第5話 不可視の身代金(ファントム・ランサム)
シーン1:消失の街頭
「嘘じゃないんです……! 目の前で、本当に、あの子が消えたんです……っ!」
警察庁地下5階、特別未解決事件分析室。
泣き叫ぶ初老の男の精神波を、朝倉真琴はこめかみを指で押さえながら静かに受け止めていた。男は誘拐された少女――警察庁長官の孫娘・愛梨の、お抱え運転手だった。
高城純一郎が、デスクに両手を突いてモニターを睨みつける。
そこには、捜査一課から極秘裏に回されてきた、今日の午後1時42分、文京区の通学路の防犯カメラ映像が映し出されていた。
高城「理央、映像の解析結果はどうだ」
三島理央が、凄まじい速度でキーボードを叩きながら首を振る。
『ノイズ、コマ飛び、タイムスタンプの改ざん……一切ナシ。デジタルデータの修正痕はゼロ。……つまり、この映像は「100%本物」よ。カメラは正常に空間を記録してる』
モニターの中では、少女がランドセルを揺らして歩いている。そのすぐ後ろを、件の運転手の男が歩いている。
次の瞬間。――何の前触れもなく、少女の姿だけが画面から「消えた」。
背景のレンガ壁だけを残して、少女の輪郭が空気中に溶けるように消失したのだ。
朝倉「……運転手さんの記憶を覗いたわ。彼には、少女が消える直前、黒いジャンパーの男が愛梨ちゃんの腕を掴んだ記憶がはっきりと残ってる。でも、カメラにはその男も、愛梨ちゃんも映っていない……」
高城「カメラは正常、だが人間には見えている。……狐につままれたような話だな。神谷、お前はどう見る」
部屋の隅、影の中に佇んでいた神谷悠真が、ゆっくりと歩み出た。
彼の左目は人間のものではない。コンマ数秒遅れて機械的な駆動音を立てる、義眼のデジタルレンズだ。
神谷はモニターに近づき、そのガラス細工の瞳で、少女が消えた「1時42分15秒」の映像を凝視した。
神谷「……カメラのレンズは嘘をつきません。データが書き換えられていないなら、この空間には、物理的に『最初から誰もいなかった』のが真実です」
高城「じゃあ何だ、映像を見ている俺たちの脳ミソがハックされてるってのか?」
神谷「録画データそのものは改ざんされていません。映像には存在しているはずです。しかし、その映像を認識する処理系そのものが、人間もAIも同じロジックを使っている以上、背景として補完されてしまう。」
高城「だったら話は早え。理央、その映像データを画像処理して、犯人の輪郭を炙り出せ!」
三島理央が、唇を噛んで首を横に振る。
『……ダメよ、ボス。最新のAI解析フィルターをかけても、結果は同じ。何も映ってない「ただの背景」として処理されちゃう』
高城「あぁ? データに残ってんだろ? なんでAIでも見えねえんだ」
神谷「画像処理では不可能なのです。 ハッキングされているのは映像ファイルそのものではなく、それを再生して光を受け取る『人間の脳』の補完システムだからです。現在の画像解析AIも、人間の視覚モデル(網膜からの情報処理ロジック)をベースに構築されています。ゆえに、人間と同じエラーを起こし、強制的に背景へと置き換えてしまう」
高城「ちっ……機械の目までバグらせるってか。じゃあ、街中で使われたらお手上げじゃねえか」
神谷「いいえ、このコードの処理限界は最大30人程度です。31人目から、集団の脳波の個体差がノイズとなり、システム側の同期演算が即座に破綻します。 だからこそ犯人は、あえて人通りのまばらな、あの通学路の電子看板前を狙ったんです」
高城が不敵な笑みを浮かべ、ジャケットを羽織った。
高城「なるほどな。AIの目すら騙せても、物理的な『重さ』までは消せねえだろ。理央、現場周辺の重量センサーのログを追え! 脳ミソのバグに付き合ってやる必要はねえ、地面の記録を逆引きするぞ!」
