【番外編5】栖ノ国にて
「山深くなってきたなぁ……」
山道を馬で進むこと三日。人の手が入っていない山の景色が、遠くまでやって来たことを実感させる。
そろそろ栖ノ国に入っていてもおかしくはない感覚はある。だが、如何せん、村ひとつどころか、人ひとりさえ出会わないので、タカイヌは自分が今どの辺りにいるのか、全く見当がつかないのだった。
タカイヌは馬上から、空を見上げた。空が薄暗くなってきている。
「さすがにここじゃあ野宿は遠慮したいなあ……」
いくら野山で遊んで育ったタカイヌでも、いつ獣に襲われるかもしれない山奥での野宿は避けたいところだった。
(栖に着く前に山で迷子になった挙句、狼に食い殺されたなんて笑えないよ。いや、兄上は笑うかもしれないけど……)
ハハと溜息を吐き出しながら、とぼとぼと坂道を下りていく。
……とその時、かすかに「きゃっきゃっ」という声が聞こえてきた気がした。
「……子ども?」
子どもの声がするなら、人里があるかもしれない。タカイヌはその声を頼りに、馬で進んでいった。
緑の深い木々を抜けると、開けた場所に出た。そこには居たのは、走り回って遊ぶ数人の子どもたちと、切り株に腰かけた小柄な老婆が一人。
(助かった……)
安堵しつつ馬を降りると、タカイヌは彼等の方へ近づいていく。
「うわあ、よそ者だ!」
「ヨソモノだあ~~!」
年端もいかない子どもたちが目を輝かせて、こちらに寄ってくる。それを見て、タカイヌは微笑んだ。
(子どもがいい顔をしている)
執政の善し悪しは、その国の民を見れば何となくわかるものだ。栖王はきっといい国治めをしているのだろう。
栖は大国に囲まれた小さな国であるが故に、幾度も隣国から侵略されかけてきたという歴史がある。
だがその度に、栖王はすぐれた知略で国を守ってきた。ある時は山岳地帯という地形を生かして敵軍を罠に誘い込み、またある時は疫病の噂を流し敵軍の士気を下げる。偽の文書で敵の勢力を分断して勝利を収めたこともあった。
数々の智謀は今の王だけではなく、タカイヌの知る限りでも三代は前から、栖ノ国の王は代々「賢王」と呼ばれてきた。
そんな人物相手にこれから「倭国統一」を持ち掛けねばならぬとは、前途多難である。
そう、タカイヌはライカとの試し合い──「栖を口説き落とす」ために、一人で栖ノ国を訪れていたのだった。
景の都での令嬢連続襲撃事件は先日、急転直下の解決を見せ、しばらく政務から抜け出すのに都合が良かった。しかもこういう時は直属の諜報機関『鼠』の忍が随伴するのだが、彼らはちょうど不在中(攪乱活動のため、総出で演ノ国へ出払っているのだ)。内官と左右大臣の三人にだけ行先を告げ、止められる前に景を出るにはまたとない機会だったのだ。
タカイヌは話そう遊ぼうと手を引っ張ってくる子供たちをどうにかなだめると、老婆に話しかけた。
「おばあさん、すみませんが道を教えていただけないでしょうか? 栖のお城を訪ねてきたんですが迷ってしまって。城下町まであと何里ほどでしょうか」
「……栖の城下町? ここがそうだよ」
老婆がそう答えた。見た目の割に、声がしっかりしている。
「おまえさん、どこから来なすった。城に何の用だい」
「あ……僕は景の空渡城からの使いです。栖の王様にちょっとお伝えすることがありまして」
「そうかい。……ノモリ、ここは頼むよ。あたしゃ、ちょっと行ってくるからね」
そう子どもたちに声を掛けると、老婆は杖を片手に立ち上がった。
「いってらっしゃい、ばーちゃん! チビたちはあたしが見てるからだいじょうぶよ!」
子どもたちの中で一番年長そうな女の子がそう答えると、次にきょとんとした顔でタカイヌを見た。
「……おにーちゃん、ばーちゃんについてかないの? 置いてかれちゃうよ」
「えっ? あぁ」
タカイヌはハッとすると、慌てて馬の手綱を引いて、老婆の後をついていった。
タカイヌが呆然とした理由は二つある。まずは、城下町の者が突然現れた余所者を不審がることなく城まで案内してくれること。道を教えてくれるだけでもよかったのに、わざわざ案内してくれるとは思わなかったのだ。
そしてもうひとつは、老婆の片足が無いことだった。杖をついて普通に歩いているからはじめこそ気付かなかったが、足元をよく見ると、足が一本しかない。
(片足でよく歩けるなぁ……)
そう感心していたタカイヌだったが、呑気にそんなことを思っている場合ではないことに気付いた。
「おばあさん! よかったら僕の馬に乗ってください」
「婆の足は遅いかい」
「そうじゃなくて……案内してもらっている方へのせめてもの気遣いですよ。ほら、道も坂になってきたことですし」
「……ふん。そう言うなら、乗ってやろうかね」
手近に切り株があったので、それを台にして老婆が馬に乗るのをタカイヌも手伝ったのだが、驚いた。老婆の身のこなしは、足が一本無いことを感じさせないほど身軽なのだ。
(山の民は皆、こうなんだろうか?)
