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清隆学園の夏休み  作者: 池田 和美
12/15

九月の出来事・①


 二学期が始まったばかりの清隆学園高等部。

 一年生たちは、高校受験に向けての地獄のような夏期講座詰めをした去年と違い、海や山でまたは海外でノンビリと羽根をのばすことができたはずの夏休み。

 しかし、その夢のような時間は過去の物になった。

 各自が目の前に積み上げられた紙の束『夏の課題』で現実に引き戻された。

 単位修得に必要だと教師たちに告知されたそれらの提出を、期限ギリギリまで粘るため、放課後の図書室はいつにもまして混んでいた。

「もぉ〜ダメダー」

「世の中に数学というモノが無くなればいいのよ〜」

「…神に祈りなさい」

「なんで今日が八月の三十二日じゃないんだ! 九月○日でもいいぞ!」

「『ぼくの夏休み』じゃあるまいし」

「ええと、一日五枚で、ちょうど期限に間に合う計算だ」

「なんやかんやは、なんやかんやや!」

 図書室は原則として私語禁止なのは当たり前だが、絶望的な悲鳴がそこかしこで上がっていた。

 そんな様子の図書室を、一人の女子生徒が歩き回っていた。

 少し伸びた髪を背中に流し、切れ長の目は強い意思を感じさせる光を宿していた。鼻のあたりにはソバカスが散っているが、そんなもので彼女の魅力を損なうことはできなかった。

 彼女こそが二学期最初の図書委員会会議に於いて一年女子にもかかわらず、その実務能力の高さから満場一致で委員長へ就任した藤原由美子ふじわらゆみこその人である。

 きちんと校則どおりに制服を身につけている彼女は、もちろん『夏の課題』は計画どおりに消化していた。

 図書室内で無駄に騒ぎ立てている連中へは、冷ややかな視線を送ってしまう。だが特にそれを注意する素振りもない。放っておけばそのうち静かになることを一学期の経験で学んだからだ。

 由美子は図書室の奥にある体操競技の本棚を整理しようと、陽の光を和らげる緑色をしたカーテンがひかれたままの通路を曲がった。

 なぜ体育競技の棚かというと理由は簡単、丁度サッカーのルールを解説した本が返却されたからだ。

 本来ならば利用者が本棚に戻すのだが、たまにカウンターから離れて見て回ることにしていたので、本人の代わりに戻してやることにしたのだ。

 すると目当てにしていた本棚の並びにある、解剖学の本が並んでいるあたりに、割と高めの身長をした人影が立っていた。

 由美子は意外なところで人に出会ってためらったのか、足を止めて相手を確認した。

 その人物は、茶色がちな長めの髪を流して、健康そうな肌をした思わずつつきたくなるほど柔らかそうな頬をして、ちょっと見ただけでは女の子に見える顔をしていた。

 しかし油断してはいけない。外見はその女顔のせいでまともに見えるが、中身は科学実験と下ネタが大好きという、かなり難ありの性格をしているのだ。

 彼女にとっては天敵としか思えないほどの危険人物、名を郷見弘志さとみひろしと言った。

 今日の彼は、どうやら人間の肘間接における筋肉構造に興味があるらしく、医学書といってもよいブ厚い本を右手に、自分の左肘を本の図解をなぞるように捻っていた。

 その本は、たまに体育の教師や教育実習生が論文などを手がける時に必要となるために置いてあるような学術書だ。裏表紙に貼り付けられている貸し出し記録を書き込んであるカードにも、生徒の名前は記されたことは無いはずだ。

(そんなもの読んで役にたつのかしら)

 真面目な様子で本に集中している弘志ことを、触らぬナントカに祟りなしとばかりに放っておいて、由美子は目的の体育競技に関する棚に向いた。

(ちょっと目を離すとこれだ)

