖らせた。

「でも、とくになしって書く弘志や空楽には言われたくないですよね」

「ま、まあね」

 教師としてあるまじき態度だったかもと反省しつつ、同意するため頷いてみせた。

「じゃあ権藤くんの紙だけは貰っておくけど、他の五人の紙は書き直させてちょうだい。いい? みんなの未来がかかっているんだから」

「そんな大層な仕事、押しつけないでほしいなあ」

 正美はそれでも不承不承といった態度で首を縦に振ってくれた。



「で? 五班のみんなは書き直してくれたの?」

 翌週になり、さすがに進路希望調査票の集まりはよくなって、後は再提出を命じた五班の分だけを残すのみだった。

「えっ」

 再び廊下に出たところで掴まった正美は、また微妙な顔をしてみせた。

「進路希望調査票よ? みんな書き直してくれたんでしょ?」

「はぁ、まぁ」

 なんとも歯切れが悪い。小池先生は両拳を腰に当てて胸を張った。

「さ、出して」

 下から(彼女の悩みの一つは低身長なのだ)自分に向かって差しだされた手を見て、正美は嫌そうにバッグを開けると、先週と同じ紙ばさみを取りだした。

「どれどれ」

 渡された五枚の進路希望調査票を小池先生は覗き込んだ。

 一枚目、平井優花。希望職種「第一はパチプロ。第二は雀師。第三は競馬師」自分は「賭け事に勝てるように確率の勉強をするため、どこか適当な大学の数学科に入ります」をします。

 二枚目、不破空楽。希望職種「第一は蔵元。第二は杜氏。第三は酒屋」自分は「アルコール発酵をよく知るために呑み比べに精を出す」をします。

 三枚目、庄司美咲。希望職種「第一は玉の輿。第二第三も玉の輿」自分は「いい家柄の男のために自分磨き」をします。

 四枚目、月村七海。希望職種「ニート」自分は「なんもするきしねえ」をします。

 五枚目、郷見弘志。希望職種「あなたのお嫁さん」自分は「花嫁修業」をします。

「なんじゃこら!」

 再びゴジラのような怪気炎がほとばしった。

「ノム・ウツ・カウが全部揃ってるじゃない! しかも郷見くんに至っては性別すら超えてる!」

「ぼ、僕だって!」

 泣きそうな顔になりながら正美は反論した。

「僕だって何回も書き直せって言ったんですよ! これだって三回も書き直させた後なんだから」

 優等生が放った心の叫びに我に返る小池先生。言われて紙をよく見てみれば何度もケシゴムを使った痕があった。

「わ、悪かったわね、権藤くん」

「わかってくれました?」

「ええ」

 そして二人は顔を見合わせると肩を落とした。



 という事で、さらに翌日の放課後。一年三組の教室には五班の六人の生徒が居残りさせられた。教壇からその六人を見おろす小池先生の目には決意の光があった。

「おい、五班」

 少々男勝りの声を出しながら小池先生は啖呵を切った。

「もう君たちだけなんだけど、進路希望調査票を提出していないの!」

「え、出しましたよ」

 自分の席に着いたまま後ろ頭で手を組んで一人が、常時張り付けている笑顔のままで発言した。茶色がかった長めの髪につつきたくなるような柔らかそうな頬を持つ生徒である。これで制服が右前ボタンである女子用であったら噂の『学園のマドンナ』に選出されたかもしれない。しかし彼が着ているのは下がスラックスの男子用制服であった。この一見美少女に見える彼が郷見弘志、一年三組で一番の問題児であった。

 その成績は学年でもトップクラスなのだが、いかせん危ない科学実験と下ネタが大好きというかなり難ある素行のために、彼をあからさまに嫌っている教師も多かった。

「あんなの出したとは言えないでしょ!」

「え、僕のもですか?」

 班長の正美が見せた草食動物のような動揺に、小池先生は我を取り戻した。

「いえ、権藤くんの進路希望調査票はいいわ。でもその他は絶対ダメーッ」

「えーっ」

 あからさまに反抗する声を上げたのは、制服をだらしなく着た赤毛の女子であった。女だてらに両足を机の天板へ上げてまでいた。短くしたスカートでだいぶ際どい事になっているが、そこは下にスパッツ履いて余分な視線はカットしていた。

