パラレルワールドにようこそ
「私がいた世界とは違う世界……?」
奈美は口をあんぐりと開けたまま、崖の上からの景色を、空を眺めた。街がないのは別として、奈美がこれまで生きてきた世界となんら変わりはない。ライカたちの方を向いて、信じられないと言わんばかりに薄ら笑いを浮かべた。
「そんな漫画か小説みたいなこと、あるわけないじゃない? 夢見がちなこどもじゃあるまいし、そんなこと、はいそーですかって納得できないわよ!」
「だが、ダンチョウの言うことにも一理ある」
そのとき、ライカが口を開いた。
「ナミの奇妙な衣裳や髪色も、話し方も、立ち居振る舞いも、この世界の女とは異なる点が多いからな」
「なによ、人を変人みたいに……」
奈美はキッとライカを睨んだが、横からテスがうんうんと頷きながら同意したのでどうしようもない。
「確かにそうっすね! ナミの姉貴、たまにわけのわからないこと言ってるっすもんねェ」
「私、そんなこと言ってる!?」
「それにこの前なんか、オレらの前でいきなり脚なんか出すし……あ。思い出したら鼻血が……」
鼻を押さえるテスに、奈美がきょとんとした様子で訊ねた。
「それのどこかおかしいのよ?」
「これだから……」
ライカが溜息をつき、ダンチョウが言いづらそうに説明した。
「我々の常識では、女人が脚をさらけ出すことは、その……夜の営みへの誘いを意味するのです。普通は夫婦の間と……まあ、妓楼の娼妓くらいしか見せない行為なのですが……」
それを聞いて、奈美の顔がみるみるうちに真っ赤になった。
(妓楼は父さんが見てたテレビドラマで聞いたことあるけど……ショウギってつまり、売春する女性のこと!?)
今分かった。先日、ライカが自分のことを娼妓だと言って馬鹿にした、その意味が。
「そっ、そんなつもりでやったんじゃないのよ!? っていうかそんな意味があるなんて知らなかったし……っ!」
必死に説明する奈美を見て、ライカが鼻で笑った。
「そうだろうな。普通の女ならしないからな」
「なによ、また人を見下したような目で見て……」
奈美がじろりと睨むが、ライカは全く気にすることもなくつぶやいた。
「はじめは異国者だと思ったが、まさか異世界から来た人間だったとはな。ナミの言う通り、この世に別な世界があるなどといった奇怪千万な話は信じられんが、どうやらそのようだ。シスイほどの者なら異世界の人間を連れてくることも可能かもしれない」
このままでは自分は異世界から来た変わり者になってしまう──。そう思った奈美は、何とかして異世界など存在しないことを証明してみせようと口を開いた。
「ちょっと待ってよ! ここは日本でしょ? 今、平成何年よ?」
「にほん? へいせい? なんだそれは」
耳慣れない言葉に、ライカが眉をひそめて答えた。
「海を越えたはるか向こうのよその国では、俺たちの立つこの大陸を倭国と呼ぶようだが……ここは景ノ国だ。景ノ国の年号では、今は368年だ」
「……ケイノクニ? 何言ってるのよ、ここは日本に決まってるでしょ? だって、ここから見える景色も……街はないけど……後ろにある温泉も、私がこの崖から落ちる前にもあったのよ? 私が異世界から来たっていうなら、どうして地形が同じなのよ!」
「そんなこと知るか」
ライカに無下に言い返され、奈美はうぐぐと黙るしかなかった。
だが、奈美は諦めない。次に思い付いたのは、歴史上の人物による照合だ。学生の頃にあれだけ覚えさせられたのに、悲しいかな、その内容をほぼ覚えていなかった。すぐに思い出せる人物といえば──。
「なら、徳川家康は? あんたたちみたいな常識のなさそうな人たちでもさすがに知ってるでしょ? 歴史の教科書に絶対載ってる超有名人だもんね」
「知らんな」
「じゃあ、織田信長は? 坂本竜馬は?」
「何度も言わせるな」
ライカにあっけなく言われ、奈美は呆然とするしかなかった。
この世界は、本当に自分の知る世界ではない──。この恐るべき事実が、奈美の頭の中にじわじわと入ってくる。
そのとき、奈美とライカのやり取りを聞いていたダンチョウが、考え込みながら口を開いた。
「今までの話をまとめると……ナミどののいた世界とこの世界は、別々の歴史を持つため、過去と未来の関係ではない様子。かといって、地形が同じことから全く別物の世界でもない……。もしかすると、並行世界というものかもしれないですな」
「並行世界って何すか?」
これまでのやり取りについてこれなかったテスが、難しい顔をしてダンチョウに訊ねた。
