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並行世界(パラレルワールド)は君のいる世界  作者: 方丈 治
第一章

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13/69

寛人はどこに?

 

「──これで完成ね」


 竹皮に握ったばかりのおにぎりを包み終えると、奈美はふうっと溜息をついた。続いて、それを横に置いていた革のカバンの中に入れる。


「えーっと、他に持っていくものはっと……着替えはさっき部屋で入れたし……あっ、水筒も用意しとかなきゃ」


 奈美は急いで炊事場の棚や引き出しを漁り始めた。だが、お目当ての物はなかなか見つからない。


「どうして魔法瓶の水筒ひとつ無いのかしら、ここには!? もう寒い季節なんだから熱いお茶持っていきたいのに~~」


 奈美がぶつぶつと言いながら探していると、棚の奥から竹筒が出てきた。それを手に取り、じっくりと眺める。


「……ま、これでいっか。これくらいしか水筒の代わりになるものないし」


 仕方なく竹筒にお茶を注ごうとしたとき、炊事場の入り口から一人の男が現れた。


「遅いと思ったら、こんなところにいたのか。何してる。早く表に出て来い」


 ライカはむすっとした顔で言った。いつもの黒の長衣に、腰には剣を携えている。


「何って、出掛ける用意してるのよ。あの崖まで歩いていくんでしょ? ……またあれだけ歩かなきゃいけないんだったら、それなりの準備していかないと。途中にコンビニでもあったらいいんだけど、あの寂れ具合じゃありそうもないし」


 奈美が竹筒にお茶を注ぎながら、ぶつぶつと言った。そのとき何かを思い出したのか、あっと声を上げてライカの方を向いた。


「そういえば、私が留守にしてる間、誰かに料理番を代わってもらわないといけないわよね。誰に頼んだらいいの? 次の食事分だけは作っておいたけど……ここに帰ってくるまで二日くらいはかかるでしょ?」

(……ま、こんな所、もう二度と戻ってこやしないけどね)


 奈美は心の中でにやっと笑った。外に出られる機会をやすやすと逃すわけがない。もちろん寛人の行方を探すために出かける訳だが、隙を狙ってライカから何とか逃れようと企んでいるのだ。


(大事なのは、この男に私が逃げようとしていることがバレちゃいけないってこと。カンペキな服従感を醸し出しといて、この男が油断したところですかさず逃げ出すのよ!)


 奈美は思わずにやつきそうになるのを何とかこらえながら、ライカの返事を待った。だが、ライカはあっけなく答えた。


「荷物も代わりの料理番も必要ない。今日中に戻る予定だからな」

「今日中……って、あの崖まで片道だけでも半日かかったじゃないのよ。今はもう昼過ぎなのよ? 今日中に戻れるわけないじゃない!」


 奈美が呆れた様子でそう言うと、ライカは踵を返して言った。


「黙ってついてこい」


 ぶすっとした表情をして奈美はライカの後をついていった。この男の言動にはもう我慢の限界だったが、奈美は深呼吸をして心を落ち着かせた。


(落ち着くのよ、奈美。ここで爆発したら計画がパーになっちゃう。そう、もう少しの辛抱……)


 うまく逃げ出せたら、まずは警察に訴えてこの犯罪者集団を一網打尽にしてもらうのだ。そうすればこの連中の悪行が明るみに出て、自分を粗暴に扱ったこの男には特に重い罰が与えられるはずだ。


(ふっふっふ……今にみてなさいよぉ~~)


 奈美がライカの背中を睨みながら薄笑いを浮かべていると、窟の入り口の所まで来ていることに気付いた。入り口をくぐると、太陽のまばゆさに奈美は思わず目をつぶった。数日ぶりの光はとても暖かく感じた。