「あたしの書いた紙のドコがいけないんだろ」

 彼女が用紙へギャンブラーになる宣言を書き込んできた平井優花である。その赤毛は脱色などではなく地毛であり、日本人にしては彫りが深い目鼻立ちからハーフと間違えられることが多いようだ。実際は何代にもわたってこの多摩地方で暮らす純粋な日本人の家系である。

「あんなロクな物じゃない未来予想図が許可できますか」

 彼女に向かって牙を剥いてしまった。

 その小池先生の感情にまかせた言葉に対し、優花は冷静な口調で言い返した。

「一二三に五六三かけて、さらに二六かけて一三で割ったら?」(123×563×26÷13)

「へ?」

「一三八四九八」(138、498)

「正解!」

 何気ない様子で六桁の数字を口にした弘志を指差して、満面の笑顔を見せる優花。さらに楽しげに目を細めた。

「ちなみに途中解は六九二四九と一八○○四七四」(69、249と1、800、474)

「ホントだ…」

 なんとか電卓が間に合った正美が感心した声を漏らした。それを聞いて優花は腕を組んで胸を張った。

「ね? センセ。あたし数字に強いんだ」

「だからってパチプロとか…」

「そこはジョーダンだって」

 本気かどうか判らないが手を気軽に振って優花は笑顔の質を変えた。

「でも大学の数学科に行けば、この特技もムダにならないでしょ」

「ま、まあ、そうね…」

 気を呑まれた小池先生は弱々しくうなずいた。

「ということで、あたしは大学の数学科志望。それでいいでしょ?」

 席から立ち上がりながら優花は宣言した。

「えっと、これから美奈緒と遊ぶ約束してんだ。もういいでしょ、行っても」

 それを拒否できるほど小池先生も押しが強い方ではなかった。

「じゃあミサキもヨイですかぁ」

 次に立ち上がりかけたのは正美の横に座っていた庄司美咲であった。彼女は、染めてでもいるのか金色をした長い豊かな髪を背中に流し、両目にはカラーコンタクトを入れているのか、瞳は緑色をしていた。厚めに塗ったファンデーションでも鼻の周りにできたソバカスを隠しきることができていなかった。

 衣服だって今風に着崩しており、ブラウスだって薄い色なら黙認される清隆学園においてギリギリアウトな濃いピンクであった。

 団子っ鼻に低身長。このどこから見ても純日本人の特徴を持った彼女であるが、両親共にじつはイギリス人で、言わば平井優花の真反対の存在で有名だった。なんと金髪碧眼も生まれつきの物であった。名前だって本当は庄司美咲という名前の間に、寿限無のようなミドルネームが入るのを略しているのだ。ファーストネームの『美咲』は父の親友で日本人の貿易商が名付けた物であり、ファミリーネームに見える『庄司』の方だって、実はミドルネームの一つ『ジョージ』に漢字を当てた物である。横文字の発音が苦手な日本社会で不便が無いように使用している彼女たち一家の通称としての苗字だ。