タカイヌ自身、田舎で育ったから、山で足腰を鍛えられた感覚はある(それに加えてライカでも、だが)。栖ノ国は奥深い山にあるから、ここの民もきっとそうなのかもしれない。
そんなことを考えながら、老婆の乗る馬の手綱を引いていると──。
「一本足が気になるかい?」
突然の馬上からの声に一瞬ドキッとしたが、タカイヌは思い切って話題にしてみることにした。
「あ……気に障ったらすみません。おばあさんのその足……随分、慣れていらっしゃいますね。もう長いんですか?」
「もう七、八年になるかね。戦でね」
それを聞いて、タカイヌは瞬時に思い出した。
(7、8年前といえば確か、栖は隣国の涯に攻めこまれ、民を巻き込んだいざこざがあったはず)
きっとこの老婆は、その時の戦に巻き込まれたのだろう。
「……辛酸をなめさせられるのはいつも無力な民ですね」
そう思わず呟いた言葉に、老婆がニヤッと笑う。
「無力だぁ? あの時は薙刀で幾重の男をなぎ倒してやったわ」
「……お強いんですね、おばあさん……」
タカイヌが目を点にしていると、老婆は膝から先の無い脚をぽんぽんと叩きながら口を開いた。
「敵の奴らは命を失ったけど、あたしの方は足一本で済んだんだ。甘んじて受け入れなきゃ罰が当たるってもんさ」
それを聞いて、タカイヌはこの老婆に俄然、興味が湧いてきた。先ほどから老婆の指示のもと馬を進めているのだが、城下町というなら切り拓かれた場所にあるだろうに、むしろより緑が濃くなっている気がする。まだまだ話す時間はありそうだと踏んで、タカイヌはこんな質問を投げかけた。
「その時の交戦で、長く戦が続いていた涯ノ国と和平を結んだと聞いています。それからは、暮らしは穏やかになりましたか?」
「そうだねえ……確かに、涯からのちょっかいはなくなったね」
「それは良かったです」
タカイヌがそう言ったのは本心だ。だが、もし栖と涯の和平に少しでも亀裂が見えていたら、タカイヌはそこを利用していたかもしれない。
つまりは『鼠』を使って涯をそそのかし、再び栖を攻めさせ、そこを景が助け舟を出す。栖に恩を売り、「倭国統一」に肯かせるしかない状況を作る。──こういう筋書きを考えたこともある。
だが、栖王は聡明で有名だ。この筋書きが仕組まれたものであることを見破ってしまうだろうし、そうなれば今後栖とは信頼関係を築くことができなくなってしまう。それだけは避けたかった。
だからこそ、たった一人で栖にやって来たのだ。供の一人もつけずに訪ねることで、こちらの本気度を示すために。そして、栖王と腹を割って話すために。
(栖王とは10年前に会ったきりだな……)
タカイヌは、各国の王や使者を招いて行われた自分の即位の儀の時のことを思い出した。その時の栖王は30代半ばくらいで、力強い瞳が印象的な男だった。わずかしか面と向かって話す時間がなかったのだが、それだけでも彼が国と民を守る善き王だと感じたものだった。
それから数年して栖と涯の戦が本格化したと『鼠』の報告を通じて知ってはいたが、戦の詳しいところはタカイヌも知らない。知っているのは、涯軍が栖城まで攻め入ったのにどういうわけだか制圧目前にも関わらず城から逃げ帰ったらしい、ということだけだ。
「栖王にお会いしたら、戦の時の武勇譚もお聞きしたいなぁ……」
タカイヌはポツリと独り言ちた。
栖王は、王として自分より先達だ。これから倭国をひどく揺さぶろうとしている身としては、そんな彼の経験も参考にしておきたいところだ。
ニコニコと柔和な顔つきのタカイヌを見定めるかのように、老婆が馬上からタカイヌをジッと見る。
「おまえさんの国も大変だったろう。前の王でひどく国が荒れたっていうじゃないか。ま、今の王が立て直して随分マシになったみたいだけど」
「ええ、まあ……そう見えてるなら嬉しいんですけど」
「なんだって?」
「あ、いえ、何でもないです」