「ある世界から枝分かれするように、同時に存在する別の世界のことだよ。我々のよく知るこの現実とは別に、もうひとつの現実が存在する……とでも言おうか」
「う、う~~~~ん……分かったような分からないような……」
テスがますます難しい顔をして、頭を掻きむしった。その横で、ライカは思い当たる節があったようだ。
「並行世界……か。昔、どこぞの学士から一度聞いたことがあるな……その時は何を寝ぼけたことを言っているのかと思ったものだが」
奈美はダンチョウの話を聞いて、並行世界なら自分も知っていると確信した。よく小説や映画に出てくる設定だ。奈美の知る世界では、並行世界はこうとも言う──。
「──パラレルワールド……?」
奈美はふらふらと崖の際に近づいた。ライカが「落ちるぞ」と制止しても構わず、崖の縁まであと一歩のところで足を止めた。
「ホントに……? ホントに、別の世界に、来ちゃったってワケ?」
現代人離れした出で立ちをした怪しい男たちの集団。本物の剣を人の首にあてるライカ。空を飛ぶテス。会話をする中で、聞き慣れない自分の言葉を訝しがる彼ら。ボールペンがなければ魔法瓶の水筒もない。こんな世界では、スマホなど使えるはずもない……。
今思えば、この数日間に見聞きしたことが自分のよく知る世界ではないことを物語っていた。
奈美は泣き叫ぶ代わりに、崖の上から絶叫した。まるで悪い夢から目覚めようとしているかのように。
「そんなのウソよーーーーッッ!!!」
自分の声が大空を虚しく響き渡る。はあはあと息をつき、やがてライカたちの方に振り返った。奈美の愕然とした表情を見たテスがつぶやいた。
「えっと……こんなとき何て言ったらいいのか分かんないっすけど……オレたちの世界に、ようこそっす!」
奈美を励ますつもりで明るく決めたテスだったが、奈美はというと、暗い顔でどんよりとしている。それもそのはずだ。見ず知らずの世界にたった一人、どういうわけだか、やって来てしまったのだから。
「あ、あれ……?」
奈美の反応の薄さに残念そうな顔をしたテスを見て、ダンチョウがこほんと咳ばらいをした。
「テス、少し黙っていなさい」
「うう、ナミの姉貴に元気出してもらいたかっただけなのに……」
そのとき、ライカが二人の部下の方を向いて告げた。
「予定通り、これから景の都に向かうぞ」
「えっ。でも、ナミの姉貴がこんな状態で……?」
テスが心配そうに奈美の方をちらっと見た。だが、ライカはそっけなく言った。
「城から呼ばれているんだ。甚だ面倒だが、行かないわけにはいかんだろ。養生所にも寄りたいしな」
「ライカどの……王相手に面倒などと、間違っても我々以外には漏らさないでくだされよ」
ダンチョウが溜息交じりにつぶやく横で、テスは目を輝かせている。
「さすがライカの兄貴! 王様相手でもブレないその態度……カッコイイっす!」
部下たちが瞬足の準備を始めたところで、ライカがいまだ呆然と立ち尽くしている奈美に声を掛けた。
「聞いていたか、ナミ」
「……うん?」
ようやく話しかけられたことに気付いたらしく、奈美はぼうっとした顔をゆっくりと上げた。
「今から景の都に向かう。腰縄を着けろ」
「あ、そう……」
ライカの指示がまるで耳に入っていない奈美を見て、テスが腰に縄を巻きながら言った。
「こりゃ聞こえてないっすね」
「まったく……」
ライカは溜息をつくと、腰をかがめた。奈美の腰縄の支度をしてやっているライカを見て、ダンチョウがにやっと笑った。それに気づいたライカが、眉をひそめて訊ねた。
「何だ?」
「ライカどの、珍しくナミどのに優しいんですな。いつもならば『初めてじゃないのだからもう自分で巻け』とでも突き放すところですのに」
「ダンチョウ……」
ダンチョウの言葉を聞いて、ライカの眉のシワが一層険しくなる。ライカが何か言おうと口を開こうとした瞬間、ダンチョウが慌てて言った。
「いやいや、決してからかっているわけではなく……。そのように人に優しく接するライカどのを見られて、私は嬉しいのです。長くお傍に仕えている身として」
ダンチョウの言い分を聞いたライカは、叱りつけてやろうとしていた気持ちが萎えてしまったらしい。代わりに、フンと鼻を鳴らして言った。
「勘違いするなよ。ナミが墜落して死ねば、俺も死ぬ。ただそれだけだ」
ダンチョウは微笑んで答えた。
「仰せのままに」
奈美にはライカとダンチョウのひっそりとした会話が聞こえていたが、今は何を聞いても何も思わないし、何の感情も湧かなかった。
ただ、ライカが最後に何か気になることを言った気がする──。それだけが奈美の心の中に残った。