 窟の入り口の前は崖に囲まれた窪地になっている。そこに、二人の男が待っていた。テスとダンチョウだ。ライカは二人に告げた。


「ナミを連れてきた。では行くぞ」

「テスにダンチョウさん! 二人も一緒に行くのね? 良かった~」


 奈美はライカの背中の後ろから顔を出すと、見慣れた顔を見て安堵した。ライカと二人きりだけの外出は不安だったのだが、この二人が一緒ならまだマシというものだ。


「ライカの兄貴……ホントにナミの姉貴も連れていくんすか? なら、歩きっすね……」


 テスが面倒くさいと言わんばかりにがっくりと肩を落とした。だが、ライカは首を横に振った。


「いや、おまえの天力てんりきを使って行く」

「えっ?」


 テスが驚いたように声を上げた。奈美の方をちらっと見てから、ライカに小声で話しかけた。


「でも姉貴の前で天力禁止なんじゃあ……。シスイの間者かもしれないからって」

「そうだな。…………いや、」


 ──扉の向こうに聞こえるすすり泣き。そうかと思えば、次の日はいつも通り、気丈に振る舞う。

 ライカはそんな奈美を思い出し、しばらく考えてからぽつりとつぶやいた。


「……そうではないかもしれない」

「え! やっぱり間者じゃなかったんすか?」


 テスが何やら嬉しそうに言った。


「確証はない。なんとなくそう思っただけだ」


 ライカはそう言ったが、テスは聞いていない。満面の笑みで喋り始めた。


「いやー良かったっす! 天力のこと、なんだか隠し事してるみたいで、ずっと尻がムズムズしてたんすよ! オレ、ナミの姉貴のこと嫌いになれないんすよねェ。女のくせに湿っぽくないし。さばさばしてるから、ナミの姉貴が女だってこと忘れかけてるくらいっすよ。おかげで姉貴とはふつうに喋れるようになったんすけどね……」


 そう言うと、テスはいそいそと準備を始めた。ライカはダンチョウと気軽く話をしている奈美を横目で見た。


(普通の女らしくない……か。確かに、ダンチョウの報告でも、隊員たちとも馴染んでいる様子だ。俺にも平気で突っかかってくる性格は異国出ゆえか?)


 ライカがそんなことを考えているとは露知らず、奈美はダンチョウに何気なく訊ねた。


「ねえねえ、ダンチョウさん! 話は変わるんだけどさ、あの人に弱点ってものはないの?」


 奈美はライカの方をこっそりと指さし、期待を込めて訊ねた。


「ライカどのの弱点……というと?」

「別に、それを聞いてどうこうしようっていうんじゃないわよ? ただ、あのぶっきらぼうで横柄な人間にも弱い所でもあるのかな、って思っただけだけど……」


 できるだけ平静を装いながら、奈美はそう言い繕った。ライカの弱点でも分かれば彼らから逃げ出すときに役立つのだが、怪しまれては元も子もない。

 奈美の心配も無駄だったようで、ダンチョウははっはっはと笑った。


「確かに、ナミどのの目にはライカどのがそう映るでしょうな」

「えぇ? その言い方じゃ、なに? あなたたちにはぶっきらぼうで横柄に見えないってこと?」

「ライカどのと長く付き合えば、ナミどのにも新たに見えてくるものがあるはず。今はこうとだけ言っておきましょうかな」


 ダンチョウが意味ありげに言ったのを聞いて、奈美が苦笑した。


(……長く付き合いたくないんだけど)


 そのとき、ダンチョウが付け足すように口を開いた。


「そうですな……ライカどのに弱みはないように思えますが、あえて挙げるならば…………女、ですかな」

「女ぁ?」


 奈美は思わず素っ頓狂な声を上げた。慌ててライカの方をちらっと見たが、幸いなことにライカは何やら考え込んでいるようでこちらのことなど気にしていない様子だ。

 奈美はほっと胸を撫で下ろすと、ダンチョウの言った意味を考えた。


(弱点が女……って、どういうこと? 色仕掛けにでも弱いのかしら? ──でも、私ならあんな男相手にそんなこと、絶対にしたくないけどね。たとえ逃げ出すためだとしても!)