 彼女は小さな溜息をついた。夏休みに三日間もかけて蔵書整理したはずの棚は、もう順番がグチャグチャになっていた。

 とりあえず上段から整理しようと手をのばした時だった。

「オレの好みは白か青の無地かな」

「はぁ?」

 突然左側から声をかけられて由美子は目を丸くした。さっきまで解剖学の本を読んでいたはずの弘志がすぐそこにいた。

 なにやら下卑た含み笑いをして、自分の顎に手をあてて考え込んでいる風である。由美子にはなんの話しか全くわからなかった。

「ヒントその二。姐さんのさっきの授業は水泳だったでしょう?」

 弘志は本を持ったままの手で由美子の湿った長い髪を示した。読んだところまで中指を栞代わりに挟んでいるのが、それで判った。

「なに言ってるのよ」

 彼の話しがまったくわからない由美子は、少々怒気を含んだ声を上げた。もちろん場所が図書室だけに大きなものではなかったが。

「ヒントその三。緑のピンストライプ、スポーツタイプ」

「???」

 首を傾げてみせる由美子。

 さらにニヤけた表情を広げた弘志は、本を持った手をそえて、ひそめた声で耳打ちをした。

「姐さん。スカートのチャック全開」

 ドバキッ!

 真っ赤になって殴り倒しておいてから、由美子はスカート左側のチャックに手をやった。そこは弘志の指摘どおりに全開で、姿勢によっては中を覗き放題だったはずである。

「それならそうと、さりげなく…」

「手でも入れればよかった?」

「必殺ア〜ムストロング〜パ〜ンチ!」

 あわててチャックをしめたその手で弘志の鳩尾をさらに凹ませる。

「あうっ!」

「思い知ったか!」

「悩殺アームストロングパンチラだったくせに」

「まだ言うか」

 彼女が赤くなった顔のまま放った三発目のパンチを、弘志は平手で受けとめた。そのまま放さないように柔らかく握り込んできた。

「教えてあげたんだからさ、今度デートしない?」

「えっ」

 思いもしなかった提案に由美子はあからさまに動揺した。目を瞬かせると上から顔を覗き込んでくる弘志の顔を見つめ返した。

 お互いがお互いとも、お年頃のくせに決まった相手もいないのは承知のはずである。このシチュエーションで緊張しないほど彼女は、自分が朴念仁でないつもりだった。

「この間の意趣返しということで、グループ交際」

 そんな赤くなった彼女の顔を、身長差から愉快そうに見おろして観察しながら弘志が言うと、あからさまに安心した態度で由美子は彼を見上げた。

「なンでオマエらと」

「あたしが嫌いなの?」

 ちょっと眉をひそめて腰に捻りを加える弘志。まるで彼氏にデートを断られた女の子のような仕草だ。ついでに自分の右親指を甘く咬んで見せた。

「そういえば、オマエ…」

 由美子は何かを弘志に尋ねようとした。すると彼女の耳元で、ここにはいないはずの少女が、彼女にすがるように話しかけたような気がした。

〈郷見さんはなにも知らなかった〉

 しばらく黙り込んだ彼女を弘志は不思議そうに見おろした。

「どこ行くンだよ」

 ため息をついて了承する由美子。せめてもの反撃にと握られた右拳を邪険に彼の手の中から引き離した。

「この近くの神社の秋祭りに行きたいと思っているんだけど」

「いつよ」

「明日、なんだけど」



 翌日の昼休み。図書室とは壁一枚で区切られた司書室内である。

 最近は図書委員だけでなく、図書室常連組までここをお昼の食堂として利用していた。もちろん貴重な閉架本なども置いてあるので、一般生徒は立ち入り禁止のはずであるが、常連組たちにはさらっと無視されていた。

 男子たちは主に窓際の蔵書整理用の大テーブルに集まっており、女子たちは廊下側の応接セットでお弁当を広げていた。

 応接セットに着いているのは三人。一人は由美子であるが、彼女と向かいに座っているのは対照的な二人であった。

 一人は長い髪を後ろに流した娘で、小さめのオニギリにかぶりついていた。そんな少年のような動作すら似合うキビキビと動く健康的な肢体は、同じ高校生とは思えないほどのプロポーションをしていた。

