8.ある意味では
リーセが姿を消してから数分、エリスティアと二人きりになったシエナは、ようやく話したかったことを切り出す。
「本当に、あの男を護衛にするつもりですか?」
「! シエナ……納得してくれたんじゃなかったの?」
エリスティアは怪訝そうな表情を浮かべて言った。
シエナは静かにため息を吐く。
「あの時は、確かに必要なことでした。ですが、このまま護衛として雇い続けるのはいかがなものかと。屋敷に戻れば、もっと信頼のできる者を改めて雇うこともできるはずです。あのような、それこそたまたま出会った人間に――」
「だからこそよ」
「!」
シエナの言葉を遮ったエリスティアの表情は真剣だった。
シエナも、思わず言葉を詰まらせる。
「あなたの言いたいことは分かるわ。わたしだって、無条件で他人を信頼しているわけじゃない。もちろん、信頼したいっていう気持ちもあるけれど……あの人は、少なくとも助けてくれたじゃない」
「……報酬のためですよ」
「そうだとしても、彼の実力は確かに本物よ。あなたの言う通り、偶然出会っただけかもしれない。それでも、あの場で刺客を倒してくれて、こうしてわたし達のことを守ってくれる――彼がいなければ、今わたし達はここにいない。だからこそ、わたしはあの人を頼ってみることにしたの」
「……」
エリスティアの言葉に、シエナは反論できなかった。――反論できるはずもなかった。
彼女の護衛はエリスティアであり、屋敷を出る時だって、『自分が守り抜く』と決意したはずだった。それなのに、エリスティアに苦労を掛けてしまっている事実がある。それでも――
「そうだと、しても……私は――」
口を開いてエリスティアの方へと視線を向けた瞬間、彼女の後方に『黒い影』が見えた。
この距離に近づかれるまで、どうして気付かなかったのだろう。
――大型の魔物が、エリスティアに巨腕を振り下ろそうとしていたのだ。
「エリスティア様っ!」
「――」
咄嗟に、シエナはエリスティアの身体に抱き着き、勢いのまま横へ跳ぶ。
ギリギリのところで、攻撃をかわした。焚火に照らされて、その全容が露わになる。
「グルルル……」
「『ブラック・ベア』か。この距離まで気付けないなんて……っ」
「シエナ!?」
エリスティアへの攻撃を防ぐことはできたが、シエナは逆に攻撃を受けてしまった。
かすっただけでも、足の肉をえぐるだけの威力はある。
すでに、シエナがエリスティアは抱えて逃げることは無理なことはすぐに分かった。
「エリスティア様、水辺の方にお早く、今頼れるのは……癪ではありますが、あの魔導師だけです」
「でも、シエナが……!」
「私は平気です。動けずとも、魔法がありますから。ですから、お早く」
「あなたを置いていけるわけがないでしょうっ」
「エリスティア様……わがままを言っている場合では――っ!」
『ブラック・ベア』が動く。森の狩人の異名を持つあの魔物は、シエナもよく知っている。
人間などゆうに超える巨体でありながら、暗闇に乗じて気配を消し、獲物を仕留めるのだと言う。実際に出くわすのは初めてだが……確か、冒険者のランクで言えば『B』は必要だと言われる存在だ。
万全の状態のシエナで、やっと相手にできるレベルだと言える。
攻撃に勘付かれたことに驚いているのか、こちらの様子を窺って中々動こうとはしていない――逃げるなら、今がチャンスなのだ。
「エリスティア様、お願いですから。ここは私に任せてください」
「……いいえ、わたしがあなたを守るわ。わたしだって、魔法の心得くらいあるもの」
「な……無茶です! 貴女の魔法では――くっ」
シエナを庇うようにして、前に立つエリスティア。
先ほどもそうだった。自分のことは見捨てて、その場から逃げてくれてもいいのに、離れようとすらしなかった。――だから、シエナはエリスティアが好きで、そんな彼女を守りたいと思っているのだ。
(今、守れなくて……どうするんですか……っ)
無理やり身体を動かして、なんとか立ち上がろうとする。――攻撃よりも、守りに徹すれば、何度か攻撃は防げるかもしれない。
痛みで魔力のコントロールに集中できないが、意地でも動かなければならない状況だ。
「グル――」
低く唸り声を上げると共に、『ブラック・ベア』が動き出した。
おそらく、エリスティアとシエナを仕留められると判断したのだろう。
その動きは素早く、あっという間に二人の目の前まで迫る。
「エリスティア様っ!」
間に合わない――そう思った瞬間、『ブラック・ベア』の顎を的確に捉えた『拳』が、その巨体を吹き飛ばした。
地面から生えてきた拳は、『土』によって構成されたもの……すなわち、魔法だ。
「やれやれ、それは困るな。僕の依頼主をこんなところで殺されたら、せっかく見つけた仕事がなくなってしまうじゃないか」
黒い髪を濡らし、乱れた服装のまま――リーセは二人の前に姿を現した。
「グルゥ……!?」
突然のことに『ブラック・ベア』は驚いたようだが、すぐに体勢を立て直す。
「うん、そこはいい位置だ。そこなら、返り血も飛んでこないだろうしね」
「グ――」
今度は拳ではなく、『土』で構成された『槍』がいくつも生えてくる。
暗闇の中、その姿をしっかりとは確認できないが、はっきりと槍が『ブラック・ベア』を貫いたのが見えた。
「大きな魔法なんて使う必要はない。必要なときに、必要なレベルの魔法を使う……それだけで、大抵の相手はなんとかなるものさ」
断末魔を上げる間もなく、『ブラック・ベア』のぐったりと脱力した姿が、エリスティアの瞳にも映っていた。
「大丈夫かな? 二人とも」
「は、はい――あ、シエナが怪我をしてしまったんですっ! すぐに治療をしないと……!」
「も、申し訳ありません。それから……その……」
シエナはちらりと、リーセに視線を送る。
「ん、どうかした?」
「あ、ありがとう、ございます。エリスティア様を、守ってくださって」
「それなら気にしなくていいよ。最初から言っているじゃないか。僕は仕事を受けた以上は、彼女を守るよ」
笑顔で答えるリーセを見て、シエナの中で少し心が揺れた。ある意味で、彼女は信頼のできる人間なのかもしれない。




