ごめんね。ちょっとだけ黒歴史。だって女の子は早熟だもの。
こっそりと投稿。
たかが初等部とはいえ、その節目となる卒業式に列席する者たちのバックグラウンドは侮れないもの。エスカレーター式だからこそ集まった子息令嬢たちの親の経歴はハイクラスだ。各省の官僚から、大臣、議員、医師に弁護士、検事、裁判官、司法書士、名だたる企業の取締役やら銀行の頭取など、様々である。
壇上から見下ろした景色は、ただただ胃を萎縮させるだけだった。
(……な、なんなの、あの明らかな人数の差は──)
ここをテレビ中継してるのかってツッコミたくなる式典撮影クルーはまだいい。金持ち学校なのだ。親の不慣れなホームビデオ撮影より、綺麗な記録を残してくれるし、販売もしてくれる。厳粛な式典の雰囲気を壊されることなく、運営資金獲得できる学園側とも相互扶助な関係が保たれているのも頷ける。
しかしいくら少子化といえど、2クラス分の41人の卒業生に対しての来賓含めた大人の多さよ。軽く目測するに、ひとりの生徒に対して5、6人は来ている計算になるだろう人集り──否、礼服にありがちなモノトーンの色合いからして黒集りとでも言うべきか。
もとより、卒業生と保護者の間には在校生たちも臨席しているのだが、子供たちの総数に準じる大人たちの威圧感が半端ない。
それら全ての視線を浴び、答辞を読み上げなければならない身の上を嘆きつつ、手汗で湿気った書状を広げていく。……実は中等部の入学式の際の新入生代表として、既に内定していることについては今考えない。考えてはいけない。己の心の平穏の為に。まずはこの答辞を無事に終わらすことに尽力せねばいけないのだから。
(……うん。思い出すなぁ。色々と)
意を決して広げ切った書状に並ぶ文章は、自身で考え、自らの手で書き示したもの。無駄に書道の段持ちだった前世を恨めしく思いながら、その記述内容に眉を下げる。
毎年春秋とある遠足は、いわゆるネイチャーガイド付きの登山だった。低学年だと近場の高尾山や多摩地方の山々での日帰りや一泊だったものが、高学年になると九州の阿蘇に、和歌山や三重の熊野古道、北海道の羊蹄山といった1週間の行程へと規模が変わっていくのはいかがなものか。
思えば、現地までバスや電車だけでなく、船や航空機をも利用するのは、お金持ち学校あるあるだったかも知れない。けれど、足腰や低酸素対策で実地された高級ジム並みの学園固有施設での事前トレーニング期間をみっちり設けるなど、とても小学生が体験する遠足ではなかったと思う。否、一般常識からみてもありえない環境だ。
(まあ、北海道の旭◯動物園は、普通に凄く良かったけれど……)
乙女ゲームを模したパラレルワールドな現世でも、彼の動物園の人気は健在であった。
とは言え、遠足でこれなのだ。運動会なんて更に酷かった。
今現在、東京オリンピックを前に、建て替えの為に取り壊されてしまった国立競技場で毎年汗を流していたなんて、誰が信じるのか。演目はさぞかし本格的な競技かと戦かれそうだが、そこは初等部の運動会。設備や小道具に金をかけてはいるが、所詮は小学生の運動会なのだ。綱引き大縄飛び、玉入れにリレー、クラス別応援合戦。組み体操は危険だからと、プリ◯ュアを踊ったことは、のちに全生徒の黒歴史に認定される事件であったと私は確信している。
(施設の豪華さに対して競技内容があまりにも幼稚過ぎて、そのギャップの居たたまれなさに胃をやられて血ヘド吐くかと思ったわ……)
林間学校も、2年生までは若狭や伊良湖とまずまず普通ではあったのだ。けれど3年生になった途端、国外へと活動拠点を移したその判断基準は、一体何だったのだろう。
北の極地アラスカで見上げた星々と色彩鮮やかなオーロラは、確かに美しかった。素直に感動した。中身おばちゃんな分、自然の神秘に感化されて涙がちょちょぎれたりもした。案の定、流した涙は瞬時に凍りつき、あの時はほんと顔面が死ぬかと思ったけれど。
(……それに、スキー教室なんて滅べばいいのに。雪を楽しむならソリで十分だろうが)
とにかく、皆お揃いのスキーウエアのおかげと言うのもあるが、上級者コースを颯爽と滑る眞一朗の姿があったからこそ、初心者コースをへっぴり腰で滑り降りた花音の動向を、誰にも気付かれなかったことは幸いである。
(転生チート万歳って、口が裂けても言えないお勉強の難しさ。中学まではまだ何とか食らい付ける自信はあるけど、高校大学は大丈夫かなぁ。習い事以外の時間が予習復習で潰えているこの頃を考えると……)
全国模試に匹敵するほど難度の高い定期テストをクリアしてる次点で、将来は安泰なことに気付けていないのも、日々の生活の目まぐるしさが物語っている。そう、自身の環境を整えることに全神経を傾け注いできた結果でもあったのだ。