 ソファに座っているが、その座高からして女子として身長も高い方だと判った。

 だが彼女を見る者は、そのすべてが彼女の美貌に心奪われるだろう。実際に毎月行われる生徒会(裏)投票で入学以来『学園のマドンナ』の地位を誰にもゆずったことがないほどなのだ。

 口元に見え隠れする八重歯ですらチャームポイントであった。

 彼女は由美子とは同じクラスの佐々木恵美子ささきえみこである。入学してすぐに起きたとある事件で由美子とは仲良くなったのだ。こうして図書委員会の仕事があるために司書室で食事をとる由美子と同席する間柄である。

 彼女の隣に座っているのは日本人形のような雰囲気を持った少女であった。

 漉きたての和紙のように白い肌と、頬の高さで切りそろえられた誰よりも青い黒髪とのコントラストが鮮やかなほどだった。

 また手に持っている小さなお弁当箱すら漆塗りの古風な物だったので、より一層そういった印象を見る人に与えた。

 彼女は図書委員会で由美子の右腕として活躍している副委員長の岡花子おかはなこであった。

 自作のタコさんウインナーを食べながら由美子は昨日の放課後にあったことを、二人に報告したところだ。

 もちろんチャック全開は微妙に表現を変えてだが。

「やっぱり郷見くんは、王子に気があるんじゃない?」

 人よりのばした黒髪を、今日はポニーテールにまとめた恵美子が彼女に聞き返した。

 女子たちの間で由美子のことを『王子』と呼ぶのは流行である。その命名理由は男子に秘密とされていた。

「だからー、そンなンじゃないってコジロー」

 コジローこと恵美子に向かって、マジになって由美子はタコさんウインナーを刺したままの箸を左右に振った。

 このコジローという愛称は、彼女の都大会に出場するような剣道の腕前と苗字から、巌流島の闘いで有名な剣豪からつけられた。

 その横で一足早く食べ終えて、備品のお茶を煎れた花子が口を開いた。

「いいなぁ二人して、私も連れて行ってよ」

「まあ、向こうも三人だし」

 振り回したタコさんウインナーをパクつきながら由美子。その横顔に艶っぽい流し目をやって、恵美子がボソッと言った。

「郷見くん、悪くないと思うけどな」

「どこが?」

 由美子はわざわざ振り返ってみせた。本当に驚いたのか目が丸くなっていた。

「あの作ってくるビックリドッキリメカは置いておいて、優しいところ」

 恵美子は、尖った人差し指を自分の形の良い顎にあてて、微笑みをつくって言った。

 確かに弘志がときどき…、いや、しょっちゅう「発明」する数々の品は、一言で言ってビックリドッキリメカかもしれない。ちなみにこの間つくったのは『超流動体形態変化装置装備一斗缶』だった。

 それはドリ○ターズのコントで使用するようなただの一斗缶に、超最先端技術の結晶である超流動体を使用し、より軽快な“いい音”が出るようにしたという、ある種のルーブ・ゴールドバーグ・マシーンのような物だった。

 その前は『スーパーチャージャーとバウスラスターと鉛筆削り完備の全自動湯沸かし器』だったし、さらにその前は『八チャンネルドルビーサラウンドシステム搭載の三輪車』だったはずだ。

 そんな変人の弘志のことを優しいと言った恵美子の、いつもリップクリームが塗りたてのままのようにうるおい輝くその口元に、同性の由美子も少しみとれてから、気の抜けた声を返した。

「はぁ?」

「海行った時も、なんやかんや言いながら、ちゃーんと池田さんの面倒見てたじゃない」

「ちなみに池田じゃなくて池上ね」

「なによそれェ」

 一人話しの判らない花子の為に由美子は、夏休みの初めに海へ行った事を打ち明けた。

 中等部の二年女子が、よりによって弘志へデートの申し込みをしたのだ。その仲介役となった由美子は、外見はまともだが中身が野獣以下である弘志がなにか事件をおこすと心配なので、恵美子と着いて行くことにした。

 そんなわけで女子は由美子と恵美子とその中等部の娘の三人で、男子は弘志といつもつるんで大騒ぎをしている『正義の三戦士サンバカトリオ』である不破空楽ふわうつら権藤正美ごんどうまさよしがついてきて、合計六人の電車での日帰り旅行になった。