三島『了解! 15分以内の逃走ルート、秒単位で逆引きしてやるわ!』
特捜班の反撃が始まった。
シーン2:不可視の監禁
「重量センサーの反応……ここだけ不自然に『2人分』の重さが、路地裏の地下道へ向かって伸びているわ!」
三島理央のナビゲーションが、逃走車に乗り込んだ高城たちのインカムに響く。
車は激しいタイヤの焦げ付き音を立てて、錆びついた巨大なコンテナが並ぶ臨海部の廃棄ドック(廃ビル)へと滑り込んだ。
車から降り立つ高城、神谷、朝倉。潮風が吹き抜ける不気味な静寂の中、朝倉がふと、自分の額を押さえた。
朝倉「……くっ、頭が……。悠真、このエリア、空気がおかしい」
神谷「気を付けてください。敵はすでに、この廃ビル内の高輝度作業用ライトを乗っ取り、パルスを空間全体に乱反射させている。……高城さん、僕たちの脳の防衛限界から見て、パルスに耐えられるのは【残り10分が限界】です。それを過ぎれば、僕たちの脳が焼き切れる」
高城が懐から愛銃を引き抜き、獰猛な笑みを浮かべる。
高城「10分もありゃ十分だ。脳ミソがバグる前に、そのクソッタレな光源ごとブチ壊す。全員、突入だ!」
シーン3:五感の網
廃ビルの3階、無数の鉄骨と監視カメラが剥き出しになった大空間。
その中央に、椅子に縛り付けられた長官の孫娘・愛梨の姿があった。
高城「愛梨ちゃん!」
高城が駆け寄ろうとした、その瞬間――。
壁面の作業用モニター、そして部屋の四隅にある大型ライトが一斉に「強烈な白色」に明滅を始めた。
キィィィィィン……!
神谷「高城さん、止まってください! 脳が……!」
神谷の脳内に、凄まじいエラー信号が走る。視界が激しく歪み、目の前にいるはずの愛梨の姿が、背景のコンクリート壁と同化して「消失」した。
「ハハハ……! 来たな、特別未解決事件分析室」
鉄骨の影から、黒いジャンパーを着た大柄な犯人の男が姿を現した。……いや、姿は見えているはずなのに、彼が「一歩動く」たびに、特捜班の脳はその輪郭を見失い、男がまるで瞬間移動を繰り返しているかのような錯覚に陥る。
犯人「俺は神のコードを授かった。俺は消えることができる。国家の犬どもめ、お前たちの貧弱な脳ミソで、俺を捉えられるか!」
銃声が響く。犯人が放った弾丸が、高城の頬をかすめて背後の鉄扉を跳ね返った。
どこから撃たれたのか、目で追おうとした瞬間に、脳が犯人の位置を「認識」することを拒絶する。
高城「くそっ、視界のピントが合わねえ……!」
犯人「死ね! 国家の奴隷ども!」
犯人が再び高城へ銃口を向ける。タイムリミットまで、あと数分もない。
神谷「……朝倉! 『目』を閉じてください!」
朝倉「えっ……!?」
神谷「奴がハッキングしているのは、電子看板とライトを介した『視覚(光シグナル)』だけだ! 聴覚も、皮膚感覚も、あなたの『精神捜査』の網も、何一つハックされていない! 奴のロジックの死角(目)を捨てろ!」
神谷の叫びが、朝倉の脳を貫いた。
朝倉は覚悟を決め、両の目を完全に閉じた。――光を遮断した漆黒の世界。
明滅するライトのノイズが消え、静寂の向こうから、犯人が放つ強烈な「敵意のログ(脳波)」が、一本の太い線のようになって朝倉の精神の網へと引っかかった。
朝倉「……見えた。右の鉄骨の裏から、上層のキャットウォークへ動いてる……そこよ、高城さん!!」
高城「――応ッ!!」
高城は一切の躊躇なく、自分の「目」を完全に瞑った。
朝倉のナビゲーションだけを信じ、暗闇の中で身体のバネを爆発させる。
犯人「なっ、なぜ追える……! 15分経ってない、俺は見えないはずだ――」
視覚を捨て、純粋な足音と朝倉の指示だけで距離を詰めた高城が、暗闇の中から犯人の腕を正確に掴み取った。
犯人「なっ、なぜ追える……! 15分経ってない、俺は見えないはずだ――!」
