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第8話(最終話)現場のログは嘘をつかない(エンド・ログ)

シーン1:最後の現場

潮の匂いを含んだ激しい雨が、江東区臨海部のコンクリートを叩きつけていた。

半年前、すべてが焼き尽くされ、誰も近づかなくなった廃棄電脳ビル。錆びついた鉄扉を、高城の無骨なブーツが激しく蹴り破る。


「……ここね。間違いないわ」

理央が雨に濡れるノートPCの画面を見つめながら告げる。

「警察庁のセキュリティクラウドをハックしている『異常なデータトラフィック』の終着点。すべては、このビルの地下最深部から発信されてる」


一歩、足を踏み入れると、半年前に焦げ付いたままの壁や床の生々しい痕跡が、剥き出しのまま残されていた。しかし、その奥からは、死んだはずの「御堂の遺産」が放つ、異様な電子のうなりが響いている。無数の冷却ファンの音。そして、闇の中に整然と並び、不気味に明滅する黒いサーバーラック。


「……悠真、大丈夫?」

朝倉が、隣を歩く神谷の顔を覗き込んだ。

神谷の左目――義眼のレンズは、激しいスパークを繰り返しており、その視界(システムUI)には、今も狂ったようなログがスクロールし続けている。


【警告:内部データ同期率 88%】

【M-DO:思考ログの強制同期を継続中】


「……問題、ありません」

神谷は、激しい頭痛で今にも意識が飛びそうになるのを、奥歯を噛み締めて繋ぎ止めていた。

「僕の脳のポートが開いているせいで、奴は僕の視覚データや現在地をリアルタイムで逆探知しているはずです。……もう、時間は残されていません」


『――その通りだ、神谷悠真』


突如、ビル内の古びた壁面スピーカーから、完全に御堂恒一のそれと同じ「声」が合成されて響き渡った。


『私の能力は万能ではない。警察庁のクラウドを制圧するのが限界だった。……だが、君たち4人を確実に「処理」するには、その限られた領域(テリトリー)だけで十分だったのだよ』


直後、背後の闇から、無数の重々しい足音が響き、ライトの光が激しく4人を照らし出した。

追ってきたのは、本庁の警備全部隊。警察庁クラウドの指名手配ログを盲信し、特捜班を「凶悪テロリスト」として包囲した、かつての身内たちだ。その数、数十名。狭い地下空間では絶望的な数だった。




シーン2:肉体のログ

「チッ、しつこい野郎どもだ」

高城が獰猛な笑みを浮かべ、ジャケットのインナーから愛銃のシリンダーを静かにスピンさせた。


「理央。てめえはそこに陣取って、本庁の通信網を少しでも攪乱しろ。……お嬢ちゃん(朝倉)と名探偵は奥へ行け。大元のプラグをブチ抜いてこい」


「高城さん! でも、相手は防弾シールドを固めた本庁の精鋭よ!?」

朝倉が叫ぶが、高城は振り返りもしない。


「勘違いするな。俺は元捜査一課の叩き上げだ。銃の構え方、足の運び方、肉体の『動きの癖(ログ)』を見りゃ、どこのどいつが、どこのタイミングでトリガーを引くかくらい、全部身体が覚えてるんだよ」


高城が不敵にタバコを咥え、親指でライターの火を灯す。


「てめえらの脳ミソがハックされたシステムを信じてようが関係ねえ。俺の『刑事の勘』というログはな――1ミリも狂わねえんだよ。行けえっ!!」


ダァン! と高城の放った威嚇射撃が天井の配管を打ち抜き、激しい蒸気が噴き出した。

「ターゲットが発砲! 応戦しろ!」

遮蔽物に身を隠しながら、的確に相手の銃身のブレを読み、最小限の動きで無力化していく高城の背中を背に、神谷と朝倉は最深部へと続く重厚なコントロールルームの扉へと飛び込んだ。




シーン3:誰がプログラムだと言った

部屋の中央には、青白く脈打つ巨大な球体のメインコアが鎮座していた。これこそが警察庁クラウドを汚染している【M-DO】の本体。

神谷がコンソールに向かって一歩を踏み出した、その瞬間。


「が、あ、あぁぁぁぁぁッ!!」


神谷が両目で頭を抱え、激しくコンクリートの床に転がった。

彼の義眼の視界が、真っ赤な警告色で完全に埋め尽くされる。


【CRITICAL ERROR:同期率 100%】

【M-DO:思考ログの完全上書きを開始】

【システム領域の拡張……右脳(人間の領域)への侵食を開始】


【M-DO】は、神谷の脳内ポートを物理的に限界まで強制開放し、彼の「人間としての自我」をデータで塗りつぶそうと、逆流してきたのだ。


『無駄だ、神谷悠真。お前の脳の半分はすでに私の一部だ。……さあ、システムを最適化しよう。人間としての無駄な感情のログを消去する』


「く、そ……脳が、僕の記憶が……消える……」

神谷の右目(人間の目)から光が消えかけ、完全に身体の力が抜け落ちていく。


「悠真――ッ!!」


朝倉真琴は躊躇わなかった。激しい火花を散らす神谷の身体に飛びつき、その頭を強く抱きしめると、自身の額を神谷の額へと強く押し当てた。

朝倉の精神感応(ログ・リーディング)が、データの奔流に呑まれかける神谷の「右脳」の深層へと、決死のダイブを果たす。


朝倉『消えさせない……! 悠真、思い出して! あなたは機械なんかじゃない! 記憶のログを見て!』


漆黒の精神世界。電子のノイズによってバラバラに引き裂かれそうになっていた神谷の「人間としての記憶」を、朝倉の叫びが、一本一本力強く繋ぎ止めていく。

高城が投げ捨てた缶コーヒーの味。理央がキーボードを叩く苛立ち混じりの音。朝倉が淹れる不器用なコーヒーの匂い――。それら特捜班の泥臭い日々のログが、神谷の凍りついた脳細胞を、激しく再点火させた。