 当日は家族旅行で日本にすらいなかった花子が、うらやましそうな声をあげた。

「いいなぁ。こんどは絶対につれてってぇ」

 わざわざ手をのばして由美子の制服の袖を摘んだ。

「ハナちゃんが来れば三人だもの、向こうも三人組で来るでしょ」

「あの三人の中で、郷見くんは優しいでしょ。不破くんは?」

「あれは…」

 恵美子の問いかけに、口を開きかけた由美子の横から、花子は断言した。

「静かなのよ」

「ただ居眠りしてるだけでしょうが」

 あきれた様子の由美子は放っておいて、さらに恵美子が二人に訊いた。

「じゃ、権藤くんは?」

「あれは…」

 再び横から花子が口を挟んだ。

「真面目よね」

「の割にはバカだけど」

 トホホな表情になった由美子は置いておいて、恵美子は乗り出して二人に訊いた。

「つき合うとしたらどっち? ねぇ王子、ハナちゃん」

「あたしは…」

「三人とも一長一短なのよね」

「決められないと、王子は?」

 とりあえず即答した花子をおいて、恵美子は由美子に振り向いた。

「そりゃ、郷見のことは、この間のことで見なおしたけどさぁ」

 由美子は、三人の手でこの部屋の窓際に吊された風鈴を見た。

 当の三人組はそうそうに、食事を終えてどこかへ消えてしまったようだ。

「けどさぁ、なに?」

「あのヘンテコ機械はパス」

 お弁当箱の蓋を閉めながら由美子は言い切った。その様子に恵美子は微笑んで彼女の肩を軽く叩いて言った。

「またまたぁ、王子ったら照れてぇ〜」

「じゃあ、今度の郷見くん担当は王子ね」

「ちょ、ちょっと!」

 由美子は慌てて二人を見るが、そんなことはお構いなしに話しは進んでいた。

「じゃあ、ハナちゃんは誰の担当?」

「危ないことされそうない不破くん」

「もしかして、本命?」

 一応確認する恵美子に、花子は冷ややかに言った。

「選択肢があの三人しかないんでしょ、それならあの中で見た目が一番マシじゃない。黙っていれば無害だし、変に手出ししてきそうもないし」

 おとなしい外見の割にサクッと酷いことを言う花子。それに同調するように恵美子はうなずいた。

「そうなのよね。不破くん黙っていればかっこいいのに」

「コジローは残りものの権藤くんでいいの?」

 一服手にした湯飲みを傾けてから花子は質問した。

「残りものには福がある、じゃなくて。権藤くんもその点は安全そうじゃない。話しはおもしろいし」

「そうね。あの三人の中で一緒にいて一番楽しいかで選ぶと、権藤くんかもね」

「ということは」

 二人して意味ありげに由美子を振りかえる。

「その点、危険極まりない郷見くんを王子が担当って、最良の割り当てじゃない」

「『必殺アームストロングパンチ』があるもんね」

 今度は花子が由美子の肩をポンと叩く。『必殺アームストロングパンチ』とは、由美子が、普段から言うことをきかない男子に、拳で従わせる様子から命名された彼女の『必殺技』である。

