第三十五話 要石
清掃が終わった翌日。いよいよずれた要石を修正する時が来た。この作業は橋守家に託される。
作業前、潤子は山形に会い、駐車場に新たに作られた休憩スペースで話し込んでいた。
「お渡しした橋の作業記録、山形教授から見てどうでした?」
「修繕のやり方自体、とても理に適ったものでした。お墨付きを出せますよ」
彼はにこやかな顔でそう言いつつ話を続けた。
「それと橋の維持管理費については、国が町に補助を出してくれそうです。今後は費用の心配はしないで済みますよ」
「良かったです。本当に助かりました。それでは、これから橋守家秘伝の技をお見せします。まあ、秘伝ってほどでもないんですけどね」
そう言って立ち上がると、山形に手を振って橋の方へと向かっていった。その途中で両親と合流する。
橋の中心部に潤子、父さん、母さんが立った。その周りで、工事関係者の人たちが固唾をのんで彼らを見守っている。
足元には鎮座した巨大な石。要石だ。
三人は要石を取り囲むようにして、慎重に位置取りをする。立つ位置を決めると、自身の身長の倍ほどの長さのある鉄梃を構え、石の継ぎ目の奥へと差し込んだ。
母さんが号令をかける。
「いくよ。さん、にい、いち」
「「「せい!」」」
鉄梃に全体重をかけ、テコの原理を応用して力を伝える。要石がほんの僅かに動いた。その後も掛け声とともに、梃に力をかけ、何度か要石の位置を調整する。最後に梃を慎重に引き抜いた。
梃を置いた母さんが、這いつくばり、いろんな角度から要石の周りの隙間を覗き込む。おもむろに顔を上げ、ニコリと笑った。
「ばっちり!」
仕上げとして、三人で要石の継ぎ目に漆喰を詰めた。その後に一旦橋の入口に戻り、セントリング解放、橋から支えを外す作業を見守る。型枠を支えているジャッキがゆっくりと沈む。沈むにつれて、アーチに荷重が移り、石の継ぎ目が密着していく。
再び母さんが要石に近付き、視線を落とした。
おもむろにこっちへ振り向いた。その顔は満面の笑みを湛えている。そして、差し出した手の親指は上に向けられていた。
「成功!」
関係者たちから歓声が上がる。潤子たちみんなは、橋の欄干へと寄り、そこから河原に向かって大きく手を振った。成功の合図だ。途端に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
最後は呆気なかった。ほんの一瞬だった。それでも、これまでのことを思い返すと身体が震えた。目に涙が浮かんでくる。父さんと母さんの元へと駆け寄り、二人を強く抱きしめ、顔を埋めた。
「父さん、母さん。協力してくれてありがとう。私、二人の子供で本当に良かった……」
顔を上げると、二人の目にも涙が浮かんでいる。
「まだ作業は残っているけど。今日ぐらいはお祝いしようか。牛肉沢山買ってくるわ」
「ああ、父さんはケーキを買ってこよう。ホールのやつだ」
潤子は再び両親の胸に顔を埋め、ただ頷いた。
「みんなも呼んでいい?」
父さんから頭を撫でられる感触が伝わった。
「勿論だとも」
山形が要石の近くに寄って、その継ぎ目をしげしげと眺めている。
「やりましたね。おお、これは見事だ」
大林も、息を切らせながら近づいてきた。その後ろからカメラマンが慌てた様子で追いかけてくる。
「おめでとうございます!」
大声でそう叫んだ彼は、小声で言った。
「ワガママを押し通した気持ちはどうですか?」
潤子は大林に蕩けるような笑みを向けた。
「最高です!」
潤子は帰り際に祠へと寄り、その場にしゃがみ込むと今日の出来事を報告した。
「おじいちゃん。もう安心して。これからはずっと平気だよ。人もいっぱいくるようになるから。人の目があるからハンカチで拭けないけど我慢してね」
立ち上がり、駐車場に停めてあるミニバンの方へ、背筋を伸ばした後ろ姿を見せながら歩いて行く。
――この日、祭りアイドルランキングが二位に浮上したことを彼女は知らなかった。