 奈美が苦々しく笑っていると、向こうの方からテスの声がした。


「準備できたっすよ! 二人とも、こっちに来てください」


 奈美とダンチョウがテスのもとに向かうと、奈美の目にテスのおかしな恰好が入った。テスは腰に太い縄を巻きつけている──その縄は長く地面に垂れ下がり、その先にはさらに三本の縄に別れていた。


「……何それ?」


 奈美が呆気にとられている間も、ライカとダンチョウは地面に落ちている三本の縄を一本ずつ手に取り、それぞれ腰に巻きつけ始めた。


「おまえもぼけっとしてないで、腰に巻け」


 ライカに残る一本の縄を渡されたが、奈美には意味が分からない。奈美がまごまごしていると、ライカが溜息をついて奈美から縄をひったくった。


「ひゃっ! 何すんの!?」


 奈美が驚いて見下ろすと、ライカが自分の腰に太い縄を巻きつけている。もぞもぞする奈美に、ライカが一喝した。


「じっとしていろ」


 ライカが結び目がほどけないように縄をしっかりと締めているのを見て、奈美はふと思った。


(……まさか、逃げ出せないように縄でつないでおく気じゃないでしょうね……)


 縄を巻き終えたライカが、奈美の腰につながっている縄を差し出して今度はこう言った。


「この輪に片足を掛けろ」


 よく見ると、腰につながる太い縄にもう一本、輪──ちょうど足先が入るだけの大きさだ──の形になった別の縄が結び付けられている。奈美が太い縄を持った状態でその輪縄に左足を掛けると、ライカが輪縄と腰縄の間にあそびが出ないように縄の長さを調整し始めた。

 やがて、それも終えたようだ。自分も太い腰縄をつかみ輪縄に足を掛けると、ライカが奈美の後ろに立った。それを見たテスが「あー、初心者はその方がイイっすもんねェ」と納得したようにうなずいた。


「ナミの姉貴は初めてだから、念のためにいつもより速さを落としていくっすね。じゃ、行くっすよ」


 そう言うと、テスが三人に背を向けた。隣には、自分と同じように縄を持ち足に輪を掛けたダンチョウが立っている。いささか気を引き締めた表情をしている。

 訳が分からず、奈美は訊ねた。


「なになに? 一体何なの???」

「喋るな、舌を噛むぞ。縄をしっかり握っておけ」


 ライカが端的に言うと、奈美の体がぐいっと引っ張られた。

 そう感じた次の瞬間、奈美は空を飛んでいた。奈美だけではない。三人の男たちも一緒に飛んでいる。


「なっ、なっ、何なのコレェエぇ~~~~!!?」


 つい先ほどまで立っていた窟前の窪地が、今や遥か足の下にある。その景色はすぐに過ぎ去っていた。次に奈美の目に飛び込んできた景色は、海と、果てしなく続く山々だった。

 高い場所が苦手な奈美だったが、この状況ではどうすることもできない。しばらく放心状態で周りの景色を眺めていると、奈美はあることに気付いた──どうやら自分が空を飛んでいるのは、先頭を行くテスによるものらしい。


 テスは左右の足を交互に、ゆっくりと前に出していた。まるでスケートで氷の上を滑っているかのようだが、彼が滑っているのは地上でなく空中だ。テスが足を前に動かすたびに、腰縄でつながれた奈美、ライカ、ダンチョウも引っ張られ、前に進むのだ。

 そんなことを考えていると、テスが奈美の方を振り返って「あれっ」と声を上げた。


「ナミの姉貴ってば、瞬足は初めてなのに意外と平気そうっすね。さすがっす! なら、もう少し速度上げても大丈夫っすね~」


 テスは軽い調子でそう言った。高所にいる恐怖で頭がうまく働いていない奈美だったが、本能的に嫌な予感がした。


「ちょっと待っ……──」


 奈美はとっさに叫んだが、遅かった。テスの足の動きが速くなり、奈美の体もグンと引っ張られた。空気が刃のように肌を打ち付ける。目を開けているのも、呼吸をするのも辛い。必死に縄を掴んでいた両手も、徐々に痺れてきた。


(縄を放したら絶対ダメよ奈美! ダ……メ……)


