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動き出した心

 

「……ったく、自分の部屋まで食事を持ってこさせるなんて何様のつもりよ? 余計な仕事増やして」


 ぶつぶつとつぶやきながら、奈美は廊下を歩く。その手には、白飯と汁の椀の載った盆を持っている。

 巨大鍋の中身が残り半分をきった頃、テスから教えられた──「隊長の部屋まで食事を持っていくのは付き人の仕事」だと。


 あの男の部屋に一人で行くのは何となく避けたかったので、奈美はテスに助けを求めたのだが、あっけなく断られてしまった────「悪いっすけど、一人で行ってきてください。オレ、この汁まだ一杯しか食べてないんすよ。この様子じゃ、すぐに鍋が空っぽになるっす。ライカの兄貴の部屋に行ってたら確実に食いっぱぐれるっす。ライカの部屋の場所はさっき教えたとこだから覚えてるっすね?」。


 こうして、食事を届ける役目を全うするため、奈美は一人でライカの部屋へ向かっていたのだった。

 ライカの部屋は元・テスの部屋──今は奈美の部屋となったが──のすぐ隣にあった。隊長の世話をするには付き人の部屋が近いのは理にかなっているのだが、奈美にはそれが憂鬱だった。何しろ自分をさらった、嫌味で、危険な男の近くになど、できることなら居たくない。

 奈美はライカの部屋の前に立つと、溜息をつきながら木の扉をノックした。


「……ちょっと、あんた? いるんでしょ? ご飯、持ってきたんだけど」

「入れ」


 しばらくしてから、部屋の中からそう声がした。奈美は「何を偉そーに」とぶつくさ言いながら、扉を開けて中に入った。

 部屋の中を見渡して、奈美は意外に思った。部屋は、自分の部屋より少し広いだけだった。あるものといえば、粗末な机と椅子に、箪笥たんす、そして寝床。隊長と言われる立場にしては質素なものだ。

 部屋の主は、机に向かって座っていた。机の上には帳面と、硯と墨、そして筆が置いてある。それを見て、奈美はへえと呟いた。


(意外と古風なものを使うのね)


 そんなことを思っていると、いつの間にかライカがこちらを見ていることに気が付いた。


「……どうやら前の付き人と違って、新しい付き人は部屋に入る時の礼儀を一応はわきまえているようだな」


 ライカは食事を持ってきた奈美に対して、ねぎらうでもなく、鼻で笑いながらそう言った。


「そーですか、それはどうも!」

(そうね、もちろん感謝の言葉なんてこれっぽちも期待してなかったわよ!)


 奈美は顔をひきつらせながら、ライカの目の前に盆をバンと置いた。いくら隊長と言えども、初仕事を終えた奈美に対してこの態度はないというものだ。だが、これでライカに遠慮なく物申すことができる。


「……っていうか、ここまで食事を持ってくるの手間がかかるし、食堂に食べに来てよ。誰かさんが面倒くさい仕事を押し付けてきたおかげで、私、忙しいんだからね。料理が終わって一息ついたと思ったら、もう次の食事の用意しなきゃいけんだから。何故だかわかる? あんたたちが一日に五食も食べるからよ!」


 一気にまくし立てたところで、奈美はライカの顔を覗いた。だが、ライカはにべもなく答えただけだった。


「断る」

「……は?」


 あまりにもそっけない返事に、奈美は思わずライカを睨んだ。それを見て、ライカは仕方なく理由を説明した。


「隊員と共に飯を食うなど、隊の長として威厳を保つことができないだろ。部下との馴れ合いは危機を招く。隊の統率には不要だ」

「はあ~~~~~~」


 奈美が長い溜息をついたのを見て、ライカが目を見張った。ライカにとって、奈美のその呆れ顔は思ってもみなかった反応なのだ。


「一緒に食事をすることが“馴れ合い”? はいはい、そうですか。そんなふうに考えてるならもう何も言わないわよ」


 そう言うなり、奈美は踵を返そうとした──が、今度は奈美が驚く番だった。ライカに不意に腕を掴まれたのだ。


「待て」


 ライカはそう言うと、硯の中の墨汁に指を浸した。そして、そのまま奈美の頬に触れる──。


「な、何!?」


 奈美はどぎまぎしながら目の前に立つライカの顔を見上げた。返事はなく、ライカはただ指を動かしながら奈美の顔をじっと見つめている。

 ライカの指が奈美の両頬を撫で終わると、ライカは奈美の顔をまじまじと見てニヤッと笑った。


「どうやらおまえが女だと勘付きそうな隊員たちもいるようだからな……薄汚れているぐらいが丁度いいだろ」

「しっ、失礼な人ねっ。他人ひとの顔を墨の付いた手で触るなんてっ……」


 何とかそれだけを言うと、奈美は肩をいからせて部屋を出て行った。ライカはその様子を見て、フッと──ほんの微かに──笑った。


◇◇◇


「……びっくりした……」


 ライカの部屋を出た奈美は、扉にもたれて小さくつぶやいた。自分の顔を触ってみると、とても熱い。墨汁のおかげで気付かれることはないだろうが、きっと顔が真っ赤になっているはずだ。