ミニバンを降りた潤子たちは、我が家の汐待橋へと向かった。橋の上にいた人たちの何人かが拍手で迎えてくれる。潤子は照れながらも手を振り返した。母さんの手には牛肉が、父さんの手にはケーキの箱がぶら下がっている。
管理棟にはみんなが集まっていた。智子に可奈、古き善きものを愛でる会の理事たち、ネットコムTVのメンバー、そして……。
「尾崎くん、来てくれてありがとう。橋の中に入るのって初めてだよね?」
潤子は微笑んで見せた。彼も、シドロモドロになりながらも返事をくれる。
「あ、ああ。お、お招きありがとう……」
管理棟から橋桁へと続く階段を下りる。こんなに大勢でここを下りるのは初めてだ。
「これだけ人数いるときついかもね。キッチンも開放するか」
嬉しそうな顔の母さんがそんなことを言いながら、リビングの扉を開く。
「おおー。帰ってきたか。待ちくたびれたぞ」
テレビを見ていたおじいちゃんが、片手を上げ、溌剌とした顔を扉の方へと向けていた。
「おじいちゃん!」
潤子はおじいちゃんの元へと駆け出すと、その上げた手を包み込んだ。
「あっちはまだ工事で、ちとうるさいからの。暫くここに厄介になるぞ」
「暫くと言わず、ずっとここにいてもいいんだよ」
「潤子さん、あそこで祭りを開くんじゃろ? その頃には帰らんとな」
そうだった。まだ終わった訳ではなかった。潤子は手を離すとへへっとした顔で笑う。
「そうだね。身投げ祭りを復活させようと思うの。流石に身投げは許可下りないだろうから求婚の舞だけね」
お紗夜さんの役は私がやるんだろうな。婿役は……尾崎の方へパッと顔を向け、すぐに向き直る。彼、引き受けてくれるだろうか。
そんなことを思っていると、おじいちゃんの涙声が響いた。
「潤子さん、本当にありがとう……こんなじぃのために」
俯きがちに、申し訳なさそうな表情をしている。
「そんなこと言わない! 私のワガママを通しただけなんだから。それよりお祝いするの。勿論、おじいちゃんも参加よ」
頭を上げたおじいちゃんの顔はくしゃくしゃだった。
「「「かんぱーい」」」
潤子の目の前には、香ばしく焼けた牛肉の山が積み上がっていた。他にはケーキといつものハゼの唐揚げと、クロダイの刺身。今回はボラの刺身もある。
潤子、隼人、夏子以外のみんなは牛肉にも目もくれず、唐揚げやら刺身やらを頬張っている。
「……なあ、姉ちゃん。牛肉食ってるのって、俺たちだけじゃない?」
「隼人、好機と思いなさい。今を逃せば、次はいつ食卓に並ぶか分からないんだから」
もちろん街に出れば簡単に牛肉は食べられる。だがそれでは駄目なのだ。母さんが焼いてくれることに意義と価値がある。
「しかし驚きました。まさか橋の中がこんな風になってるなんて」
大林がビールの入ったグラスを片手に、辺りをキョロキョロと珍しそうに眺めている。
彼は母さんに、にこやかに話しかけた。
「今度、改めて取材させてください」
母さんが彼にお酌しながらニコニコと答える。
「はい、喜んで。娘のために動いて下さったんですもの、お安い御用です」
父さんは、いつも大林の側にいる女性から、お酌をうけていた。心無しか、ビール瓶を持った女性は嬉しそうだ。
「尾崎くんも楽しんでる?」
潤子は両手に皿を持つと、壁際に座って、みんなの様子を楽しげに見ている尾崎の元へと寄った。
「……いいな、こういうのって」
「うん。賑やかでいいよね。料理持ってきたよ」
試しに牛肉とハゼの唐揚げを盛り付けた皿を差し出してみる。尾崎は迷わず唐揚げを摘まんだ。
「ねえ、尾崎くんって牛肉は食べないの? 毎日食べてそうなイメージだけど」
「ああ、毎日食ってる。だからハゼの唐揚げの方が新鮮なんだよな。美味いなこれ」
本当に毎日食ってた。それにしても、唐揚げを平らげるスピードが半端ない。
潤子も彼の隣に腰を下ろすと、みんなが楽しんでいる様子をただ眺めやった。前を向いたまま、再び尾崎に話しかけた。
「もうすぐ、橋の修繕も終わるんだ」
「そうか。良かった」
沈黙が流れた。でも、もう気まずくもない。祭りのことを切り出した。
「修繕が終わったら、祭りをやろうと思ってる」