照れからぽろっと出た発言に老婆が不思議そうに聞き返したのを見て、タカイヌは慌てて話題を変える。
「ところで、おばあさんは義足を使わないんですか? 杖だけでは中々不便でしょう」
「義足、ねぇ。昔、一度だけ使ったことがあるがね……あんな面倒なもの、使わない方がマシさ。重いし、痛いし、思ったように膝は曲がらないしでね」
「そうなんですか……」
「そういや少し前に、薬師を名乗るさすらいの男がこの国に来てね。その男が言ったんだよ、『自分なら、この世界には無いようなすばらしい義足を付けられる』ってね」
「『この世界には無いような』……?」
「変わったこと言うだろ? でも、あたしゃ断ったよ。どうせ代わり映えしない代物だと思ってさ」
「まあ、それが無難かもしれないですね。金を取るだけ取って逃げる薬師もどきもいるそうですし」
「確かにね。ま、その男は結局、この国に居ついちまったんだけどねぇ」
「へえ」
そんな他愛もない話をしていると、木々を抜け、ようやく開けた土地に出た。集落だ。
だが集落の中を歩いているうちに、お世辞にも城下町といえるような規模ではないことにタカイヌは気付いた。
しかも、どんな国でも城下町であれば人であふれているはずなのに、閑散としている。たまに見かけるといえば、老人か幼い子ども、といった具合だ。
「……ここが城下町ですか?」
「景のそれと比べ物にならないだろう。でも正真正銘、ここが栖の城下町。城はこの先さ」
老婆はそう言うが、タカイヌにはここが城下町だとは到底思えない。山奥の小国といえども、さすがに。
(……やっぱり、怪しまれてる?)
警戒されているのかもしれない。大国の使者を名乗る男に警戒心を抱くのは当たり前のことであるし、そんな男を素直に城へ連れていくはずもない。もしかすると、老婆に案内された先で袋叩きに遭う可能性だってある。
(逃げた方がいいかな? ……いやいや、ここで逃げたらそれこそ栖王に信頼されなくなる)
タカイヌがニコニコとした顔でそんなことを考えていると、通りがかりの一人の老人が声を掛けてきた。
「おや、タソギさんじゃあねえかぁ。どした、よそもん連れて」
「城にお客だよ」
「へえ、珍しいねぇ。兄さん、栖は城下町でさえこんな寂れとるとこだが、ゆっくりしておいき」
そう言って去っていくのを見て、タカイヌは思わずつぶやく。
「……本当に栖の城下町なんですね」
「はっはっは! 正直者だね、あんた!」
老婆が豪快に笑う。ひとしきり笑うと、今度は真面目な顔で話し始めた。
「すまないね。ここに来る道中、おまえさんのことを品定めさせてもらってたんだよ。もしもこの小さな国で悪事を働こうとか思っているような悪漢だったら、ここには連れて来なかった。……でも少し話して分かったよ。おまえさんには知性と人徳がある。どうやら本物の使者のようだね」
「……もし悪漢認定されてたら、僕はどうなっていたんですか?」
そう問われた老婆は、持っていた杖を両手で掴んだ。その手の片方がするすると柄を抜くと、なんと中から現れたのはきらりと光る刀身だ。仕込み刀のようだ。
「これで後ろからブスリとやるか、崖か谷底に落としていたか……どちらにしろ、二度と生きて戻れないようにしてやっていたね」
「…………信じていただけて何よりです」
タカイヌが青い顔で微笑むと、老婆は杖を下ろしながらニヤッと笑った。
「先の戦で、当時の城下町が壊滅状態になってね。ここに城下町を移したものの復興途上だからこんな有様なのさ。疑った詫びに、城に着いたら精一杯もてなさせてくれ。ま、こんな所だから大したことはできないがね」
「いえ……そのお気持ちだけで充分ですよ」
(とにかく、無事城に案内してもらえそうで良かった……)
ホッとすると同時に、タカイヌは思う。
(それにしても、このおばあさんの口ぶり……。城の関係者か……それに近い人なのかな)
程なくして案内された場所は、周りよりほんの少しだけ大きいだけの、粗末な建物だった。全くもって城とは言い難い民家の中に通されると、日当たりのいい縁側にタカイヌは座らされた。