 本人も含めて家族全員が日本びいきで、彼女が日本人に間違えられることをむしろ喜んでいる節があった。

「ちょっと待って」

 逃げることはゆるさんとばかりに小池先生は手を横に振った。

「庄司さんの『玉の輿』なんてフザけた進路、認められるわけないでしょ」

「でもミサキ、玉の輿だヨ?」

 さすがに日本語のイントネーションや語彙に支障があったが、日常会話なら不都合が無いはずである。

「はい?」

 認められないと言った途端に言い返されて小池先生の顔が歪んだ。

「先生の話しを聞いていなかったの?」

「聞いてたヨ」

 エヘヘと笑って美咲は超特大級の爆弾を投下した。

「でもミサキは、卒業したら結婚することが決まってるカラ」

「ええ!」

 一同の視線を集めた美咲は平然と微笑んだ。

「シューフォークの地主さんチの跡取りサンと結婚するのデース」

 ピースサインまで繰り出した。

「は?」

 目が点になって一秒が経過してから、美咲のセリフが理解できてきた。

「そ、そんな。け、けっこんなんて…」

 新卒で教師になった自分にすら、まだそんな話しが持ち上がっていなかった。見合い話しだってまだだ。

「なンでも、本国に一一五五○エーカーの土地持ちだそうデース」

「いちまんせんごひゃくごじゅうえーかー?」

 正美が現実味を感じていない声を喉から捻り出した。

「一エーカーが四○四七平方メートルだから…」

 弘志がついっと天井を見上げて口の中でブツブツと暗算をして見せた。

「東京ドーム百個分かな」

「百個分?」

「うん。そんなに土地を持ってるなんて、ただの地主じゃないよ。貴族も貴族、大貴族」

「たまのこし…」

 呆然とした感じで小池先生がつぶやいた。

「うん。先生の負けだね、色んな意味で」

 弘志が宣言し、いまだ現実に帰ってきていない小池先生の代わりに美咲に振り向いた。

「でも何で、若くして結婚するのに、この学校来たの?」

 当然の疑問である。それに対して照れたように後頭部を掻いた美咲はこたえた。

「ジャパニメーションに出てくる高校生活というモノを体験してみたかったでゴザル」

「はえ〜」

 銀縁眼鏡を顔面から落としかけている正美が感心した声を漏らした。

「おそるべしジャパニメーション」

「センセ? ドウした?」

 教壇を振り返っても小池先生は、まだ現実の世界に戻ってきていなかった。それを見て取った弘志は困っている様子の美咲に声をかけた。

「帰っちゃっていいんじゃない?」

「ホント? ラッキー。じゃあ明日ネ」

 様になるウインクを決めて美咲は教室から出ていった。

「オレたちも帰っちゃおうか」

 放っておくといつまでも教壇で硬直していそうな小池先生の様子を見て弘志が提案した。

 その声が耳に届いたのか、ぶるるるっとまるで濡れた犬のように顔を振って、小池先生が我を取り戻した。

「だめよ!」

 今度こそ勝利を確信して教室に残った四人を制した。

「不破くんの蔵元とかまだしも、ニートにお嫁さんなんて、認められるわけないじゃない!」

「えー」

 眉を顰めた弘志が、仲良く並んで机に突っ伏している二人を見た。

 男の方は彼と一緒に正美につるんで『正義の三戦士サンバカトリオ』と呼ばれている不破空楽である。彼は今もそうしているように、居眠りと読書、そして何よりアルコールを愛する未成年であった。

 女の方は長い黒髪のところどころに寝癖がついてピンピンと撥ねていて、体格は小学生のようなモノしか持ち合わせていない少女であった。彼女が月村七海である。

 一年三組居眠り四天王の一人目と二人目として、クラスメイトどころか教職員にも認識されている二人であった。ちなみに残りの四天王は柳田誠に袋川美音、井崎醒南の三人である。人呼んで「五人揃って居眠り四天王」。つっこんだら負けである。

「でもさあ」

 弘志が机に頬杖をつきながら言った。

「若者の無気力は昔から言われていたことじゃん。オレらを責められてもなあ」

「ふっふっふ」

 悪巧みを思い付いた顔で小池先生は嗤った。

「こんなこともあろうかと、先生は準備を怠らなかったわ」

「?」

 訝しんでいると、教室の扉がスパーンと勢いよく開かれた。

「待たせたな」

「おまえは明実!」

 入ってきたのは長身の制服の上に白衣を羽織った男子であった。小池先生が見上げるような高身長に枝のように細い体、彫りが深い顔に薄い色の髪に瞳でとても日本人とは思えなかった。それもそのはず彼は御門明実みかどあきざね、自称『スロバキアと道産子とのハーフでチャキチャキの江戸っ子』である。清隆学園高等部科学部総帥にして、高校生ながら数々のパテントをモノにしている天才であった。大人たちの評価は「明日のノーベル賞受賞者のその候補」といったところだ。その頭脳が生んだパテントは化学的な物から機械的な物まで多岐に渡っており、ついたアダナが『マッド・スチューデント』だったりした。高校に上がってからも彼の発明にかける情熱は衰えておらず、数々の発明品を作っては学園内に騒動を起こしていた。もちろん科学部非常任(非常識)顧問を自称する弘志とは周知の中だ。

 弘志の怪しい発明も学園内では有名だが、明実も優るとも劣らない発明品の数々で話題を提供することに暇がない。今もゲーム機にあるようなVRゴーグル風の機械を手に持っていた。アレも彼の発明品であろう。

