第一話 台風は突然に
ショッピングセンター内にあるコーヒーショップ。その窓際で、3人の制服姿の女子高生がテーブルを囲んでいる。
その中の一人、橋守潤子は話の輪に加わらずにテーブルの下、膝の上に置いたスマホ画面に視線を落としていた。父さんからのメッセージを眺めていた彼女は、ちらと窓へと顔を向ける。外には厚い曇が広がり、時折、街路樹が強風でしなるのが見えた。
「……ごめん。父さんが待ってる。点検行かないと」
潤子は申し訳なさそうに二人に頭を下げる。
「カラオケ行けないのですか? せっかくのテスト終わりの打ち上げですよ」
可奈に下から覗き込まれた。
「本当に申し訳ない! 帰らないと、やばいことになる」
潤子はスマホをカバンの中にしまうと、トレーを持って立ち上がった。
「次は必ず行くからね!」
彼女はそのまま駆け足で、店の入り口へと向かって行った。
「あーあ。振られたの、これで何度目だろうね」
智子が呆れた様子でぼやく。
「家の手伝い、本当に忙しいんじゃないですかね」
キャラメルマキアートをストローでかき混ぜながら、可奈は潤子の背中を見送った。智子はどこか納得いかないような表情だ。腕を組み、首を傾げた。
「今時、高校生がそこまで家の手伝いなんかするか? いつも『父さんが待っている』って言って帰ってるし……そういや潤のスマホってさ、フラッグシップ機の限定モデルだよな。20万ぐらいするやつ」
彼女は何か納得したような顔でウンウンと一人頷いた。
「スマホだけじゃなくて、スニーカーとか腕時計とかの他の持ち物だって、知る人ぞ知るブランドの一級品ばかりなんだよな。どれも軽く数万円はするし。潤は『全部仕事で必要なやつ』って言ってたけどさ」
さすがファッションマニアの智子ちゃん、とは可奈は口に出して言わなかった。
「もしかして潤が急いで会いに行ってる相手って……実の父じゃなくて、パパの方なんじゃないの?」
「……潤子ちゃん、そんなことしませんよぅ」
「なら、カラオケ止めて、後付けてみっか」
「プライバシーを暴くようなこと、やめません?」
「仮に潤が道を踏み外してたら、首根っこ掴んで正しい道に戻してやるだけだよ。何もなければないで安心できるだろ? ほら、行くぞ可奈っち」
智子は可奈の手を掴むと、そのまま立ち上がらせた。そして、二人は急いで店を出て、潤子の後を追った。
「潤、足、早っ!」
「待ってくださいよー」
潤子は陸上部員顔負けの勢いで潮見川の方へ向かっている。その後を智子と可奈が息を切らせながら追う。ようやく潤子は三段アーチの大きな石橋の前で駆け足を緩めた。石橋の桁や脚には、橋らしからぬ幾つもの明かりのついたアーチ型の窓が見える。
「なあ、可奈っち。ここって」
「汐待橋ですね。人が住み着いてるらしいですよ。江戸時代に架けられた有形登録文化財なのに」
「そういえば潤も橋の近くに住んでいるって言ってたな」
正確には橋の下って言った後に、橋の近くって言い直したのだが。二人の髪は、吹きすさぶ強風で後ろに持っていかれる。ぽつり、ぽつりと夏の雨が顔にかかる。
「台風来るんでしたっけ?」
「ああ。そうみたいだな」
智子はそう言いながらも、橋の上を歩く潤子を遠くから眺めていた。
「橋の上でパパと待ち合わせかな?」
「そんなわけないでしょー」
不意に潤子が橋の奥に見える、プレハブのような管理棟の影に消えた。そこから動きだす様子はない。
「あの建物怪しいな。可奈っち。いくぞ」
「は、はい」
橋の入口に立てられた車両通行禁止の標識をすり抜け、石畳で出来た橋を渡る。暫く歩いて管理棟の前まで来た。窓から中を覗き込む。ブラインドが閉められており、はっきりとは分からなかったが、人の気配はなかった。
「潤子ちゃん、どこ行ったんですかね?」
「おかしいなー。反対側に行った様子もないし」
智子は建物のドアノブに手をかけた。鍵がかかっている。
「おい、もしかして川に……」
「縁起でもない事、言わないでくださいよー」
二人は慌てて、橋の欄干から身を乗り出し、下を覗き込んだ。
水面から橋の上までは三階建てマンションくらいの高さはあるだろうか。波が大きくうねり、まるで巨大な海蛇のごとく川の水が流れていく。
「落ちたらまず助からないぞ、これ」
「どうしましょう? 警察に連絡しましょうか?」
そう言いながらも橋の下に、せわしなく視線を動かしていた可奈が素っ頓狂な声を上げた。
「智子ちゃん、あそこ見てください!」
「え、潤? なのか、あれ?」
川の中に立っている橋脚の頭に付いていた扉がスライドしたと思ったら、アーチ型の空間が現れ、そこから作業着姿の潤子が姿を見せた。オレンジ色のライフジャケットを着込み、ヘルメットのヘッドライトを輝かせ、大きなブラシを肩に担いでいる。
「あっ、潤子ちゃん……」
潤子はロープを腰のベルトに付けた状態で、真下へと降りていった。
***
――時は少しだけ遡る。潤子は智子と可奈に追いかけているともつゆ知らず、汐待橋の上、管理棟のドアを開けた。
潤子は中へと素早く入り込むとドアロックを横に捻り、橋桁の中へと続く階段を二段飛びで降りて行った。
「なんで、今になって進路を変えるのさ!」
橋桁に沿って伸びたレンガで囲まれたアーチ型の廊下を伝い、ドアの前に立つ。その向こうでは、テレビの音が流れている。
ドアを開けると生活感のあるリビングが現れた。左手のソファの真ん中で、老人がテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
「おう、潤子さん。お帰り。たこ焼き、貰ってきた?」
「ただいま、おじいちゃん。橋祭りは来週。今からドレン穴の点検してくるから、また後でね。部屋が水浸しになったらたまったもんじゃないから!」
潤子はさらにその奥にあるキッチンを抜け、そのまま橋桁から橋脚へと続く階段を下りていく。下りた先の潤子の部屋の前には、父の良太が作業着姿で待っていた。
「父さん、ただいま。今から外に出るからサポートよろしく」
すぐに部屋に入る。窓側は、可愛らしく飾られているが、入口手前は作業着や工具が綺麗に吊るされている。胸元のリボンを外すと、そのまま制服を全て脱ぎ捨てた。手慣れた手つきで作業着に着替え、工具ベルトを装着する。上にライフジャケットを着込み、ヘルメットを被る。最後に滑り止めのついた長靴へ足を突っ込むと、入り口に立てかけてあったブラシを掴んだ。
潤子は父と一緒に部屋の隣にある点検口へと移動し、ライトをつけた。そこは二畳ほどの小さな空間になっている。外へと通じる扉の近くに、天井の厚い金属板に固定された、ロープが巻かれたウィンチが何台か見える。
潤子は天井側からロープを二本引っ張り、工具ベルトのハーネスへと装着する。手で何度か揺らし、しっかり固定されていることを確認した。ロープを通した下降器をしっかりと握る。
点検口の扉をスライドし、風で動かないようロックする。とたんに汽水域特有の仄かな潮の匂いを含んだ温かい風が、潤子の鼻をくすぐった。
潤子の顔に、風と横薙ぎに流れた雨が打ち付けてくる。外は薄暗かった。ヘッドライトを点け、下を覗きこむと、濁流がうねりを上げて流れていくのが見えた。