しばらくして、老婆が盆を持って現れた。タカイヌの隣に座ると、茶の用意をしながら口を開く。
「それじゃ、景王からの言伝を聞かせてもらおうかね」
「……あの、栖王はどちらに……?」
「おまえさんの目の前にいるじゃないか」
「おばあさんが?」
タカイヌの頭の中の栖王といえば、十年前の即位の儀の時に会ったあの男だ。いつの間に王が替わっていたのかと言わんばかりのタカイヌの驚く顔を見て、老婆──タソギはひとつ息を吐いた。
「といっても、次代までの名代だがね。先代王だったからという理由だけで、隠居暮らしをしていたあたしを臣下どもが玉座に連れ戻したのさ」
ここまで聞いて、タカイヌはピンときた。
「……もしかして栖王は────」
「そうさ。息子は──ホダカ王は、死んだ。八年前にね」
「八年前……」
八年前というと、即位の儀で会ってから数年後に亡くなったというわけだ。そしてその頃栖ノ国で起こっていたことといえば──。
「もしかして涯との戦で……」
「涯の兵軍が当時の城下町付近にまで押し寄せてきてね。ああ、そういえばこの話を聞きたいと言っていたね。少しだけ昔話をしてやろう」
先ほどのタカイヌの独り言が聞こえていたらしい。タソギは急須に茶葉を入れながら語り始めた。
「あの時、ホダカは籠城することも考えたが、結局は民と臣下を城下町の外に退避させることを選んだんだ。涯軍が進攻してくる前でね、おかげでみな無事だったよ。だが……あたしら王族もそれを見届けてから城を出るって時に……あの子は……自分は残ると言って聞かなかった。王として最期まで城を守るといってね」
まともに考えればホダカ王は、民に城を捨てさせた挙句、自ら死地に残るという誤った選択をしたと揶揄されても仕方ないだろう。国の要である城と王を失えば、敵国に乗っ取られてしまうからだ。
だがそれでも、タカイヌの本心としては、その堂々たる姿は見事とさえ思う。
(……もし同じ状況になったら……僕はホダカ王と同じことができるだろうか)
そう自問したところで、タカイヌの前に湯気の立つ湯呑みが置かれた。その、コト、という音がいやに部屋に響き渡る。
「あたしも城下町を出ようとしていたんだが……居ても立っても居られなくなった。たしかにあの子は国を背負う王だが、母親からしたら子はいつまでたっても子だからね。あたしゃ薙刀を手にホダカ王のもとに戻ったんだ」
老婆の独り語りは静寂で、どこか厳しくて、タカイヌに口を挟む隙さえ与えない。わずかな沈黙の後、タソギは再び語り始めた。
「……城に戻ると、敵の兵士はすでに城に押し寄せていた。ホダカはわずかな臣下と共に敢闘していたよ。でもね、ホダカ王が敵の刃にかかるのを見た瞬間……頭に血が上っちまった。気付いたら薙刀振り回していてね、何人もの涯の兵士らを叩き斬っていたよ」
そう言いながら失った脚をさするタソギを見て、その時のことだったのかとタカイヌは気付く。
「だが、やがてあたしも敵の一人に足をやられて動けなくなって……ここまでかと思った時、襲ってきたのは山津波だった。みな土石流に飲み込まれていったよ──城下町も、王の首と城を取ったと浮かれていた涯の兵士たちも、ホダカや臣下たちも、みーんなね。……こんな年寄りだけが生き残り、他の若いもんは死んじまうなんてね。ま、そのおかげで山津波から生き残った涯軍も尻尾を巻いて逃げ帰ったから、あたしらは命拾いしたんだがね」
(……なんて話だ)
タソギの話を聞いて、タカイヌは正直にそう思った。王が死に、城も奪われようとしたその瞬間に天災など、そうそう起こるものではない。天は栖ノ国に味方している……といっても過言ではない気がする。
とにもかくにも、同じ王という立場にある者として、ホダカ王の凄さが身につまされる。
「……ホダカ王は偉大ですね。民の命が一番とは分かっていても、城も何もかも捨てさせて民を逃がすというのは中々できることではありませんよ」