明滅する光の中、犯人がパニックを起こして叫ぶ。
その絶望の視線の先――闇の中から、神谷悠真のガラス細工の左目が、冷徹な青い光を放って男を射抜いた。
神谷「――誰がお前を『見る』と言った。」
犯人「……っ!?」
神谷「お前が縛り付けたのは僕たちの『視覚のロジック』だけだ。五感のすべてをハックしたと錯覚した瞬間が、お前の敗因だ」
高城「15分しか持たねえハッタリ野郎が! てめえの姿が消えようがな、その薄汚えクズの気配までは消せてねえんだよ!」
高城の強烈なアッパーカットが犯人の顎を打ち抜く。
犯人の巨体がキャットウォークの床へ激しく叩きつけられ、その衝撃で、男が握っていた携帯型のパルス照射端末が粉々に砕け散った。
空間の明滅が止まり、歪んでいた視界が元に戻る。
そこには、泡を吹いて気絶した犯人の男と、椅子に縛られたまま涙を流している少女の姿が、はっきりと「見えて」いた。
高城が愛梨の縄を解き、優しく抱き上げる。
高城「怖かったな、お嬢ちゃん。もう大丈夫だ。電気がなきゃ、条件が揃わなきゃ何もできねえ薄っぺらい神様なんてな、現世の警察の敵じゃねえよ」
シーン4:死を忘れたシステム
事件は解決し、警察庁長官の孫娘は無傷で保護された。長官が過去に隠蔽したとされる不祥事のログも、三島理央の手によって密かにバックアップされ、上層部への強烈な「牽制の切り札」として特捜班の手元に残ることとなった。
数日後。特別未解決事件分析室。
三島が、逮捕された犯人の男のスマートフォンから抽出したデータを、モニターに映し出していた。
三島「……やっぱり、この『認識阻害コード』、第4話の岩崎次長のものよりさらにプログラミングの効率が上がってる。被害者の認知を奪うだけじゃない。15分のリミットを超えて使った末端の人間(犯人)の脳のニューロンまで、高負荷で焼き切って『口封じ』をする仕様に、パッチが当てられてるわ」
朝倉「逮捕されたあの犯人、病院のベッドで、自分の名前すら思い出せない状態らしいわ……。本当に、人間をただの『使い捨ての端末』としか思っていないコード……」
高城が紫煙を燻らせながら、冷徹な目でモニターを見つめる。
高城「……で、例の『生体認証』はどうなってやがる」
三島がキーボードを叩くと、画面に赤い警告ログが点滅した。
売却元のアカウントプロトコル。そこに刻まれているのは、やはり【御堂恒一】の網膜と脳波のデータだった。
神谷悠真は、自身の義眼レンズの駆動音を聞きながら、そのデータをじっと凝視していた。
神谷「……この御堂の認証ログ、昨日の午後1時42分――つまり、事件が発生したまさにその瞬間に、暗号鍵の『仕様変更』のためにアクセスを記録しています」
高城「半年前、俺が心停止を確認して、国が灰にしたはずの男が、昨日の昼にログインしてコードを書き換えた、か。……おい名探偵、お前のロジックでこのバグを説明してみろ」
神谷はゆっくりと立ち上がり、右手の黒い革手袋を嵌め直した。
神谷「認証データは現在進行形で更新されている。……御堂恒一がどこかで生きて肉体を動かしているのか。あるいは、彼の脳のログを完璧に模倣した『自律型AI』が、ネットワークの深層で今も成長を続けているのか。……どちらにせよ、奴は生きています。システムとして、この世界をハックし続けている」
その時、特捜班の部屋の壁に掛けられた古いアナログ時計の針が、不自然に【10分間】スキップした。
神谷の脳に残された、あの空白バグの拒絶反応。神谷は一瞬だけよろめき、右目を押さえたが、そのガラス細工の瞳には、かつてないほど強固な意志の光が宿っていた。
神谷「行きましょう。……敵が人間であれ、システムであれ、関係ありません。世界がどれだけ偽物の映像で塗り潰されようとも。人は嘘をつく。だが、現場のログは嘘をつかない」
(第5話・完)