 教室内を睥睨へいげいするように見まわした明実は、少々狂気的に高笑いをしてみせた。

「わ−っはっはっはっ…、げほっごほっ」

 あまりの大口に咳き込んだりもしていた。

「御門くんに頼んで、役に立ちそうな機械を持ってきてもらったわ」

「ヤバいぞ空楽」

 弘志が仲間を振り返った。

「正美ならまだしも、オレたちまで人体実験の素材にされちまう」

「うむ」

 その危機感溢れる物言いに、一発で空楽は目を覚まして上体を起こした。

「え、それって…」

「人体実験するのは好きだが、されるのは大嫌いだ」

 いつも実験対象にされる正美が、何か言いたそうなのをまるっきり無視して、弘志と空楽は腰を浮かしかけた。

「残念だったな、もう遅い!」

 明実がその機械の作動ボタンを押し込んだ。

 みんみんみんみんと、見るからに怪しい赤色をした波動が機械から発せられると、逃げようとしていた『正義の三戦士』はその場に昏倒した。上体を起こしもしなかった七海もそのウェーヴに取り込まれた。

「それで?」

 怪しいウェーヴの中で意識を失った四人を心配そうに見ながら、小池先生は明実に訊いた。

「その機械はなんなの?」

「これは深層心理画像化チェッカーである」

 自分の発明品を自慢げに掲げて明実。

「進路希望調査票にとくになしと書き込む? ではその者はまったく願望が無いのか? 否! 人は誰でも願望を抱いているもの。オイラはそこに注目し、深層意識に押し込んだ欲望を可視化し、このゴーグルで見ることを可能とした」

「つまり、五班のみんなが、実は成りたいモノとして考えていることを覗き込めるってことね?」

「まさしくそのとおりである! ささ小池先生。このゴーグルをつけて、彼らの深層心理の世界へレッツ・ダイブ!」

 小池先生は微塵の躊躇も見せずに明実からゴーグルを受け取った。



 目の前に置かれた二つのモニターが像を結び始めた。左右で少しだけずれた映像を映し出すことによって画像が立体に見ることができる技術である。

「へえ、とてもリアルに見られるのね」

 小池先生の視界に浮かんできたのは暗いマンションの一室だった。

 床といい壁際に置かれたベッドの上といい、服やら本やら散らかり放題散らかっていた。

 外からの光も厚いカーテンで遮った暗闇の中に、一人の少女が床に座っていた。

 長い黒髪に十人前の顔。そして何より特徴的なのはやる気のない瞳。彼女が月村七海である。

 彼女はいまベッドを机代わりにして、そこに置いたノートパソコンで、ネットのパズルゲームをやっていた。

「あー」

 嗄れた声。彼女が教室で必要以上に喋らない理由の一つである。

「なんもやる気起きねー」

「それじゃだめでしょ月村さん!」

 小池先生は相手が画像だと判りながらもガッツポーズを取って応援してしまった。

「アナタにもなりたい職業の一つか二つはあるでしょ?」

「あー、一生働きたくねー」

 こちらの声が聞こえているのかいないのか、ただ画像の中の彼女は、すさまじい勢いでゲームの中の宝石を連鎖させて消していた。

「ちゃっちゃっちゃーっと」

 口でリズムを取って難しそうなそのゲームをクリアしてしまった。

「なんか、もう飽きたな」

 ウィンドウを最小化して別のゲーム画面を開く。しかし開始画面を呼んだだけですぐ消してしまった。

「これも飽きたな。こっちもダメ。これなんかツマラナイ」

 一ダースほどのゲーム開始画面を呼んでは消してから彼女の手が止まった。

「どれもやりきっちゃったな」

 無感情な様子のままそう言って絶句してみせた。しばらくしてポツリとつぶいやいた。

「そうだ、ゲームを作ろう」


 月村七海。希望職種「ゲーム製作」自分は「プログラムを学ぶために情報処理の免許を取得」をします。



「次は誰かしら」

 自分がやりたいことに気がついた七海を怪しげなウェーヴから外した小池先生は、次なる映像に意識を集中した。

「ここは?」

 場所はどこかの土蔵であった。そこに見上げるような大きな樽が何個も設置してあった。

 テレビの名産品特集などで見たことがある、地酒の醸造所にとってもよく似ていた。

 人気がない中を奥へ画像を進ませていくと、壁に掛けられた黒板の前に一脚の椅子が置いてあった。

 そこに座っているのは不破空楽であった。

 全身真っ白な作業用のツナギに髪の毛を落とさないためのキャップまでつけていた。

 そんな格好で椅子に座りつつ、手には一冊の文庫本が握られていた。

 しかし彼はその紙面に視線を走らせていないようだった。視覚だけのこの装置では判らないが、むせ返るようなアルコール臭の中で、その格好のまま居眠りをしているようなのだ。