 そう自分に言い聞かせた奈美だったが、体は限界だった。とうとう、奈美の両手から縄がするりと離れた。いくら腰縄でつながれているとはいえ、手を放してしまえば──。

 体が風にあおられる────と思った矢先だった。


 自分の体が、後ろから支えられるのを奈美は感じた──しっかりと、力強く。それは崖から落ちた時に感じたものと同じだった。

 奈美はやっとのことで後ろに顔を向けた。そこにはライカの顔があった。ライカは奈美の顔を一目だけ見ると、にやっと笑いながら言った。


「こうなると思った」


◇◇◇


 数分──奈美には永遠にも思える時間だったが──立って、ようやくテスが地上に降り立った。それに伴い、奈美たちも地面に足を着いた。

 奈美はライカに抱えられていたのだが、ライカが地上に着くなり奈美から手を放したので、奈美は土の上にへたり込んだ。相変わらず扱いのぞんざいなライカと、大変な目に遭わせてくれたテスに文句を言ってやりたかったが、まだ手足が震えていてそれどころではなかった。


(……なに!? 本当に何なのよ!! こいつらのやることなすこと……ううん、存在自体も不可思議でしょーがないわ! 本当に人間!?)


 それぞれ自分の腰縄をほどいているライカやテス、ダンチョウを見ながら、奈美は心の中でそう叫んだ。奈美の腰縄は、ダンチョウが代わりにほどいてくれている。


「あ、分かっちゃった」


 突然、奈美がそうつぶやいたので、ダンチョウが眉を上げて答えた。


「ほう、何をですかな?」

「どうして空を飛べたのかよ! テス、あなた脚にジェットか何かの装置でも付けてるんでしょ? じゃないと、あんな風に飛べるわけないもの! ハリウッド顔負けの技術ねぇ……」


 テスがぽかんと口を開けている姿を見て、図星だと奈美は受け取ったようだ。これで合点がいったと言わんばかりに、手をパンと叩いた。


「──ああ、もしかしてあなたたち、映画の撮影でもしてるの? どうりで不審なことばっかりやってるし、へんてこな恰好してると思った! まさか今もどこかでカメラ回ってる? やめてよね、私映画見るのは好きだけど、エクストラでもそーいうのお断りだから。そもそも一般人に断りもなくこんなドッキリはタチが悪いわよ」


 奈美はカメラを探すかのように辺りを見渡した。もちろんカメラなどないのだが。そんな浮かれた様子の奈美を見て、ライカが呆れたように告げた。


「着いたぞ。おまえが来たがっていた場所だ」


 ──そうよ。こんなことしてる場合じゃない。

 ライカの言葉を聞いて、奈美はバッと立ち上がった。三方の崖に来た目的はただひとつ──寛人の行方を、安否を確かめることだ。


 奈美は辺りをきょろきょろと見渡した。奈美たちが立っているのは荒野で、目の前に例の崖がそびえている。右手は森、左手は谷になっている。谷の方から水の音が聞こえる。川が流れているようだ。

 今奈美の立っている荒野には何も見当たらない。寛人を探すとすれば、森か谷の方だ。奈美はとりあえず森の中を探すことに決めたらしい、よろよろと歩き始めた。


 ようやく森の前までやって来ると、奈美はその鬱蒼とした雰囲気に圧倒された。この森に分け入って寛人を見つけるなど、不可能ではないのか──。たとえ見つけたとしても、人里離れたこんな山奥で、あの日からもう数日が経過している。どんな姿であっても不思議ではない。