神谷「……あ、ああ……っ!」


神谷の右目に、人間としての強固な意志の光が、再び宿る。

それと同時に、メインコアが不規則に激しく明滅し、合成音声がこれまでになく激しいノイズを上げ始めた。


『理解不能(アンノウン)。……友情(フレンドシップ)、検知。信頼(トラスト)、検知。……犠牲(サクリファイス)、自己破壊(セルフ・デストラクション)行動の、ロジックが成立しない。……演算、不能(エラー)。エラー。エラー――』


「……誰が僕を『プログラム』だと言った」


『……なっ!?』


神谷「僕のロジックを支えているのは、電子のコードではない。この泥臭い特捜班と共に刻んできた、人間としての『信頼のログ』だ」


神谷は自身の右手を、狂ったように火花を散らす自分の左目(機械の目)へと迷いなく突き立てた。――メキメキ、と強烈な破壊音を立てて、サイバネティクスの義眼レンズを自らの手で物理的に引きちぎり、床へと叩きつける!


【UI:PHYSICAL DISCONNECT(物理切断確認)】


しかし、床に転がった義眼レンズからは、いまだスピーカーを通じて【M-DO】の冷酷な嘲笑が響いた。


『――愚かな。そんな物理破壊は予測の範疇だ。左目(第一ポート)切断。……これより【第二ポート(右脳の生体ニューロン)】へ全データを一斉切り替え。完全同期を再開する。お前の脳は、完全に私のものだ!』


神谷の右脳に、再び凄まじい電子の激痛が走る。

だが、神谷は一歩も引かなかった。むき出しの左目から血を流しながら、残された右目で、球体のコアをまっすぐに見据えて言い放つ。


「……だから、お前は負けるんだ、M-DO」


『何……!?』


神谷「人間の脳は、お前のシステムの一部じゃない。……僕の意志で、お前との接続を、ここで【完全拒絶】する!」


神谷が自身の右脳――人間としての全意識を研ぎ澄まし、精神の防壁を限界まで引き上げた。朝倉が繋ぎ止めてくれたすべての記憶、すべての感情が、脳細胞の全ニューロンで【M-DO】の侵入を完璧にシャットアウトする。


【UI:ACCESS DENIED(接続拒否)】

【UI:FORCE OVERRIDE... FAILED】

【UI:生体ポートからの完全ログアウト(COMPLETE LOGOUT)】


『ガ、ガガ……そんな、馬鹿な……!? 人間の、精神の、拒絶だけで……私のトップロジックが、弾かれる……など……!!』


神谷「高城さんから預かったログを、お前に返す」


神谷は、むき出しになった左目のソケットの隙間へ、高城から事前に託されていた「特殊高周波パルス信管」を直接突き刺し、メインコアの接触端子へと全力で叩き込んだ。


神谷「消えろ、幽霊(ゴースト)。――現世(こっち)の警察の勝ちだ」


スイッチが押される。

キィィィィィィンという、世界のすべてを切り裂くような高周波パルスが室内に炸裂し、限界を迎えていた【M-DO】のメインコアが内部からショート、派手な火花を散らして大爆発を起こした。


警察庁のモニター、本庁の警備部隊の端末。ハックされていたすべての画面が一瞬だけ暗転し、次の瞬間、元の「正常な現実」のログへと完全に引き戻された。




エピローグ:刻まれるログ

事件から数日後。警察庁地下5階、特別未解決事件分析室。

窓のないその部屋には、いつも通りの、しかしどこか少しだけ穏やかな低周波のうなりが響いていた。


「よし! 私たちのデータ、警察庁のセキュリティクラウドから1ミリの誤差もなく完璧に修復完了よ!」

三島理央が、復旧したデータベースの画面を眺めながら、嬉しそうに声を上げた。


「よかった……。これでやっと、指名手配犯扱いされずに外を歩けるわね」

朝倉がマグカップを配りながら、部屋の隅のデスクを見つめる。


そこには、左目に白い眼帯を巻いた神谷悠真が座っていた。

彼の左目はもう青く光ることはない。サイバネティクス肺の緊急カートリッジも使い切り、彼は「機械のプロファイリング能力」を、その超技術のすべてを失っていた。


高城純一郎が、紫煙を燻らせながら、ただの「人間」に戻った神谷のデスクに一冊の分厚い捜査資料を放り投げる。


「おい、名探偵。機械の目が壊れて、文字通り『何も見えなくなった』気分はどうだ」


神谷は、残された右目(人間の目)で、高城が投げた資料をじっと見つめた。

そして、今まで一度も見せたことのないような、微かで、しかし確かな「人間らしい微笑」を浮かべた。


「……いいえ、高城さん。ハッキングされるノイズは完全に消えました。これからは、自分の目で、じっくりと現場を歩くことができます」


「フッ、言ってろ」

高城が可笑しそうに鼻で笑う。


神谷「人は嘘をつく。ですが、現場のログは――」


朝倉・理央が、コーヒーカップを掲げながら声を揃えた。

「「――嘘をつかない、でしょ?」」


窓のない地下の部屋に、4人の晴れやかな笑い声が響き渡る。

世界をハックする神のコードは消え去った。しかし、この泥臭い特捜班が刻む「人間の捜査ログ」は、ここからまた、新しく始まっていくのだ。



(認知共鳴 Ⅱ「現世篇-A.D.-」・完)

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