「フン、命に勝るものはなかったからさ。そもそも、土石流が流れ込んでくると分かっている場所に居させる阿呆はいないだろ」
その言葉に、タカイヌは口をポカンとさせた。
「……山津波が来ることがわかっていたのですか?」
城下町が壊滅するほどの大規模な山津波だったのに一人の犠牲者も出さなかったのは、確かに違和感がある。山津波には山鳴りなどの予兆があるが、その予兆を感じ取っていたとしても城下町の民全員を逃がすには、あまりに刻が足りない。
──何か秘密があるはず。
そんなタカイヌの視線を受けたが、タソギはニヤリと笑って言った。
「フン、あたしが話せるのはここまでかね」
「え! そこは教えていただけないんですか」
「自国の機密をわざわざ他国に教えてやる阿呆がいるかい」
「まあそうですが……」
「ま、これがあたしが伝えられる戦話の全てだ」
タソギは咳払いをひとつすると、暗い声で呟いた。
「こんなもの、おまえさんの言うような武勇譚でも何でもないよ。あたしが息子を愛するように、あたしが命を奪った奴らにだって、愛し愛される家族がいたはずさ。……だから戦ってのは嫌いなんだよ」
この話は終いだと言わんばかりに、タソギは茶を一口飲んだ。そして、湯呑みを置こうとしたところに、一言。
「『倭国統一』」
黙っていた客が突然そう呟いたものだから、タソギは聞き間違いかと思って思わず聞き返す。
「何だって?」
「倭国をひとつにまとめれば、そのような戦は無用になります。いま、我が国が先陣を切って、倭国中の国々に倭国統一を呼びかけているんです。貴国にも倭国統一に賛同していただきたく、この度こちらに参りました」
景からの使者の目は冗談を言っている様子は微塵もなく、至って真剣だ。だが、タソギは鼻で笑った。
「フン、倭国統一だって? 絵空事は寝てから言うんだね。おまえさん、倭国の歴史を知らないわけじゃないだろ? 過去に何度か倭国統一の動きがあったが、いつの時代も道半ばで終わった。この国はね、きっと争い続けなければならない定めなんだ」
倭国がひとつにまとまり始めると、それには必ず頓挫が付きまとった。直近の例を挙げると、10年前の景のヤワジ王政の時だ。
「こんなこと言いたきゃないけどね、おまえさんの国だって少し前に大変な目に遭ったじゃないか。ヤワジ王が倭国統一を言い出した時くらいから、あの国は、あの王はおかしくなったんだ。私は一度お目にかかったことがあるからわかる。あれは稀代の名君だ。そんな男が暴君なんかに成り下がったのは、倭国統一に触れて人外の存在か何かに呪われたからじゃないのか」
(……すごいな、この人は)
タカイヌは率直にタソギのことをそう思った。シスイの存在など微塵も知らぬだろうに、違和感には気付いているのだ。
だからこそ、この国が、この人の力が欲しいと思う。
「……こんな山奥まで来てもらってすまないけどね、この話は断らせてもらうよ。倭国統一に関わったせいで、栖が争いに巻き込まれちゃかなわないからね。涯との戦の傷も癒えないうちにまた争いなぞ、民に合わせる顔がないわ。……さ、景に戻って、景王に伝えとくれ。『これ以上、倭国統一に触れるな。不名誉な死に方を死にたくなければ』ってね」
タソギは一国を預かる立場から、そしてただの老婆心から、若い景王へ助言をしたいのだろう。
だが、こちらとしてはそう言われて歩みを止めるほどの覚悟では、もう無い。タカイヌは静かに微笑んで、こう言った。
「ご忠告痛み入ります。でも大丈夫ですよ。もしもの時は刺し違えてでも僕を止めてくれる臣下がいますから」
その言葉に、タソギはハッとした。目の前の若造の正体が、単なる使者ではないことに気付いたのだ。
「……おまえさん……何だって、大国の王たる者が供もつけずにこんな所まで来たんだい」
「栖王であるおばあさんだって子守りをしていたじゃないですか」