 そんな考えが頭をよぎったが、奈美は頭を振って不安を払拭した。草を踏みつけて、森の中へと足を踏み入れた。


「寛人! いるなら返事をして!」


 そう声を上げながら、奈美は森の中を歩き回った。途中からライカたちも手分けして森の中を探してくれたが、寛人の姿はおろか、寛人の所持品ひとつも見つからない。

 小一時間ほど森を探索して、テスが言いづらそうに口を開いた。


「姉貴……これだけ探しても見つからないんじゃあ……」


 奈美は息を整えながら、テスをキッと睨んだ。


「まだよ! まだ向こうの方は探してないわ!」


 奈美は一人、谷の方へと歩いて行った。その姿を見て、男たちは顔を見合わせ、溜息を漏らした。

 奈美が谷に到着すると、荒々しい川が目の前に現れた。その光景に、奈美はがっくりと膝をついた。

 寛人がもしこの流れの速い川に落ちていれば、もはや探しようがない。川瀬にも何も見当たらないし、もはや谷を下りて探す必要はなさそうだ。


「これで気が済んだか」


 背後からライカの声がした。奈美は振り返りもせずに呟いた。


「……済むわけないじゃない」

「なに? これだけ探せば、もう諦めがついただろ」


 ライカのその言葉に、奈美がようやく顔を向けた──その顔を見れば、誰もが胸が張り裂けそうな表情をして。


「諦められるワケないじゃない! 婚約者なのよ!? 絶対に幸せにするって言ってくれた人を、そんな簡単に諦めるなんてできないわよ!!」


 奈美が息を切らしながら喚き散らしているのに対し、ライカは至って冷静だ。淡々と話を続ける。


「しかし、おまえの探す人物はいなかった。きっと崖から落ちた後に獣に持っていかれたか、その川に落ちて溺れ死んだかのどちらかだ」


 その時、奈美の平手がライカの頬を打った。それを後ろで見ていたテスが、「うわっ」と短く叫んだ。


「よくもそんなことが言えるわね! この冷血漢!!」


 奈美は怒りと恐れでわなわなと震えていた。怒りにまかせて人を叩くなど、生まれて初めてだった。

 一方、ライカの方は表情ひとつ変えずにつぶやいた。


「……そうだ。俺の血と心は凍っているのかもしれない。十年前から、この身は生きる屍だ」


 その言葉に、奈美は眉をひそめた。また高圧的な態度で言い返してくるに決まっていると思っていただけに、ライカの予想外の反応に奈美は戸惑った。


 ライカと奈美の間に、沈黙が流れた。テスは困った様子で、ライカと奈美を交互に見ている。

 その時、黙って見守っていたダンチョウがゆっくりと口を開いた。


「……ナミどの。三方の崖に上ってみてはいかがかな?」

「……崖の上に? ……どうして?」


 奈美はじろりとダンチョウを見て訊ねた。今の気分は最悪で、何も考えたくないのだが、一応聞いておくことにした。


「崖の上から辺りを見渡せば、もしかすると、許婚どのの行方を知る手がかりが得られるかもしれない。川に落ちた可能性も無くはないのだから、川下かわしもの様子を見るだけでも──」

「──それよ、それ!」


 ダンチョウの言葉を聞き終わらないうちに、奈美が叫んだ。奈美の顔がつい今しがたまでと打って変わって、パッと明るくなった。


「ダンチョウさん、イイこと言うわね! もうサイコー!!」


 寛人が生きているという可能性を諦めなくて済んだのだ。奈美はすっかり有頂天になって、思わずダンチョウに抱きついた。女人に抱きつかれ、ダンチョウもまんざらでもない様子だ。


「はっはっは、これしきのこと……」

「じゃあ、テスお願い。さっき空を飛んだみたいに、あなたの最新技術のジェットであの崖の上まで連れてってよ。またこわい思いをするのはイヤだけど、この崖を上るよりかはマシだしね」


 奈美にそう言われ、テスはライカの顔をうかがうように見た。ライカが仕方がないと言った表情で頷くと、テスはパッと顔を明るくして言った。


「任せてくださいっす!」


 さきほどのように、もたもたと腰縄を巻こうとしていた奈美だったが、ライカがその手から縄を奪い取った。


「面倒くさい。この崖を上る程度なら、縄などいらんだろ」


 ライカはそう言うと、奈美を軽々と抱き上げ、テスの腰縄からつながる縄を握った。

 驚いた奈美が助けを求めるようにダンチョウの方を見遣ると、ダンチョウは既に腰縄を巻き終わった状態で縄を握っていた。ダンチョウが奈美の視線に気付くと、にこやかな顔で言った。