 ライカの指が自分の頬を這う感触が今でも残っている。他人の首に刃物を当てるようなことをする人物の割に、その手つきはとても優しかった。奈美はぼうっとなりながら、溜息をついた。


(寛人にもあんなふうに触られたことないのに……)

「……ん!? 私ったら何考えてんのよ! さ、こんなとこ、長居は無用!」


 そして奈美は小走りで炊事場へと戻っていった──。


◇◇◇


 その後、たった一人で二度の食事を作り、隊員たちに食べさせた奈美は、すっかり疲労困憊こんぱいしていた。自分の部屋に戻る前に、窟の入り口の方をちらっとのぞくと、外はすっかり暗くなっていた。入り口には見張り役の隊員が二人立っていて、やはり逃げ出せそうもないと奈美が落胆したのは言うまでもない。


 奈美は自分の部屋に何とかたどり着くと、頭に巻いていた布を取ってから寝床に倒れ込んだ。元々テスが使っていた寝床は汚かったのでもちろんシーツは取り換えた。それでもまだ何となく臭ったが、そんなことはもうどうだっていい。それほど奈美は疲れていた。


「考えてみれば……あいつらに捕まってから、もう一日以上経つのよね……」


 ついさっきまではゆっくり考える時間もなかったが、今になってようやくそれができる。低い天井を眺めながら、奈美は思った。


 ──宿泊予定だった客が外から戻らないと不審に思った旅館の人が、警察に連絡してくれただろうか。

 ──今頃、警察や父が自分を必死に探しているのだろうか。

 ──あの瞬間に起こった大きな地震で日本は大混乱に陥っているのだろうか。

 ──実家の父や明日加の身は無事なのか。

 ──そして何よりも知りたいのが、自分と一緒に崖から落ちた寛人の安否。


 その全てが知りたかったが、ライカにスマホを含め荷物を全部取り上げられてしまっているので、何の情報も入ってこない。奈美には今の状況がもどかしかった。

 寛人からプロポーズされ、夢に見た結婚まで目前だというのに、犯罪者集団に連れ去られ、今やその集団の一員として労働までさせられている。


(何でこんなことになっちゃったのよ……)

「……ホント、勘弁してよもう……家に帰りたいよ……」


 そうつぶやく奈美の目から、涙から溢れ出てきた。崖から落ちてからずっと、ゆっくり考えることも泣くこともできなかったので、胸の中で溜まっていたものが全て出てくるかのようだった。

 涙と嗚咽は全てシーツが受け止めてくれている──奈美はそう思っていたし、だからこそ、思う存分泣くことができた。

 だが、扉の外に立つ者が一人いた────ライカだ。


 ライカ自身は不本意であったがダンチョウの勧めで、奈美に一日のねぎらいの言葉をかけるために、奈美の部屋の扉を叩こうとしていたのだ。その時だった──部屋の中からすすり泣くような声が聞こえてきたのは。

 どうやら奈美は必死に泣き声を押し殺しているようだが、薄っぺらな扉ではそれも無駄だった。

 ライカは何を思っているのか、扉を叩こうとしていた手を下ろすと、そのまま自分の部屋へと去っていった……。


◇◇◇


 次の日、朝早く朝餉あさげの支度を済ませた奈美は、食事を運ぶためにライカの部屋へと向かった。朝、目覚めた時に心に決めたことを実行するべく、奈美の心臓は緊張でドキドキしていた。


「いい? 奈美。冷静に、今日は冷静になるのよ……」


 そうつぶやいてから、ライカの返事が聞こえたあと部屋に入った。扉を開けると、上半身裸のライカが立っていた。どうやら着替えの途中だったようだ。運動でもしたのか、わずかに肌が汗ばんでいる。

 奈美は思わず後ろを向いた。ついさっき自分に言い聞かせていた言葉もすっかり忘れて、心の中で叫んだ。

(着替え中ならそう言ってよね!?)