「…」

「どうしたの王子?」

 暗い表情になった由美子を心配して花子が訊いた。反対側から恵美子が妙に力んで言った。

「王子が必殺パンチを出してる間はろくな恋もできないわよ。二学期になったことだし、ここらへんで今までのイメージ崩して、恋する乙女にバージョンアップしなきゃ」

「恋する乙女? ガラじゃないわ」

 なにか振り切れたのだろう、ちょっと右肩をすくめて由美子はふんと鼻を鳴らした。

 すると恵美子が本気か冗談か判らない勢いで怒り声を上げた。

「そんなオクテでどうするのよ!」

「だっ、だってぇ〜」

 そのあまりの勢いに、首をすくめた由美子がめずらしく情けない声を上げた。

「応援するからね! 王子!」

「私も応援するわ!」

 ガッツポーズまでしてみせる恵美子。

「だから、なんであたしと郷見がくっつかなきゃならないねん! 郷見の気持ちだってあるでしょうに。だいたい…」

 逆上して由美子が声を上げると、二人に「きゃー」と黄色い悲鳴を上げられてしまった。

「郷見の気持ち、だなんて」

「頑張ってね王子」

 うんうんとうなずいて、おねえさんは判っているよと言わんばかりの恵美子。ポンと彼女の肩を叩いて言った。

「ちゃんと避妊はするのよ」

「オマエらな〜」

「怒った怒った」

「照れ隠し! 照れ隠し!」

 きゃーと逃げていく二人。慌てて追いかけようと席を立ったが、元気な二人は、あっという間に廊下に続く扉へと消えていた。今からでは到底追いつくこともできないだろう。

 後に残された由美子は、溜息をまたついていた。



 一方そのころ、ところは変わって図書室の向かいにある美術室。

 画材特有の臭いが充満した部屋の角っこの方で、三人の男子が椅子を寄せて顔をつきあわせていた。

 真ん中に座っているのは由美子と約束した郷見弘志であった。その左で腕組みをしたまま目を閉じている肩幅の広い少年が不破空楽、それとは逆に銀縁眼鏡をかけて本の虫といった真面目そうなのが権藤正美である。

 その様子は、なにか悪巧みをしているかのようだった。

「というわけで、諸君感謝するように」

 座ったまま偉そうに胸を張る弘志。

「感謝って、なんで」

 正美は聞き返した。昼休みの間に、取りかかっている油絵を少しでも進めようとしていたところを邪魔されて、いささか不機嫌な声になっていた。

 三人の中で彼だけが美術部に所属していた。

「姐さんとグループ交際の約束ができたということは『学園のマドンナ』のコジローも来るということだぞ」

「なるほど」

 妙に力んだ弘志に、正美は先程までの固い声を幾分かやわらかくし、納得してうなずいた。

「しかも、秋祭りということは!」

「ということは?」

「ありがたくも、浴衣姿を拝めるかもしれない!」

「おおっ」

 生徒会主催で不定期に行われている(裏)投票で必ず『学園のマドンナ』の座を取る恵美子の浴衣姿である。

 いつものようにボーッとしている空楽は置いておいて、二人とも夢見る顔になった。

 しばらくして弘志が我に返った。

「ということで感謝するように。流れ次第では彼女と二人きりになるチャンスもある」

「でも、藤原さんも来るんでしょ。悪くすると藤原さんと二人きりになっちゃうかもしれないじゃん」

「うっ」

 正美の指摘に、弘志は言葉を詰まらせた。どうやらそこまで考えが回っていなかったようだ。

「それもそうか。ならばジャンケンで決めよう。三人の中で一番負けた者が恨みっこなしで姐さん担当な」

「…」

「ねぇ、弘志」

「なんだよ正美」

「空楽だけど、居眠りしているように思わない?」

 正美は美術室にこうして座ってからの疑問を弘志にぶつけてみた。

 筋肉質の体格をしている空楽には似つかわしくなく、いつでもどこでも居眠りをはじめるという特技があった。まるで国民的に有名な、未来からタイムマシーンでやってきた青色猫型育児ロボットと同居している、あやとりと射撃が得意な眼鏡をかけた小学生並みだ。

「お前もそう思うか?」

「うん」

「…」

 一瞬の静寂の後、弘志は言い切った。

「ならばこそ、今のうちにジャンケンをしてしまおう」

「あ、ひっでーの」

「何を言う。ここで勝負に参加しないのは『不戦敗』だ」

 堂々と宣言した弘志に、正美はあきれたように溜息をついた。

「わかったよ。いくよ」

 さいしょはグー! ジャンケンポン!