「夢の中でも居眠り?」

 小池先生が呆れていると、彼が一つ身じろぎをした。

「いかんいかん。ついウトウトとしてしまった」

 文庫本を近くの小さな樽の上に置いて、背後の黒板を振り返った。そこには仕込んだ日付や、撹拌した日付などの記録だけでなく、これから行わなければならない予定まで書き込んであった。

「うむ。三番が今日ぐらいイイコロアイのはずだが…」

 そういうと彼は文庫本を置いた小さな樽の横から一升枡を取り上げ、大きくペンキで「参」と書かれた大樽へ歩み寄った。

 大樽からは腰の高さ程に木樋が突き出ており、そこへ同じ木でできた栓が差し込まれていた。

 空楽は一升枡を木樋の下にあてがい、木栓を抜いた。

 透明な液体が迸るように溢れ、一升枡を満たしていった。

 酒の一滴は血の一滴。少しも零すことなくなみなみと一升枡に醸造中の酒を溜めた空楽は、木栓をしてから目の高さにそれを持ち上げた。

「うむ。今年もいいデキだ」

 不純物など全くないやや黄色がかった透明な液体である。光に透かすように持ち上げると、表面に起きた小波がキラキラと光を反射した。

 その出来に満足そうな笑みを浮かべた空楽であったが、ふと不安そうな顔となった。

「しかし味の方はどうだろう?」

 空楽は一瞬の迷いもなく一升枡に口をつけ、そーっと一含み。まるでうがいするように舌の上で転がすと、最終的に呑み込んでしまった。

「うん? 一口じゃわからんな」

 そしてもう一口。

「まだわからん」

 二口目。

「いやいや」

 三口目。

「もう少し…」

 四口、五口…。続けていく内に一升枡は空となってしまった。

「やはりわからん。もう一杯」

 そして大樽が空になった。


 不破空楽。希望職種「第一は蔵元。第二は杜氏。第三は酒屋」自分は「あまり味見をしなくてよいように、発酵を学びに農学部農芸化学科の発酵学選考を目指します」をします。



「さて次は?」

 段々と慣れてきた小池先生は、乗り気で次の精神世界に潜り込んでいった。

 そこは小さな町であった。

 役場から背広姿の男が出てきて、夕焼けに染まった一本道を歩く。周囲にはラッパを鳴らした豆腐屋さんを捕まえた主婦や、風呂敷をマント代わりにして銀玉鉄砲を持ったワルガキ共の群れがいた。

 男は、今日はもう店じまいと商売道具の自転車を押して帰って行く紙芝居屋とすれ違い、薄曇りに二羽の烏が飛んでいく夕焼けを見上げた。

 この分だと明日も晴れだろうと思える見事な夕焼けだった。

 小脇に抱えた革製の鞄を直し、夕闇が来る前に辿り着こうと家路を急いだ。

 どこからか焼き玉エンジンが奏でるポンポンという音が聞こえてくる。思いだしたようにボンネットトラックが男を追い越し、四角い自家用車とすれ違った。

 そうして男は一番星が輝きだした頃、一軒の庭つき住宅へ辿り着いた。

「これは権藤くんのかな?」

 そういえば進路希望調査票を提出した正美も怪しげなウェーヴに取り込んでしまっていた。

(はやく見終わって彼を外し、本命の郷見くんの深層意識に潜らなければ)と、そこまで小池先生が考えたときだった。

 男は玄関の引き戸を開いた。

「おかえりなさあい」

 明るい声だけが奥の台所から飛んできた。

「今日も一日ご苦労さま」

 木の廊下を走ってきた人影を見て、小池先生の思考が止まった。

 そこには素肌にエプロンだけをつけた郷見弘志がオタマを持って立っていた。

「お風呂にする? それともお夕食? それとも〜、わ・た・し?」


 そして高等部校舎に二十代女性の悲鳴が鳴り響いた。


幕間6・おしまい


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