「朝餉なら机の上に置いておいてくれ」


 そう言いながら、ライカは肌付はだつき(※肌着。上衣の下に着る)、上衣の順に身に付けてから、きびきびと帯を巻く。その様子を横目で見ながら、奈美がおずおずと口を開いた。


「ねえ、少し話があるんだけど……」

「……話?」


 ライカがじろりと見てきたので奈美は目を背けそうになったが、何とかこらえた。怖気づいていては、話を切り出すこともできなくなる。


「……っていうか、お願いなんだけど」

「なんだ、昨日の話の続きか? それなら何度言っても無駄だ。食堂には食べに行かないぞ」


 ライカがさっさと話を終わりにしようとしたので、奈美は慌てて口を開いた。


「そのことじゃないわよ。あのね……連れてって欲しい所があるの」

「おまえを連れて行く? 一体、どこに?」

「あなたが私を助けてくれた場所よ。あの崖の辺りに行きたいの」

「三方の崖にか? 何故だ」


 ライカが眉をひそめた。奈美は相手がこう反応すると予想がついていた。ここからが勝負だ。


「実はね、あの地震の時、私と一緒に崖の上から落ちた人がもう一人いて……私の彼氏なの。まあ、彼氏っていうか、婚約者になったんだけど……」


 奈美はもじもじとしながら付け足した。改めて「婚約者」と口に出すと照れくさいものだ。


「つまり、おまえの許婚いいなずけが生きているのか、それとも死んでいるのか、確かめに行きたいんだな」

「き、きっと生きてるわよ! そうはっきりと言わなくても……」

「そうは思わないがな。おまえも体験したなら分かるだろう。普通の人間があの崖の上から落ちて助かる見込みはかなり低いとな」


 ライカはフンと鼻を鳴らした。それを見て奈美は悔しかった。

 だが、ライカの言う通りだ。崖は10階建てビルくらいの高さがあった。いや、それ以上かもしれない。そして、崖の下に広がるのは荒野だ。奈美がライカに抱きかかえられて降り立った所から少し離れた場所には森や谷があったが、運良くそこに落ちたとしてもただでは済まない。


「でも……行かないわけにはいかない」


 奈美はそう呟くと、ライカの目をキッと睨んだ。


「寛人が今どこでどうしてるか、この目で確かめなきゃ……そうでもしないと、居ても立っても居られないの。何も分からない状況が一番イヤなのよ! 駄目だって言われても、私、ここから抜け出して一人で行くわよ!!」

「…………」


 ライカの沈黙が続いた。一体何を考えているのだろう。奈美はドキドキしながら、ライカの口が開くのを待った。


(これを口実に、窟の外へ出ようという策略か? シスイと接触しようとしているのか、それとも何か他の……)


 ライカは奈美を見下ろしながら、奈美の意図を見抜こうとしていた。その時、ふと昨晩の出来事を思い出した──扉の向こうから聞こえるすすり泣き。


「……目」


 ライカが突然そう呟いたので、奈美は訳が分からず聞き返した。


「……え?」

「目が赤いな」

「あっ……」


 奈美は思わず後ろを向いた。この窟には鏡の一枚もないので、自分が今どんな顔をしているか気付かなかったのだ。早く元に戻れと祈りながら、奈美は目を擦った。


「えっと、これは、その……そう、昨日なかなか寝付けなかったからよ! 第一、ベッドが固すぎるのよ。あれじゃあ、寝不足にもなるわ」


 あたふたと答えた奈美だったが、ふと思った。


(どうして目が赤いくらいで言い訳する必要があるのよ?)


 何故だか、この男にだけは泣いていたと気付かれたくない──奈美がそう思った瞬間、ライカが口を開いた。


「いいだろう。連れて行ってやる」


 それを聞いて、奈美はライカの顔をバッと見た。嘘を言うような顔ではない。


「ホ……ホント!?」

「武人に二言はない。明日、出掛ける予定がある。そのついでに寄ってやる」

「やったーー! ありがとーー!」


 バンザイをして喜ぶ奈美を見て、ライカが呆れたようにぼそっとつぶやいた。


「泣いたり笑ったり忙しいヤツだ……」

「なんか、俄然やる気出てきちゃった! それじゃ、そろそろ次の食事の用意しに行くわね! ブラックホールの胃を持つあんたたちを待たせるわけにはいかないからね」


 そう言うと、奈美はウキウキしながら部屋を出て行った。残されたライカは溜息をつくと、ぽつりと呟いた。


「……やれやれ。俺もとんだお人よしだ」


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