「働き盛りの者たちは戦で弱った国を盛り立てるために、出稼ぎに出てくれているからね。片足のない婆ができるのは子守りくらいなんだよ」
「僕だって自分に出来ることをしているだけですよ。栖王を口説き落とすために、このくらいの覚悟で来ているって分かってほしかったんです」
タカイヌがいつもの柔和な顔で言うので、タソギは呆れたような、感心したような顔で言葉を漏らす。
「まったくおまえさんって男は……まるで王らしくないね」
「お互い様ですね」
しばらく笑い合っていると、タソギが目の奥に力強い光を宿して言った。
「タカイヌ王、羅棋はやるかい?」
「羅棋、ですか……。最近は暇が無くてさっぱりですけど、昔はよくやりましたね」
タカイヌは昔を思い出しながら答えた。まだ王になる前、故郷の年寄りや時折会いに来るライカ相手に、遊んでいたものだ。
タソギは縁側の隅の方に手を伸ばすと、脚付きの羅棋盤を引き寄せた。
「一局どうだい? 一見ただの遊びのように見えるが……性格。考え方。打ち手の全てが映し出されるもの。あたしゃ、羅棋を通しておまえさんという人を見てみたいんだよ。それによっては、さっきの返事を変えてやるかもしれないね」
「えっ、本当ですか」
「よし、決まりだ」
タソギはニヤリと笑うと、盤上に駒を並べ始めた。
羅棋とは、二人で行う盤上遊戯だ。盤のマス目に並べた六種類の駒──玉将、左将、右将、奔羽、酔牙、雑兵──を一手ずつ交替で動かし、相手の玉将を取る、もしくは玉将以外の駒を全て取った方が「勝ち」となる。
互いの陣地に駒を並べ終えると、タソギとタカイヌは深々と頭を下げた。対局の始まりだ。
交互に一駒ずつ指していく。木の駒が盤に当たる、パシッ、パシッという音だけが縁側に響く。
おもむろにタソギが口を開いた。
「……酔牙の起源を知っているかい? 酔牙の牙は『爪牙』だ」
そう言いながら、パシッと音を立てて自らの酔牙をタカイヌの陣地に踏み込ませる。
酔牙が敵陣に入ると、裏返って狼視と成る。駒の種類によっては、このように敵陣に入ると裏返り、より強力な動きができる成駒へと進化するのだ。
それを見て、ムムムと難しい顔をしながらタカイヌが呟いた。
「爪牙の臣というわけですか」
「その通り」
タカイヌが一手打ち、考える間もなくタソギが打ち返した。盤上を眺めて、タカイヌは思う。
(……嫌な手だなあ)
ここに来て、タソギの攻め方というのが見えてきた。どうやら、相手に隙を見せ、そこを攻めてきたところを返り討ちにするような戦法らしい。その隙というのにわざとらしさがなく、本当に本人が気付いていないのではないかと思わせるほどのさりげなさなのが意地が悪い。
(誘いに乗るか、乗らないか……)
少し考えた後、すぐにタソギの誘いに乗らず、様子見をすることに決めた。無難に雑兵を前に進ませる。
「フン、馬鹿正直に乗ってはこないか。慎重なんだね」
「臆病なんですよ」
どうだか、とでも言いたげな顔で、タソギは次の一手を打ちながら訊ねた。
「……で、国に爪牙の臣はいるのかい?」
「ええ、ありがたいことに」
「それはいいことだ」
タソギは頷きながら微笑んだ。良い国づくりというのは、心から信頼できる臣下の存在が不可欠だからだ。
「ここだけの話なんですけどね。もしかすると、とびきりの爪牙の臣が増えるかもしれません。……カンドル隊をご存じですか?」
「……なに?」
その名を聞いた途端、タソギの目は思わず盤からタカイヌに移る。
遠く離れたこの国の民草でさえ天下のカンドル隊の名を知っているのに、栖王が知らぬはずがない。
「カンドル隊が景王の軍となれば、ますます10年前と状況が似る。同じことが起きるんじゃないのかい」
「同じ轍は踏まないですよ」
「いや、だがね、カンドル隊もよくもまあ王の下に戻ろうと思うもんだよ。今の隊長は、確か、バイカ将軍のご令息だろ? バイカ将軍がヤワジ王を弑逆したのは事実かもしれないが、そうさせた状況を作ったのは王だろう。父を殺されたと言っても過言じゃないあの場所に、ご令息は──」