 正美がグー、弘志がチョキ、そして空楽もグー。


 …。


「ちょっと待て空楽! 貴様起きていたのか!」

 右手をチョキのまま硬直させた弘志が悲鳴のような声を上げ、無意識に立ち上がった。

「うむ」

「どこらへんから?」

 正美の問いに再び「うむ」とうなずいて空楽は答えた。

「最初から」

「空楽! 起きているなら起きていると言わんかい!」

 一種のパニック状態になった弘志は、完全に裏返った声で空楽に詰め寄った。

「お前の友情を胸にいっぱいに感じて声も出なかった。なにが『不戦敗』だ」

「あれは、言葉のあやというか…」

 右手のチョキを開いたり閉じたりして声のトーンを落とし、ついでに腰までおろす弘志。

「じゃあ、空楽と決勝戦をして、勝った方が佐々木さん担当ね」

 正美は拳を空楽の方に突き出して確認した。

 それに対して空楽が、腕を組み直して逆に正美に聞き返した。

「それだが、こっちが三人で、向こうは二人なのか?」

「たぶんハナちゃんも来て三対三じゃないかと…」

 ちょっと声のトーンを落とした弘志。

「ならば決勝戦の意味はあるのか。もしかしたら弘志と二人で『拳の魔王』担当かと思ったぞ」

 その『拳の魔王』とは三人が由美子につけた渾名だ。彼女の必殺技由来の命名である。

「空楽が姐さん担当がいいんだったら喜んで変わるよ」

 弘志の提案に空楽は鼻息を一つ飛ばした。

「冗談はよせ。ハナちゃんが来るなら俺はそっちでも良いぞ」

 一瞬静けさがやってきた美術室で、二人は顔を見合わせ、そして同じようなイヤらしい嗤いをそろって顔に貼り付けてから、あらためて空楽の方を向いた。

「そーかそーか」

「なるほど」

 二人の豹変に話しが判らずにキョトンとする空楽。

「空楽はハナちゃんが本命なのか」

 弘志に指摘されて、たちまち空楽の顔が赤くなった。

 彼がこうして感情を表に出すのはめずらしいことだ。いつもは無表情というより睡眠不足といった顔のままなのだ。

「そんなもんじゃない。浴衣ということは和装だよな。ハナちゃ…(咳払い)岡さんは着物の着こなしが上手だから一緒に歩いていて様になるなと…」

 花子は図書委員と華道部の掛け持ちであった。校内であっても部活中は、わざわざ和服に着替えて花を生けていたりした。その途中で用事があると、その格好にままで図書室や司書室に顔を出すので、彼女の和服姿は図書室常連組にはお馴染みの物になっているのだ。また私服も和装であることも多いらしい。

 しかし空楽の言葉は最後まで聞かれていなかった。

「彼女のどこに惚れましたか?」

「うーんと着物姿を見て一目惚れっす」

 二人はテレビの街頭インタビューなんていう感じのコントをし始めていた。

 シュッと風を切る音がして、インタビュアー役をしていた弘志の喉元に木刀が突きつけられた。

 空楽はいつも木刀とクナイと呼ばれる忍者の七つ道具を隠し持っていた。自称、第二○代石見氏直系である。

 木刀の切っ先は弘志の喉仏からきっかり五ミリの位置で静止していた。並みの集中力と凌力ではできない技であった。

 さてベロベロに酔った彼の父の言うところによると、自分は伊賀末裔の下忍で、インターポールと裏工作中に出会った甲賀末裔のクノイチと道ならぬ恋をし、二人で障害を乗り越えて結婚にいたったらしい。

 父の職業は普通のサラリーマンだったが、幼い頃からそんな話しを聞いていて、空楽はすっかり誤解してしまった。その話を信じて鍛錬した結果、今では本物の忍者と思えるほどの体術を手に入れていた。

 ちなみに空楽の父に別の日に話を聞くと、自分は欧羅巴ヨーロッパのさる王室の妾腹の子であり、妻はさる華族の末裔だったりする。

「きいていたのか?」

 あまりの殺気に声も出せず、顎も動かせないまま、弘志は目だけで彼にうなずいた。

「じゃあ確認だ。佐々木さんの担当は正美、岡さんの担当は俺、そして拳の魔王の担当は貴様だ」

 こうして不思議なことに、男女とも同じ組み分けで、パートナーが裏側で決まっていたのだった。


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