(この6年、時間の流れがめちゃくちゃ速かった6年間だったなぁ)
しみじみと自身の体験を振り返っていた為か、万感籠もった答辞となり、歴代最高の卒業式として記録、語り継がれることになるなど思いもしなかった佳音。
万雷の拍手に初めてその危険性に気付いたとしても、既に時遅し。実際、あれだけの聴衆相手に対して無心に思い出を振り返るなど、案外と肝が据わっているのだろうか。それともただ単に神経が太いのか。
まあ、前世分のファクターを差し引いても、間宮佳音という素材の高さは伊達ではないと言うことなのだろう。
取り留めもなく自己完結をして列に戻る途中、不意に眞一朗と目が合うことになる。
「……」
「……」
眞一朗よ。何故、そんなどや顔で微笑み返す。
思わず口元を引きつらせつつ、すぐに目を逸らし椅子に座ったけれど、訳もなく冷や汗が滲み、心音も激しくビートを刻んでいる。
(えっと、なにか粗相でもした? いや、していない。していないぞ。無難に答辞を終えたはず)
時折眞一朗の眼差しや表情に不安を煽られることがある。まさに今、絶賛混乱中だ。しかし、前世分の経験と知識が冷静に判断を下してもいた。
それと言うのも、前世ですら低学年で初潮を迎える子供が増えてきていると、チラリとテレビで観たことがあったから。当時の前世では、高学年でも初潮を迎えている子はほんの僅かだったと記憶している。いち早く大人になる子はやはり、身体つきがしっかりしていた。テレビでもある程度の体重があれば、余程の心理的要素がない限り、自然と迎えられると言っていた。
そして現在、生活水準が高く、なおかつ情操教育が早い上流階級社会に属していれば、高学年に上がる前に終えていてもなんら不思議ではないのだ。女子も、男子も。そう、男子も、だ。
惚れた腫れたで騒ぐ年代が低年齢化している現実に、世知辛さを感じるのも仕方がないと、あなたもそう思わないだろうか。
(まあ、我らの親世代を鑑みれば納得だけども……)
好意を向けられているのは知っている。時折、性的な目で見られているのも気付いている。
そうしたベクトルを向けられるたび──思春期真っ盛りな眞一朗の言動を、微笑ましくもしょっぱさを感じたり、気の毒に思ったりしてきた身としては、酷く居たたまれないのだ。
(ごめんね。ショタは有り得ないのよ、わたし)
いくら現世同年代だからと言って、小学生、中学生、高校生、ひっくるめて未成年は犯罪だと認識してしまうほど、前世の意識の年齢がアレなのだ。
前世でそうだったが、実は年上好きなのだ。小学生の頃、周囲はジャニーズ系に夢中だったが、わたしは暴れん坊の新さんが初恋だった。あの頃の新さんは細かった。うん、まさに白馬の王子様。いや、将軍様だけど。本当は。……なんなら、もうひとつ暴露してしまえば、初大河デビューは独眼竜正宗でもある。祖父の膝の上で視聴した記憶があるのだ。
主演の彼は後に色々あったが、御家人の九男を演じていた頃が一番素敵で、もうメロメロだった。相方の芸者も好きだったし、健啖家で美食家の母上様も大好きだった。
最終回なんて、監督までやっていて、カット割りとかめちゃくちゃ拘っていて、作品愛に満ち満ちていた。
それに盗賊の雲霧を演じた彼も渋かった。仕事人に徹する婿殿の冷徹さと姑や奥さんとのやり取りのコミカルさも好きだった。なんなら、ぐふふっと笑う喧嘩屋の夫婦に憧れたりもした。
(──はっ、いかんいかん。話が脱線してきたぞって、あれ? )
気付けば講堂から移動して教室に戻ってきていたようだ。目の前には物欲しげな目をする眞一朗がいる。
ワンコのような潤んだ瞳に思うことはひとつ。
(ごめんね。犬より猫派なんだ、わたし)
そう、佳音にしてみれば眞一朗は、悉く好みから外れているのだ。
(しんさんはしんさんでも、眞さんではないのだよ。眞さんでは)
と、ここでもうひとつの萌えも暴露してしまったことに気付かない佳音は、ちいさく息を吐き出すと、机の上の学生鞄を開く。
(うん、鞄に何種類もの飴ちゃんを常備って、あかん、歳がバレる……)
一瞬黄昏そうになったのをぐっと堪えて、お目当てのブツを掴む。
「はい、眞一朗(おまえの大好きなカルピスソーダ味だよ~)」
幼馴染みな間柄であれば、ある程度のアイコンタクトだけで意思疎通が叶うのも不思議ではないだろうが、まさか犬扱いされているとは思ってもいないだろう。
嬉しげに頬を緩める眞一朗の手のひらに飴をちょこんと乗せた佳音の心境と言えば、ある種の悟りを開いた修業僧のようだった。
(梵天丸もかくありたい──)
当時の流行語なんて、今世でも前世でも通用するのだろうか?