そこまで言ったところで、タソギはハッと我に返った。ヤワジ王の親族が目の前にいることに気付いたのだ。
「……いや、言い過ぎたね。ホント口の悪い婆だ、すまなかった」
「いえ、気にしていませんよ。それについては、僕も同意見ですしね」
ハハと笑いながら受け流した後、タカイヌは真剣な面持ちで呟いた。
「だから僕は、彼を裏切るような真似は絶対にできない。もう二度と、大事な臣下にあのようなことをさせてはいけないんです」
そんなタカイヌを、タソギはじっと見守る。
そこでパシッと一手を打ったタカイヌが、ニヤッと笑って言う。
「ほらほら、話ばかりに気を取られていていいんですか?」
タソギがハッとして盤に目を戻すと、タカイヌの狼視がタソギの龍驤(奔羽が裏返ったもの)を取るところだった。
「これで、僕の狼視は太子に昇格です」
そう言うとタカイヌは、盤外に置かれた駒「太子」を自分の狼視と取り替えた。成駒は「相手の駒をいくつ取る」等の条件を満たすことで太子に格上げできるのだ。
「頼ってばかりじゃいけないと日々思ってるんですがね。僕の臣下たちは皆優秀で、いつも助けられてばかりですよ」
情けなく笑うタカイヌをちらりと見遣って、再び盤上に視線を戻したタソギはしばし思考を巡らす。
「……そうかい。だけどね、そいつらに甘えてばかりだと足元をすくわれるよ」
「え……?」
その言葉の意味を図りかねたタカイヌだったが、交互に数手ずつ打ち合ったところで判明した。タソギの右将で、あっけなく玉将を取られてしまったのだ。
「あぁ! しまったなあ……そこの道筋、すっかり見落としてました」
「でも、おまえさんにはまだ太子がいるじゃないか」
玉将が取られれば負けるが、自陣に太子が存在する場合は、太子が玉将の代わりとなるため対局は続行となる。
タソギがそれを告げると、タカイヌはぐるぐると腕を回し、気合を入れ直す。
「はい。対局はまだ終わりそうにありませんね」
再び交互に打ち始めると、タカイヌがポツリとつぶやいた。
「──『太子は玉将と同じような価値を持つ』。僕、これこそが羅棋の神髄だと思うんですよね」
「その心は?」
「王がいなくなっても、後を継ぐ者がいれば国は倒れない」
フム、と一呼吸おいてから、タソギは尋ねる。
「ついこないだ、景王にようやく正妃が、って風の噂で聞いたんだがね。それまで側妃の一人もいなかったのかい? 子は?」
「いませんよ。ただ、王位を譲ってもいいと思うほどの男はいます。血の繋がりはありませんが……それさえも些末に思うくらいに、彼は僕よりずっと王にふさわしい」
「待った。それは、この婆に話しちまっていいことかい?」
世間話にしては行き過ぎた内容の発言に慌てたタソギだったが、タカイヌの方は動揺するどころか、穏やかに言葉を返した。
「あなただから、話してるんですよ」
タソギが目を点にしていると、タカイヌが突然、パッと顔を明るくした。
「──あ! もしかして、僕の旗色がよくなってきましたかね?」
タソギもつられて盤上に目を遣ると、確かにそのようだった。
それからは決着がつくまで早かった。あれよあれよという間に、形勢を逆転され、タソギの玉将は打ち取られたのだった。玉将を取ったのは、まさかの太子だった。
二人は同時に頭を下げて終局すると、タカイヌが感心したように声を上げた。
「いやあ、栖王の羅棋は緻密で、相手に揺さぶりをかけるのがお上手です! 国治めの上手な人は羅棋も強いと聞きますが、本当なんですねぇ……。僕が勝てたのは、ほんの偶々でした」
そう言うタカイヌを、タソギはじろりと見上げた。
(偶々だと? よく言うわ)
一見、気弱な優男に見えるが、とんでもない。とぼけた顔して、その実は冷静沈着、時に大胆不敵。
羅棋を通して見えてきたのは、そんな姿だ。タソギには、いつの時点から形勢を逆転されたのかも分からない。