「私はライカどののような優れた身体能力は持ち合わせていませんからな」

「えっ、ちょっと、私も──」

「行くっすよ~」


 テスは自分の出番が待ちきれない様子で、空に向かって地面を蹴った。

 体が上に向かってグンと引っ張られて、奈美は言葉を呑み込んだ。テスが崖壁を蹴りながら、どんどん上空へと近づいていく。

 気付いた時には、奈美たちは三方の崖の上に立っていた。ほんのわずかな間だけであったし、二度目というのもあって、奈美は初めて空を飛んだときより余裕があった。


「ホントに便利ねぇ……。こんなに高い崖を一瞬で上っちゃうんだもの」


 奈美はライカの腕から降りると、そろそろと崖の下をのぞいた──が、遥か下に地面が見えてすぐに顔を引っ込めた。やっぱり見るんじゃなかったと後悔した奈美だったが、そなことを言っている場合ではない。これから川下の方を調べなければならないのだ。


「へえー、こんなとこに温泉なんかあるんすねェ」


 テスが驚きの声を上げたので、奈美も後ろを振り向いて見た。テスが見ている方には、確かに見覚えのある温泉がある。前に見た時よりも温泉の周りが荒れている気がするが、地震の影響だろうと奈美は思った。


「この辺りの地名は湯ノ所ゆのところ……温泉がいたる所にあるのもうなずける」


 ダンチョウが崖のきわに立って、下の景色を見ながら言った。それを見てごくりと唾を飲み込むと、奈美もゆっくりと崖のきわに近づいた。

 見なければいけないのは崖の真下ではなく、川下の方だ──そう自分に言い聞かせると、奈美はそろそろと目の前に広がる景色へと目を向けた。


(──あれ?)


 遠くまで続く平野。そのさらに向こうにうっすらと見える山々。その光景に、奈美は違和感を覚えた。


「? どうした?」


 ごしごしと目をこする奈美を見て、ライカが不審そうに声をかけた。奈美がもう一度目を開け、じっくりと景色を見ていたが、やがて愕然とした様子で口を開いた。


「──ない」

「ない? 何がないんだ?」


 そんなはずはないと言わんばかりに、奈美はきょろきょろと崖の上から景色を見渡す。だが、結果は同じだったようだ。蒼白の顔でライカの方を振り返った。


「街よ! 地震で崖から落ちる前にここからちゃんと見たんだから! 大きな街がいくつかあったもの!」


 だが今この崖から見える景色といえば、緑から紅へと染め変えている山と、その手前に、建物など人工物らしきものは何も見当たらない平野だけだ。

 奈美が必死になって説明したが、ライカは眉をひそめて答えた。


「……街? この辺り一帯には、昔から街などないぞ。……ああ、ずいぶん昔には小さな街があったようだが、戦で滅んで以来、この場所が栄えたことはない」

「う、嘘よ、そんなの……。……だって、私が住んでる街もあの辺りにあるはずだし……」


 奈美は何もない平野を指して言った。そのとき、頭にある考えが浮かんだ。


「あっ、もしかして、これも映画の特殊技術だったりする? ほら、怒らないから、白状しなさいよ」


 そうであってほしいと奈美は期待を込めてライカたちを見たが、彼らは答えあぐねた様子で顔を見合わせている。その顔は、この景色は彼らが何らかの操作したわけではないことを物語っていた。


「ってことは……本当なの? 本当に、街が消えちゃった……?」


 奈美はゆっくりと振り返って、再び平野を見下ろした。その後ろから、ダンチョウが言いにくそうに付け加えた。


「もしくは……ナミどのが暮らしていた世界から、どういう訳か、我々の住む世界に迷い込んでしまった……?」

「え……」


 ダンチョウの言葉を噛みしめて、奈美は事の重大さに気がつき始めた。もはや叫ぶしかない。


「えぇーーーーーーッ!?」


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