第1話 学園生活
「ねえ、かずくん。遅刻しちゃうよ」
朝日が差し込む部屋に、ひなたの声が響く。
布団の中で目を閉じたまま、俺は肩を揺する手から逃れるように寝返りを打った。
「まだ眠い。あと五分だけ」
「もう……いつも同じこと言うんだから」
呆れたように息をつきながらも、ひなたは俺の肩を揺すり続ける。
隣に住む幼馴染のひなたは、昔からこうして俺を起こしに来てくれる。
「ひながキスしてくれないと、起きられないんだ……」
何気なく言うと、ひなたの手がぴたりと止まった。
「…………っ!」
薄く目を開けると、ひなたは顔を真っ赤にして、うつむきながら両手の指をもじもじと絡めていた。
「キ、キスって……私たち、まだそんな関係じゃないのに」
――まだ、か。
俺たちもいつかは、そういう関係になるのだろうか。
「でも……かずくんがいいなら……」
ひなたは唇をわずかに尖らせ、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「……冗談だって」
俺は布団を跳ねのけて起き上がり、ひなたの頭にぽんと手を置いた。
「すぐ用意するから、玄関で待っててくれ」
「も、もう。かずくんのばか」
ひなたは頬を膨らませて、俺の部屋を出ていった。
階段を下りる足音を聞きながら、俺は大きく伸びをする。
身支度を済ませ、ひなたと一緒に外へ出ると、門の脇で小柄な少女が待ち構えていた。
「またひな先輩に、迷惑かけてるんですかぁ? いい加減ちゃんとしたらどうなんですかぁ?」
朝から俺に文句を言ってくるのは、一つ下の後輩、紗奈だ。
紗奈は、俺たちが家を出る時間に合わせて、毎朝のように通学路で待っている。
「別に迷惑なんかかけてないぞ」
「そ、そうだよ……紗奈ちゃん。私が勝手に来てるだけだから」
「ひな先輩も、あまり甘やかさないでください!」
紗奈は腰に手を当て、俺をじろりと睨む。
「朝よわよわな先輩は、ひな先輩がいないと起きられないんですかぁ?」
「起きれなくはないぞ。多分だけど」
「はあ? ざぁこ。何の取り柄もないくせに、だらしないなんて。先輩って、本当にいいところが一つもないですね」
「お前な……」
朝からずいぶんな言い草だ。
それなのに紗奈は、俺が言い返すのを待つように、楽しげに口元を緩めている。
紗奈を加えた三人で、朝日に照らされた通学路を進んでいく。いつもと変わらない朝だった。
校門の前では、瑞希会長が挨拶運動をしていた。
「和真君、おはよう」
「おはようございます、会長」
瑞希会長は、この学園でも美人で知られている。しっかり者で、生徒たちからの信頼も厚い。
「ネクタイが曲がっているぞ、和真君」
会長は俺の返事を待たず、白く細い指先でネクタイの結び目を整えた。
「会長、自分で直せますから……」
「すまない。気になってしまってな」
ネクタイを整え終えると、会長は静かに微笑んだ。
「生徒会の書記の件だが、考えてくれたか?」
「いえ……まだ考え中です」
「そうか。君に入ってもらえると嬉しいのだが、無理強いはしないよ」
「ありがとうございます」
生徒会では書記に欠員が出ていた。部活動に入っていない俺は、瑞希会長から何度か勧誘を受けている。
けれど、生徒会で働く自分はどうにも想像できなかった。
だから俺は、まだ返事を保留にしている。
教室に入ると、クラスでもひときわ目立つギャルが、気さくに声をかけてきた。
「和真! 昨日のアニメ見た?」
「見た見た。あの展開、続きが気になりすぎて夜眠れなかったわ」
「マジわかる! 来週まで待てないんだけど!」
乃亜は見た目こそ派手だが、アニメやゲームが大好きだ。
以前、読んでいた漫画をきっかけに乃亜に話しかけられた。そこから意気投合し、今ではすっかり趣味友達になっている。
「ねえ、今度また和真の家に行っていい? 漫画の続き、読みたくてさ」
「ああ、いいぞ。乃亜ならいつでも歓迎だ」
「やった! じゃあ、今度遊びに行くね」
乃亜は嬉しそうに笑うと、自分の席へ戻っていった。
「かずくんは、乃亜ちゃんと……仲いいよね」
隣から、ひなたの声がした。
「まあ、趣味友達って感じだけどな」
「ふーん」
ひなたは、じとっとした目で俺を見る。
幼馴染のひなた。生意気な後輩の紗奈。しっかり者の瑞希会長。そして、趣味の合う乃亜。
気づけば、俺の周りにはいつも彼女たちがいた。
みんな魅力的で、誰かと付き合えたらいいなと思うこともある。けれど、正直なところ、誰か一人に決めるなんてできそうになかった。
このまま楽しい日々が続けば、俺はそれでいい。
そう思っていた。