(まさか……わざとあたしに玉を取らせた?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。後ろに太子が控えているからまだ勝負に勝ったとは言えないとはいえ、玉将を取った方はわずかでも慢心するものだ。そうやってタソギの油断を誘ったのだとしたら、この男、相当の食わせ者だ。
「それにしても、取った駒って取ったきりというのがもったいないと思うんですよね……。もし僕が羅棋の考案者だったら、取った駒は自分の駒として使える決まりを作るんだけどなあ……」
そうぶつぶつ呟いているタカイヌを見て、タソギは何とも言えない表情で口を開いた。
「まったく、羅棋でおまえさんという人を見てみたいとは言ったものの……こっちの方が見定められた気分だよ」
「何を言うんですか。昔から栖は聡明な王が支える強い国として有名なんですから。僕の方こそおばあさんのお眼鏡にかなうことができたか、心配でなりませんよ」
そう言いながらもニコニコと返事を待つタカイヌを見て、タソギはため息をひとつ吐いた。
「仕方ないね。……すぐに書くから待っとくれ」
タソギは羅棋盤を片付け、代わりに筆と紙を引き寄せながらそう言ったものの、タカイヌには通じていないらしい。きょとんとした顔をしている。
「栖が『倭国統一』に賛同したことを示す証だよ」
やれやれといった調子で付け足したタソギに、タカイヌの顔がぱあっと輝く。
「えっ……!」
「あんな羅棋を見せられちゃあね」
タソギはニヤリと口を曲げる。信じてみたくなったのだ。あんな羅棋をする男が作る国を、世界を。
(……ま、今度こそ歴史が繰り返されないことを祈るだけだね)
墨を磨り終えると、タソギは筆をとり、達筆をふるう。栖ノ国が景ノ国の進める『倭国統一』を正式に支持する旨を、よどみなく書き連ねていく。その様子が、やはりこの老婆が王たる者であることを示していた。
最後に国璽を押すと、タソギは書き上げたばかりの証書をタカイヌに渡した。
「ほら、国の臣下たちに見せてやりな。これで本当に、栖が景の翼下に入ったことを証明できるだろ」
「……ありがとうございます」
胸にこみ上げるものを感じながら、タカイヌは静かに、そして心から感謝の言葉をつぶやいた。と同時に、まっすぐな眼差しをタソギに向けて付け加えた。
「──でも、ひとつ。『倭国統一』は、景が他の国々を傘下に置くものではありません。倭国すべての民の安寧を目指す同志として、あくまで我々は対等です。だからおばあさんにも、国治めの智慧と術を教えていただきたいんです。『倭国統一』を呼びかける国はまだまだ残っていますし…………あ! 僕、さっきの山津波の件の秘密が気になって気になって……! もちろん言える範囲で構いませんよ」
(妙な男に懐かれてしまったものだよ……)
目をキラキラとさせながらこちらを見てくるタカイヌを見て、タソギはため息を吐く。
だが、未来ある若者を育てるのは嫌いではない。ホダカが遺していった、まだ幼い王の血筋を育て上げるまでは耄碌できないと思っていたが、耄碌できない理由がひとつ増えてしまったようだ。
「まったく……婆が隠居に戻れる日はまだまだ遠いみたいだね」
どこか嬉しそうな顔をしながら、タソギは杖をついた。
「腹が減ったろう。あたしは飯の準備をするから、おまえさんはノモリ──あぁ、さっき会っただろう。あの子たちを呼んできな。話は食べながらだ」
「……はい!」
タカイヌはそう嬉しそうに返事をしたが、タソギがビシッと指さしながら付け足した。
「だがね! おまえさんにも話してもらうから覚悟しな」
「何をですか?」
「おまえさんよりずっと王にふさわしいって男さ。おまえさんにそうとまで言わせる人間がどんな人物か、気になるじゃあないか」
ニヤリと笑ったタソギに、タカイヌは思わず破顔した。
「ええ、ぜひ聞いてほしいです!」




